死んだら天国というものに行くのか?
分割しております(*´д`*)
図書館が閉館する時刻まで、もうあとわずかになった。
片付けがしたい司書の女性に半眼で見られながらも、一覇と菜奈は一所懸命に新聞記事に目を通す。
「あ、もしかしてこの記事じゃない?」
ふいに菜奈が、一覇がほとんど無意識にめくったページを指した。そこには確かに、あの土産屋の店員が言っていたと思われる事件の記事が載っていた。
一覇は眼鏡を押し上げて、記事の一部を読み上げる。
「『被害者は神山嗣春、四十三歳』……菜奈の父親で間違いないか?」
「うん……お父さんの名前だ」
菜奈は懐かしいように愛おしそうに、新聞の面を指の腹で撫でている。
「「…………」」
ふたりは黙りこんで、そのこじんまりとした記事を凝視した。
事件の概要は、店員の言っていた通りでおおむね合っている。
久木学園の霊障士専攻の女子生徒が、霊障士専用の武器である霊障武具を不正に使用して父親を殺害、その後自害したという凄惨な内容だ。
犯人死亡で不起訴、それ以上事件について調べられることはないようだった。
「あはは」
「?」
突然笑いだした菜奈を、一覇は怪訝な表情で見上げた。
菜奈は眉を八の字にした、感情が曖昧な笑みを浮かべている。
「わたしも……とんだ化け物だねぇ」
「そ、そんなこと……っ……」
————本当にあったとは限らないだろ!
否定しようと立ち上がった途端、一覇に先ほどの立ちくらみのような感覚が襲った。床に倒れて、迫りくる吐き気を抑えるように毛の短い絨毯を握りしめた。
そのすぐそばに、唇をかんだ菜奈が膝をついていた。
「ね……一覇。君も本当は気づいてるよね?わたしに霊子を奪われていっていること」
「……!?なにいって……」
菜奈は改めて一覇の手に触れる。
数日前までなかった“生き物としての当然の温かさ”がある。
幽霊には絶対にないはずの温かみ。青白かったはずの肌は、ほんのり桃色が差している。
毛細血管と心臓の生々しい鼓動すら感じられるほど、菜奈の身体は生きていた。
本当は気づいていたはずだ。いや、気づけたはずだ。この一週間、菜奈はずっと一覇のそばにいたのだから。
ひとはときどき、現実を見失うように出来ている。
恋に焦がれる乙女と同じだ。
恋に恋して人生を棒にふる、茶番を見せられてようやく覚める馬鹿な娘。
菜奈自身も感じている、自分の身体の確実な変化。
「わたし……一覇の霊子を奪って、どんどん本当の化け物になっていってる。このままじゃ、一覇は死んじゃうよ……」
「し……」
————死ぬ?
一覇は言葉を失った。
現実味が無さすぎて、思考が追いつかない。自分が死ぬなんて、そんなこと考えられない。
でも確かに、幽霊にとり憑かれた人間は霊子を奪われて死ぬと、学校の科学の授業でも学習している。
素粒子が原子の人間でも、根幹の魂と表記される部分は霊子でできているのだ。
その霊子を、霊障士は霊障武具に転用しているのだ。人間にとっても霊子はとても大切で、切っても切れない関係なのだ。
その霊子————つまるところ魂が奪われたら、どうなるのか。
もちろん魂のない生物は存在しない。さまざまな方法にせよ、魂を抜かれた生物は、その時点で死ぬ。
————死んだら……どこへ行くのだろう。
天国?地獄?
黄泉の国?あの世とこの世?
そんなもの、死者への未練がある生者が勝手に造り出した、くだらない妄想だ。離れてしまって淋しいから、ここにいるんだって縛って感じたいだけ。
死んだらどこへ行くか……本当に知ることはできない。誰も知らない。
ひとが死を恐れる理由は、どこに行くのかわからないから。
————わたしも……怖いよ……。でもね。
突然菜奈が立ち上がり、一覇は目で追う。菜奈の表情は俯いていてよく見えない。
だが温かく光る雫がこぼれて、一覇の手のひらにはらりと落ちた。
「巻き込んで……ごめんね。ばいばい」
菜奈は走り出して、一直線に図書館の出口に向かった。その背に向かって、一覇は叫んだ。
「菜奈……っ!」
叫ぶことしか、できなかった。体が重くて動かないので、腕を伸ばすだけで精いっぱいだった。
瞼も異様に重い。でも決して閉じまいとして、必死に膝を伸ばす。
鉛のような身体に鞭を打って走り、司書の女性の怪訝な顔も無視して図書館を飛び出す。
外に出ると太陽はとうに沈んでいて、深い紫色の空が広がっていた。
学校や会社から帰宅するひとびとの波の中で、いくら周囲を見回しても菜奈の姿はどこにもない。
「くそっ」
一覇は寒さに悪態をつきながら、思いつく限りの場所を探した。公園、施設、商店街。
そして最後に来たのが、菜奈と最初に出会ったあのなんの変哲もない路地だった。
時刻はとっくに七時を過ぎている。冬至を過ぎた横浜の寒さは厳しく、空のどんよりとした雪雲による暗さも相まって、一段と冷ややかに感じられる。
繁華街は色とりどりのネオンに煌々と照らされて、行き交う大人たちは皆疲れているようにも見えた。
その大人たちの波を押し退けて、一覇は路地へとたどり着いた。しかし、そこには散乱したゴミと野良猫だけで誰もいない。
「どこにいるんだよ……菜奈……」
たちのぼる湯気が混じった吐息とともに、吐き出すように呟いた。
一覇にはもう、菜奈がどこにいるのか見当もつかない。
菜奈がいまなにを思っているのかわからないし、そもそも彼女のことは名前くらいしか知らない。
好きな色とか、嫌いな食べ物とか、どこに住んでいて、なにが得意なのかとか。全然知らない。
結局のところ、一覇と菜奈はたった一週間という短い時間を共有しただけの仲だ。
たったそれだけなのに、なにもかもわかった気になっていたけれど、しょせんはその程度だったのだ。
「…………っ!」
あの日の菜奈のように、汚れた電柱の根元に身を寄せて静かに泣き崩れる。
行き交うひとびとの不審がる視線も無視して、ただいつもの菜奈の姿を思い浮かべる。とびきりの笑顔、ちょっと不安そうな横顔、悪戯っぽいウインク、一覇を想うときの優しい微笑み。
本当の菜奈は、鬼魔とか幽霊とか人間とか関係ない、ただの女の子なんだ。
自分が情けない。こんなときに、なにもできない自分が悔しい。
行き場のない憤怒の感情があふれて、拳がコンクリートをむなしく叩く。
————優しい言葉をかけることも、そばにいてあげることすらできないなんて……っ!!
菜奈の温もりがそこに残っているのを惜しむかのように、一覇はしばらくその場を離れようとしなかった。どこかにいる菜奈を探すように、地面にぺたぺた触れる。
しかしやがて、諦めを覚えるようになる。
もう彼女のことは忘れよう。離れて、とり憑かれた状態をリセットしよう。
そうすることが、自分のためにも、菜奈のためにもなるのだ。
そうよく言い聞かせて、一覇は路地を出ようとしたのだが、その瞬間ふいに体が浮いた。
「!?」
まだまだ続きますよ!!