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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
鬼と人造鬼
62/88

鬼と人造鬼

またまた連投。螢名です。

次回は夕飯の後にお送りします。

それでは亡霊×少年少女第六話、お楽しみください。

亡霊×少年少女 第六話『鬼と人造鬼』


二〇〇八年五月二十九日、午後四時過ぎ。

神奈川県横浜市中区。

「貴様らにわしは殺せんよ、餓鬼」

女の鬼が笑った。それに一覇は気丈に返す。

「ガキガキうるせぇんだよ、クソ鬼。オレは殺せる。その力を持ってる」

「どうかな……?」

その声が聴こえた瞬間に、鬼はもう一覇のすぐ側まで迫っていた。視界に捉えた瞬間に一覇はしゃがみ、鬼の刀は間一髪で一覇の頭上を通過する。一覇の金髪が何本か散った。一覇はそのまま前へ転がり込み、鬼との距離を作る。十分な距離がとれたら、月代を撃ち込む。クイックドロウ、鬼は避けきれず、赤い髪が飛んだ。

「へぇ、餓鬼の割には反応がいいな」

その鬼の言葉に、一覇は再び憤慨する。

「ふん、しつこい鬼だな……オレはもう十五だ」

「ふはは、霊子体のわしらからしてみれば、十五なんてひよっこだよ。しかし……ふぅん、黒髪の餓鬼は矢倉のだとわかるが、金髪の餓鬼は面白いな。餓鬼、名はなんだ?」

鬼に名前を教えたところでなにになるんだ?と疑問を持ちつつ、一覇は答えた。

「河本……一覇」

鬼は首を傾げて呟いた。

「河本?確かあの実験は日向のだったような……まぁいい、一覇」

鬼に名前を呼ばれて、一覇は銃を構えた。

「なんだよ」

「わしらの生まれる理由を知っているか?」

「知らない……理由なんてあるのか?鬼は大昔からいる”妖怪”だって教わっているけど」

「そうか……しかしそれは祖先の話よ。わしら現代の鬼は違う。それに関しては日向家が一番詳しいのではないかね」

日向家……あの実験……もしかしてそれは、あの日父の研究室でみたものと関係あるのではないか?

「それは『人造鬼』のことか?」

女鬼は意を得たり、というかのようににやりと笑った。

「わしは違うぞ、純粋な鬼だ」

「ならお前らと人造鬼はどんな関係があるっていうんだよ?」

鬼と人造鬼は別物、とこの女は言っているのだろう。だからといってあの実験とは無関係ではないと、一覇は思った。なぜなら人造鬼は、鬼と人との間の存在だからだ。

「人造鬼は、我らが酒呑童子様の遺伝子が入った人の子。貴様ら人間が造りあげた恐ろしい存在よ」

酒呑童子?一覇は自然と、菜奈と一緒に戦った悪魔を思い出す。

『しゅでん……どうじ……さま……』

一覇をみて、確かに言った。酒呑童子様と。

そして神無との会話を思い出す。日向家……祖父の一誠は、酒呑童子を蘇らせる実験をしていた。

悪魔の進化した姿が鬼になる。つまり、この女鬼の言ったとおりなら、悪魔の先祖も鬼の先祖も同じ、ということだ。そして、すべての鬼の先祖と言われているのは、酒呑童子。

酒呑童子の伝説では、彼は”金髪碧眼の”蛇とのあいの子。

「お前は知ってるのか?日向家が造った、人造鬼のこと……」

鬼は腕を組んで、考え込んだ。

「いや、詳しくは知らんが……十五年前に研究は終わったとだけ」

十五年前。嫌な想像がじわりと、一覇の脳裏に浮かんだ。もしかして、もしかしなくても自分は……

「一覇……なにを考えている?」

コンクリートの壁に背中を預けている四季が、小太刀を杖のようにしてようやっと立っている。四季に目を向ける余裕もない。一覇は、鬼に核心を突く言葉を投げかけた。

「日向家の中に、その人造鬼の子供はいるか?」

嫌な沈黙。鬼はただ、にやにやと笑っている。そして

「…………いるよ」

「「!!」」

一覇と四季は同時に、鬼の言葉に息をのんだ。それが嘘かもしれない、という想像まではしなかった。ただ、素直に鬼の言葉を聞いて、信じていた。しかし鬼はご丁寧に付け加えた。

「わしは嘘はつかないぞ。ありのままを話しておる」

本当だ、と鬼は一覇たちの反応を疑念だと思ったのか、続けている。しかし、その言葉は一覇たちには届いていなかった。

日向家の子供の中に、人造鬼がいる。そしてそれは、一覇かもしれない。いや、一覇だけではない。双子の弟の逸覇もまた、人造鬼かもしれない。だが、どうやって調べよう。

「まぁいい。一覇よ、わしと戦うのか?戦わずに死ぬか?」

「……これを教えたら、お前はさらに真実を話すか?」

「なんだ?情報によっては、わしが知っていることを教えよう」

「オレは日向家最後の当主、十二代目日向一覇だ」

鬼はしばし沈黙した。そして妙に得心がいったような顔で答える。

「なるほど、納得した。やはり貴様は日向の一族だったか。ならば教えよう、一覇。貴様の霊子、視る者にはわかるぞ。酒呑童子様のものが混ざっておる」

「じゃあやっぱりオレは……」

人造鬼だったのか。だが、鬼は首を横に振る。

「どうだかな。そこまではわしにもわからん」

「なんでだよ……酒呑童子の霊子が混ざってるってことは、人造鬼以外にありえないだろ?」

「……まぁそうだな。普通に考えたらそうなる」

そこで四季が口を挟んできた。

「鬼、なぜそこまで親切に俺たちにあれこれ教える?」

そうだ、考えてみたらおかしい。鬼はさっきまで一覇たちを殺そうとまでしていたのに、なぜ急にいろいろと情報をくれるようになったんだ?すると鬼は肩をすくめて答えた。

「別に、一覇が面白かったから話す気になっただけさ。他意はないぞ」

嘘をついていないことを信じて、四季は提案をした。

「取引しないか?この場で我々は貴様を襲わない。だから、貴様もここから離れる……」

「イエス、と答える鬼がいるとでも?」

「……だろうな」

お互いに再び臨戦態勢に入る。一覇は銃を、四季は小太刀を、鬼は刀を構える。と、そこに複数の足音がした。

「残念だのぅ……タイムリミットだ。また会おう、一覇。わしの名は刹那だ」

そう言って鬼……刹那はものすごい速さで去っていった。その途端、周囲を覆っていた霧は晴れた。

「四季、一覇……!?まさか私を追って……」

「「げ」」

卯月だ。彼女が率いる部隊はようやっと、刹那の居場所を掴んだところなのだろう。しかし、刹那は去っていった。そのことを説明しようとする前に、卯月の怒号が飛んできた。

「あれだけ言ったじゃない!危険だって!鬼がどこかに消えたみたいだからいいものの、ひょっとしたら殺されて……ってこのコンクリ!鬼と遭遇してたのね!?これは遊びじゃないのよ!」

それからおよそ十分間、卯月の怒号は周囲に響きわたった。


二〇〇八年六月二十二日、午前十一時。

私立久木学園学園祭「紫陽祭」の演目、『霊子演舞』が始まった。

一覇は赤の恐ろしく重い着物に、能面。四季も能面をつけているが、こちらは青い着物だ。一覇は演目に合わせて銃の月代ではなく、曲刀のかぐやを使っている。四季はいつも通り、小太刀の朧。

青と赤の霊子が会場を包み、きらきらと輝いては散っている。青の軌跡と赤の軌跡が混じり合い、交錯し、光の奔流を描く。

二十分の公演を午前と午後の二回、それを二日間。遊べるのは三日目だけ。三日目は生徒と招待された家族だけの文化祭なので、大いに遊べる。

これが終わったら遊べる、と自分に言い聞かせて、一覇は霊子演舞に集中した。

六月二十四日、午前十一時三十分過ぎ。

一覇はひとりで文化祭を楽しんでいた。いや、楽しんでいない。残念なことに、いつものメンバーはほとんどがクラスの出店のシフトに回されていて、唯一遊べるのは一覇と同じく、霊子演舞の労いでシフトから外された四季だけ。しかしその四季もどこかに消えてしまい、こうして一人で回っているのだ。

ひとりで焼きそばを啜り、かき氷を食べ、たこ焼きをほふほふいって、お好み焼きを食べて、タピオカミルクティーを飲む。

ひとりって、淋しい……。せめて四季がいればなぁ。

「なぁ、ヒマ」

思い切って椋汰のクラスまで足を運んでみた。椋汰のクラスは喫茶店だ。スフレチーズケーキとロイヤルミルクティーを注文して、椋汰に絡む。

「なぁ、椋汰。オレ、ヒマなんだけど」

「一覇……昨日一昨日忙しかったんだから、休んでりゃいいじゃん」

ちなみに盛況な店内で、ホール係の椋汰は忙しい。しかし、そんなことは知ったことじゃない。

「なぁヒマ。ヒマヒマヒマヒマ」

「そんなにお暇なら、私たちのクラスのお手伝いをしてはいかがですか、一覇さん」

璃衣がきた。なんで居場所を知っているのだろうか。

「それはイヤだ」

「どうしてです?いいじゃないですか、メイド喫茶」

「狂ってる!なんで女子が執事で男子がメイドなんだよ!!」

そう、一年F組の催し物は、男女逆転メイド喫茶。璃衣が着ているのは、黒い燕尾服。あ、四季の野郎、手伝わされるのがイヤでどっかに消えたんだな……と今更になって思い至った。

「じゃ、じゃあさ、手伝ってもいいけど、四季と一緒に……」

こうなったら道連れだ、と一覇は提案する。どうせこの人だかりで見つかりっこないから、手伝うことはないだろう。

「いえ、若なら……」

すると璃衣は後ろに手を伸ばして、ぐいっと何かを引っ張りだした。

「ここに」

「むーっ!!」

紐で手足をぐるぐるに縛られて、猿ぐつわを噛まされた四季が出てきた。ものすごい反抗しているが、文字通り手も足もでない。

「で、一覇さん。若と一緒なら手伝うんでしたっけ?」

にやぁ、と嫌な笑みを浮かべる璃衣。これは逃げられない。逃げきれない。

「でさ、スカート短くない?」

F組に戻って、一覇は用意されたメイド服に着替えた。恐ろしいことにサイズはメンズだからピチピチということはないのだが、スカートの裾が膝上。

「そんなことないですよ。わぁ一覇さん、案外似合ってるじゃないですか。可愛いですよ」

「きもいだけじゃん……絶対家族には見られたくないタイプじゃん」

女子によってメイクも施されて、ウィッグも被って、完璧なオカマメイドが完成した。鏡を見るのが怖い。

「若も完成したみたいですよ」

璃衣の言葉を受けて、一覇は隣のメイク台をみた。そこには、綺麗な女子がいた。

艶やかな青みがかった長い黒髪を流し、長いまつげに縁取られた金の瞳は鋭く輝き、少々骨っぽいが華奢な体は一覇と同じピンクのメイド服に包まれている。

「……なにをじろじろ見ている」

ぎろ、と一覇を睨む女子。声を出すとなるほど、四季だ。しかし

「女装なんて女形で慣れてるんじゃないの?」

「女装と女形を一緒にするな馬鹿者!」

基準がわからない。女の格好をするのは一緒ではないか。

それはさておき。こうして一覇と四季はメイド喫茶デビューを果たした。店内はそれなりに忙しい。

「きゃあ、河本くんがメイドやってるー!」

「あたしの注文受けてー!」

きゃいのきゃいのと騒ぐ女子の注文を受けていると、

「触るな、俺は男だ!」

「えー、嘘でしょ?可愛いじゃん」

「ねぇねぇ、おれたちの相手してよ」

四季がナンパされていた。

「助けないんですか、一覇さん」

にやにやしてことの成り行きを見守る璃衣。絶対楽しんでるよ……こいつ絶対にオレたちで遊んでるよ……。と思いつつも、放ってはおけない。自分のお人好しな性格に辟易しつつも、一覇は接客モードで間に入った。

「お客様ー、当店ではこのようなサービスは承っておりませんので」

「うわ」

うわ?きもいとかですか?わかります。自分でも引いているっつーの。

とか思ったら違っていて。

「君も可愛いねー黒髪の子とおれたちでダブルデートしない?」

「おれ、こっちの長身の子がいい!」

え?オレってそんなに女の子に見えるの?というかなんで気づかないの?ここ、『男女逆転』メイド喫茶ですよ?というかおかしくない?こんな骨ばった女子いないよ!……とツッコミを入れつつ、どうしたものかと困っていると男たちは調子に乗って、一覇と四季の肩を抱きしめる。

「よーし行こうぜ」

「やめろ!俺は本当に男だ離せ!」

ぐわっ。

一覇が男を背負い投げした。義妹仕込みのそれは、見事に決まった。

「いい加減にしろよ。オレとこいつは……」

メイド服の胸リボンを外し、ブラウスのボタンもあける。一覇の平坦な胸板が露わになる。

「男だよ!!」

「「…………!!」」

ナンパ男二人組は相当にショックだったのか、絶句している。やがて、

「嘘だろ……その可愛さで男……」

「騙された……」

ふらふらとして店を出ていった。

「ばーか!騙されてやんのー!もう二度とくんなよー!」

イーっと歯茎を見せて、一覇は笑った。一覇は散らかったテーブルを片づけながら、四季に声をかける。

「やー、最後の奴らの顔は爆笑ものだったね!気持ちよかった!」

背負い投げの衝撃で倒れたテーブルを立ち上げながら、一覇は四季の俯いた顔を覗く。

「怖かった?」

「まさか、うざったかっただけだ。それより」

四季は一覇の胸元に手を伸ばし、ボタンをひとつひとつ留める。

「早く服を整えろ。馬鹿者」

「はいはい」

「一覇、四季、大丈夫?」

そこに同じピンクのメイド服を着て、黒髪ロングのウィッグをつけた海がやってきた。散らかった店内の掃除をしようと、箒とちりとりを手に持っている。

「ずいぶん散らかってるね」

「ごめん、オレがやった」

「はは、意外と暴れん坊だね。一覇、雑巾持ってきてくれる?」

一覇は海に言われた通り、雑巾を取りに店……教室を出た。

「まさか、四季がそのカッコで来るとは思わなかった」

箒で床を掃きながら、海は四季に言った。

「なぜだ?」

四季は手伝いながら、海の言葉に疑問を投げかける。すると海は少し言いにくそうに答えた。

「……だって、千歳そっくりじゃん。嫌だったでしょ、あの子と似るの」

「…………」

「本当は髪伸ばすのも嫌なんでしょ?なんで伸ばしてんの?」

四季は黙ったままだ。

彼が髪を伸ばし始めたのは一年半前。曾祖父とその側近しか知らない彼の二重生活が始まったのも、一年半前。すべてが”彼女”に繋がることだった。

これは、『僕』に課せられた使命なのだと、思わざるを得ない。僕はずっと、こうして生きていくんだ。あの人が死ぬまで。

「……千歳、来ないな」

その海の言葉に、四季はさらに疑問を浮かべざるを得なかった。

「千歳がいくら教員の娘だからって、今日は家族用の招待状がない限り行けないだろう」

彼女のフルネームは久我原千歳。卯月の一人娘、つまり四季の姪だ。年は四季の一個下で、久木学園の中等部に通っている。

学園祭は中等部と高等部同日の日程だが、お互いの行き来が自由にできるのは一般公開の一日目と二日目のみ。つまり三日目の今日は、家族以外は原則出入りできないのだ。

海は言った。

「いや、僕の家族招待券あげたんだけど……来ないなって」

「なんでそこまでするんだ。自分の家族には渡さなかったのか?」

「あれって一人五枚じゃん?父さんと母さんと大地兄と宙兄と神無さんにあげたんだけど、父さんは会議があって行けないって言うから」

四季は淡々と片づけながら、話を続けた。

「別に、本人の自由だ。来なくてもいいだろう」

「でも、いい機会だから叔父さんと話するのもいいんじゃないかなって」

「余計なお世話だ」

そう、余計なお世話。彼女と自分の関係は、叔父と姪以上でも以下でもないのだ。それでいいのだ。彼女があれ以上『彼女たち』のことに巻き込まれる義理も義務もない。これは、『彼女たち』の問題なのだから。

そうは言っても、海も当の千歳も深くは知らない。説明しようと思うと、えらく長い話になるし、信じるかどうかわからないからだ。四季がそれ以外の理由で意図的に遠ざけていたこともあるが。

「とにかく、俺と千歳のことは放っておいてくれ」

割れた皿の欠片を回収し終わって、四季は立ち上がった。

「これ、捨ててくる」

「あ、四季……」

海がまだなにか言いたげだったが、それを遮るように教室を出た。走って焼却炉へ向かう途中、窓ガラスに映る自分の姿が見えた。

似ている……というかまるで本人のようだ。

身長は四季の方がいくらか高い。骨格も、当然ながら少し骨太だ。だが男にしては細いその体は、まるで”彼女”そのものである。

四季が生まれた時、”彼女”を知る人は『まるであの方の生き写しね』と言っていたそうだ。母も喜んで、息子の四季と接してくれた。

だがおよそ半年後、四季よりなにもかもそっくりの千歳が生まれて、四季を取り巻く環境が変わった。母から引き離され、隔離され、千歳が”彼女”の代わりになった。もちろん、物心つく前の話だ。四季はそれから十一年もの間、母の顔を知らずに育った。

ポケットから、常に持っている写真を取り出す。そこに写っているのは、若い頃の母と亡くなった祖父、”彼女”、そして……

「基……」

”彼”が、写っている。『三人』が一緒に写っている写真は、たったそれだけ。これ一枚きり。母の部屋で見つけて、こっそり持って歩いている。持っていれば、もう一度”彼”に会える気がして。

しかしそれは現実のものになった。”彼”に会えた。だが、”彼”はなにも知らない。知らなくていいのだ。できるなら、知らないままの”彼”と側にいたい。知ってしまえばきっと、『あたし』は嫌われてしまうから。

四季は写真を胸に抱きしめて、今の”彼”の名を呼ぶ。

「一覇」


二〇〇八年六月二十九日。

今日は学園祭の代休で、久木学園の中等部と高等部の生徒は休みだ。したがって一覇はアルバイトのシフトを入れたのだが、店長に「さすがに働きすぎよ」と言われて休みになった。

京二に椋汰と一緒にカラオケに行かないかと誘われたが、それを断った理由は彼女……宝にあった。同じ理由で休みの宝は母親、つまり一覇の義母である明日香に大量の買い物を頼まれた。セールがあればいつものことなのだが、今日は特に量が多かった。椋汰は部活でいないし、他に頼れる男はいない。そこで一覇に白羽の矢が立ったわけだ。そんなわけで、一覇は宝と二人きりで買い物だ。

電車に乗って、横浜駅近くの大型スーパーに向かっている。

「ねぇ一覇、バイクの免許とらないの?とってくれたら、こういうときに楽なんだけどなー」

「あのなぁ、オレはまだ十五だから免許とれないの。第一、今日みたいな大量の買い物には、バイクは向いてないよ」

「あ、そっか。残念だなぁ、交通費浮くのに」

「車の免許とったら、いつでも乗せるよ」

「わーい!楽しみにしてるね」

そんな会話をしているうちに、横浜駅に着いた。徒歩五分ほどで、大型スーパーに着いた。

「えーとそれから……」

「ま、まだあるのかよ……オレの手じゃ足りないよ」

一覇の両手は、既に荷物で満杯だった。これ以上はもう持てない。すると宝が笑顔で言った。

「大丈夫だよ。あとはわたしが持つから」

「頼もしいことで……」

それからいくつかの店を回って、買い物メモに記された買い物は終わった。

「ちょっと休憩しよっか。結構荷物重いし」

「さ、賛成。重くて腰が……」

そうして二人は、近くにあったカフェに入ることにした。

一覇はストロベリーフラペチーノ、宝はチョコモカフラペチーノをそれぞれ注文して空いている席に荷物を置いてから座る。

「そういえば宝、進路はどうするんだ?」

ストロベリーフラペチーノを啜りながら、一覇が何気なく訊いた。すると宝は迷ったような素振りを見せる。

「うーん……わたし、夢とかないしなぁ」

「柔道はどうするんだよ?高校に入っても続けないの?」

「それはちっちゃい頃からやってるから、やるかもしれないよ?でも部活としてやるかどうか……一覇みたいにバイトしたいとも思うし」

「ひなぎく園は貧乏だけど、家は貧乏じゃないじゃん。なんで?」

「社会勉強、かな?ほら、どちらにしろ、いずれは働くんだし」

「まぁ、それはそうだけど……」

「一覇は?高校卒業したらどうするの?やっぱり、プロとして働くの?」

「あ、それは……」

一覇も迷っているところだった。プロとして働いて、いずれは第二種免許をとるつもりではいた。だが、学校はまた別だ。プロになっているのだから、高卒でも問題ないが、一般企業に就職するなら、今時は大卒だろう。しかも久木は高校から大学までエスカレーター式だから、苦労せず大学に進める。だから別に大学に行ってもなにも問題ないのだが。

「一覇は時間があるからいいよね。わたしはもう中三なのに、なにも……」

「まだ中三だろ。高校なんて適当なとこ行って、大学決めるときに真剣になればいいんだって」

「そんなこと言って、一覇は目標があったからいいよね。わたしも久木にしようかなー?久木の運動科」

「お、おう、いいんじゃないか?久木ならネームバリューあるし、奨学金制度もしっかりしてるし」

「ふふ」

「な、なんだよ」

「一覇、なんだかお兄ちゃんみたい」

急にそんな笑い方されたら、ときめかないわけにはいかないだろ!!と心の中で叫んでいた。それほどに彼女の笑顔は可憐で、太陽のようで、すごく魅力的だったのだ。

「お、お兄ちゃんだろ、オレは……」

自分の気持ちを誤魔化すように、ストロベリーフラペチーノを啜る一覇。そんな彼の心情を知ってか知らずか、宝は一覇の金の髪を撫でる。

「ごめんね、お兄ちゃん!」

その手は温かで柔らかくて、日溜まりのような手だった。

──本当は……。

本当は、「お兄ちゃん」なんて呼ばせたくなかった。”お兄ちゃん”の「河本一覇」じゃなくて、”男”の「日向一覇」として見てほしかった。ずっと、この一年半、ずっと、それだけを願ってて……

「宝」

「なぁに、一覇?」

でも、この関係は壊したくなくて。でも……

「あ、あれ、りょうちゃんじゃない?」

──それは叶わないことで。

窓の外から、部活帰りの椋汰が覗いて手を振っている。宝は頬を染めて、思い切り手を振っている。そう。

宝は、椋汰のことが好き。幼い頃から、一覇が二人と出会う前からずっと、想い続けている。一覇が入る隙はないのだ。

「椋汰にも手伝わせるか、これ」

一覇はそう言って、笑う。わらうことしか、出来なくなった。


七月一日、晴れ。

いよいよ夏休み目前で、浮き足立つ気持ちも分からなくもないが、忘れてはいまいか……夏休み前にやってくる恐怖の大王の存在を。

キーンコーン。

「終了だ。解答用紙を後ろから回せ」

恐怖の大王、その名も期末試験。抗う生徒を卯月が容赦なくつるし上げ、解答用紙をかっさらっていく。

「ま、こんなもんかな」

一覇は問題用紙にメモした自分の解答を見て、満足していた。実技に自信はないが、筆記ならお任せあれだ。自慢じゃないが、記憶力も要領もいい方だ。

「四季はでき……」

たか……?その質問をする前から、四季の様子を見れば明らかだった。項垂れた体。暗い顔。

「あの……四季さん?」

答えない。無言。あれ、四季ってエリートじゃなかったっけ?というか、このクラスは一般科目も霊子科学も出来る子じゃないと入れない、まさにエリートの中のエリート集団じゃなかったっけ?

「四季さーん……あの、もしかして、もしかすると出来な」

「俺は出来たぞっっ!完璧だ!!」

「…………」

必死になるところが怪しい。

「問十二、X=Y2の交点の座標を答えなさい」

今日の数学から。

「あ、あの……えっと……」

「問九、この傍線部分の主人公の気持ちを答えなさい」

これは昨日の現代国語。

「そんなの知るか!」

「そう書いたの?」

「あう……いや……」

そういえば、四季と十二年間一緒にいたけれど、四季と一緒に勉強をしたことはなかった。四季は初等部から久木学園にいたし、一覇は一覇で近所の市立小学校に通っていたしで、一緒に勉強する機会がなかったのだ。

「あはぁ?四季、もしかして勉強できないとか?」

「で、できるぞ!馬鹿にするな!やる気になれば俺だって」

「もっと言ってやってください、一覇さん。若は目を離すとすぐサボるので」

従者のお許しも出たところで、いじりまくる気満々な一覇。

「お上品なお稽古ばっかで、お勉強はしてこなかったのかなぁ?四季ちゃんは」

「してるわクソが!!」

「はいダウトー」

ひょーいと四季の机の上に置かれた問題用紙を奪い取る。塾に通っている子や予習復習を欠かさない子って、大抵問題用紙に解答を書いてるのだよねー。

「か、返せ!!クソっ届かないっ!」

「はいはいおチビさん」

どれどれ四季の問題用紙は……。

遥佳と時雨→基→?という関係図が書いてあった。はて、遥佳、時雨、基というのは……。もしかして基というのは、あの東雲基のことだろうか?でも、それが四季と何の関係があるというのだろうか。そしてこの関係図はなんなのだろうか。様々な疑問が浮き上がる。

「四季、これって……」

なんなの?と言おうとしたら、四季は一覇の手から問題用紙をかっさらっていった。その顔は先ほどとは違って蒼白で、なにかみてはいけないものを見てしまった気にさせた。

「貴様には……関係ない」

四季は震える声でそう言って、件の問題用紙だけを手に教室を出ていった。

「なんだお前たち、喧嘩か?」

解答用紙を回収し終えた卯月が、教卓から一覇たちに声をかけた。

「一覇さん……若を追ってください」

璃衣が真剣な声音でそう言った。

「え、でも……」

オレが怒らせたのに、そんなことしていいのか?嫌がらせじゃないか?と言う前に、璃衣が追い立てた。

「なんでもいいから行ってください」

一覇は言われるままに、四季を探して教室を出ていった。


放課後。といってもテスト期間だから正午になったばかりだ。部活もないから校舎に残っている生徒は少なく、一年F組も例外なくがらんとしている。璃衣はひとりで、自分の席の机に腰をかけていた。

四季と一覇は戻ってこない。璃衣は支給された携帯電話をいじって待っていた。夏休みの予定をなんとなく確認している。アニメのイベントが数件、夏コミ三日間、声優イベント。それからついでに煩わしい臨海学校。まったく、オタクイベントに水を差さないでほしいものだ。

思えばこんなにオタクになった理由は、何だっただろう。人との関わりを避けていたあの頃から?それは確かなきっかけかもしれない。でも……

『二本松さん』

自分を呼ぶ、あの背の高い少年を思い出す。三島椋汰。煩わしい存在だ。でも、なんでこんなに気にしているのだろうか。彼はあれきり声をかけてこない。会っても、挨拶すらしない。それが少し淋しい。

「なんで……」

かたん。

足音がした。ひとり。ここに向かってくる。一覇か四季のどちらかだろう。

からら。

静かに戸を開ける音。

「一覇さん?若と話せましたか?」

「久しぶりね、璃衣。元気にしていた?」

一覇の声でも、ましてや四季の声でもなく、少女の声。それはとても聞き覚えがあって、懐かしい……声。

振り向くと、その姿は記憶と何一つ変わっていなかった。黒を基調にしたゴシックロリータのワンピース、お揃いの靴と日傘、巻いた金のツインテール。赤く変色した大きな瞳。

少女はにこりと微笑んで、璃衣に近づく。

「どうしたの、璃衣。そんな怖い顔して」

「どうして……」

璃衣の口が、体が、震える。恐怖、苦しみ、後悔。いろんな感情の奔流が襲いかかる。そこ喜びはない。なぜだろう。

少女はとうとう璃衣の座る机にたどり着き、白く細い手で璃衣の頬に触れる。

「会いたかったわ……わたしの、璃衣。ねぇ」

璃衣の頬を愛おしそうに撫でる。

「戻らない?わたしたちの……アベルに」


「いた!!」

正午の少し前、とっくに放課後を迎えている。誰もいない屋上テラスのベンチに、四季は腰掛けていたところだった。一覇の声に驚いて、問題用紙をくしゃっと握った。

「四季、あの……あのさ……」

「時雨は母、遥佳は母の姉……つまり僕の叔母で、基は義理の叔父。それだけだ」

「へ?」

制服を汗だくにした一覇は、四季の言葉を何秒かかけてようやく飲み込んだ。つまり、あの三人は四季の関係者だから、関係図を書いていたことになにかしらの意味がある、そう言いたいのだろうか。

「えーと、あれってどうみても恋愛とかそういう感じだよね?つまり、時雨さんと遥佳さんは基さんのことが好きだった……?」

「関係ない」

つんとする四季の後を追って、一覇はベンチに腰掛ける。シャツの襟をぱたぱた扇いで、流れる風で濡れた制服を乾かす。

特に何かを言いに来たわけじゃなかった。ただ璃衣に言われるがままに四季の後を追って、見失って、散々校舎中を捜してようやくここまで来たのだ。

四季もまた、なにを言っていいのかわからない。別にあの落書きは誰に見せようとか思って書いたわけじゃなく、というかむしろ誰にも見せる気はなく書いていた。ただ、自分の頭の中を整理させる為に。それだけだったのに……。

「……一覇は……」

彼は、『覚えて』いるのだろうか?……いや、それはないだろう。さっきの反応から見て、それはありえないだろう。

「なんでもない」

「なんだよ、言えよ」

一覇は夏服の黒いベストを煩わしそうに脱いで、Yシャツとスラックスだけになる。腰には、霊障武具基盤が二つ入った黒いホルスター。

四季はそのうち、一覇からみて左側の基盤に視線を送る。

ハンドガン『ベレッタM9』、固有名”月代”。それは”彼”とまったく同じものだった。それを知ったときは驚いた。一覇は彼の霊子まで受け継いでいるのだと。それは当然だ、一覇は”彼”なのだから。

だけど、一覇はそれを知らない。僕が”彼女”だということも、当然知らない。

「四季?」

一覇は四季を見つめる。”彼”と同じ青い優しい瞳で。

「……一覇は、東雲基のこと、どこまで知ってる?」

訊かなきゃよかった、とすぐに後悔した。それでも訊かずにはいられなかった。一覇は”どこまで”知っているのだろうか。

すると一覇は

「うーん……教科書に書かれていることくらいかな?矢倉家所属の最年少で第一種霊障士になった人。で……」

一覇は空を仰ぎながら思い出し思い出し答える。

「”災厄の悪魔”を殺した英雄!」

そう、基はあの”災厄の悪魔”を命がけで殺した、日本の誇る英雄なのだ。しかし、その話には裏がある。『当事者』にしか知らない、本当の話。それを、四季は知っている。

「……そうか」

四季は立ち上がり、校舎への道を歩いた。

一覇はいずれ、知ることになるだろう。その話が、血塗られた運命の話になることを。生まれる前から定められた道の話を。

「一覇」

「あん?」

彼が真実を知る前に、これだけは伝えたい。

「僕は一覇のことが好きだ」

すると一覇はたっぷり十秒黙り込んでから顔を赤くし、

「な、なに言ってんだよ!璃衣に聴かれたらどんな誤解されるか……」

「誤解されてもいいから言っているんだ」

そのまま四季は、校舎の中に入っていった。

言った。とうとう言った。これまで隠していた気持ちを。淡い想いを。

四季は、一覇のことが好き。きっと『記憶』を混同して”彼女”の想いが自分の気持ちにすり替わっているのかもしれない。でも、それでも今の自分の想いには変わりないから。だから言った。今の自分は男だってわかっている。でも、言いたくなった。一覇は、どう思っているのだろう。どう受け取ったのだろう。振り返って、一覇の様子を確かめた。

「一覇……?」

「きゅ、急にそんなこと言われても困るし!第一オレは璃衣の妄想通りのことはしたくないし、す、好きな子だっているし……」

しどろもどろに答える一覇。

そっか、好きな子いるんだ。そりゃあそうだよね。そういう年だよね。わかっている。わかっているけど、どうしても……。

「僕の気持ちを知ってくれるだけでいい。今はただ、それだけで……」

つらい。心の奥がぎゅっと締め付けられる、苦しさ。自分がどんな顔をしているかなんて、考えもしない。ただ、感情を押し隠そうと、誤魔化そうとしている。

「帰るか。璃衣が待ってるはずだ」

やっぱり、この想いは隠しておくべきだったんだ。後悔した。

教室に戻るまでは苦痛だった。ただ黙って進む二人。会話はない。教室が見えたときはほっとした。たぶん、というか絶対に璃衣がいるはずだからだ。

だが。

そこに、璃衣の姿はなかった。代わりにあるのは、彼女の白く飾り気のない携帯電話。床に落ちていた。鞄もある。

「璃衣、いないのか。飲み物でも買いに行ってるのかな?」

一覇は璃衣の開かれたままの携帯電話を拾って、折り畳む。

「携帯がここにあっちゃ、連絡しようがないよな。待つか」

「あぁ。まったく、なにをしているんだ、あのオタク女……」

そのまま夕方になるまで待った。しかし、璃衣が戻ってくることはなかった。しびれを切らした四季が教室を出て校舎中捜したが、璃衣と会うことはなかった。

「帰った、ってことはないよな?」

教室に集合して、一覇と四季は話し合う。

「あの女が黙って帰るということはしない。あいつは俺を監視することが任務だからな」

「監視……って、四季なにかしたの?」

「別に。それよりもう帰ろう、一覇。あの女は放っておいても帰ってくる。それが任務だ」

四季は自分の鞄と璃衣の鞄を持って、教室を出ようとした。しかし、それを一覇が止める。

「なぁ、なにかいやな予感がする。もう少し待とうぜ」

「いやな予感ってなんだ。散々捜させていないのが悪いんだろ。夕飯になればあの卑しい女はうちに帰ってくる。大丈夫だ」

四季の言葉を信じて、一覇はその場を引いた。自分の鞄を持って、教室を後にする。そのまま無言で駅まで歩いて、みなとみらい線に乗って、横浜駅から相鉄線に乗り換えて、星川駅で降りる四季を見送って一覇は二俣川駅まで帰った。

しかし、璃衣が帰ってくることはなかった。

二〇〇八年七月三日、期末試験最終日。霊子科学のテストの時間。

四季はイライラしていた。璃衣が帰ってこないからだ。曾祖父からなにか特令でも受けたのだろうか。いや、それで携帯電話と荷物を置いていく意味がわからない。普通は持っていくだろう。特に携帯電話は。

彼女は記憶力がいいから、携帯電話なしでも四季の番号くらい知っている。何かあれば公衆電話からかけてくるかもしれない、と思ってこの二日間携帯電話を肌身離さず持っていたのだが、誰からもかかってこない。

帰ったら曾祖父を問いつめてみよう、そう決意した。

キーンコーン。

「終了だ。後ろから回収しろ」

「えっ……」

しまった、考えごとをしていてろくに解答を書いていない。

「四季、なにしてんの?回収するよ」

海が解答用紙の回収に来ていた。そして問答無用で持ち去る。

唯一点数がとれる教科だったのに、なにをしているんだ……馬鹿なんじゃないか自分。それもこれも、あのオタク女のせいだ。

「帰ってきたら仕置きしてやる……っ」

十一時三十分過ぎ。一年生一学期の期末テストを終えて、生徒たちは解散した。

「一覇ーっ四季、海、忍野!テスト打ち上げのカラオケ行かない!?」

普通科の椋汰と京二がやってきて、京二がそんな提案をしてきた。

「に、二本松さんは……今日も来てないの……?」

椋汰が心配げに四季に訊いてきた。四季は少し迷ったあげく、素直に答えた。

「あぁ。家にも帰ってきていない」

「そっか……じゃあさ、今日は二本松さんを捜しに、行かない?」

椋汰のその提案は、主として嬉しいものだった。だが

「放っておけ。俺に宛があるから大丈夫だ」

「宛って、時繁様?」

今度は海。やはり彼も、それなりに心配しているのだろう。話を聴いていたらしい。

「あぁ……それしかない。おじいさまなら、なにかご存じかもしれないからな。璃衣の雇い主だし」

「でも四季、時繁様とあんまり……」

あまりというか、全く反りが合わない。実の家族だというのに、関係は他人以下だ。特に、四季が霊障士を目指すと言い出した頃から、会話が減った。それでも頼るほかない。

「四季!」

椋汰が迷いなく言った。

「おれ、できることはなんでもするよ!」

「……ありがとう。俺、今日は帰る。帰っておじいさまに訊いてみる」

「四季」

今度は一覇だった。一覇は強い瞳で見つめて、四季の肩を握った。

「オレも行くよ」

「一覇……」

怖い。家族とは思えない、冷たい時繁と会うのは、怖かった。その恐怖を、一覇はまるで見透かしていたようだ。

「あら、私たちも行くわよ。クラスメイトの困り事は、クラス委員長が解決しないと」

桐子が力強く言った。京二も、海も、全員が頷いた。

「じゃあ……行こうか。矢倉本邸へ」

正午。相鉄線星川駅から徒歩十五分のところに、矢倉家本邸があった。広い日本家屋がいくつも繋がっている、広大な屋敷。そのもっとも奥の棟に、四季の曾祖父、矢倉時繁の部屋があった。普段はアポなしでの面会は家族すら許されないところだが、事態が事態だ。四季は緊急だ、と連続して時繁付きの使用人たちを退かせて、一覇、椋汰、海、京二、桐子を引き連れて時繁の執務室までたどり着いた。

「おじいさま、四季です」

障子越しに声をかける。

「入れ」

嗄れた、しかし張りのある威厳を感じさせる声が響いた。四季は恐々と障子を引いて、中に入る。中は薄暗く、照明の類は今時蝋燭二本だった。その黒い着物に包まれた背中は広く、灰色の長い髪は後ろで一つに束ねられていた。

「お前が自ら私の部屋に出向くとは、珍しい」

時繁は書き物をする手を止めず、口を開いた。

「璃衣がこの二日間、戻っていないことはご存じですね」

そこで時繁の手が止まった。時繁は振り向き、四季を見たあと、一覇たちを目に入れた。

「日向の。貴様とは初めてだったな」

時繁はどこか物珍しそうに、一覇をしげしげと見つめた。その瞳は鋭い金、四季とそっくりだった。

「お初にお目にかかります、時繁様。急に申し訳ありません。しかしお許しください。事態が事態ですので」

一覇はそう言って、話を本題に傾ける。

「璃衣のことはお前に任せていたはずだ、四季」

「しかしおじいさま、璃衣はおじいさまに仕えているつもりです。おじいさまにはなにか残しているかもしれませ」

「あいつがなにをしているのか、私は知らん」

時繁は冷たく答え、冷ややかな視線を浴びせる。

「話はそれだけか、四季」

四季は無言で、時繁を睨み返す。すると時繁は

「お前はますます遥佳に似てきたな」

と言って再び書き物を始めた。これ以上は話す気がないらしい。四季は立ち上がり、引き下がった。

「失礼、しました」

「どうするの、矢倉くん。なんのヒントも得られなかったわ」

桐子が喚いた。すると仲間たちが次々に口を開く。

「あのじーさんこえぇな、でも四季とそっくりだったぜ」

「時繁様は十二代目当主だけど、今だにその権力は衰えてないからね。うちの父さんなんかも頭が上がらないよ」

「二本松さん……ほんとにどこにいるんだろ?」

「四季、本当に手がかりはないのか?」

手がかり……と言われても、四季は彼女のことをほとんど知らない。ただ一つ、彼女と出会ってから十年経つが、彼女の見た目はまったく変わらない、それだけしか知らない。疑問に思ったことはあるが、それで自分の中の璃衣のなにが変わるかと言われたら、なにも変わらないと思ったので訊かずにいた。

ぶーぶー。

四季の携帯電話がバイブレーションを響かせる。すぐに取り出すと、相手は卯月だった。

「姉さん?どうかしたのか?」

『四季、今どこにいる?この前の鬼がまた現れたんだ!戦った二人にどんな鬼でどんな戦い方をするか訊きたいから、いますぐ一覇と元老院に来てくれ』

余程急いでいるのか、卯月はそう言って電話を切った。

しかしそうか、元老院なら、璃衣の情報を手に入れられるかもしれない。四季と一覇たちは全員、中区の元老院に向かった。

十二時三十分過ぎ。四季たちは中区にある高等部校舎の隣、元老院本部に来ていた。

中は鬼の登場で慌ただしい。会議室から出てきた卯月が、四季たちの姿を見て飛んできた。

「四季、一覇!あんたたちも!鬼に会わなかった?無事よね?」

「鬼魔一匹いなかった。ところで姉さん、俺たちは璃衣のことを……」

「それはあと!今は鬼魔対策。さ、四季と一覇は会議室に。あんたたちは心配だからここに残る!」

そう言って、卯月は四季と一覇を連れて会議室に入っていった。一覇たちは先日会った鬼の「刹那」について、知りうる限りの情報を伝えた。といっても、刹那とは戦いらしい戦いはせず、話ばかりだったのでほとんど知らないに等しい。それでも多くの情報を求める対策本部に、情報を絞り出して伝え、会議は終了した。

「卯月姉さん」

会議を終えて出動準備をする卯月の背中に、四季が声をかけた。

「どうしたの、四季」

「あの、俺たち璃衣を捜しているんだ。だから……」

卯月は困ったように笑い、弟の頭を優しく撫でる。

「わかった。少し時間とる」

そう言って、卯月は一覇と四季、海、京二、椋汰、桐子を空いたばかりの会議室に誘った。全員が入ったところで鍵を閉めて、空いている席に座らせた。

「私も詳しくは知らない。でも、あの子は私が生まれた頃からいた。あの姿のまま」

全員が、息をのんだ。あの姿のまま、三十四年?どういうことだ?

「姉さん、それは……」

卯月は首を左右に振る。

「私も不思議に思ってね、ばあやに訊いたことがあるんだ。そしたらばあやはこう言った。『あの女に触れてはならない。あの女は裏切り者だから』」

裏切り者?ますます意味が分からない。すると卯月は時計を見て、立ち上がった。

「ごめん、もう時間だわ。あんたたちは危ないから、ここにいなさい。特に一般人は危険よ」

卯月は会議室を出て、現場に向かって走り出した。

四季は卯月から得た情報を元に考えていた。三十四年、いやもしかしたらそれ以上、同じ姿の人間なんているだろうか。いや、いない。それは化け物、霊子体や鬼魔だ。しかし、璃衣は鬼魔じゃない。だとしたらなにか。

「アンデッド……」

ふいに、一覇がそう言った。

「一覇、”アンデッド”って……?」

四季はきいたことのない言葉だった。しかし、霊子科学に詳しい一覇なら。

「鬼魔になった人間は、ネクロマンサーと呼ばれるんだ。ネクロマンサーは死霊使い。死体を人形にして戦う。その死体人形のことを、アンデッドという。アンデッドは当然、年をとらないし、鬼魔のように瞳が赤くなるという変化が起こらない。死体だから」

「だが、体が腐ったりしないのか?」

「わかんない……でも、璃衣が鬼魔じゃなくて本当に三十年以上も生きているんだとしたら、アンデッドかなって」

一覇は自信がない、確証もないと言っている。あとはここの資料室を借りて調べるか、もしくは……

「アルカなら、なにか知っているか……?」

一ノ瀬アルカ。彼女は霊障武具技術師だが霊障医でもある。当然その手の知識は豊富だ。一覇を見れば、彼も四季の呟きに頷いている。一覇、四季、椋汰、桐子、海、京二の六人は、会議室を抜け出して駅を目指した。

みなとみらい線に乗って横浜駅へ。ごちゃついた路地を徒歩五分。『霊障武具・とぐろ』の小さな店が見えた。

もももも……という謎の開閉音、店内に入ってすぐカウンター。そのカウンターに椅子を持ってきて寝ている、Tシャツ短パンピンク頭の女性。

「おい、起きろアルカ」

容赦なくアルカの頭を叩く四季。アルカは大きなあくびをして、四季たち一行を出迎えた。

「おはよーう四季坊ちゃん……に一覇坊やーっきゃぴーん!」

一覇に飛びつこうとするアルカの頭を押さえて、四季は訊いた。

「アルカ、アンデッドとネクロマンサーについて知りたい」

するとアルカは止まって、一際真剣な瞳を見せる。

「どうしてなのか……訊いてもいいかな?」

「璃衣が消えた。そして、それは璃衣の正体にも関係しているかもしれない」

アルカはしばし考える仕草をして、こう切り出した。

「璃衣ちゃんがアンデッドかネクロマンサーってこと?確証は?」

「ないからここに来た」

「そもそも、どうしてアンデッドとネクロマンサーのことを知ってるの?霊子科学者の中でも、ほんの一握りしか知らない情報だよ」

「一覇が知っていたんだ」

「一覇坊やが……?ふぅん……」

アルカは一覇をしげしげと見つめると、やがて答えを出した。

「あたしが知っていることは話すよ。でも、それが璃衣ちゃんに繋がる話になるかどうかはわかんないよ」

そう言って、アルカは六人をカウンターの奥に案内した。

奥は、以前一覇が基盤を作るときに利用した大きな椅子と機械類がある部屋だ。そこに椅子を六脚用意して、アルカは座布団を引っ張り出して床に座った。

「ネクロマンサーはネクロマンシー、つまり降霊術を操る元人間の鬼魔を指す言葉なの。これは元人間にしか出来ない、一部では高等術と言われてる。そしてアンデッドは、正確にはレヴァナントと呼ばれる動く死体」

京二が手を挙げ、質問する。

「ゾンビとは違うんですか?」

「ゾンビとはまた違うんだ。ゾンビはネクロマンシーによるものではないという説が多いからね。そしてゾンビとレヴァナントのもっとも違う点、それは死体なのに腐らないこと。ゾンビは腐った体が動くものだけどね、レヴァナントは新鮮な死体が蘇ったものなんだ」

ここまで言って、アルカはそれぞれの反応を見てから話を続ける。

「なぜネクロマンシーが一部の霊子科学者しか知らない情報なのか……それは、ネクロマンシーが禁忌の術だからだよ」

「禁忌……?」

椋汰の呟きに、アルカは反応する。

「降霊術で呼び戻せる魂は、低級なものに限られる。言い方が悪いけど、霊能力のない魂は呼び戻せない。だけどネクロマンサーは、霊能力のない魂でさえも呼び戻す力がある。そして呼び戻された魂には、霊能力が宿る。わかるかな、つまりネクロマンシーは”兵士”を増やすことが可能な夢の呪術なんだよ」

一呼吸おいて、アルカは言ったらいいかどうか迷った事実を告げる。

「……璃衣ちゃんはたぶん、レヴァナントだよ。それも、相当高位な術者の」

「「「「「「!!」」」」」」

「あたしが見る限り、璃衣ちゃんの魂は強固に封じられてる。たぶん、彼女が死ぬことはないと思う」

璃衣の事実はわかった。けれど、なぜ今になって彼女が失踪したのか、その理由にはならない。

「……おれはなにがあっても、二本松さんを連れ戻す」

これまで黙っていた中で、椋汰が言った。その瞳は本気だった。他のメンバーもやがて頷く。璃衣は、大切な友達だ。その友達が黙っていなくなれば、こうして心配もする。友達になにがあろうと、必ず取り戻す。

ぶーぶー。

四季の携帯電話が鳴る。四季が画面を見ると、「公衆電話」と書いてあった。璃衣だと思って、急いで出る。

「もしもし!?璃衣か!?」

『もしもし、お兄さん』

それは、明らかに璃衣の声ではなかった。高く子供のような声。しかし妙に落ち着いていて、不気味な感じがした。

「誰だ?」

『ふふ、お兄さん落ち着いて。わたしは璃衣の元の持ち主よ』

「持ち主、だと……?璃衣は無事なのか?」

四季以外のアルカを含めた六人が、四季の携帯電話に耳を傾ける。

『安心して。璃衣を傷つけようなんて考えてないから。ただね、お兄さんが今の主だと言われたから、許可を取っておこうと思って』

「許可?なんの……」

『お兄さんから、璃衣をもらう許可。というか、とらなくても璃衣はわたしのものだけどね』

「なに……?」

『用はそれだけよ。じゃあね、ばいばいお兄さん』

ぶつ、と電話は切れた。つーつーと電子音を奏でる携帯電話を折り畳んで、四季は携帯電話を包む右手を見つめた。

「どうする……」

どうすれば……。

「あの……」

椋汰がおずおすと右手を挙げる。

「もう一度、四季のおじいさんに話を訊けないかな?二本松さんの昔の主って言うなら、おじいさんが知ってるんじゃないかと思うんだ……」

「そうだな。四季、いけるか?」

椋汰と一覇、そして残りのメンバーに急かされて、四季は考える。おそらく、曾祖父は今日中は執務室に詰めているだろう。

「……いこう」

一覇たちは頷き、もう一度保土ヶ谷まで向かった。


横浜中華街の飯店にある公衆電話の前で、璃衣を連れた七海沙頼は微笑んでいた。

「ふふ、これでおーけーね」

「沙頼さん」

オレンジに染めた髪を逆立てた顔面ピアスだらけの青年、桜木隼人が片膝をついてひざまづいていた。

「なぁに、隼人」

「いいんですか、この女の仲間になんか電話して」

すると沙頼は隼人の頭に足を乗せる。

「いいのよ、どうせ公衆電話じゃあ手がかりもないでしょ」

「でも、万が一ってこともあるんじゃ……」

「例えバレてもいいわ。こちらが勝つ自信と確信があるし……まぁ全員殺しちゃえば」

「だめ!!」

今まで黙っていた璃衣が、過剰に反応した。

「それだけはやめて!お願い!」

懇願する璃衣を、沙頼は愛おしく思った。なんて可愛いのだろう、と。あんなくだらない人間たちの為に必死になる、そのいじらしさ。たまらなく可愛い。これが、「わたしの」璃衣なんだ。でも

「でもだーめ。璃衣を奪う人間はみんな殺すの。璃衣はいいわよ、見てるだけで」

璃衣を優しく抱きしめる。璃衣より背の低い沙頼は、彼女の胸に顔を埋める。黙ったままの璃衣が歯噛みする様がわかる。

「どうしたの、璃衣」

再会してすぐにわかった。沙頼と別れてからの三十四年、璃衣は変わった。

頑なに沙頼以外の人間を拒み、沙頼に固執、いや妄執していたあの頃。あの頃の璃衣は本当に可愛かった。なにせ自分以外の人間を異様なまでに嫌っていたのだ。信じられるのは沙頼だけ。なのにあの日、沙頼は璃衣の前から姿を消した。

「ごめんね、璃衣……もう、離れないから」

離さないから。


                           第六話 完

螢名(けいな)です。

亡霊(ポルターガイスト)×少年少女第六話『鬼と人造鬼』、お楽しみいただけたでしょうか。

文化祭の名前『紫陽祭(しようさい)』は、私の高校の文化祭から拝借しました。まんまです。一般公開はしていなかったので、私の願望が出ています。

そして物語の核心に迫るお話がちょちょいと出てきました。これは前回の『カインとアベル』と少し繋がりがあります。なんとなくなので、最終話まできたらお話します。

それでは第七話をお楽しみに。

2015.7.28 螢名(けいな)

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