君が生きることに迷ったとき、思い出して
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あっという間に十二月三十一日、大晦日になった。
あれからなんやかんやあって、事件のことは調べられていない。
なんやかんやとは、主に冬休みの宿題だ。肝心の事件については、宿題に追われて全く着手出来ずにいた。
だが今日、死にもの狂いで宿題のドリルを片づけ、ついでに大掃除も手伝わされ、閉館ぎりぎりの図書館に来たのだ。
菜奈が相変わらず他人事のように遊んでいる間に、一覇は新聞のスクラップを漁っていた。
十一月上旬の記事を席に持って行けるだけ図書館の司書に出してもらって、手当たり次第に漁っている。
基本的に世間のニュースに興味が薄い一覇の記憶は定かではないので、いったい何日の事件かはわからないのだ。
「……っ」
そのとき。突然、目の前が真っ暗になりそうな感覚が襲った。堪えきれずに机に肘をついて、ひどく重く感じる頭を両手で支える。
こんなときに風邪だろうか。いや、そんなことは今はどうでもいい。
とにかく事件の手がかりを探さなければと、新聞記事に手を伸ばす。
そこで、なぜかふと思った。
行きずりとはいえ、なぜ自分はこんなにも他人のことで必死になっているのだろうか。
霊子体と関わることは嫌いだ。それは今も変わらない気持ちだ。菜奈はその霊子体で、一覇とはなんの縁もない。
なのに、いったいなぜ……。
「なぁ……菜奈」
「なぁに、一覇」
子供向けの大判サイズの童話を読んでいた菜奈が、一覇に目を向けず返事をした。
「どうして……オレを選んだんだ?霊能力のある人間なんて、いまどき探せばたくさんいるだろ?」
自分には価値が見当たらないから、ひとが選んでくれた理由がわからない。
今も真っ黒な世界で、手さぐりで探している。
どうしてよりによって自分の家族がいなくなったのか。
どうしてあの日、義父は自分を拾ってくれたのか。
義母と義妹が優しい理由。
————オレが生きる理由があったら。
すると菜奈は絵本を閉じて、窓の外を眺めた。
冬晴れの空は、もう日が傾いている。
夕日の色と同じ赤に染まった瞳で一覇を捉えて、菜奈はゆっくりと自分の気持ちを確認するように答えた。
「……一覇が淋しそうな瞳をしていたから、かな」
「淋しそう……?」
一覇のおうむ返しに菜奈はこくりと肯いて、優しい光をたたえた瞳で一覇を見つめる。
鬼魔と同じ鮮血の色なのに、どうして彼女の瞳はこんなにも真っ直ぐで温かいのだろうか。
そんな一覇の複雑な気持ちを知ってか知らずか、菜奈は優しく目を細めた。
「一覇がわたしと似ている気がしたから。生きている理由を探して、夜をさ迷っているような……」
生きる理由が見つからない。自分に価値なんてあるのだろうか。
このままどこかへ消えて死んでしまっても、誰も悲しまない。だってオレには家族がいないから。
————でも。
「一覇にはもう、そんな悲しい思いをして欲しくなくて。それならわたしに出来ることを、少しでもしてみようって思って」
一覇は思わず笑った。彼女も大概お人好しだ。
「まず自分のことだろ。なんでそんなお節介なんだよ」
菜奈もそれはおおいに自覚しているらしく、妙に納得して瞳を閉じた。
「はは、お節介。そうだね、お節介だ。でもわたしはもう、誰にもわたしのような思いをさせたくないんだよ」
————でももし、こんなにも想ってくれるひとがいるなら。
菜奈のそのお節介が、気づいたら一覇の胸にこんなにも染み渡っていた。
一覇はこの二年間、積極的に他人と関わらないように生きてきた。
それは他人と関わることで、その人がいなくなったときに自分が傷つかないようにするためだった。
両親と弟の死は、それほど一覇に深いトラウマを植え付けていたのだ。
だからもう悲しまないように、傷つかないように、他人との距離を置こうと思っていた。
それは霊子体も例外ではなく、一覇はこれまでたくさんの霊子体の声をはねのけていた。
でも菜奈だけは決して、はねのけられるようなものじゃなかった。どうして?
————わからない。この必死さは、どこから来るものなのだろう。
「菜奈」
「なに?」
「菜奈はどうして、記憶を取り戻したいんだ?」
きいてはいけないことかもしれない。浅慮な質問かもしれない。それでもきかずにはいられなかった。
彼女はどうして、こんなにも必死に“生きて”いるのだろうか。
自分の答えは迷ってしまってわからないから、どうか教えて。
彼女のこころの奥を見たい。少しでもいい知りたいんだ、菜奈のこと。
彼女の答えがわかったら、自分にも光が差し込む気がする。
菜奈は絵本を両手で弄びながら、一覇の問いにかなり曖昧に答えた。
「……思い出さなきゃいけない気がするから……じゃだめ?」
「どうして……?」
菜奈は喉がつかえたように、胸に手を当てる。
ゆっくり、ゆっくりでいい。自分の本心にそっとノックをして。
「こころの奥がざわざわするの。覚えてないなら、それは思い出さなくてもいいことだって思うかもしれないけど……。でもね、事件のことを知って、余計に思ったんだ。もしあれがわたしのことだったなら、思い出すべきなんだって」
大好きなお父さんを殺したわたし。
そんな自分は信じられないから、だから記憶の扉を閉じてしまったのかもしれない。逃げてしまったのかも。
真実を知ることは堅く信じていた世界をひっくり返すことに等しく、すごく怖い。けれど、知らないままでいることは許されないから。
だから今は、少しだけ歯を食いしばって。この身に風を受けるの。
「……そっか」
菜奈の本当の気持ちに、ほんの少しだけ触れられた気がする。一覇の表情がわずかにほころんだ気がした。
そして一覇にはもうひとつ、気がついてしまったことがあった。
「菜奈は……強いな」
家族を失ってもなおそう思えるのは、芯の強さ以外にないと思う。
「オレには出来ない……」
弱々しく反響する一覇の声。
家族を失ったとき、一覇の中には絶望と淋しさしかなかった。
今もそう。常に守ってくれる誰かを求め、しかし失う怖さを思い出して怯え、誰にも支えを必要としない。
オレはひとりで生きていけるんだ、って無駄な意地を張っている。
それは……。
「一覇は……弱いね」
落胆でも同情でもない、菜奈の言葉はただ一覇が逸らしていた真実を的確に突いている。
『オレは弱い』。そう口にすると、本当に弱い気がして怖かった。
言葉は吐き出した途端に、ホンモノになるから。
実際は弱いんだと思う。でも何も言わずに、ただ誰かが気づいてくれるのを待っていた。
そしてそれは————彼女のことだったのかもしれない。
「はは……そうだな、オレは弱い」
どこか乾いた笑いがこみ上げる。目の奥がじんと熱くなる。
ついに言った。認めた。
もし……もし、両親と弟が意思のある幽霊として存在していたら、きっと生き残った自分を責めたかもしれない。
ひとりだけ守られて、生き残って。
「お前がいたから自分を守れずに死んだんだ」って言われたかもしれない。罵って、見放されたかもしれない。
霊子体を恐れていた本当の理由は、家族が霊子体になっていたら、合わせる顔がないからかもしれない。
責められてなじられることが一番怖いから。
「お前が死ねばよかったんだ」って、存在の否定をされるのが嫌だから。嫌われたくないから。
だから……たぶん……。
「でも……一覇は強いよ」
「……え?」
菜奈が言わんとしている真意が読めなくて、一覇はきょとんとした顔をした。
彼女も自分の言葉が足りないことは理解しており、慎重に選びとった答えを告げる。
「どんなに怖い目に遭っても、苦しい思いをしても、泣かないでこうして立ち向かってる。暗い道でも、脚が折れてしまっても進んでる。一覇は弱くて、強いんだよ」
「…………なんだよそれ、矛盾しすぎ」
一覇と菜奈、ふたり揃って顔を示し合わせてくすりと笑った。
そんなこと、思ってもみなかった。
「立ち向かっている」?ただ逃げ回っているだけではないか。
誰とも関わらずに生きていこうと、そうしているだけだ。死ぬことだって何度も考えた。
でも、怖くて出来なかった。自分が一番可愛いのだ。
痛いことも苦しいことも嫌だ。それから全部、逃げてしまいたい。
自分の弱さと向き合えないから、生きることも死ぬことも、どちらも等しい選択だとは思えない。
生きることも死ぬことも、どちらも生き残った自分には罪だから。
「一覇……ひとつ、信じてもらいたいの」
菜奈はそっと、震える一覇の手を取って自分の手のひらで包み込んだ。霊子となって冷たいはずのその手は、太陽のようにとても温かい。
「一覇はとっても愛されていたんだよ。愛していたから、だから家族はその命を守ってくれたんだよ」
「でも……そんなの逃げだ、都合のいい綺麗事だ!本当のところは……わからないだろ……?」
喉が震えて、弱々しい声が反響する。目頭が熱く、今にも泣きだしてしまいそうだ。
答えが欲しいのか、いらないのかわからない。
なんて言ってもらえば気が済むのか、それともこのまま嫌いになって離れてもらいたいのか。
一覇の震える小さな肩を、菜奈は落ち着かせようと手のひらで包むようにさすった。
「愛していなくちゃ、本当に命を投げ出すことはできないよ。皮肉かもしれないけど、散っていった家族の命がその証として刻まれている。一覇ができることは、その愛に報いて一生懸命生きること。その義務を投げ出すことこそが罪だよ」
「……そう、なのかな……?」
そうなのかな。
家族は今も、自分を愛してくれているのだろうか。
自分は、生きてもいいのだろうか。
ここにいてもいいのだろうか。
雲が晴れて淡い銀色の月灯りが広い窓に差し込み、一覇と菜奈の空間を静謐に照らしだした。
白くなめらかな菜奈の頬を影がなぞる。
「……残酷なこと言ってるよね。生き残った君に、『生きろ』なんて。でもね」
彼女の顔に迷いや同情、嘘偽りといった負の感情は一切見えない。ただその石榴石のような透き通った紅色の瞳に、死者ならではの深い悲しみが浮かんでいる。
「少なくともわたしは君に生きて欲しいって、思っているんだ。たとえわたしが世界から消えちゃっても……その想いは消えないから」
ふわりと、甘いミルクのような香りが一覇の鼻腔をくすぐった。
菜奈に抱きしめられて、彼女の肩に頬を埋める。視界が歪んで、嗚咽がこぼれる。
「君は生きていいんだよ」
ひとは必ず、誰かに望まれて生まれる。
君の生命そのものがその証なのだ。
どこかで迷ったときは、自分の生命に触れてみて。
答えは流れ星が教えてくれる。
まだ続くよ!!