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亡霊×少年少女  作者: 雨霧パレット
神ノ帝国
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彼女の決意

深まる夜は五月の半ばであっても、やはりまだ肌寒さが残っている。

仕事用に揃えたワイシャツとスラックスの上は薄手のカーディガンのみで、どうにも風通しがよすぎるようだ。しかしこの時間まで出かけるのは想定外のことで、冷えた肌を擦り合わせながら我慢する。

冴え冴えと輝く銀色の月がまた、風の冷たさを感じさせる一端のようにも思えた。雲ひとつない藍色の夜空は、都市が発する人工の光を受けて明滅を繰り返している。

間宮百々まみやももこは私立久木学園での教諭業務を終えてから、真っ直ぐにここ、皇槻神社こうづきじんじゃを訪れた。

本業とも表現できよう、霊障士としての任務のためだ。

門番に身分証を提示して用向きを手早く伝えると、事前に話が通っていた証としてすぐに門をくぐることが許された。

目にも眩しい神聖なる朱色で彩られた長い回廊を右に左に、やがて目的の書斎が見えてくる。

木目が美しく出ているウォルナットの木材とアンティーク調の鉄を使用した、大きな両開きの扉。

シンプルな真鍮製のドアノッカーを三回ほど叩き、相手の応答を得てから扉を開ける。

全体としては神社らしい古い造りをしているが、ところどころ改築がなされており、この書斎もどちらかといえば洋風な趣だ。照明にペルシャ絨毯、窓枠に至るまで。

部屋の大半を占めていそうな大振りの書棚にはさまざまな書物がきちんと並べられ、隅には古めかしいオーディオさえ用意されている。書斎というよりは『コレクションルーム』のような気楽さを浮かべていた。

書棚に囲まれた大ぶりなデスクの、その奥にこの部屋の主がいた。

清楚な桜柄の着物をセンスのいい小物と合わせて身に纏う、妙齢の女性。丁寧に梳られた長い銀髪は、着物と似た柄の簪で纏められて背中に流れている。

夜半にもかかわらずきちんと化粧をしているが、それでも一般のそれと比較すれば薄い方だろう。年齢を感じさせない滑らかな白磁の肌は、常々と肌トラブルに悩まされる百々子としては羨ましい限り。

皇槻神社の栄えある歴史のなかにあっても、皇槻鷹乃こうづきたかのという《予見者》あるいは〈最上の巫女〉という存在は、一際に光を帯びていた。

コーヒーを勧められて、鷹乃が手ずから淹れてくれた茶褐色の液体で喉を潤す。

豆の芳ばしさが最大限に引き出されるよう炒り、挽かれた絶妙な味だ。淹れ方もいいのだろう。

しかしひとたび本題に入れば、美味極まるコーヒーの存在は百々子の脳裏から跡形もなく掻き消された。

「ということは鷹乃さま。あの子は……!」

百々子が息を呑みながら、どうにか口にできた言葉はそれだけだった。

一連の説明を皇槻神社第十九代目当主、御自ら順を追って説明してくださったのは、この事態の大きさと異常性を雄弁に物語っている。

そんな非常事態にも関わらず、鷹乃はあくまで冷静で、的確に状況を判断して百々子へ指示を送った。

「えぇ、そうなります。引き続き監視をお願いします、百々子さん」

「お引き受けいたします」

という百々子の頼もしい返答に満足した鷹乃は、ほんのりと唇を綻ばせた。

「それから例の方々が、既に来日されているそうです。あなたのクラスで受け持って頂けるよう、手続きしました」

鷹乃の口から『例の方々』と聴いて、百々子の表情がこれまでより渋くなる。

「……やはり、『日向一覇ひゅうがいちは』絡みですか?」

百々子が慎重に質問を重ねると、さすがの鷹乃もはっきりとした答えは出さない。

「これが良い風なのか悪風なのか、わたくしにも判断しかねます。ですが————」

ぎし、と鷹乃が座る牛革のワークチェアが軋んだ。チェアを回して、首を窓辺に傾けた。

鷹乃は大きめに取られた窓の、その向こうへ————天鵞絨びろうどの空にぽっかりと浮かぶ白銀の月へと、意味があるような視線を向けている。

月と同じ白銀の瞳は、普段であれば人好きのする温かい光を帯びているはずなのに。

どうしてかいまは、百々子から見たら氷よりも冷たくて仄暗い気がした。

「……なにか?」

底冷えのする沈黙に耐えかねて百々子が先を促したが、鷹乃は相変わらず鋭い視線で月を眺めている。

部屋には深い沈黙と、すっかり冷めても芳ばしいコーヒー豆の香りが拡がっていた。

鷹乃はコーヒーソーサーを手で弄ぶ。上品な花柄のソーサーは染みひとつない綺麗なものだが、彼女の瞳はなにか汚れを探すように集中している。

それから程なくして「いえ」と一言だけ答え、それからはいつものような柔らかくも隙のない微笑みをたたえていた。

言葉を切ってまで眺める月と、その先に続くはずだった言葉はなんだったのか。

「ご苦労があるかと思われますが、どうかお気をつけくださいね……間宮先生」

そう締めくくられて、百々子は書斎を後にした。

書斎を出ても、つんと黴臭い古書の匂いが鼻の奥に残っている。

皇槻家所属の霊障士となってからこの四年、それこそ幾度も彼女と対面していた。

とりとめのない世間話もしてくれるし、あれだけ立場の高い方なのに、気軽に接することを許してくれる。優しくて美人で朗らかで、ちょっぴりお茶目なひと。

なのに時折、先ほどのような冷たさを感じることがある。

彼女がいったいなにをお考えで、なにを目的に動いていらっしゃるのか……誰にも、見当がつかない。

————いっちゃんのことを守ろうとしてくださっているのか、あるいは……。

百々子が『日向一覇』に関する機密情報の通達を受けたのは、彼女が霊障士の資格を得てからすぐのことだ。

鷹乃の意向による特例、とのことだった。

いろいろと厳しい多くの条件を呑むことが大前提の、厳戒態勢。所属先も教職も、すべてその《条件》に含まれていた。

幼い頃からの夢だった研究職は、当然ながら諦めざるを得ない。

それでも百々子が教壇に立つのは、大事な家族を守るため。

家族を亡くして孤独だったわたしに、本当の笑顔を取り戻してくれた弟妹たち。

「わたしは……いっちゃんたちを守る」

なにがあっても、なにを引き換えにしても、必ず。

強い決意を鳶色の瞳に宿らせて、百々子は自宅アパートまでの帰路についた。



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