ヒーローの隣
ふたりの間に、ぬるい風が吹きすさぶ。
砂嵐が巻き起こり、ふたりを包み込む。
「ひとつ、訊いてもいいか?」
少年独特の高みをやや帯びているものの、脅しているみたいに低くうなるような声で、一覇は尋ねた。
睨みあい、牽制しあい探りあい。
大勢の観客がいることなど、ましてやこれが単なる試験であることなど。
一覇のほうは、ほとんど忘れていた。
「構いませんよ。誕生日ですかね?サービスで血液型もお教えしますよ」
などど、保泉はあくまで軽い態度で済ませようと、肩をすくませる。
一覇は眉を思いきり歪めて、そんな冗談になどみじんも付き合う気がないと暗に示した。
むしろ保泉のその余裕ぶった態度に、わずかながら腹を立てているくらいだ。
「……なんでアンタみたいなヒトが、試験官役なんて引き受けたんだ?」
この男は実力や立場はもちろん、そもそも人格がこの場にそぐわない。
どれも異常者のレベルで抜きん出ているこの男が、いったいどんな目的でこの場にいるのか。
保泉の主人の《最上の巫女》、皇槻鷹乃……テレビの中で見せる、たおやかな笑顔に隠された、その真なる目的は。
保泉は眉を寄せる一覇とは逆に、ひどく穏やかに笑って見せた。
「うーん……近頃教会に、迷える子羊(笑)がいらっしゃらなくて、えらく暇だったんですよね」
「(笑)を付けるような神父さんには、なにも悩み相談したくないよ‼︎」
四季がエセだのクソだのと、さんざん口汚く罵る理由がよくわかった。
六条保泉という神父は、この場においては間違いなくクソ神父だ。
たとえばここで悩み相談をしたとして、真面目なお答えは到底望めそうにない。「神のお告げ」とかこいつからきいたとしても、絶対その神はロクデナシだ。
面白そうにからからと笑う保泉の笑顔に、全力で鉄球をぶち込んでやりたい衝動にかられるが、とりあえず我慢する。
「まぁちょこっとバラしちゃいますけど、主人の絶対命令で、仕方なく?でも————」
黒と紅色の双眸が、真っ直ぐに一覇を見ている。
紅色の左目は義眼のはずなのに、なぜかはっきりと視線というものを感じた。
「君に個人的な興味があった、のが本音かな?」
妖しい笑み。
歳の割には美しいつるりとした顔面が、妙な妖艶さを醸し出している。
この男の底知れない恐ろしさ。
たぶん『主人の命令』というものだって、自分の興味の範疇だから従っているというだけのこと。
「それって、どういう……」
先ほどとはまったく違う理由で眉を寄せ、小首を傾げる一覇に、保泉も思わず微笑んだ。
————子供だ。彼はまるきり子供。こんなにも強く、貴方の面影を残していながら。
あの頃の『あの人』しか知らないワタシは、なんだか複雑な気分ですよ。
「さてね。……果たして君は、どこまでホンモノなのかな?さぁ」
がらりと一変したその雰囲気に、空気に、一覇は圧倒され、思わず怯んだ。
たじろく脚は、無意識に震えている。武器を構えるその余裕すら、たったこれだけで奪われた。
その瞬間。
「ここからがワタシの本番ですよ」
声がした方角とは逆、背後になにかの存在を感じた。正面にいたはずの保泉は、いない。
一覇が振り向く間もなく、背中に鋭い激痛が疾る。
「っっ……!」
斬られたわけではない。拳による打撃だ。
ただの、体重もかけていない軽い打撃。
————なのにどうして……こんなに重い⁉︎
接触した背骨を中心に、痺れるような感覚が手足の指先まで伝わった。不愉快な感覚に歯ぎしりし、唇を歪める。
しかしその間も三秒となく、次の一撃が一覇の身体を襲う。
首への強い打撃はしかし、到底殺しにかかっているようなものではないと、武器の形状からすぐに理解できた。
保泉が持つ武器は、初めて会ったときに見たものと同じだ。
黒く細い、飾り気のない大きな十字架。
つや消し加工が施されていないので、光が当たると強い白が目立つ。
『土』性質の鮮やかな青い炎を纏っているそれは、さながら罪人を情け容赦なく裁く、刃のごとき重圧。
それでいて、まるで『正義』というものは感じられない。
混沌とした黒白、青い炎はそう、悪魔の業火。
先端が針のように鋭くなっていることから、おそらく刺突を目的とした武器だろう。少なくとも斬撃はできそうにない。
保泉の身長以上は大きいというのに、彼の手さばきにまるで重みを感じない。
くるくると器用に手で弄び、黒き十字架は青い炎を散らせて白く輝く。
————これが、霊障武具“黒耀”……!
いままでの試合では、ほとんど出さなかった。
無論、最初から出した試合などない。必要がなかったのだろう。
まるで軽い運動を、体操でもしているかのように、己の身体ひとつで踊るように相手をいなしていた。
————いまに限って出したということは……。
「あのクソ神父……ようやく本気を出した、ということか?」
観客席で見守っていた四季が、コロシアムの中央を睨んで低くうなる。
四季の脳裏に、先日の邂逅がまざまざと蘇った。
四季と一覇に襲いかかった悪魔を、あのときの保泉は“黒耀”ひとつの、たったひと振りで簡単に拘束して見せた。
あのあふれ出る余裕を隠しもしない薄ら寒い笑みが、どうにも憎たらしい。
『ワタシの武器はお気になさらず。このままにしておけば、強力な拘束具にもなりますからね』
奴の言う通り、“黒耀”には他の霊障武具にはない付随機能がある。
“黒耀”の刀身が一度でも触れた鬼魔を、麻痺させる機能。
ヒトにはまったく効かないが、鬼魔であれば拘束して殺すのは容易だ。そうでなくてもこの機能に加えて彼の戦闘能力があれば、レベル四の鬼魔でさえ傷つけることができる。
だからこそ彼は、〈祠の悪鬼〉に完璧に対抗しうる唯一の存在として君臨しているのだ。
最強たる所以は、単純に保泉自身の身体能力だけではないということ。
しかし人間相手では、最強の霊障武具もさしたる物ではない。言ってしまえば、ただの大きな杭だ。だが。
四季の膝に乗っている両の拳に、自然と力がこもった。
不安がよぎる。
言い知れぬ、どう表現して説明すべきか答えあぐねる、そんな不安。
「……一覇!」
古代遺跡を模したコロシアムの中央で戦い、傷ついている幼なじみの姿を見て、四季は唇を噛んだ。思考が交錯する。
助けてあげられたらいいのに。力になれたらいいのに。そばに寄り添って、支えられたらいいのに。
勇気も力もある本物のヒーローだったら、いまこの場で彼を颯爽と救えるはずだ。
同じ場所に立って、共に戦い、傷つきたい。
遠くから背中を見つめるんじゃなくて、預けられたい。
皇槻鷹乃という強大な力に臆せず怯まず、一覇を攫う。
僕が、一覇を、助けるんだ。
そのために強くなろうと、僕は立ち上がった。
幼くて勇敢な彼の背中を追いかけて、僕はこの世界で戦うと決めた。
僕は、僕が憧れたヒーローになるんだって。
————なのに……っ‼︎
僕たちの距離は、こんなにも遠い。
どんなに手を伸ばしても届かない、埋められないこの距離。
どうしたら……どうしたら、埋められる?
どうしたら、たったひとりで立ち向かう一覇に、背中を預けてもらえる?
「くそ……っ!」
押し殺したような悲痛な叫びが、いまだ騒がしいコロシアムに吸い込まれた。
いくら伸ばしても届かない手が、虚空を掻いている。
ヒーローの隣に行くには、いったいどうすればいいのだろうか。




