ケーキを囲む、その幸せ
分割しております(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑
人間はいまも昔も、どうにも階級制度というものに拘る癖があるらしい。現代の日本国においても、その悪しき因習は変わらない。
日向家といえば、絶対血統家の中でももっとも有名な皇槻家の分家筋だ。
絶対血統家。
霊障士を束ねる政府機関「霊障庁」のトップを治める三つの家柄の通称だ。
古くは安倍晴明、今は無き土御門家の分家である皇槻家。
由緒正しい神社の末裔である結城家。
絶対血統家で唯一、鬼の血を引く矢倉家。
その華々しい家系の中で、日向家は有名な霊子科学者を輩出する名家だった。
しかし何の因果か……日向家は平成の時代にも、最悪の名を残す恐ろしくて汚らわしい存在を生み出した。
その怪物は、ふたつの災厄を生み出して姿を消す。
双子というものが、それこそ忌み嫌われるものとして改めて確立された理由が、これであった。
一九九二年十月九日という日が、このせかいにとっての始まりだった。
二〇〇六年十二月二十五日。
今日は施設で毎年恒例のクリスマス会があるので、料理が得意な一覇は毎年のごとくケーキ作りを義妹に命じられていた。
それゆえに、近所に昔からある馴染みの商店街へケーキの材料を買いに来ている。もちろん、菜奈も一緒だ。
商店街は最近できた大型スーパーマーケットの影響で寂れているが、それでもわざわざ選んで訪れる人は多くいる。
一覇もこの古く懐かしい気持ちになる場所が好きで、普段からよく足を運んでいる。
「悪いな、記憶を取り戻す手伝いする、なんて言っておいて……」
「んーん、わたしは別に平気だよ」
プラスチックの買い物かごを持って、一覇は一応素直に済まなさそうに言った。
菜奈は言葉通り特に気にした様子もなく、店頭に並んでいる鮮やかな赤の苺とコンデンスミルクのコーナーを楽しそうに眺めている。
「それにしても一覇、妹さんに頼られているんだね。仲がよくて羨ましいな」
なんて本当に羨ましそうに語る菜奈に、一覇はつい嘆息ぎみに答えた。
「パシリっていうんだよ、こういうのは。それに……妹っていっても義理の妹だし」
「義理?」
一覇は買い物かごに色艶のいい苺を二パック入れて、慣れた足取りで次のコーナーに向かう。その道中、他の人にはみえない菜奈にぼそぼそと小声で答えた。
「言ったろ。オレは両親と双子の弟を鬼魔に殺されて、身よりのないオレは今の河本家に養子に出されたんだ」
あの日のことで覚えているのは、揺れるふたつの赤い瞳と、燃えさかる熱い炎。
見慣れたリビングには両親の死体が転がっていて、あちこちに鮮血が飛び散っている。
「あ……ごめん」
「どうして謝る?」
明らかな動揺を見せる菜奈に対して、一覇はなにも動じた様子を見せず、通路を右に曲がって薄力粉のコーナーにたどり着く。
食べ盛りの子供たちと甘党の一覇は食べる量が多いので、大容量で比較的に安価な薄力粉を選んで、かごに放り込んだ。
「だって、その、きいちゃいけない話だと思ったから……」
だんだんとすぼまっていく菜奈の声を受けて、一覇は彼女に顔を向けた。
赤い瞳はすっかり輝きが失せて、形のいい眉は見事に八の字を描いている。
たぶん本気で申し訳なく思っているのだろう。そんな表情をされたら、逆にこちらが申し訳なく思ってしまう。一覇は慌ててフォローしようとした。
「は、話したのはオレだ。オレは別に……そのことはなんとも思っていない」
「でも……霊子体が嫌いって」
「…………」
一覇は買い物メモを見るふりをして、今度こそ表情が見えないように俯いた。
確かに言っていた。
嫌いだ。大嫌いだ。
しかし霊子体が嫌いなのと、養子に迎えられたことは別物だ。今の生活に不便はないし、河本家の人たちが嫌だと感じたこともない。
————でも……。
誰にも打ち明けたことがないひそかな気持ちが、ほころぶ花弁のように少しずつ紐解かれていく。
「……強いて挙げるなら、苗字かな」
「苗字?」
今度こそ菜奈に向き合って、いまいち感情が曖昧な苦笑を浮かべた。
はっきりした理由は、自分でもよくわからない。
「養子にきて二年になるけど、河本って慣れなくて。つい日向って名乗っちまうんだ」
菜奈にもその名は聞き覚えがあった。
「二年……日向って、もしかしてあの日向家?」
「……うん」
一覇の祖父である日向一誠は、世界的に見ても有名な霊子科学者だった。
しかし行きすぎた研究に疑念を抱いた実の息子、慶一に糾弾され、親子間は冷えきった。
父の研究に家族を巻き込むまいとして、慶一は妻と子ども二人を連れて家を離れた。横浜市内で家族四人、慎ましやかな生活を送ることになる。
しかし二年前のことだ。
一覇の十二歳の誕生日に、一家は鬼魔に襲われる。
一覇も殺されそうだったところを、当時現役の霊障士をしていた義父に救われて、しかも新しい家族を与えてもらった。
「八尋さんには感謝してるんだ。明日香さんや妹……宝にも。でもさ、正直家族って言われても、イマイチぴんとこないんだ」
「……」
義母の明日香も義妹の宝も、今は海外で仕事をしていて滅多に帰らない義父の八尋だって、一覇が養子だからと態度を変えたりはしない。
むしろ努めて優しく温かい、普通の家庭を与えてくれている。
「もう、かもしれないんだけど……オレにとってはまだ、二年で。その二年で、オレは“家族”と距離を縮めてきたかって言われると、全然そんなことしてない。むしろ遠ざけてたかも……だから他人って感じしかしない」
これは一覇の気持ち次第で変わることなのだ。
だが一覇はまだ、なにも心の準備ができていない。
自分だけが燃えてしまったあの家でぽつんと取り残されていて、いつまでも歩きだせない。
本当は歩けるはずなのに、立ち止まっているのだ。
想いを強さに変えられたら……弱い自分は踏み出せるのに。風に押される瞬間を、ただ待っているだけ。
そんな自分も、嫌いなんだ。
「ごめん」
一覇の話を終えたところで、菜奈はまた謝った。
「な、なんで謝るんだよ……!?」
見ると菜奈の目尻には光るものが浮かんでいたので、一覇は動揺を取り繕うのも忘れてしまった。
「わたし、一覇の気持ち全然わかってなくて、自分のことでいっぱいで、頼みごとしちゃって……」
「…………」
一覇はなにも言葉をかけることができず、菜奈の少し高い肩に手を軽くかけた。
自分でもその真意はわからない。ただ、菜奈に悪いことをしたと感じた。
わずかな間に耐えきれず、一覇はなにか買うものを探している振りをして誤魔化した。
そして一覇は思い出したようにバターとホイップクリームを求めて、冷蔵庫に向かった。
一通りの材料を揃えて家に帰り、まずは薄力粉を振るいにかける作業から始めた。
二時間ほどで全行程を終えて、スポンジが焼きあがったところで泡立てて冷やしておいたホイップクリームを冷蔵庫から取り出し、苺を等間隔で盛りつけてからスポンジの上に乗せる。
「……食べるか?」
不意の一覇の誘いに菜奈は首と両手をぶんぶん振って、慌てるように答えた。
「い、いいよ!ユーレイはお腹すかないもんっ!」
だらだらと滝のように流れる涎を見てしまうと、その言葉は説得力に欠ける。
「ならヨダレ隠せよ……」
と呆れながら言って、一覇はクリームを指につけてそれを菜奈の口に突っ込む。すると菜奈の口は素直にそれを吸い込み、
「……二ヶ月ぶりの食事……!!」
目を輝かせてじっくり味わっていた。
「あとでこっそりケーキもとっておいてやるよ」
「ほんと!?」
無邪気に喜ぶ菜奈を背に、切った苺を乗せて、半分にしたスポンジを上に乗せる。全体をクリームで均一にコーティングして、苺を等間隔に飾って残ったクリームをホイップして美しくデコレーションする。
まるで本職のパティシエのような仕事ぶりだ。
仕上げに一緒に買った砂糖菓子の飾りものを真ん中に乗せて、クリスマスらしくしたら皿ごとラップに包んで冷蔵庫に入れる。
「さて、終わって時間もあることだし、中華街に行くか」
腰に巻いていたエプロンを外して洗濯かごに入れた一覇は、そう言って息付く間もなく自室に財布が入ったバックパックを取りに行く。
「え、なんで?パーティは?」
財布の中身を確認したあと、壁にかけられた時計を見て請け負った。
「七時からだから大丈夫。それより少しでもやることやろうぜ」
「やること?」
おいおい忘れてるのかよ……と少々ずっこけながらも、一覇はきちんと自分の考えを説明した。
「お前がいた場所に、何かヒントが残っているかもしれないだろ。お前の記憶に関するヒント」
「あぁ、うん、そうだね。行ってみよ!」
なんだか嬉しそうにスキップする菜奈を追いかけて、一覇がだだっ広い玄関ホールで靴を履いていると、
「おにいちゃん、どこか出かけるの?」
ふわふわした茶色いショートヘアをした長身の少女が、ちょうど外から帰ってきた。背中の大ぶりな水玉模様のリュックには、柔道で使う道着が入っていることを一覇は知っている。
「宝」
義妹はくんくんと小さな鼻をひくつかせた。
「ケーキの匂いがする……約束通りに作ってくれたんだね、ありがとう。それで、その人は誰?お友達?」
「え……?」
宝が指した先には、菜奈がいる。一覇も菜奈も驚いて目を見開いて顔を合わせる。
しばらく時間をかけて、宝におそるおそる問いかけた。
「……みえるの?」
「みえる、ってことはその人は幽霊なの?」
霊能力は遺伝することが多いらしい。そういった意味では、元霊障士を父に持つ宝は、自然なことかもしれない。
今までそれに気づかなかった一覇は、内心で自分を馬鹿、と思いつく限りの言葉で罵った。
「おにいちゃん……」
案の定、宝はひどく心配そうな不安そうな顔をしていた。
両親に似て、お人好しの義妹のことだ。きっと事情を話せば手伝うと言うかもしれない。
だが、一覇はそれはさせたくない。もう身近な人を、霊子体と関係させて失いたくないのだ。しかし
「わたしに出来ることがあったら、何でも言ってね」
宝は笑顔でそれだけ言って、自室に引っ込んでいった。ふたりは疑問に思って顔を見合わせた。
彼女がなにを思ってそんなことを言ったのか、このときの二人には理解できなかった。
まだまだ続きますよ〜!