危険因子
息をひそめる。
できるだけ気配を消し、感情を押し殺す。
相手に気づかれないように、気づかれないようにと。
明確な殺意は、自分をも殺す。
たとえ相手が人間じゃなくとも、殺すなら冷静を保たねばならない。
これはただの仕事なんだと逸る心を押さえつけるよう言い聞かせ、スコープ越しの相手を眺める。
直線距離で千メートルを優に超える距離だ。
通常の狙撃銃と普通の人間の組み合わせであれば、間違いなく当たらない。
単調な作業をこなすみたいに……愛銃のトリガーを、右手の人差し指が引いた。
M21の七.六二ミリNATO弾を見事に受けた化け物の頭から、彼岸花のように鮮血が勢いよく噴き出す様子が見える。
悪魔のように凶悪な形態をとった化け物でも、血だけは赤いんだな。
そんなことをぼんやり考えながら第二射————本命のために、トリガーに触れた指先へ霊子を集中させる。
青い奔流が渦巻き、逆立ち、収縮。
その気配に気づいた化け物は血を吹き出した頭を、こちらへ真っ直ぐに向けた。
居場所が奴に割れようと、もはや関係ない。
第二射目は実体のある弾丸ではなかった。
目にも鮮やかな青色を放ち、彗星の尾を引いて吸い込まれるように化け物の頭へ。先ほどの第一射で穿った穴に、ドリルのごとき突撃をかました。
パァン!
という霊子と霊子がぶつかり合う、金属質な衝撃音と接触光。
耳障りな悲鳴があたり一帯に轟いて、化け物の赤黒く醜い身体は爆散。
化け物の霊子と自分が放った霊子の雪を眺めながら、身につけたインカムに向けて報告する。
「目標クリア」
『ご苦労、間宮特別陸曹。即時帰還せよ』
「了解」
と短い通信を終了させ、長時間這いつくばっていたコンクリートの硬い地面から立ち上がった。
まるで意識していなかったが、腹は冷えたし手足が痺れていたようだ。
秋風らしからぬ暴風に追い立てられた黒髪が、騒がしく靡いた。
愛銃を小さな肩に担ぐと、少女の小ささがよりいっそう際立って見える。
実際は『少女』という年齢ではなく、成人を迎えているわけだが、幼さに強みがあった。
少女……もとい女はおおよそ三時間ぶりに振り向く。
視線の先には師匠である男が仁王立ちで、こちらをじっと観察していた。女の仕事ぶりを、師匠として厳しくチェックしていたようだ。
歴戦の勇士である男の視線は鋭く、『ひと睨みでひとを殺せる』とさえ言われて部隊内外で恐れられている。
「先生、どうしますか?」
その足りない言葉が行き着く先を、しかし男はよく理解している。
「連れ帰る」
の淀みない一言に、いままで冷静を保っていた女の顔が大きく歪んだ。危うく愛銃を肩から落としそうになるほど。
「お訊ねしておいてアレですけど、正気ですか?」
愛弟子の辟易した視線を、男はほんのひと睨みで黙らせる。
「面倒を見れる奴が、他にいるか?」
そう言ってほいほい拾って育てている孤児が、彼のもとに果たして何人いるのか。
彼女も彼に拾われた孤児のひとりだが、妻が大変な思いをしているのは計算に入れないのだろうか、と疑問に思う。
だがこれから迎え入れようとしている子供は、彼らの比ではなく過酷な運命を背負った少年だ。
果たして気安く迎えて正解なのか。
「……ワタシには押し付けないでくださいね」
散らかした空薬莢や野戦用スナックの空袋を片付けて、師匠に強めの念押しをしておく。
しかし師匠は珍しく含み笑いを浮かべた。
「今度ばかりは、どうだろうな」
燃え盛る一軒家から、たったひとり子供が搬送された様子を見届けた。
金の髪に青い瞳。
それは果たして呪いか、それとも運命か。
どちらにしろ彼の存在は、湖面に投じるひと雫だ。




