五行相剋
さすがに喉が渇いて、用意していたお冷をひと息で干した。
四季もドリンクバーのコーナーで、次になにを飲もうか考えている。
その浮き足立った背中を見て、一覇は彼の言葉を脳裏に反芻させた。
「この事件。俺たちで、解決しようではないか」
いくら絶対血統家の当主とはいえ、勝手な真似をして事態を悪化させれば、なにかしらの罰が待っているはずだ。
四季がそういった『ルール違反になりかねない不良行為』を自ら発案するなんて、一覇は正直に言ってあまり期待していなかった。
一覇のなかでの《矢倉四季》という人物像は、良くも悪くもひ弱なカタブツくん。
それが揺らぐことなんて、絶対にないと思っていたのに。
――――少しは面白く成長したじゃん。
と、一覇は満足そうに心中でほくそ笑んだ。
もともと、現状で満足しているわけではない。むしろ不満だし許せない。
正義感とか使命感とか義務感とか、そういうお綺麗なものではない。
菜奈との触れ合いがなければ、いまでも一覇はなにかに怯えて生きるはずだった。
たぶん、いまみえている景色は、こんなに綺麗じゃなくて歪んでみえた。
鬼魔はただただ、恐怖の対象でしかなかった。ほんのわずかな『融和の可能性』さえ、絶対に感じなかった。
それが彼女のおかげでいま、こうしてふてぶてしく生きている。
「で、リーダーさんよ。具体的な策はあんの?」
ようやっとボックス席に戻ってきた四季に、待ちきれないとばかりに問いかけた。
一覇の青い瞳がきらりと光る、四季は見逃すことなく応えた。
「俺が視たところ、やつの性質は『土』だ」
「『土』……」
霊障士はその歴史と生まれから陰陽師と同じ、《五行思想》を原則にあらゆる科学現象の理由を当てはめる。
人間を代表した原子体にも霊子が宿っているのは、およそ百年前からわかっていた。
そのすべての霊子には、それぞれ固有の性質がある。
木や花が咲き誇るように、樹木の成長を促す『木』。
光り輝きすべてのものに力を与える、灼熱の『火』。
芽を出すものを優しく包み込む『土』。
土中に埋もれる美しい鉱物のように冷徹、堅固、確実な『金』。
生けるものすべての命の泉として、胎内と霊性を兼ね備える『水』。
ヒトにも宿ったそれら五行は万物の元素として、起源は古代中国より伝わってきた。
霊障士が鬼魔と戦うときも、五行の相性ですべてが決まると言われる。
迷信だと考える霊障士もいるが、現代日本においてももっとも重んじられる思想であるのは確かだ。
その相性のことを、五行相生・五行相剋と表現する。
陰陽師といえば陰陽太極図のほかに、『五芒星』の図が有名だろう。
「五芒星とは、五行相生・五行相剋の関係を簡略化して模した図だ」
四季が口で説明しながら、鞄から真新しいノートを取り出して開いた。一ページ目に飾り気のないシャープペンで綺麗な五芒星を描き、そこに文字を足していく。
頂上が木、時計回りで火、土、金、水と当てはめると、それぞれ性質の相関がよくわかる。
四季の見立てでは、今回の鬼魔の性質は『土』。
五行相剋……言い換えれば性質の得手不得手では、土は水に剋ち、木は土に剋つ。
つまるところ。
例の鬼魔と戦うような状況に陥った場合、木性質の霊障士が有利になる。
逆に、水性質の霊障士が不利になる、ということだ。
四季は図を描いていた手を止めて、先ほど淹れ直してきたばかりの温かいコーヒーを飲みはじめた。
カップをソーサーに置き、細く白い指を組んでおし黙る。
やや長い間を置いてから、威風堂々と言った。
「つまり、手詰まりだ」
「なんでよ!?」
はぁ……と四季は盛大なため息を吐き、「こいつは本当に霊子科学科入試のトップなのか?」と疑わしい目を一覇に向けた。
「べつに役立たずの貴様を見限って、俺がひとりでやってもいいのだが……」
と憎らしい前置きを呟いてから、しかしお人好しの幼なじみは懇切丁寧に、順序立てて説明してくれた。
「まず俺の固有性質……いちばん多く持っている性質は、今回の事件の渦中にいる鬼魔と同じ『土』だ」
同じ性質同士ではもっと単純で、地力の違いや戦闘センスが戦局を左右する場合が多い。
全身が霊子でできている霊子体と、わずかに魂の核のみが霊子の原子体で地力に差が出るのは、火を見るより明らかである――――というのが通例だ。
「そこで俺たち霊障士は戦闘の際に必ず、《霊障武具基盤》を使用する」
四季は腰に巻かれた革製のホルスターから、銀色の板を取り出して一覇に見せる。
透き通って青く見えるほどに、とても美しいシルバーだ。飾りで表面にスリットが三本だけ入れられている、シンプルで無機的なデザイン。
怜悧な雰囲気が四季の黒髪とよく似ている。
日本で発祥発展した霊子科学・工学分野において、もっとも開発が進んでいるのが《霊障武具基盤》だ。
武具、の名の通り、鬼魔との交戦を目的とした武器だ。
およそ十五センチから二十センチほどの、金属でできた長方形ボディに、
超小型の霊子駆動式エンジン、
メインメモリが2GB、
半導体メモリが8GB、
演算機能装置と制御装置、
それにレジスタと実行ユニット、マイクロ冷却ファンが絶妙なバランスで美しく組み込まれている。
日本の機械工学と霊子科学が融合して生み出した、新たな分野のスーパーコンピュータとして世界でも注目されているほどだ。
『基盤』の字は本来、機械工学分野のところでいえば『基板』の誤表記だが、霊子工学においてはこちらが正しい。
霊障術が陰陽術を起源としている歴史と密接な関係があるからとも言われているが、開発者本人は明言していない。
ただこいつを操ることこそ、現代の陰陽術――――霊障術である、と開発者は遺している。
四季の手のひらに載っているそれを、一覇はある種、緊張の面持ちで見つめた。
使用者の霊子を電源に、実行ユニットが周囲の霊子を吸収、分解、再構築して武器形態を作成、メインメモリであらかじめ設定されている形態を維持する仕組みだ。
半導体メモリによって登録した所有者の霊子反応にのみ呼応するので、他人が使えないようになっている。
だからいま仮に、目の前に差し出された四季が所有している基盤を奪い取ったとして、一覇が音声起動シークエンスのキーワードを口にしたとしても。
基盤は無言を貫くだろう。
「い、いや、そこまではわかってんよ!」
一覇はやけに慌ただしい声をあげて思わず、穿いているスラックスの右側面ポケットに手を添えた。
ポケットはよく見ると、細長く膨らんでいる。
「……ほう、そうか。さすが入試トップの首席殿」
四季の視線は間違いなく見逃さなかったはずなのに、とくに咎める素振りは見せない。
ただ黙って、コーヒーのおかわりを淹れに立ち上がる。
四季の背中を内心でヒヤヒヤしながら見届けていたら、後頭部をお盆ではたかれた。
「おーい河本、いー加減に仕事もどれ」
機械は好きですが、どうも私は嫌われているらしく、ほぼ毎回のごとく初期設定からやらされます。
それでも機械に愛を注ぎます。




