かぐや姫の贈り物
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かぐや姫は三つの宝物を帝に残して、月に帰ったと言われている。
天の羽衣、不死の薬。
そして、自らの髪を一束。
天の羽衣は翁の亡骸とともに葬られ、不死の薬は富士山で焼かれた。
かぐや姫の髪は……どこへ消えたのか、誰も知らない。
一ヶ月半前のあのとき。
十一月五日、菜奈の十七歳の誕生日だった。
学校の帰りが遅くなると、父の嗣春はいつも急いで仕事を片づけて学校まで迎えに来てくれる。
なにがあっても必ず来てくれる。父は約束を違えることはしない。
その日も菜奈は日課にしている自主練習で夜遅くなり、久木学園高等部の大きな校門の前で嗣春の迎えを待っていた。別にいつものことなので、特に携帯電話に連絡を入れなくてもよかった。
だがこの日に限って、いつまで経っても父はやって来ない。もうかれこれ一時間以上は待っている。
しびれを切らした菜奈は、ここでようやく嗣春の携帯に電話をかけた。
しかし、コールはしているが父は出ない。嫌な汗が背中を伝った。
菜奈はたまらず学校を飛び出して、嗣春がいつも通る道を汗で滑る手で電話をかけながら走った。
「……お父さん……!!」
祈るように父を思い浮かべて呼んだ。
————なんでもありませんように。いつもみたいに、笑って迎えてくれますように。
嗣春は菜奈の誕生日に、内緒でプレゼントを用意していたのだ。
あらかじめ予約をしていた店でケーキとプレゼントを受け取るのに思っていたより時間がかかり、いつも通りの中華街を急いで横断していた。
するとその道で、幼い男の子がひとりぼっちで泣いていた。
「どうかしたのかい?」
迷子だと思ってつとめて優しく声をかけると、男の子は泣きじゃくって後ろを指した。
振り返って見てみると、そこには首だけになった女性が浮いていた。
明らかに嫌な感じがした。
嗣春に特別な能力はないが、反射的にこれは鬼魔の仕業だと感じた。
いまだ泣きじゃくる男の子を連れて走ろうとするが、その途端に女性の首がぽろっと落ちて、何者かが迫ってくる気配がした。
咄嗟に男の子を庇うように抱えて、次にくると思われる痛みなり衝撃を覚悟した。
そのとき。
鬼魔と嗣春、そして男の子の間に、黒い小さな影が素早く入り込んだ。
それは霊障武具で武装した菜奈だった。
息が荒く、額に汗を浮かべている様子から察するに、ここまで走ってきたのだろう。
「お父さん……早くその子を連れて逃げて……っ!」
息と息のあいだに、歯を食いしばって菜奈は言った。
妻や娘と違って霊能力のない嗣春には見えないが、菜奈はまさに今、鬼魔の武器と鍔迫り合いをしているのだろう。
嗣春は急いで男の子をその辺の通行人に預けて、菜奈の元へ駆けつける。
娘を守らなくては。
あの日、墓前で亡き妻に約束した。自分はなにがあっても必ず、菜奈を守ると。
————君が大切にしてきた宝物、おれがそっちに行くまで守り続けるよ。
もしかしたら娘はもう、おれの手を離れて自分の脚で歩き続けているかもしれない。守る必要なんてなかったかもしれない。
でも。
おれが菜奈の父親であることは、たとえこのせかいが消えてしまっても変わらないことだから。
「お父さんっ、来ちゃだめ……っ!!」
菜奈の悲痛な叫びはむなしく空気に消えて、悪魔の手で菜奈の“かぐや”が浮いて嗣春の胸を貫いた。
父の骸はまるでゴム人形のように飛び跳ねて、コンクリートの地面に落ちた。
目の前で父が死に、残るは武器を奪われて丸腰の自分だけ。
絶望的な状況のなかで、どうすることもできなくなって菜奈は死んだ。
そう、わたしが無力だったから。
あのとき一瞬で悪魔をほふる力があれば、せめて父が死ぬことはなかったのに。
涙だけは流さないように、歯を食いしばる。しかし嗚咽がこぼれ、涙腺からじわりと溢れそうになる。
今もそう。わたしの無力のせいで、大切だと思える人が危機に瀕している。
わたしに力がないから、わたしが何も出来ないから。
わたしが……わたしが……!!
————そうじゃない、でしょう?
『————いい、菜奈』
母の言葉がよみがえる。
『力がないひとなんていない。それを振るえるか振るえないか、勇気があるかないか。たったそれだけでしょう?』
わたしは父が死んだあのとき、振るえなかった。自らの弱さに挫けて、力を使えなかった。
でも今は、今は違う。わたしは……
母の嬉しそうな笑顔が浮かんだ。
————『わたしは、まだ戦える。泣くのはあとで。ね?』
「っ……『具現せ、“かぐや”』!!!!!」
叫びにも似た、強くなれる魔法の言葉。
菜奈の強い感情に従って、右手のなかにある銀盤は今度こそ生気に満ちたオレンジの燐光を纏い、ほんの一瞬で形を変えた。
刀身が六十センチほどの、熱く鮮やかな炎を纏った曲刀が菜奈の右手に収まっていた。
固有名の通り昔話の『かぐや姫』そのもののような、とてつもなく美しい刃だ。
刀身自体から輝きが溢れているかと思うほど、それは薄く透き通っていて研ぎ澄まされている。
菜奈は角材を悪魔に投げつけて、その作り上げた一瞬で悪魔に迫る。
刀を右下から切り上げて、左上にあげる。紙のように悪魔の左腕を斬り飛ばした。
さしもの悪魔も突然のことで驚愕し、その動きを止める。
————この一瞬で、止めをさす……!!
だが。
悪魔もただでやられたりはしない。
大きな口をにたりと歪めて、ぎざぎざのひどく黄ばんだ歯が丸見えになる。
————ぞくりと、菜奈の背筋が凍った。だが即座の対応ができない。
悪魔は残った右腕を使い、人間業ではない恐ろしい速さでノコギリを振りあげた。
それは不思議と吸い込まれるように菜奈の左肩に食い込み、そして見事に斬りあげる。
「っ…………ああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
奇しくも同じ左腕を斬られた菜奈は、いままでに経験したこともない痛みでその場にうずくまり、絶叫した。
赤黒い血溜まりが生まれ、煉瓦の地面にじわじわ拡がっていく。
灰色の雪雲空の下、冷たい風が吹きすさぶ。
そんななかでも月だけは不自然にぽっかり浮かんでいて、まるでこの様子を眺めているようだった。
まだまだ続きますよ!!




