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幕間二 泡沫

平日全然時間がないので、今日はまとめて二部分投稿します。

 夜風の心地よい夏の夜、少女と男は滑るように足音を忍ばせ、目指す店の裏口へたどり着いた。芝居の書割(かきわり)を裏から見たような、味も素っ気もない木造の建物――庶民的な居酒屋だ。出入り口には、心張(しんば)り棒や掛け金ではなく、店の雰囲気に似合わぬ頑丈な錠が取りつけられているのだが、二人は合鍵を持っている。静かに戸を開けて店内にお邪魔した。

 いすと(たく)の間を縫って、奥の壁まで進む。と、少女はひょいとしゃがみ込み、膝を突いて卓の下にもぐり込んだ。壁をトントン、トン、トントン、とリズムをつけて叩くと、

「世に尽きぬもの」

 壁の――いや、隠し戸の向こうから声が聞こえた。老人のものらしいがしゃがれてはおらず、役者にしたいような渋い声だ。

「海の水日の光、酒飲みばくち打ち、煩悩苦悩、盗人の種」

 少女が歌うように答えると、戸が薄く開いて、

「お入り」

 しわの寄った顔が半分のぞいた。少女と男の姿を確認すると、さらに大きく戸を開けてくれる。まず少女が、続いて男が、狭い出入り口をくぐる。

 六畳ほどの空間にむしろが敷かれ、五、六人が寄り集まって座り、酒を酌み交わしていた。五分刈りに強面(こわもて)の大男もいれば、髪を結い上げうなじも色っぽい女盛りの婦人も、はたまた明日になれば思い出せなくなりそうな、平凡な風貌の青年もいる。先程の老人は隻眼(せきがん)で眼帯をつけていたが、無事なほうの目にはどこか愛嬌があり、かくしゃくとして雄々しい中にも親しみやすい雰囲気を持っていた。とある事情から誰しも声を抑えてはいたが、にぎやかな雰囲気は十分にかもし出されている。

 老人は、いそいそと二人を自分の席の隣に座らせた。少女にはほうじ茶の入った湯呑みを、男には空のさかずきを渡し、

「今週の収穫はどうよ?」

 とっくりを傾けながら訊く。

「ああ」

 男は待ってましたとばかりに得意げにうなずき、ぐっとさかずきをあおると、

「またこの子が活躍してくれたよ」

 少女の肩を軽く叩いた。少女はりすのように両手で湯呑みを持ったまま、男を見上げ、花が咲いたように笑う。

「ほら、川向こうに、野村っていう役人の屋敷があるだろう?」

「ああ、あの収賄疑惑で有名な」

「そう。あの家のな、私ではとても通れない天窓の錠を破って、そこをくぐってね。内側から扉を開けてくれたのさ」

「すごいじゃないか。この子はおまえ以上の大泥棒になるかもしれないなあ」

「まったくだ。手先は職人のように器用だし、身のこなしは蝶のように軽いし」

「子供とはいえ、おまえがそこまで手放しで人を褒めるのも珍しい」

 老人は言い、少女の頭をなでると、目刺しと煮豆の皿を引き寄せた。

「いただきまあす」

 少女は目刺しに手を伸ばし、腹にかぶりついて、さもうまそうに口をもぐもぐさせる。

 そう、これは泥棒やらすりやら詐欺師やら、社会の裏街道を歩いている人々の酒宴だった。とはいえ殺人や傷害(喧嘩くらいは別として)といった凶悪な罪を犯した者はおらず、おのおの信条を持って商売をしている、根本的には気のいい連中ばかりだ。この老人は居酒屋の主人なのだが、今は引退しているとはいえ、下田のその筋では名の知れた泥棒だった。自分の店に隠し部屋をこしらえ、週に一度店が閉まってから解放し、仲間たちの交流や情報交換の場としているのだった。

「それにしても、この子の髪、もう少し短くしたらどうだね。手作業するにも逃げるのにも、これじゃあ邪魔だろう」

 老人は、少女の腰まである、絹のようになめらかな漆黒の髪をすくい上げた。

「いやだ」

 少女は首を縮めて身をよじった。

「仕事のときは結んでいるから大丈夫だ」

 頭を押さえ、失礼に当たらない程度に老人を睨んでみせる。

「私も言ったのだが、そればかりは頑として聞き入れなくてね」

 男が口を挟んだ。片膝を立て、さかずきを器用に片手で回している。

「だって、父さんと母さんが褒めてくれた髪だぞ。みんなが女の子はおかっぱでいいって言うのを、私の好きなようにしなさいって言ってくれて……」

 少女はむきになって主張する。

「と、いうことらしい」

 男が締めくくった。飄々とした口調とは裏腹に、温かくも切なげな表情を浮かべている。

「そうだったのか。そりゃあ無理もない。無神経なことを言って悪かったな」

 老人は軽く両手を合わせ、頭を下げるしぐさをして、

「まあ、ただでさえその言葉遣いだ。髪を短くなんぞしたら、まるきり男の子になっちまうよなあ」

 大袈裟な真顔で言う。

「そ、そんなことはない!」

「ははは、冗談だよ。おまえさんみたいに可愛い子が、男の子に間違われるはずないさ」

 たちまち老人は破顔した。

「うう……」

 悔しさと照れくささで、少女は膝の上で腕を突っ張り、頬をふくらませる。

「おいおい、あまりうちの娘をからかわないでくれよ」

 制しながらも、男は目を細める。「うちの娘」という言葉に、少女は他愛なく機嫌を直し、男ににじり寄った。老人は頭をかき、

「すまんすまん。だが、本当にこの子は器量好しだよ。将来が楽しみじゃないか。(すみ)さんよりずっと美人になる」

「何か言ったかしら?」

 酌をしていた、例の色っぽい婦人が振り向き、柳眉を逆立ててみせる。一同の間に笑いが広がった。

 たとえ陽の当たらない暮らしであろうと、父のように慕う相手に娘のように慈しまれ、こんなふうに笑い合える仲間がいる。それに、知略のかぎりを尽くし盗みを働く、その緊張感と達成感が、少女にはたまらなかった。

 父を喪ってから初めて、少女は幸福をつかんだような気がしていた。

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