第6話
---◇---
「大峰が動いたとなると……」
「心積もりはしては居りましたが……」
刑部の住まう森の中の神社。
そう大きくは無いが、五十段の石段を昇った中段は石垣で囲われており、更に五十段登った境内は、櫓を四方に配し要塞の様な堅固な作りとなっている。
拝殿にある奥の茶室で、刑部と古老の狸三匹が、囲炉裏の前で茶を点てながら話している。
「されど、大峰にしては、聊か、動きが鈍いな……」
「左様に……大峰に放ちました草の報告に寄りますれば、石切詣でを口実に、およそ一千の軍勢を参詣行列に仕立てるそうにございます」
「ふん、小賢しい……」鼻で笑って刑部がそう言と、他の狸達も失笑する。
「しかしながら、一千とは少ないですな……」
「確かに……されど、生駒、信貴と言えば天領。近江様が天より預かり納められておる天領では、大峰も遠慮しておるのであろう。更に、其処に坐、各所の大神方にもな……」
「近江様と言えば、まだ齢八百と、お若いながら、お気難しい御大神様方を上手く取り纏めて居られるとか」
「うむ、流石は日ノ本の東に広がる大海の主、東海蒼龍王が御公達だけの事はある」
囲炉裏に掛けてある茶釜から、一匹の狸が杓で掬い上げた湯を茶碗に入れ、茶碗を温める。
「やはり、今回の件、大峰の預かり知らぬ事ではござりますまいか……」
「そうじゃな、何を考えて居るのやは分からぬが、戦を起こす積りは無しと見た」
茶器から茶杓で茶碗へと茶を二杯入れ、湯を注いで茶筅で泡立て茶を点てる。
「御伊勢詣でに送った人員が一千五百……其の内、およそ一千が生駒へと葵を追い詰めて居ります」
「埒もなし……女狐一匹に大仰な、時康までもが出張るとは……あやつ、聊か、頭に血が昇り、無茶をしおる……」刑部が目を細め眉を顰める。
「御意……後始末に骨が折れますな……」
「時貞が死んだ事は、わしも身を引き裂かれる思いなれど、頭を冷やさねば、真を見落とす事にも成りかねぬと言うに……あの、やんちゃ坊主……」
「御意、まったく道真が付いておりながら……」
刑部と共に古老の狸達が、困った物だと溜息を付く。
「しかしながら、大峰が動いたともなれば、如何致しまするか」
「……うむ……これ以上、兵を送る事は幾らなんでも無理じゃな……それこそ戦になる……」
「とは言え、大峰相手では、若様には聊か荷が重いかと……」
刑部は目を閉じ、
「……道真や憲正が居っても……役不足か……」暫く考えてから、徐に目を開け、
「天領を通るに、どの程度の数なら、目立たずに済む?」と、三匹の狸達を見回して尋ねた。
「そうですなぁ……せいぜい五十でしょうな、それ以上となると……あっ、よもや、ご隠居様が出張られるので……」
驚き目を見開く狸に、
「その積りじゃ……」刑部は、口元に笑みを浮かべて答えた。
古老の狸が点てた茶を受け取り、
「誰ぞ居らぬか?」と、茶碗を回しながら刑部が尋ねた。
「それでは……伊予十二神将が一柱、阿波の正宗がよろしいかと」
「うむ、良かろう、直ぐに仕度させぃ」
そう言って、茶を飲む刑部に、
「御意……」と、答えながら、三匹の狸達は深々と頭を下げた。
---◇---
「じゃ、二回目は何も起きなかったの?」
「そうなのよ……もう、何がなんだか……」
蛟との戦いで起きた事を、明日香と龍士に事細かく話して、結局、どうして二回目に静電気砲がで出なかったのか分からない翔子は、お手上げと掌を肩の高さで広げた。
明日香達が隠れていた岩の側で、皆が丸くなって座って、翔子達が経験した不思議な現象に付いて話し合っている。
「最初との違いって何か有ったのかな……」
翔子の話を聞いて、顎に手を当て明日香が考え込んでいると、
「何で、俺が……濡れ衣着せられて……罵られて……その上、蹴られて……肩まで揉まなきゃいけないんだよ……」と、龍士が明日香の肩を揉みながら、ぶつぶつと恨み言を呟いた。
「もう、五月蝿いわね!黙って揉む!」
「うっ……」
明日香に怒鳴られて、肩を窄め口を噤むと、龍士は不満そうに唇を尖らせながら明日香の肩を揉んだ。
翔子と邦彦は、龍士に向って手を合わせて、申し訳無さそうに頭を下げている。
「ああぁ……なんか、凄く気持ち良いわ……癒されるって言うか……」
龍士の肩揉みが気に入ったのか、明日香は気持ち良さそうに、頭を左右にかくかくと振る。
龍士としてみれば、憧れの美少女の体に触れる機会に、本来ならば嬉しいはずなのに、何か釈然としない物を感じていた。
「最初との違いは分からないけど、それとは別に、ちょっと気になる事があったんだ」
邦彦が考えている明日香に向って言うと、
「気になる事って?」と、明日香は邦彦を見ながら尋ねた。
そして、邦彦はミミズの化物達から崖から飛び降りて逃げた時、バリアーを解除すると、温風と光が自分の体を覆った事を説明した。
「温風……熱かな?熱と光……」邦彦の話を聞いて、明日香は考えながら呟いている。
「へぇ……そんな事があったの。田原本君、かっこ良いじゃない、やるわね」
翔子が感心して、邦彦に言うと、
「かっこも何も……必死だっただけだよ……」と、化物に追われた時の恐怖を思い出し、邦彦は顔を顰める。
「必死ってぇ……山添さんを助ける為に〝必死〟だったのよねぇ」
翔子が意味ありげな笑みを浮かべて、邦彦を冷やかす様に言うと、
「ばっ、馬鹿!そんな言い方するなよ!」と、邦彦は顔を真っ赤にして翔子を怒鳴り付けた。
明日香の隣で、二人の会話を聞いていた亜美も顔を真っ赤にしている。
考え込んでいた明日香が、亜美の真っ赤な顔に気付いて、
「田原本くぅん……知ってると思うけど、亜美ちゃん、感情が見えるのよねぇ……」と、明日香は二人を交互に見ながら、冷やかす様に言った。
「あっ!」明日香の言葉を聞いて気付いた邦彦が、驚く様に目を大きく開けて亜美を見た。
邦彦に見詰められて、亜美は更に顔を赤くする。
邦彦は、この隠里に迷い込んでからずっと、亜美の事を可愛いと思いながら見ていた事を思い出し、ある意味、無言の告白をしていた事に気付いて頭から湯気が上がった。
真っ赤になって見詰め合っている二人を見て、
「……こう、ストレートに純情だと……かえって、いじり甲斐が無いわね……」と、翔子が頭をかきながら、詰まらなさそうに呆れて言うと、
「そうね……分かり易い二人だわ……」と、明日香も呆れた目で二人を眺めていた。
「まぁ、固まっている二人は置いといて……熱と光か……もしかして、田原本君のバリアーが運動エネルギーを吸収して蓄えているとしたら……」
「エネルギーを?フィールドがエネルギーを蓄える事が出来るの……」
明日香の仮説に、翔子は疑問の目で尋ねた。
「現象として、運動エネルギーを中和する事は、今までの事で実証されている……問題は、中和されたエネルギーが何処に行ったのか……エネルギー保存の法則から消滅する事はありえないでしょ。田原本君の場合、相対するエネルギーで打ち消す……つまり反発するんじゃ無いんだから、蓄積されていると考えた方が自然だわ」
「それはそうだけど……エネルギーを……運動エネルギーを蓄積するなんて、非現実的だわ」
明日香の持論に翔子が反論すると、
「直接は不可能でも、田原本君が言った様に熱や光が発生した……と言うことは、正体は分からないけど、ある意味純粋なエネルギーに変換されて蓄積するんじゃないかな?」
「熱は光を伴い、光は熱を伴う……純粋なエネルギーって抽象的ね……あっ、でも、校庭で実験した時は何も起こらなかったわよ」
「そりゃ、サッカーボールぐらいのエネルギーじゃ、僅かだわ。変換されたとしても乾電池ぐらいでしょ。目に見える現象にまでは成らないわよ……」
「なるほどね……二人が二十mの距離を落下するエネルギーだと……可也の物ね」
明日香と翔子が何やら分かった様な分からない様な事を議論していると、
「あのう……」と、龍士が遠慮気味に明日香に声を掛けた。
「えっ?何?」
明日香は、急に言われて驚き、龍士の方に首だけ振向かせて尋ねると、
「あの、もう、よろしいでしょうか……」と、龍士は明日香の肩を揉みながら、情けない声で尋ねた。
「あっ」
あまりにも自然に明日香の肩を揉んでいた為、龍士の事をすっかり忘れていた明日香が、龍士に気付き、
「あっ、ごめん……忘れてた……」と、すっとぼけた顔で龍士に言った。
「うっ……」自分の事を忘れていたと言われて、龍士は少し涙ぐむ……可哀そう……
「ごめんなさい……ありがとう、とっても気持ちよかったわよ」
慌てて明日香が、申し訳無さそうに龍士に礼を言うと、
「俺の存在って……」と、龍士は後ろを向いてしゃがみ込んで拗ねた。
「ふふふふ……」そんな二人を葵が微笑みながら見ている。
「ほんに、仲良き妹背の様じゃの……二人は……」
微笑みながら言った葵の言葉を聞いて、
「なっ!何て事言うのよ!そんなんじゃ無いわよ!」と、明日香が顔を赤くして、力いっぱい否定した。
顔を赤くして、そっぽを向いている明日香に、
「いもせって?」と、拗ねていた龍士が尋ねると、
「五月蝿い!」と、明日香は龍士に怒鳴り付け、ぷいっと顔を逸らした。
「うっ……」
明日香に怒鳴られ、身を引く龍士に、
「妹背って、夫婦の事よ」と、翔子がニヤニヤと笑みを浮かべながら、冷やかす様に言った。
「もう!三輪さんまで!」
明日香が翔子に振向き怒鳴ると、
「あら……此方の方が、いじり甲斐がありそうね……」と、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「ぐっ……」
明日香は翔子の言葉を聞いて、不満そうに口を噤んだが、
「えへ……」龍士は、二人が夫婦みたいだと言われた事に、ちょっぴり幸福感を感じていた。
「あっ!」
真っ赤になって固まっていた邦彦が、急に思い出した様に声を上げると、
「えっ?」
「何?」と、皆が邦彦に注目する。
「思い出した……最初との違いって……最初は、ほら、あの化物の尻尾で攻撃を受けてたじゃないか」
「あっ……」
邦彦の言葉に、翔子も、あの時の事を思い出し声を上げる。
「そうだわ、確かに……でも、二回目は攻撃を受ける前に静電気を……」
翔子が蛟のリベンジを思い出していると、
「……なるほどね……田原本君のフィールドは、運動エネルギーを何かのエネルギーに変換して蓄える事が出来る……其のエネルギーは、三輪さんのフィールドと干渉して、静電気を強力にして飛ばす事が出来る。そして、フィールドを解除した時、熱と光として開放される……」と、明日香が一づつ確かめる様に、呟いた。
「……今あるデータを分析すると、そうなるわね……」
考えながら同意する翔子の言葉を聞いて、
「確かめて見ましょう!」と、明日香は笑顔を炸裂させながら立ち上がった。
「た、確かめるって?」
不安そうに尋ねる邦彦を他所に、明日香は付近をきょろきょろと見回し、バットぐらいの木の枝を見つけて、
「これで!」と、枝を拾い上げ、好奇心溢れる笑顔で邦彦に言った。
「こっ、これでって……何する気だよ……」
過去の事例から、すっかり諦めている邦彦は、大体想像の付く明日香の行動に、半ば諦めながら尋ねた。
「皆で田原本君を殴るの!」
ああ、やっぱりかと、肩を落とす邦彦。
「あっ、それなら、葵さんにやってもらった方が強力よ」
更にハードな提案をする翔子の顔を見ながら、
「お、お前らな……」と、完全に諦めている邦彦。
蛟の首を一瞬で切り落とした葵の実力を目の前で見て知っているだけに、邦彦はお断りしたかったが、恐らくそれは受け入れて貰えないだろうと考えていた。
「大丈夫よ。二十mも落ちて無傷だったんだから」
「そうね、あの化物の攻撃にも、なんとも無かったんだから」
やはり、受け入れて貰えそうに無い。
邦彦が諦めて肩を落としている姿を亜美は心配そうに眺めている。
その側で、明日香が葵に実験の趣旨と手順を説明している。
「良いのか?その様な事……」
「うん、大丈夫よ……多分……」多分かよ……
事情を良く飲み込めずに不安そうに尋ねる葵に、明日香は何でも無いかのように明るく答えた。
「田原本君!スタンバイ!」
明日香が邦彦に、元気良くQを送ると、
「……」邦彦は無言でのろのろと立ち上がり、葵の前に仁王立ちになると、
「お手柔らかに……お願いします」と、丁寧に頭を下げた。
邦彦の悲壮な表情を見て、
「うむ……」と、心配そうに頷き、体を青白い光で包んで白狐の姿へと変化した。
それを見て、邦彦は右自然体で構え、
「せいやっ!」と、気合を込めてフィールドを張った。
「では、行くぞ」
白狐の姿で葵が邦彦の前に座ると、
「いらっしゃい!」と、邦彦がやけくそ気味に声を上げる。
葵は、右前足を振り上げ、ゆっくりと邦彦へ振り下ろした。
ポフッと言う感じで、前足が邦彦の肩の手前三十cmで止まると、
「ほう……これは……」と、葵は不思議そうに邦彦を見つめた。
「葵さん、遠慮しなくても良いわよ!思いっ切りやって!」
「いえ!遠慮して下さい!」
邦彦は、間髪入れずに翔子の無慈悲な申し出を否定した。
苦笑いしながら、葵は頷き、再び前足を振り上げ、今度は少し強く振り下ろす。
再び止まった前足を見て、
「ほう……」と、葵は感心し、
「それでは……」と、今度は可也強く前足を振り下ろした。
「ひっ!」
自分の顔より大きな葵の前足が、顔面手前三十cmで止まり、思わず邦彦が悲鳴を上げたが、
「これは、なかなか……大したもんじゃ」と、呟きながら、葵は続けて往復びんたの様に邦彦に力を込めて前足を振り下ろした。
「ひっ!ひっ!ひっ!ひっ!」腕で顔面を防御しながら、邦彦は声にならない悲鳴を上げる。
「こんなもんかな……葵さん、もう良いわよ!」
明日香が葵に声をかけると、葵は前足を止め、全身を青白く光らせると、再び少女の姿に戻った。
「さて……田原本君。そのままフィールドを張っててね」
「ああ……」
明日香の言葉で、やっと終わったかと邦彦は肩の力を抜いた。
「三輪さん、言ってたやつ、やって見せて」
「ええ」翔子が手にフィールドを張って静電気を溜める。
邦彦の後ろから翔子が近付き、
「田原本君、やるわよ」と、言うと、
「おお……」と、邦彦が頷きしゃがむ。
翔子は腕を引き、勢いを付けて邦彦のフィールドへと拳を振り放った。
すると、邦彦のフィールドに触れ、翔子の手がふっと止まり、邦彦のフィールド全体に広がる様に稲光が走り、地面へと消えて行った。
「あれ……おかしいわね……」
再び静電気砲が不発に終わり、翔子は自分の拳を見つめながら呟いた。
その様子をじっと見ていてた明日香が、
「なるほど……そうか……」と、呟いた。
「どう言う事なの……」
明日香の言葉を聞いて、翔子が明日香に振り向き聞いた。
「前は、化物がすぐ側に居たのよね」
「ええ、そうね。すぐ目の前に居たわ」
「だからよ、静電気が対象物へと飛んだんだわ、でも今は対象物が無くて地面へとアースしたんだわ」
「なるほど……あっ、そうか、それで化物の口や目に……」
「そうね、水分の多い所へと飛んだのよ」
「じゃ、接近戦で無いと、使えないって事か……」
邦彦が、二人の話を聞いて残念そうに呟く。
「そうね……でも、今思い付いたんだけど、応用出来るかも」
「応用?」
「そう、田原本君のフィールドにそのまま物をぶつけても、止まってしまうけど、今みたいにフィールド同士だと干渉するのよね」
「ええ、そう見たいね」
「だから……」
そう言って明日香はフィールドを張り、足元にあった直径五cm程の小石を持ち上げる。
「こうすると、どうなるか……」
明日香は邦彦に近付き手を伸ばし、邦彦のフィールドへ自分のフィールドを重ねる。
そして、小石を邦彦のフィールドへと移動させた瞬間、
どんっ!と、空気が弾ける音と共に小石が弾丸の様に発射され、小石は岩肌の斜面に激突し粉々に砕けた。
その様子を皆が唖然として見ている。
「す、凄い……」邦彦が思わず声を漏らす。
「どう言う事?……」
「……そうね……」
翔子に尋ねられて、明日香は再び少し俯き、顎に手を当てて考えている。
暫くして、
「あくまでも、推測の粋を出ないけど、おそらく、田原本君のフィールドに蓄積されたエネルギーは、フィールド同士が干渉すると、其の物の力を増幅するんじゃないかな?」
「増幅……なるほどね……小さな火花程度でしかない私の静電気を、化物を傷付ける程に増幅した……」
「そう、そして今の場合は、石に与えた僅かな運動エネルギーを、弾丸の様なスピードまでに増幅した……」
考え込みながら話している二人に、
「なぁ、もう良いかな……」と、邦彦が眉を顰めながら尋ねた。
「えっ?」
明日香が邦彦に振り向くと、
「いや、もうフィールド解除しても良いかな……ちょっと、頭が痛くなって来た……」と、邦彦が額に手を当てながら辛そうにしている。
「あっ、ごめん。もう良いわよ」
辛そうな邦彦の顔を見て、明日香が慌てて答えた。
「ふう……」
大きく息を吐き出し、邦彦がフィールドを解除すると、残っていたエネルギーが仄かに光った。
邦彦がフィールドを解除して座り込み、額に手を当てているのを見て、
「大丈夫?」と、心配そうに亜美が近付き声を掛けた。
辛そうにしていた邦彦は、心配そうに顔を覗き込む亜美に、
「ああ、大した事無いよ……」と、心配を掛けまいと笑顔で答えた。
明日香達も邦彦の側に近付き、
「大丈夫?頭の他に痛い所とかは無い?」と、明日香が心配そうに尋ねた。
「そうだな……他は別に何とも無いけど……ちょっと体がだるいかな?」
体を見回しながら答える邦彦の言葉を聞いて、
「結局、長時間は無理だって事ね……」と、明日香は考えながら呟いた。
「ええ、所詮、私達は人間なんだもの。当然、限界はあるわね……」
所詮、人間、発生させられるエネルギーにも限界がある。
発生させるエネルギーに耐えられないと、自分の体そのものが破壊されてしまう。
分りやすく言えば、強力な弾丸を発射する為には、それなりに頑丈に出来た砲身が必要だという事。
仮に強力な電気を発生させられるとしても、其の電気に自分は感電しないのか?電気だけで、電磁誘導により物質を加速して発射させるという、馬鹿馬鹿しい事を出来たとしても、大電力と発生するジュール熱に耐えられるのか?と、言う事だ。
ラムちゃんの場合は、宇宙人と言う設定なので、たぶん可能なんであろう……
「私達の能力が貧弱でも……田原本君のフィールドに蓄積されたエネルギーで増幅出来る……と、なると……」
「つまり、色々と応用する事が分れば、戦う事も出来るって事」
「そうね、飛び道具が有れば心強いし」
明日香と翔子の物騒な会話を聞いて、
「戦うって……おい、化物と戦う気か?」と、今まで黙っていた龍士が二人に声を掛けた。
「そうよ、これから何があるか分らないのに、武器になる能力があれば安心だわ」
当たり前だろうと、言わんばかりに明日香が言うと、
「でも……そんな、戦うなんて……」と、龍士が不安そうに言った。
「何も進んで喧嘩を売る訳じゃ無いわよ。所謂、護身用よ」
「そうね、自分の命を守る為にも、戦う事は必要だわ……」
「それでも……幾ら相手が化物だからって……もしかしたら殺す事になるかも知れないのに……」
「何言ってるの!自分が殺されるのよ!葵さんみたいに話して分る様な連中じゃないのよ!私達の事、食料にしか見ていない連中に、黙って食われろって言うの!」
蛟に襲われた事を思い出し、翔子が龍士を怒鳴り付けると、
「それは……」龍士は返す言葉が無く、言葉に詰まった。
「此処には法律も警察も無いのよ……いい加減、その平和ボケいした頭、切り替えたら」
更に明日香に止めを刺され、龍士は俯いて黙ってしまった。
そんな会話を黙って聞いて居た葵が、静かに立ち上がると
「確かに、いざとなれば戦う事も致し方なかろうが……力を過信せぬ事じゃな……」と、翔子に向かって言った。
「どう言う事?」
訝しげに尋ねる翔子に、
「確かにお主等は、人としては珍しい妖力を持って居るようじゃが……力だけでは戦えぬぞ。己の命を捨てる覚悟で挑まねば、相手に呑まれてしまう……我が身を守る為にだと、笑わせるな、そんな事で相手に勝てるか……お主等に命を捨てて戦う覚悟が出来るのか……そんなお主等が、本当にいざとなった時に戦えるのか……」
葵の言葉を皆は黙って聞いている。
「命のやり取りとは、そう言うものじゃ……」
命のやり取りを経験して来た葵の言葉は、皆には重かった。
「でも……」
黙って聞いていた明日香が、不安そうな顔で何か言いかけた時、
「いや、葵さんの言う通りかも……」龍士が明日香の言葉を遮って言った。
皆が龍士に注目する中、
「普通の生活を送って来た俺達に、そんな覚悟、直ぐに出来ないよ……出来る限り見つからない様に気を付けて進んで、見付かりそうな時は逃げる事を考えて……」龍士が不安な顔で言うと、龍士の横で聞いていた邦彦が、
「そうだな……その方が良い。第一、武器として必要な時に直ぐに使える力じゃ無い。俺のフィールドにエネルギーを溜めなきゃいけないし、俺は、ずっとフィールドを張っては居られない……そんな物、当てにしない方が良いよ」と、翔子と明日香を見ながら言った。
龍士と邦彦に説得されて、
「そうね……」と、明日香が頷いた。
翔子も、仕方ないかと頷いている。
強力な力があったとしても、使い物になるかどうか分らない物を当てにしている方が危険だという事を明日香と翔子は理解し、結局、状況は変わらない事に不安が広がった。
立っている葵が空を眺めて、
「少し急ぐが……雲行きが怪しい……」と、呟いた。
「えっ?」
葵の隣に座っている明日香が葵を見上げると、
「雨が降りそうじゃ……何処ぞ凌ぐ場所を見付けた方が良いな……」と、葵は、空を見ながら言った。
そして、葵の言葉を聞いて皆が空を見上げると、先程まで暑いくらい晴れていた空に、厚く暗い雲が流れていた。
「急いだ方が良い見たいね……」
「そうだな……」
そう言って皆は立ち上がり、葵を先頭に一列になって森の中へと歩き出した。
時折、一番後ろを進む邦彦が、振向き背後に気を配っている。
森の中を進む皆の心は不安で重く、誰も喋ろうともせず、ただ黙って進んで行った。
---◇---
源一坊と十数匹の化物が、山の谷間を舐める様に飛んでいる。
「くそ……」
大きな一つ目を皿の様に見開いて探っているが、葵の気配すら感じられない事に、源一坊は苛立ち毒づく。
実際なら限られた空間で、これほど手間取る事は無いのだが、隠れ里の慣れない結界が迷路の様に行く手を阻み、気が付けば同じ所をぐるぐると回っているだけの時もあった。
「まったく、忌々しい……んっ?」
歯噛みしながら葵を探っていた源一坊が、何かの気配に気付き上空へと目をやると、左斜め上空に、数十匹の集団が目に付いた。
「あれは……」
源一坊が目を凝らし、其の集団を見て、
「むっ……憲正様か……」と、一つしかない眉を顰める。
遠くの集団も源一坊に気付いたのか、源一坊の方へと進路を変えて来た。
「やれやれ……選りにも選って、憲正様とは……」
空中に静止し、苦々しく呟く源一坊に、
「伝法院様、如何されました」と、小柄な戦装束の少年が声を掛けた。
「憲正様が来られた様じゃ……」
「あぁ、あれが……」源一坊の見詰める先を少年も見る。
「憲正様とは、心強い。伊予十二神将の中でも、名立たる剛の方……」
期待を込めた笑顔で話す少年の言葉を遮り、
「ふん!我が主の方が、何事にも秀でておられたわ!」と、源一坊は少年を睨み付ける。
「うっ、それは、そうにございますが……」急に怒られ、訳の分らない少年が肩をすぼめる。
「行くぞ……」
源一坊が不機嫌な顔で少年に向かって言うと、
「はっ……」源一坊達は、憲正の集団へと向かった。
近付いて来た憲正の集団の近くまで来ると、源一坊は空中で静止し、憲正に向かって頭を下げる。
「源一坊か……」
「はっ」
憲正の集団が源一坊の前で止まり、憲正が前に出て源一坊に声を掛ける。
「主を目の前で殺され、男刀を奪われよって……情けない……未だに葵を捕らえられぬか、この、凡暗が」
「ぐっ……申し開きの言葉もございませぬ……」
情け容赦の無い憲正の罵声に、源一坊は歯噛みし悔しそうに更に頭を深く下げる。
「ふん、貴様の様な凡愚でも居れば何かの役に立つであろう、連れて来た軍勢は散り散りになり、やっとこれだけを集めた所だ……源一坊、我に続け……」
源一坊を蔑んだ目で見下ろし、憲正が言うと、
「お、お供、致し……まする……」と、悔しそうに憲正を睨みながら源一坊が答えた。
「ふん」睨み付ける源一坊を蔑む様に鼻で笑い、
「付いて来い」と、言うと憲正は集団を引き連れ、元進んでいた方角へと向かった。
そして源一坊は、憲正を睨み続けながら返事もせず憲正の後に従った。
---◇---
森の中を休憩を取りながら三時間ほど進むと、小さな、幅三mくらいの川が流れる、少し開けた幅十mくらいの河原へと出た。
対岸の川沿いは、岩で出来た崖が続いていて、龍士達は川を下る方向へと進んだ。
暫く進むと、崖に大きな亀裂が走っているのが見えた。
亀裂の中に葵が狐火を燈しながら入って行くと、其の後を皆が続き入って行った。
岩の間を進んで行くと奥は洞窟状になっていて、十畳ぐらいの空間が広がっていた。
「此処なら雨も凌げる……それに、間も無く暗くなるでな……」
洞窟の中で、葵が狐火を燈しながら皆に言うと、皆は頷いて承諾した。
其の後、川で晩御飯の魚を皆で取った。
龍士達が魚を追い込み、白狐姿の葵が前足で掬い上げる。
また、翔子は静電気で皆が追い込んだ来た魚を感電させて捕まえた。
岩の亀裂に入った辺りで、葵の狐火で魚を焼いて、皆が食べ終わった頃、雨が激しく降り出し、皆は洞窟の方へと移動した。
葵の狐火に照らされた洞窟の中で、皆はただ黙って座っている。
外から聞こえる激しい雨音だけが、洞窟の中で響いていた。
見知らぬ場所に迷い込み、戸惑いながら危機を乗り越え何とか過ごして来た五人だったが、今日、化物に襲われ死ぬ思いをした皆は、この場所が決して安全な場所では無いと認識している。
そして、無事に元の世界に帰れるのかと、不安だけが膨らんだ。
夜も遅くなって、皆は横になったが、激しい雨音が耳に着き、また、寝心地の悪い砂利の上で、膨らむ不安に皆は眠れない夜を過ごした。
雨音が響く真っ暗な洞窟の中で、普段は能天気な龍士も、二晩も帰らない自分を家族が心配しいると思うと、申し訳ない思いと家族に会いたい思いから、何時の間にか涙が零れていた。
朝方、辺りが薄明るくなって来た頃雨が止み、葵が様子を見に外へと向かった。
そして、帰って来た葵が、
「雨は止んだぞ……どうする、行くか?」と、皆に尋ねた。
横になっているだけで一睡も出来なかった皆は、のろのろと起き上がると、お互いに顔を見合わせ、力無く頷き合った。
葵を先頭に、川を下る方向へと皆が進んで行く。
二日間、ろくな食事も取れず、寝不足の上、死の恐怖に怯えながら進む五人は、疲れ切っていた。
まだ、十六歳にも成っていない五人にとって、この命懸けのサバイバルは、精神的にも肉体的にも限界だった。
一時間ほど進むと、辺りはすっかり明るくなって来て、川幅も広くなった。
続いていた森の木々も少なくなり、龍士達は自分達の姿を曝しながら歩いている事に、不安が増し、空を頻繁に見上げ辺りを警戒している。
それでも何とか、休憩を多く取りながら無事に進み、山の斜面も緩やかになり、麓まで降りて来た事を実感出来た。
「なんとか、帰れそうだね……」
少し明るい声で龍士が言うと、
「そうね、随分と風景も変わって来たし」と、明日香も少し明るく答えた。
何とか成りそうだと言う思いに、皆に少し笑顔が戻った。
その時、亜美が急にしゃがみ込んだ。
「おい、大丈夫か!」
亜美のすぐ後ろを歩いていた邦彦が、声を掛けて亜美に駆け寄る。
駆け寄った邦彦に、亜美は真っ青な顔で、無理に笑顔を作って頷く。
緊張が少し緩んだせいもあり、一番体力の無い亜美は貧血の様な症状に襲われた。
亜美の直ぐ前を歩いていてた明日香が、邦彦の声に気付き、
「亜美ちゃん!」亜美の側にしゃがみ込み、
「横になる?」と、尋ねると、亜美は首を振って、
「ごめん、大丈夫……」と、苦しそうに笑顔を浮かべ立ち上がろうとする。
そんな亜美の手を掴んで、
「馬鹿、何言ってるの、顔、真っ青じゃない……」と、言って自分の方に抱き寄せた。
「心配しなくて良いから、ねっ、少し休も……ねっ」
明日香が亜美を安心させる為に少し笑顔を浮かべながら、そう言うと、
「……うん……」と、亜美は明日香の腕の中で小さく頷いた。
其の様子を見て、龍士は明日香の優しさに少し感動した。
自分には、とかく、きつく当たる明日香だったが、本当は優しい子なんだなと龍士は明日香に対して認識を新たにした。
「あっちの木陰に行こうか」
邦彦が当たり前かの様に明日香から亜美を掬い上げ、お姫様抱っこして立ち上がり、
「行くぞ」と、皆に声を掛けた。
「うん……」
其の様子に、皆は半分呆れるかの様な顔で邦彦に返事をして、直ぐ側の木陰へと歩いて行く邦彦の後を追った。
「ねぇ……ちょっと、どう思う?」
「そうね……あからさま過ぎるわね……」
「既に、公認の仲……なんて思ってるんじゃ?」
「いじり甲斐が無いわね……」
などと、小姑よろしく明日香と翔子が、ひそひそと話しているのを、
「あのな……」と、龍士は呆れながら聞いていた。
そんな事とは露知らず、亜美は邦彦に抱かれながら、ただ黙って顔を赤くしていた。
邦彦としては、どうのこうの言った所で、既に自分の思いは、本人の亜美にばれている事を知っている為、今更誤魔化す必要など無いと、少し大胆な気持ちになっていた。
邦彦は、木の下に草が密集して生えている所に亜美をそっと下ろすと、
「橘、後は頼む」と、言って亜美から離れた。
「どう思います……」
「ねぇ……膝枕ぐらいしてやれば良いのに」
「そうよねえ……」
「意外と冷たいのねぇ」
翔子と明日香は、どうしても邦彦を冷やかしたいみたいだ……小姑……
邦彦は顔を真っ赤にして、二人の会話を聞こえない振りして黙って木の横へと座った。
明日香は亜美の隣に座り、川で濡らしたハンカチを亜美の額に当ててやる。
「ごめんね……」
亜美が申し訳無さそうに言うと、
「何言ってるの……友達じゃない……」と、明日香は優しく微笑んで答えた。
静かな時間が過ぎる中、寝不足と疲れから、クッションの良い草むらで皆は何時の間にか眠ってしまっていた。
葵も、連日の逃亡での戦闘の疲れと、満足に眠っていなかった為、つい、うとうととしてしまった。
そして、何かの気配に気付き、はっと、目を覚ますと、葵達を化物達が取り囲んでいた。
「くっ!」
葵は慌てて立ち上がり身構えると、
「動くな!」と、後ろから声がし葵が振向くと、其処には信綱と多門次の姿があった。
後悔と共に二人を睨み付け身構える葵に、
「慌てるな!何もせん!」と、信綱が手で葵を制し、叫んだ。
其の声を聞いて明日香達も気が付き、驚いて目を覚ます。
そして、周囲を見回し、自分達が化物に取り囲まれている現状を認識すると、皆は慌てて葵の所へ集まった。
「我は、伊予十二神将が一柱、伊予宇和島の主、道真様の家臣、九島の信綱じゃ。我らは、御主に話が聞きたい。大人しく話せば何もせん」
穏やかに話す信綱を、訝しげに眉を顰めながら見ながら葵は、
「話じゃと……」と、呟いた。
「そうじゃ。我等は若君がお隠れになる時の様子を知りたい。そして、何故、お主が我等の宝である、男刀を持ち去ったのかを知りたいのじゃ」
信綱の話を聞きながら、葵は周囲に目を配り警戒する。
其の様子を見て、
「そうじゃな……皆の者、下がれ」と、信綱は兵達に手で合図を送った。
信綱の命令で、化物達は一斉に葵達から五十mほど離れ、其処に座り込んだ。
「どうじゃ……話してくれるか」
信綱が穏やかに再び尋ねると、
「話す事など……我とて何があったのか何も分からぬ……」葵は、首を振りながら、悲しそうに答えた。
「何も分からぬはずは無かろう……我が見た時、若はお主の腕の中で塵と成られた……」
多門次が静かに尋ねると、
「……」葵は黙ってしまった。
「話さぬのであらば、やはり、お主が我等の宝を奪う為に若君を滅したと思うて良いのか?」
「違う!」
葵があらん限りの声で叫ぶと、
「分かっておる……」と、信綱は静かに言った。
「えっ?」
信綱の言葉に葵が戸惑っていると、
「其の刀は我らの宝……松平家との和睦の証。そんな物、お主には何の意味も無かろう……だからこそ知りたいのじゃ。何故、お主が其の刀を持って逃げたかを」信綱は、ゆっくりと葵に近付きながら尋ねた。
近付く信綱を警戒しながら、葵は懐の懐剣を抱き締め、信綱を見据える。
妖力では二人に勝ってはいるが、二人同時となると負ける事は無いにしろ、そう簡単には勝てない事は葵にも分かっている。
戦う事になれば、明日香達も巻き込む事と成る。
葵は、道理を立てて話す信綱と無理に戦う必要は無いと判断して、
「我が、時貞様を見付けた時、既に、時貞様は何者かに背中を切られ、虫の息じゃった……我にも何が起きたのかは分からぬ……」と、葵は、あの日の事を話し始めた。
「では、何故、お主はあの場に居た」
「それは……」
信綱の質問に、葵が言い難そうに口篭る。
俯き黙る葵を、二人が見詰めていると、
「信じては貰えぬであろが……我と時貞様は……祝言を……上げる約束で……」と、葵は言い難そうに話した。
「なっ……なんと……」葵の言葉に信綱は目を見開き驚いていた。
「ばっ、馬鹿を申せ!その様な世迷言!嘘を付くにも程がある!」
葵の、余りにも理解しがたい話に信綱は怒りの怒号を上げると、
「嘘では無い!」葵も負けじと怒鳴り返す。
「何を申す!五百年前の大戦、知らぬ訳ではあるまい!然るに、何故、我等が若君と、お主とが祝言などと、どの様に信じろと言うのだ!」
「しっ、信じてあげてよ!」
葵を怒鳴り付ける信綱に向かって、葵の後ろから龍士が叫んだ。
「い、稲葉君!」
龍士の突飛な行動に皆が驚く中、
「なんだ、貴様は……」と、信綱は訝しげに龍士を睨み付ける。
「俺は、此処に迷い込んだだけの人間だけど……葵さんは、そんな嘘を付く人じゃないよ!」
必死に訴える龍士を、
「……黙れ、何も知らぬ人如きが、口を挟むな」と、信綱は睨みながら言った。
「何も知らなくは無いよ!此処へ来てから、葵さん、自分の危険を承知で、俺達の世話をしてくれたり、帰る為の道案内をしてくれたりしたんだよ!そんな人が嘘なんか付くもんか!」
「馬鹿め……女狐に謀られよって……」
必死に訴える龍士を、信綱は冷やかな目で睨み付ける。
「騙されてなんか無いよ!そっちこそ、何も知らないくせに!時貞さんの気持ちを知らないくせに!」
「……何……」
時貞の名前を出され、信綱は眉を顰めて龍士を睨む。
「時貞さんは、何時までも、いがみ合っている事を変えたかったんだよ!だから、葵さんと結婚すれば何かを変えられると思ったんだよ!」
「若君が……馬鹿を申せ。その様な事、聞いた事も無いわ」
「当然だろ!戦争に拘って、何時までもいがみ合っているのに話せる訳が無いじゃないか!五百年も前の戦争って……あんただって、其の時居た訳じゃないだろう!」
「それは……」
「そんな物に拘って、何時までもいがみ会っていて良い訳ないだろ!」
「黙れ!何も知らんくせに、ほざくな!大戦の恨み、忘れられぬ者も多く居る。それに、気を許せば、いつ何時、再び戦になるやも知れんのに、油断出来るか!」
「そうかい、そんなに戦争したいのかよ!また、沢山の犠牲が出ても良いのかよ!」
「なんだと……」龍士の言葉に信綱が言葉を詰まらせる。
「だからだよ!だから、時貞さんは、そんな状況を変えようとしたんだよ!」
「……」信綱は、眉を顰め龍士を黙って見ている。
「誰にも相談出来ずに……時貞さん、きっと苦しかったと思うよ。葵さんだってそうだったって……だけど、時貞さん、何とか皆の為に何とかしようとしたんだと思うよ。戦争が再び起きない様にね……辛かった思うよ、だけど、大好きな葵さんに理解して貰えて……信じて貰えたから、頑張れたたんだと思うよ。決して祝福される幸せな結婚じゃ無いけど、決心出来たのは葵さんの愛が有ったからだと思うよ」
「稲葉殿……」葵は龍士の言葉を聞いて、嬉しそうに目を細める。
会って間もない龍士が、こんなにも時貞の心を理解してくれている事に、そして葵自身の心を理解してくれている事を嬉しく思った。
「……お前の話、何か証が立てられるのか」
「そ、それは……」信綱に尋ねられて龍士は言葉を詰まらせる。
「証も立てられぬ事を、信じろとは虫が良すぎるとは思わぬか」
「……」静かに問い質す信綱の言葉を聞いて、龍士は黙って俯いてしまった。
「葵の話を聞いて、己が騙されているとは思わなんだのか」
信綱の言葉に龍士はゆっくりと顔を上げ、
「思わなかったよ」と、信綱の目を真っ直ぐに見て、はっきりと答えた。
「何故じゃ」
「時貞さんの事、話して居る時の葵さんの顔、凄く輝いていた……俺は経験無いけど、分かるよ。二人は本当に愛し合っていたって……お互いを信じていたって……だから、こんな辛い時でも、あんなに良い顔が出来たんだと思うよ」
「稲葉殿……」自分を信じてくれている龍士に、葵は感謝の念を込めて静かに頭を下げた。
「ふん……話に成らんな……」
不満げに鼻を鳴らし、そっぽ向く信綱だったが、龍士の話を思い起こし考えている。
今更、そんな嘘を付いて何の得があるのか。
命乞いをする気なら、もっと別の方法もあるはずだと……だからと言って、葵の話は、到底、信じられるものでは無かった。
信綱の心は乱れていた。
黙ってしまった信綱に向かって、
「信綱……この者達を放してやってくれ……この者達は関係ない」と、葵は静かに頼んだ。
「葵さん……」
明日香達は葵を見ると、葵は優しく微笑んでいた。
「……良かろう、我らも無益な殺生をする積りは無い」
信綱の言葉を聞いて、葵が明日香達に近付き、
「済まぬの……もう道案内は出来そうに無い」と、悲しそうな笑顔で言った。
「でも、でも、葵さん……」
明日香達が心配そうな顔で葵を取り囲むと、
「このまま、川と林の境を真っ直ぐに進め……今の我には、それしか分からぬ……」葵は川の下流を指差し明日香達に言った。
其の時、葵が急に空を見上げる。
葵の様子を見て、信綱と多門次も葵の見ている方角を見上げる。
「……憲正様か……」
空を見上げながら、多門次が呟く。
空に浮かんだ小さな点が次第に近付き、それが五十程の軍勢だと分った。
「お前達は早く逃げた方が良いぞ……」
近付いて来る軍勢を見据えながら信綱が言うと、
「えっ?」と、皆が意外そうに信綱を見た。
「どう言う事じゃ」
葵が信綱に尋ねると、
「どうでも良い、人間ども、早く逃げろ」と、きつい口調で信綱が明日香達に言った。
戸惑っている明日香に、葵は信綱の言葉に何かを感じ取り、
「早く行け」と、明日香達を追いやる様に手を振り上げた。
「葵さん……」
未練が残る様に見詰める明日香に、葵は優しく微笑みながら静かに頷く。
其の微笑みは、全てを覚悟した穏やかな笑顔だった。
「あっ……」
明日香が何か訴える様に葵に声を掛けようとすると、
「橘、早く」と、龍士が明日香の腕を掴み引っ張る。
龍士に振り向いた明日香は、再び葵に振り向く。
「橘、行くよ……気持ちは分るけど、言ったろ。俺達が居ても足でまといになるって」
明日香の腕を掴みながら龍士が静かに言うと、明日香は小さく頷き、葵を見ずに振り向き、皆と一緒に林の方へと走り出した。
林の中へと逃げて行く明日香達を見て、葵は安心した様に微笑み頷いた。
そして、迫る憲正の軍勢を睨み付ける。
着地してくる憲正に、信綱と多門次は頭を下げながら迎える。
「漸と捕まえたか、凡暗どもが……」着地した憲正が、葵を睨みながら毒づく。
信綱と多門次は、憲正の言葉に唇を噛む。
「多門次」
「おお、源一坊……」憲正と共にやって来た源一坊が多門次の肩を抱く。
「手間を取らせおって……」憲正は、刀を抜きながら葵へと近付く。
身構える葵。
「お待ちくだされ!」葵へと近付く憲正の前に、両手を広げ多門次が立ち塞がる。
「邪魔だ、どけ……」刀を多門次に突き付け、憲正が言うと、
「何を為さる御積りです……」憲正を睨みながら多門次が訪ねた。
「何を間抜けた事を……切って捨てるに決まっておろうが!」
「ご隠居様の下知をご存知無いのか!」
立ち塞がる多門次を怒鳴り付ける憲正に、負けじと多門次が怒鳴り返す。
「そんな物、関係無いわ!刀さえ取り戻せば良い事よ!」
刀を片手で上段に振り上げ、多門次に迫る憲正を見て、
「お待ち下され、憲正様!」と、憲正の腰に源一坊が抱き付き止める。
「邪魔をするなと言うて居ろうが!」
腰に抱き付く源一坊を、憲正は力いっぱい蹴り飛ばす。
「ぐっ……」
二mを超える大柄な源一坊が、五m程蹴り飛ばされ地面へと転がる。
「ふん……」憲正は地面に蹲る源一坊を蔑んだ目で一瞥すると、多門次へと振り返り、
「我に逆らう気か」と、尋ねた。
「憲正様に逆らうのではありませぬ。ご隠居様の下知に従うだけです……」
憲正を睨みながら多門次が杓杖を構える。
「……こしゃくな……己は何をしているのか分って居るのか……」
睨み付ける憲正を睨み返し、
「はい……十二分に……」と、多門次が答えた。
憲正を睨みながら、杓杖を右斜め中段に構え、
「姫様……一つだけお聞かせ願いたい……」と、多門次が尋ねた。
「えっ?」
葵は、急に姫様と呼ばれ、自分の事とは一瞬理解出来なかった。
「姫様は何故、其の刀をお持ちになって逃げられた。其の訳を教えていただきたい」
多門次が、どうやら自分に尋ねている事を理解した葵は、
「……それは……時貞様のご遺言……」と、小さな声で答えた。
「殿のご遺言……」
消え入る様な葵の言葉を確める様に多門次が尋ねると、
「……如何にも……時貞様が消え行かれる時、我に言われた……」
「それは、何と」
「この刀を守ってくれと……そして、清めぬ内は誰にも渡すなと……」
「それが……殿のご遺言……」
葵を背に憲正の前に立ち塞がる多門次が、遠い目をしながら確める様に言うと、
「そうじゃ」と、葵は、はっきりと答えた。
「ふん、何の戯言か、遺言などと……誰が信ずるか!」
刀を振り下ろし叫ぶ憲正を警戒し多門次が身構えたが、何故か静かに目を閉じ、暫くして何かを決心したかの様に頷いて目を開き、
「信綱殿」と、憲正から目を離さずに信綱に呼びかける。
「なっ、なんじゃ……」
急に呼ばれ戸惑う信綱に、
「先程、証が立てられるかと申して居ったな」と、多門次が尋ねた。
「……あっ……あの人間が言っておった事か」
多門次に聞かれ、信綱は龍士の話を思い出した。
「証なら、我が立てよう……」
「なんじゃと……」
「我が殿と姫様との間を取り持っておった」
「……なっ、なんと!」
多門次の意外な言葉に、信綱は一瞬理解出来ず、少し間をおいて驚きの声を上げる。
そして、多門寺は憲正から顔を逸らさず、驚いている信綱に目をやり、にやりと笑う。
「な、何の事じゃ……」
話が見えず、心配そうに尋ねる源一坊に、
「あの日、殿にお供したのは、刀を清める前の禊と、もう一つ、大切な事があったからじゃ」と、源一坊に目をやり、多門次が言った。
「もう一つ……何じゃそれは……」
「殿はあの日、此方の姫様と祝言を挙げる御積もりじゃった」
多門次の話を聞いて、一つしか無い目を大きく見開き、暫く惚けていた源一坊が、
「なにいぃぃぃ!」と、絶叫にも似た大声を上げる。
多門次の話を聞いて憲正も、
「戯言を言うにも程がある!そんな馬鹿馬鹿しい話、誰が信ずるか!」と、怒鳴り散らした。
「信ずるも何も、我が殿と姫様の間を取り持ち、御文をお届けいたしておりました」
「……では、桔梗が申していた、黒き風の如し方とは、お主の事か……」
多門次が、二人の手紙のやり取りを、取り持っていた事を始めて知った葵が、驚きながら尋ねると、
「……如何にも……桔梗殿には気の毒な事をしました……何も知らぬ源一坊を止め様としましたが間に合わず……お許し下され……」と、言葉窄みに多門次が頭を下げる。
「どう言う事なんじゃ……」
余りにも意外な話が理解出来ずに、源一坊が戸惑いながら尋ねると、
「姫様の侍女の桔梗殿と我は、皆には知られぬ様に、お二人の御文をやり取りをしておったのじゃ」
「な、なんと……」
「すまぬ……誰にも知られる訳には、いかんかったのでな……」
多門次の前で、驚き惚けている源一坊に、多門次が頭を下げる。
源一坊は、一つ目を吊り上げ、わなわなと震えだし、
「うおぉぉぉぉ!」と、雄叫びを上げたかと思うと、杓杖を振り上げ大柄な体を宙へと舞い上げ、多門次の隣へと着地した。
「うっ」
咄嗟の事に身構える多門次に、
「己、多門次!」と、源一坊が杓杖を脇に抱え怒鳴り付ける。
そして、多門次の胸倉を掴み、
「その様な事、我には一言も申さずに!」と、怒鳴り付ける源一坊に、
「……すまぬ……殿に、誰にも言うなと言われておったのでな……」と、多門次は、申し訳無さそうに目を逸らす。
「茶番も大概にせい!源一坊!とっとと、女狐から刀を奪い返さんか!」
苛付きながら怒鳴る憲正の命令を聞いて、源一坊は葵の方を向いて、
「姫様!」と、叫ぶと其の場に土下座し、
「知らぬ事と言え、真に謝罪の言葉もございませぬうぅ!赦免等、願い乞う積もりはござりませぬが、この源一坊、命に変えて姫様の御身、お守りしとうございまするうぅ!」
大きな一つ目から涙を流しながら、震える声で叫ぶ源一坊を見て、
「お前……」と、葵は戸惑い驚いた。
「己!裏切るか!」
憲正が源一坊に怒鳴り付けると、源一坊はゆっくりと立ち上がり、憲正の方へと振り向き、
「裏切る……はて、何の事にござりまするか……」と、憲正を一つ目で睨み付ける。
「女狐に付くなど、裏切りであろうが!」
怒鳴る憲正に杓杖を構えながら、
「裏切りにぃあらずっ!我は殿の……我が主、伊予西条ノ介、時貞様の、ご遺言を守るだけにござりまするうぅ!」と、叫ぶように言った。
「源一坊……」
「男刀を誰にも渡すなとの、ご遺言!我は、それに従うだけにございまするうぅ!」
単純で熱い源一坊の態度を見て、多門次が苦笑いを浮かべる。
「くそっ!信綱!」
眉間にしわを寄せ、振向き叫ぶ憲正に、
「はっ、何か……」と、信綱は冷静に答える。
「この裏切り者どもを、打ち殺せ!」
狂った様に叫ぶ憲正に、
「さては困り申した……多門次殿も源一坊殿も、亡き時貞様のご遺言を果たすと申しておりますし……憲正様は裏切り者と申される……我には、判断付きかねまするなぁ」と、他人事の様に言った。
「この……我の命が聞けぬか」
歯を食い縛り、睨み付ける信綱に、
「思い違いをして貰っては困りますな」と、信綱は、態と困った様な顔で答えた。
「なんだと言うのだ……」
「我は道真様の家臣。貴方様の命を聞く謂れはござらぬ」
「貴様……土豪の分際で……」
悔しそうに信綱を睨み付ける憲正に、
「ならば!源一坊を裏切り者と罵られるが、貴方様はどうじゃ!」と、信綱は憲正を指差し叫んだ。
「何の事だ……」
「ご隠居様の下知を蔑ろにするは、それこそ、謀反ではございませぬか!」
「ぐっ……」
「多門次殿達は、ご隠居様の下知に逆らい、女狐を滅しようとされる憲正様を止めているだけではないのですか……我には裏切りとは見えませぬが」
堂々とした態度で、憲正に意見する信綱を睨み付け、
「……主も主なら……家臣も家臣か……」と、憲正が毒づく。
「信綱殿……」
多門次は信綱の態度を嬉しく思い声を掛けると、信綱は無言で頷き、
「良いか、皆の者!裏切りか謀反か、この事、我では計り知れぬ。道真様が来られるまで、双方に手出し無用ぞ!」と、周りの兵達を見渡しながら叫ぶと、兵達は戸惑いながら、確認する様にお互いの顔を見合わせ、おずおずと信綱の後ろへと集まった。
集まった兵達を見渡し、再び憲正に振向き、
「憲正様がこれ以上、ご隠居様の下知を聞かぬと仰るならば……我も黙って見過ごす訳には参りませぬが……」信綱が憲正を睨みながら言うと、
「……」憲正は黙って信綱を睨み返した。
そして、信綱は多門次へと向き直り、
「……すまんな、多門次殿……これが、我の精一杯じゃ……」と、多門次に軽く頭を下げた。
仇敵である葵の味方をする訳にも行かず、だからと言って、刑部の命令に逆らう憲正には従いたくは無い。
そして、旧友である多門次に味方したいが、上官である憲正に、理由も無く逆らえない。
そんな信綱の立場が分かる多門次は、
「何を申される……忝い……そのお気持ちだけで十分……」と、深く頭を下げた。