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第五話

残酷な表現が含まれます。

 森の涯の様な、木々が迫る岩肌の斜面沿いに、龍士と明日香は、辺りを慎重に見回しながら歩いていた。

「葵さん、大丈夫かな……」

「そうね……」

「あんなに沢山の化物に追われて……」

「そうね……」

「逃げられるのかな……」

「そうね……」

 前を歩く明日香に話しかけても、素っ気無い返事しか返って来ない事に、龍士は少しムッとして、

「何だよ、さっきから……怒ってるの?」

「そうね……」

「もう……あのな、橘……」

 更に気の無い返事に、龍士が語尾を荒げると、明日香は急に立ち止まり、振向いて、

「何よ!さっきからごちゃごちゃと!葵さんの足手纏いに成るって言ったのは貴方でしょ!そんなに心配なら、一緒に居れば良かったのよ!」と、怒りを露に、龍士を怒鳴り付けた。

「うっ、そんな事、言ったって……それと、これとは……」

 明日香の迫力に押され、しどろもどろになる龍士に、

「葵さんは、必死で好きな人の遺言を守ろうとしているの!それを私達は手伝えない以上、私達は、私達の出来る事を、一生懸命するしかないの!」と、更に怒鳴り付ける。

「で、出来る事って……」

 龍士が、おどおどと、怯えるながら明日香に尋ねると、

「一生懸命、元の世界に帰る事」と、きっぱりと言い切った……どう言う理屈やねん……

 龍士は小首を傾げ、明日香の言った事を理解しようと、頭の中で明日香の言葉を繰り返したが、どうしても二つの事項の関連性を見出せなかった。

「行くわよ」

 考えている龍士を置いて、明日香は振向き、葵が示した帰る方向へと再び歩き出した。

「あ、待ってよ……」明日香の後を、龍士が慌てて追いかける。

 明日香を追いかけ、龍士が明日香の直ぐ後ろに追い付いた時、

「私だって、心配よ……」と、明日香が呟いた。

「えっ?」

「せっかく、友達に成れたのに……力に成って上げられないなんて……」

 明日香が悔しそうに拳を握り絞めるのを見て、

「橘……」龍士は、明日香の不機嫌な理由に気付いた。

 そして、前から気になっていた事を、

「橘って、随分と友達に拘るんだね」と、尋ねた。

 明日香は、龍士の問い掛けを無視するかの様に、黙って歩いている。

「橘だったら、友達も沢山居るんだろうな」

 誰が見ても、美少女の評価を下すであろう明日香は、小・中学校でもきっと人気者だったと、龍士は想像していた。

「橘は、付属の中学からの進級組みだろ。だったら友達も一緒に……」

「友達なんか居なかった……」

 龍士の言葉を遮り、明日香の言った言葉が理解出来ず、

「えっ?」と、龍士は目を丸くする。

 と、その時、黒い影が龍士達の前に、急に立ち塞がった。

「きゃっ!」

「わっ!」二人は驚き、立ち止まる。

「何だ、違うか……」

「葵じゃ無いな……んっ?人間か?」

 二人の前に現れたのは、犬の化物だった。

 茶色の毛並みと白の毛並みの二匹は、頭が犬で体は人間の様だった。

 鎧の胴と草摺りを付け、腰に刀を差した二人は、見るからに凶暴そうだった。

 突然現れた異形の二匹を見て、恐怖で体が硬直して動けない龍士は、ただ小刻みに震えていた。

「な、なによ……あなた達は……」

 明日香が異様な姿の二匹に、怯えながら声を掛けると、

「こいつは雌か……こりゃ、とんだ役得だな、権蔵……」

「へへへ、そうだな小六……」と、二人は好色な目で明日香を見ながら、舌なめずりした。

「葵探しに、とんだ祝儀が付いたな……」

「へっ、全くだ……」

 二匹がそう言いながら、明日香に近付くと、

「葵って……」明日香が二人の言葉に気付き、

「あっ、あ、貴方達……あ、葵さんを知っているの?」震える声で二人に尋ねた。

「なんだと……お前こそ、葵を知っているのか……」

 権蔵が明日香を睨み付け、明日香の胸倉を掴んで、

「おい、葵の居場所を知っているのか……」と、鋭い牙の見える顔を近付け明日香に聞いた。

「ひっ!」

 迫る権蔵の恐怖に、明日香が短い悲鳴を上げると、

「大人しく教えたら、命だけは助けてやる……葵は何処だ」小六も明日香に牙を見せ付けながら、聞いて来た。

「あ、あう……」明日香は、恐怖で声が出ない。

「おっ、おい!お前ら!た、橘……橘を、は、放せ!」

「なにぃ……」

 小六と権蔵が振向くと、バットぐらいの木の枝を、震えながら中段に構えている龍士が居た。

「ふん……お前は大人しくそこで待ってなぁ……こいつを犯した後で食ってやるから」

 下品な笑いを浮かべながら権蔵が言うと、

「へへへ、なんなら、先に血抜きでもしておくかぁ」と、小六が龍士へと迫る。

「ひっ!」近付く小六の恐怖に、龍士が身を縮める。

 が、次の瞬間、何を思ったのか、

「わあぁぁぁ!」と、叫び声を上げ、めちゃくちゃに木の枝を振り回しながら、小六へと突進した。

 小六は、枝を振り回し突進して来る龍士を冷静に見ながら、

「あほか……」と、呟き、枝を難無く交わし、龍士を蹴り倒す。

「ぐうぇ!」横っ腹を蹴られて枝を離し、両手で腹を抱えて龍士は転げまわる。

「稲葉君!」転げまわる龍士を見て明日香が叫ぶ。

「どうした……もう終わりか?」馬鹿にした様な笑いを浮かべ、転げまわる龍士に近付く。

 残忍な目で龍士を見下ろし、小六が龍士のみぞおちに再び蹴りを入れる。

「ぶっ!ぐっ……ぐえぇ……」龍士は、その痛みで白目を剥いて悶絶した。

 小六が龍士を見下ろし刀の柄に手を掛けた時、龍士が甚振(いたぶ)られる姿を、笑いながら見ていた権蔵が、

「へへへ、じゃぁ、俺はこっちを……」と、言って明日香に振向き、

「先に、いただくぜ……」掴んでいた明日香の胸倉から、一気に制服を引き破った。

「きゃぁぁぁ!」制服を破られ、白い肌を曝した明日香は、思わず悲鳴を上げて身を縮める。

「おい!権蔵!抜け駆けとは卑怯だぞ!」

 龍士を殺そうと刀を抜きかけていた小六が、慌てて権蔵に駆け寄る。

「いいじゃねぇか……どっちが先でもよ……」

「そうは行くかよ……」

 権蔵に首を掴まれ、木に押し当てられて動けない明日香の白い肌蹴た胸を見て、二匹はニヤニヤと笑っている。

「こういう事は、ちゃんと順番を決めねぇとな……」

 小六はそう言いながら、明日香の可愛らしい刺繍の入った、パステルピンクのAAAカップのブラを引き千切った。

「いや!」見られたくない乳首しかない平滑な胸を曝して、明日香は思わず顔を背ける。

 権蔵が曝された明日香の低脂肪乳を見て、

「食いでが無い胸だな……」と、下品な笑みを浮かべながら、明日香のへそから顔までを、長い舌を出して一気に舐め上げる。

「くっ……」その、おぞましい感触に、明日香は思わず顔を顰める。

 未経験の明日香にとって、未知への不安が更に恐怖を膨らませ、体が硬直し小刻みに震え、自分の腕力では抵抗出来ない悔しさに、歯を食い縛る。

 そんな明日香を、二匹は味見する様に、明日香の肌蹴た胸をゆっくりと舐め回す。

 歯を食い縛りながら、恐怖と悔しさに耐えていた明日香が、ふと、足元の石に気が付いた。

 明日香は、首を掴んでいる権蔵の腕から手を放すと、万歳する様に手を上げた。

「ん?へへへ、観念したか?」明日香が手を放した事に、権蔵が下品な笑みを浮かべる。

「ふん!いっ、言ってなさいよ……観念するのは、あんた達よ……」

 下を向いていた明日香が、真っ赤になった顔を挙げ、権蔵を怒りに燃えた目で睨み付ける。

「なんだと……」

 明日香の言葉を聞いて、二匹が明日香を睨み付ける。

 次の瞬間、権蔵と小六の頭に、直径二十cmぐらいの石が同時に落下した。

「ぐっ!」

「げっ!」

 突然の激痛に二匹は倒れ、頭を抱えながら地面に転がる。

 直径二十cmの石の重量は、まず球体として考えた場合、体積が、3*π*半径の三乗を4で割ると、約0.00419立方mとなり、次に、石を一般的な花こう岩と仮定すると、単位体積重量は一立方m当たり約2.5~2.8屯で、この石の重さは、約10kg~12kgとなる。

 要するに、明日香は自分の能力いっぱいの力を、怒りに任せて引き出し、差し上げた手の上五十cmから、二匹の強姦魔の頭上に石を落下させた。

 明日香と化物達との身長差を考慮し、差し上げた手の上五十cmまで張られた明日香のフィールドの上端から、化物達、二匹の頭上までの距離を約七十cmとすると、この時の石の落下する運動エネルギーは、空気抵抗を考慮しないとして……皆さん退屈そうなので止めます。

 二匹が倒れ、明日香はその場にへたり込み、肌蹴た制服を掴み寄せ胸を隠す。

 そして、恨みの篭った目で地面に(うずくま)っている二匹を睨み付けると、

「よくも……乙女の胸を陵辱してくれたわね……」と、残酷な笑みを浮かべて立ち上がった。

「ううう……」

 小さな唸り声を上げて、うつ伏せで頭を抱えながら(うずくま)っている二匹の後ろから近付くと、

「しねっ!」と、叫びながら、尻を上げている権蔵の股間を思いっきり蹴り上げた。

「ぶっ!」

「おっまえもぉおぉ、しねっ!」今度は、小六の股間を蹴り上げる。

「ぶっ!」

「しね!しね!しね!しね!」……明日香は二匹の股間を交互に蹴り上げる……書いてて辛い

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 明日香は蹴るだけ蹴って、少しは怒りが収まったのか、白目を向いて完全に悶絶して動かなくなった二匹を、肩で息をしながら見下ろしていた時、

「あっ!」と、龍士の事を思い出した。

 明日香が龍士に駆け寄り、倒れている龍士の脇にしゃがみ込んで、

「稲葉君!稲葉君!稲葉君!しっかりして!」と、声を翔けながら龍士を揺り動かした。

 揺り動かしても気が付かない龍士に、

「起きろおぉぉ!稲葉あぁ!」と、明日香は叫びながら往復びんたを三往復食らわした。

「うっ……」

 気付いた龍士を見て、

「急いで!逃げるわよ!」と、龍士の手を引っ張る。

 その時、龍士が明日香の破れた制服に気付いて、

「あっ、おい、それ、大丈夫か!」と、驚きながら心配そうに尋ねた。

「見ないでよ!……心配しないで、まだ、処女よ」

「あっ……」怒りながら、あっさりと答えた明日香の言葉に、龍士は赤面する。

「それより、急いで!」

「えっ?あ、あいつらは?」

 何が起きたのか分からない龍士が、明日香に尋ねると、

「其処に転がっているわよ」と、顎で二匹を指した。

 龍士が立ち上がり、二人は倒れている二匹に近付いた。

 倒れている二匹を呆然と眺めながら、

「あっ……これ、橘がやったのか?」と、龍士が尋ねた。

「そうよ……」

 明日香はそう答えると、二匹の脇にしゃがみ、二匹の腰から刀を取り上げた。

「ほら、これ持って」

 差し出された刀を見て、

「えっ?」と、龍士は戸惑う。

「早く!それと……これで二匹を木に縛り付けて!」

 明日香が、二人の腰に下げていた、コンパクトに巻かれた捕縛紐を取って、龍士に差し出した。

「う、うん……」龍士は、刀と紐を受け取って頷いた。

 明日香は刀をスカートのベルトに差して、辺りを見回す。

 龍士は一匹づつ木の側へと運び、紐で後ろ手に木へと縛り上げた。

「縛ったよ」龍士は立ち上がり、自分も刀をベルトへと差した。

 明日香は、木に縛られた二匹を見て、

「行くわよ」と、言って、元進んでいた方角へと走り出した。

「あっ、待ってよ!」走り出した明日香を見て、龍士も慌てて後を追った。

 二人は足元の悪い中、全力とは行かないまでも、結構早いスピードで走っている。

 しかし、何の正式な訓練も受けていない基礎体力の無い二人は、五分もしないうちに、ジョギング程度のスピードに落ちた。

 そして、前を行く明日香が歩き出したのに続いて、龍士も歩き出した。

 二人は、肩で大きく息をしながら、ゆっくりと歩いている。

 明日香は、前が破れた制服が気に成るのか、時折、胸を隠す様に制服を引き寄せている。

 それに気付いた、後ろを歩いている龍士が、自分のブレザーを脱いで、

「橘、これ……」と、言って、明日香に追い付く。

「えっ?」

 何の事かと明日香が立ち止まって振向くと、

「これ、着とけよ……」と、言って、龍士が明日香の肩にブレザーを掛けた。

「あっ……ありがとう……」

 明日香は肩越しに龍士を、少し照れる様に見ながら礼を言った。

「うん」

 笑顔で頷く龍士の前で背中を向けたまま、明日香はブレザーに手を通しボタンを止めると、何故か、じっと動かなくなった。

「橘?」

 黙ったまま動かない明日香が気になり声を掛けると、明日香は小さく肩を震わせていた。

 そして、胸の前で腕を交差させ、自分の肩を掴んで身を縮める。

「橘……どうかしたのか?」

 そんな明日香が心配になり、龍士が再び声を掛けると、

「わあぁぁぁぁぁぁ!」と、突然、天を仰いで大声で泣き出してしまった。

「えっ!」突然の事に驚き、龍士が一歩下がる。

「わあぁぁぁん!ごわがったよおうぅぅぅ!」

 明日香は泣きながら、その場にぺたっと、へたり込んだ。

「た、橘……」龍士が戸惑いながら、明日香の前へと回る。

「ひっく、ひっく……えぇぇぇん!ごわかったあぁぁぁ!」

 時折、息継ぎの休憩を入れながら、明日香は体を震わせ、小さな子供の様に泣いている。

 その姿を見て、出合って初めて会話を交わした時から、完全に明日香に主導権を握られていた龍士は、初めて明日香がとても可愛く思えた。

 思い起こせば、蹴られ罵られ、馬鹿にされ……美少女だからと言って、いい気になるなよ!と言いたくなる、高びー(死語)な明日香。  (高びー → 高飛車)

 何時も、自分の意見を押し付け、反論を許さず、強引で頑固……何でこんな女に憧れたのかと後悔した龍士……

 だけど、化物達に襲われている時は、その気の強い性格からか、一滴の涙も流さなかった明日香が、落ち着いた今、一気にその時の恐怖がぶり返し、堪え切れずに大声で泣いている。

 龍士に見られて居る事を気にせず、怖かった思いに体を震わせながら、形振り構わず泣いている。

 そんな、明日香の〝女〟の部分を間近に見て、龍士は、美少女として憧れていただけの明日香が、とても可愛い女の子に思えて来た。

 大きな目から滝の様に涙を流し、大きく口を開けて鼻水を垂らしている明日香に、

「もう、大丈夫だよ……」と、優しく声を掛けながら、龍士はポケットに手を突っ込み、ハンカチとポケットティッシュを取り出し、明日香の前にしゃがんで、

「ほら、もう、怖く無いから……」と、小さな子供をあやす様に、優しい笑顔を浮かべながら、明日香の涙を拭いた。

 微笑む龍士の顔を上目遣いの目で見ながら、明日香は少し落ち着いたのか、

「ひっくッ……ヒックっ……ウっく……」と、泣声が止まり、しゃくり上げている。

「ほら……鼻をかんで」

 龍士がティッシュを取り出し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしている明日香に手渡すと、

「びぃぃぃ!」と、明日香は勢い良く鼻をかんだ。

 鼻をかんで、すっきりしたのか、明日香は鼻を少し赤くして泣き止んだ。

 まだ目に涙を貯めながら、龍士の前で、自分を曝して泣いた事が恥かしかったのか、明日香は顔を赤らめ俯いて、

「あ、ありがとう……」と、唇を尖らせながら、小さな声で礼を言った。

「うん」明日香から素直に礼を言われて、龍士は笑顔で満足そうに頷いた。

---◇---

「えっ、分るのか?」

 驚ろきながら邦彦が亜美に尋ねると、亜美はこくりと頷いた。

「おい、三輪、山添には結界が見えるそうだ」

 翔子は岩にもたれ掛かり座って、抜け殻の様に虚ろな目で空を見ていた。

「三輪……」そんな翔子を見て、邦彦は心配そうに翔子に声を掛ける。

「ショックだったのは分るけど……あいつが倒れている場所から五百mも離れていないんだ、早く移動しないと……」

 話しかける邦彦の言葉に、何の反応も示さない翔子を見て、

「三輪!」邦彦は思わず翔子の肩を強く揺する。

 魂が抜けた様に翔子は、邦彦が揺するのに体を任せ、かくかくと首を振っている。

「なあ、三輪……河童がお前を庇って死んで、悲しいのは分るけど。河童達は、なんでお前を庇ったんだ?お前に生きて欲しいからだろ……だったら、お前は、生き延びる努力をしなきゃ河童達に申し訳ないだろ」

 翔子を諭す様に邦彦が説得すると、

「何も、してあげられなかった……私……何よ、あいつら、馬鹿で、お人よしで……助べえで……だけど、私の我がまま聞いてくれて……食べの集めてくれて……なのに私、何もしてあげる事が出来なかった……」空を見詰めながら呟く翔子の目から、一筋の涙が零れた。

「そうだな……後悔って、そんなもんだよ……」と、邦彦が翔子に優しく言った。

「とにかく、此処を離れよう。山添が河童達が進むのを見ていて、結界の見かたが何となく分ったらしいんだ」

 亜美と話して、何とか迷わずに進めそうな事を邦彦が説明すると、邦彦の後ろから、

「あ、あの、自信無いんだけど、あ、あの私、がんばるから……だから、三輪さんもがんばって、一緒に帰ろ……」と、普段は無口な亜美が、両手に握り拳を握り締め、一生懸命翔子を元気付けた。

 そんな亜美の姿を見て、

「ふっ……」と、小さく溜息を付いて、

「そうね……助けてもらった命……大切に使わないとね」と、少し笑みを浮かべながら立ち上がった。

「そうだな、何時かは俺達も死んで、あの世であいつ等に会ったら、笑って話せる様に生きないとな」

「ええ……」そして、三人が向かい合って、にこりと微笑んだ。

 三人は邦彦を先頭に、真ん中に亜美、そして後を翔子が一列になって、岩肌の見える斜面沿いに歩いている。

 辺りを警戒しながら進む邦彦は、蛟の事も気になり、時折後ろも警戒している。

 そんな邦彦が、何かの気配を感じ立ち止まる。

「どうしたの……」翔子が心配そうに声を掛ける。

 木々で見通しが悪い中、邦彦が森の中を覗き込み、暫く探ってから、

「気のせいかな……」と、進む方向に向き直った時、木々の間に遠くの方で動く物が見えた。

「あっ……」邦彦に緊張が走る。

「何、どうしたの?」翔子が、邦彦の横に付き、木々の間に目を凝らす。

「あっ……」翔子にも、其の動く物が確認出来た。

「やばいな……なんだろう……」

 邦彦が動く物を見ながら考えていると、

「とにかく、何処かに隠れるか、逃げないと」と、不安で顔を青ざめながら翔子が言った。

「そうだな……」

 そう言って、邦彦達が振り向いた時、ばきばきばきっと、凄い音を上げて、目の前の木が倒れた。

「わっ!」

「きゃ!」三人は突然の事に驚き、腕で顔を防御しながら一歩引いた。

「へへへ、見つけたぞ……」

「わあぁ!」

「きゃあぁぁ!」

 木々を薙ぎ倒し、現れた蛟に、二人は驚き声を上げた。

 亜美は、流石になれて来たのか、今回は気絶しないで、ただ体を硬直させて震えている。

「よくも……よくも……やってくれたのぅ……」

恨みの篭った右目で翔子達を睨み付ける蛟は、翔子と邦彦の静電気砲を食らって、まだ口から血を流し、更に、あの時は気付かなかったが、左目も怪我をしているのか、瞑ったままの左目から血が流れていた。

「今度こそ、食ってやる……」

 蛟はそう言いながら、よたよたとした足取りで、翔子達に近付いて行った。

「田原本君!フィールド張って!もう一度やって見るわよ!」

 そう言って翔子が邦博の後ろで、右手にフィールドを張って静電気を溜める。

「おお!」邦博は翔子に言われて、さっきと同じ様に自分の前面にフィールドを張った。

「しゃあぁぁぁ……」気味の悪い声を上げて蛟が三人に近付いて来る。

 邦彦は大の字に蛟の前で立ち塞がり、フィールド張って立っている。

 翔子は静電気を溜めて、蛟の頭を狙い拳を構える。

 亜美は固まっている。

「先手必勝!」翔子は叫んで、拳を邦彦の肩越しに蛟へと向かって放った。

 翔子の拳が、邦彦のフィールドで止まって、二人のフィールドが干渉し光を放ち、そのまま、光は収まり、それっきり何も起きなかった。

「へっ?」

「えっ?」何も起きない事に、二人の目が点になる。

「そんな……」と、呟き翔子が拳を見詰める。

「しゃあぁぁぁ……」蛟が更に近付いて来た。

「三輪!もう一度だ!早く!」

 邦彦が近付く蛟を見ながら、焦って翔子を急かした。

「えっ?ええ……」

 急かされても、何故、今回は何も起き無いのか分らない翔子は、戸惑いながらも拳を構え直し、再び蛟の顔目掛けて静電気を溜めた拳を放った……が、やはり、フィールドが干渉して光るだけで、何も起きない。

「な、何でよ!」翔子は、叫びながら再び連続で拳を放つが、何も起きない。

「だ、駄目だ!山添、こっちに来い!」

 邦彦が諦め、慌てて亜美を呼んで、固まっていた亜美が我に帰り邦彦の後ろへと付くと、邦彦は皆を囲う様に体の全周囲にフィールドを張り直した。

 ある程度経験を積んで、バリヤーの効果に自信が出来て来た邦彦だったが、今の不発で、一気に不安が大きくなった。

 迫る蛟に、三人は恐怖に身を縮める。

「なんじゃ……違ったか……」

「えっ?」

 緊張に包まれた三人の横に、何時の間にか大きな白狐が立っていた。

「なっ!」蛟に気を取られ、さっき見えた影の事をすっかり忘れていた三人は、馬より二周りも大きな巨大な白狐を間近に見て、腰を抜かさんばかりに驚いた。

「人の気配がする故……来て見たが……」と、白狐が何かを口に咥えたまま呟いていると、

「何者じゃ!そいつらは、わしの獲物じゃぞ!」と、蛟が声を上げる。

 血だらけの口を大きく開ける蛟を見て、

「ふん、別に邪魔する気は無い……」と、白狐は、そのまま通り過ぎようと歩き出した。

「……稲葉殿達は……」

 白狐が三人の側を通り過ぎる瞬間呟いた言葉を、翔子は聞き逃さず、

「稲葉君を知っているの!」と、過ぎ去る白狐に向かって叫んだ。

 翔子の言葉を聞いて、白狐は立ち止まり、

「何?」と、振り向いた。

「邪魔をするな!」立ち止まった白狐目掛けて、蛟が大きく振り上げた尻尾を振り下ろす。

「ふん……」白狐は、それを難無く横に飛び退いて躱と、三人の方へ向き直り、 

「尋ねるが、お主等は稲葉殿を存じて居るのか?」と、尋ねた。

 何故、白狐が龍士の事を知っているのか分らないが、三人は無意識にうんうんと白狐に向かって頷いた。

「そうか」と、白狐の顔がほころんだ時、

「おのれ!邪魔じゃあぁぁ!」と、叫びながら蛟が、後ろを向いている白狐の背中へと、再び尻尾を振り下ろした。

 バシッ、と乾いた音が響き、蛟の尻尾が白狐にヒット……せずに千切れ飛んだ。

「稲葉殿の身内なら、加勢いたす……」そう言って白狐は、爪を伸ばし蛟の尻尾を切り落とした右前足に付いた血を振り払う。

「ぎゃあぁぁぁ!」尻尾を切り取られ、蛟が痛みで其の場に転げ回る。

「このまま、立ち去ればよし、さもなくば……」

 白狐が転がる蛟に向かって言うと、蛟は転がるのを止め、白狐を睨み付けると、

「やかましいぃぃ!」と、叫びながら、白狐に噛み付こうと飛び掛った。

 次の瞬間、蛟の首が血を撒き散らしながら空を舞った。

 首から血飛沫を上げ、勢いの付いた蛟の体が白狐を通り過ぎ、首が地面に落下した時、蛟は塵と成って消えた。

「愚かな……」消えて行った蛟の方を横目で見ながら、白狐は右前足の爪を引っ込めた。

 余りの速さに、白狐が何をやったのか見えなかった三人は、唖然と蛟が消えて行くのを見ていた。

 暫くして、

「田原本君!バリヤー解いて!」と、翔子が声を上げる。

「えっ?」

「早く!」

「でも……」

 翔子が強く要求するが、邦彦は側の白狐に警戒して、バリアーを解く事を躊躇っている。

「いいから、早く!」

 翔子が邦彦を睨み付けて叫ぶと、

「分った……」と、行って邦彦は渋々バリアーを解いた。

 バリアーが解かれた瞬間、翔子は白狐へと走り出す。

「おい!三輪!」その、突飛な翔子の行動に、邦彦は慌てて声を掛ける。

 翔子は白狐に駆け寄り、白狐の前足にしがみ付き、白狐の顔を見上げながら、

「ありがとう!」と、涙を流しなが礼を言った。

「礼など良い、お主等が稲葉殿の知り合いだと聞いて味方したまでじゃ」

 翔子を見下ろし、白狐が何でも無いかのようにあっさりと言うと、

「違うの!」と、翔子は強く首を横に振った。

「河童達の……友達の仇を討ってくれて……ありがとう……本当にありがとう……」

 涙を流しながら礼を言う翔子を、白狐は不思議そうな顔で見ていた。

 白狐が、どうやら襲って来ない事を理解した邦彦は、恐る恐る白狐に近付く。

 亜美も邦彦の制服の裾を掴んで後ろから付いて行く。

 邦彦は、白狐との安全距離を取って、

「稲葉と橘を知っているのか?」と、恐る恐る尋ねた。

「知っておる、稲葉殿には恩が有る」

 白狐の言葉の意味が良く分からなかったが、邦彦は白狐には襲う気が無いと判断し、

「二人は無事なのか?」と、白狐に近付きながら尋ねた。

「分からぬ……今朝までは一緒に居ったが……逸れてしもうて……」

 白狐はそう言うと、全身を青白く光らせた。

「あっ!」しがみ付いていた翔子が白狐から離れ、慌てて後退る。

 白狐は光と共に小さくなって行き、光が固まると、其処には翔子達と同じ歳ぐらいの白装束をまとった少女が立っていた。

「あっ……」その非常識な光景を、三人は驚き唖然と眺めていた。

「我は大台の葵と申す。よろしゅうにな……」

 少女は、にっこりと微笑みながら、三人に向って挨拶をした。

 それから三人は自己紹介をして、龍士達の友達だと告げると、その場に座り、葵は龍士達に出会い龍士に怪我を治してもらった事を説明し、隠里へと皆が巻き込まれた経緯を説明した。

 そして翔子は、隠里に来てから河童達に世話に成った事を説明した。

「そうか、それで……お主達にとって大切な友であったのだな……」

 葵は翔子の話を聞いて、翔子が泣いて礼を言った理由を知った。

「ええ、蛟が死んで復讐出来たのが、せめてもの弔いに成ったと思うの」

「それはどうかの……復讐など死者への弔いにはなるまい……結局は、生き残った者が恨みを晴らすが為の自己満足に過ぎぬ」

「だけど……」

「復讐は復讐を生む……負の連鎖じゃ。結局は、どちらかが滅ぶまで、いがみ合う事となる……虚しい事じゃ……」

「それは、そうだけど……」

「忌まわしい鎖を誰かが断ち切らねば成らぬ……それは、並大抵の事ではないがな……」

 そう言って葵は、何かを懐かしむ様に、木々の間から僅かに見える空を見上げた。

 そして、少し目を潤まして、

「死んで行った大切な方に、恥じぬ生き方をする事……それが(まこと)の弔いじゃ……」と、静かに呟いた。

 葵の言葉を聞いて、

「ええ、そうね……」と、翔子は素直に頷いた。

「では、稲葉殿達を探しに行くか……」

 そう言って立ち上がった葵に、

「一緒に行ってくれるのか?」と、邦彦が期待を込めて尋ねた。

 葵は、邦彦の顔を見て、

「ああ、稲葉殿には恩が有る、其の上橘殿とは、友の契りを交わした……捨てては置けぬ」と、微笑みながら言って、

「されど、我は追われる身……お主達にこれ以上の迷惑を掛ける訳にも行かぬ故、追っ手が来れば我は消えるがな……」と、微笑みに悲しみが滲んだ。

---◇---

「落ち着いたか?」

「うん、もう大丈夫よ……」

 二人は、大きな落石と斜面の間に出来た隙間に隠れて、並んで座っていた。

「でも、何よあれ……」

「あれって?」眉を顰めて尋ねる明日香に、龍士は質問の意味が分からずに問い直した。

「あんな枝一つで、あいつらと戦う気だったの?馬鹿じゃないの?」

「ばかって……あのね、俺だって必死だったの!橘を助けたくて、他に思い付かなかったんだよ!」

 せっかく明日香を助け様と、自分としては二百%の勇気を振り絞った積りだったのに、明日香に馬鹿にされて、龍士は腹を立てて抗議した。

「でも結局は、あっさりやられて、殺される所だったのよ」

 抗議する龍士を、冷たい視線で眺めながら明日香が言うと、

「うっ……それはそうだけど……」と、一旦は言葉を詰まらせたが、

「でもさ、そんな言い方って無いよ!せっかくの努力をさ……そんなのてっ、友達失くすよ!」と、気を取り直して、再び明日香に抗議した。

 龍士の言葉を聞いて、明日香は急に表情を強張らせ、ぷいっと横を向いて、

「どうせ、私は嫌われ者よ……」と、呟いた。

「えっ?」

 明日香にそっぽ向かれ、龍士は後悔して、

「あっ……あの、ごめん……言い過ぎた……かな?」と、明日香に謝った。

 この場合、完全に龍士は悪くは無いのだが、気の弱い龍士は、この気不味い雰囲気に耐え切れずに、つい謝ってしまった。

「あの……」

 黙ってそっぽを向いている明日香が気になり、龍士は恐る恐る明日香の顔を覗き込むと、

「あっ……」明日香の顔を見て龍士は驚いた。

 明日香は寂しそうに涙を流していた。

「あっ、ごめん!あの、そんな、泣かす積りじゃ……ごめん……」

 泣いている明日香に戸惑い、龍士が誤ると、

「馬鹿……貴方のせいじゃ無いわよ……」と、明日香が不機嫌そうに言った。

「えっ?」

 二人の間に長い沈黙が続いた。

「あのね、私……中学の時は、除け者だったの……」

 沈黙を破って、明日香が関しそうな表情を浮かべながら、話し出した。

「えっ……」明日香から意外な言葉を聞いて、龍士は戸惑っている。

「……そうね、葵さんと同じよ……私も、親の犠牲者なのよ……」

 膝を抱かかえ、抱えた腕に頭を横たえて、静かに話す明日香を、龍士は黙って見ている。

「私ね、中学一年の時に付き合っていた男の子が居たの。同級生で斑鳩の幼稚園からずっと一緒だった子で、家も近所で、親同士も同級生で……其の子、結構かっこ良かったのよ、背も高くって、陸上部で活躍してて、頭も良くて成績が優秀で、優しくて明るくて人気者だったの」

 龍士にとっては、糞面白くない明日香の昔話を聞かされて、その話に出て来る、有り得ないだろうと言うぐらい完璧な主人公に龍士は強く嫉妬した。

「その子のお父さんは、会社を経営していたんだけど……不況で、仕事が上手く行かなくて、経営が苦しくなって……私のお父さんの銀行にお金を借りようとしたんだけど……」

「えっ?お父さんの銀行……って、勤めている銀行?」

「ううん、お父さんの経営している銀行」明日香はそう言って、龍士の方を向いた。

 初めて知った明日香の家庭の事情に、龍士は驚く。

「えっ……凄い……それって……どの銀行?」

「あっ、地方銀行よ。斑鳩銀行って」

 なんでも無いかの様にしれっと言う明日香に、龍士は目を丸くする。

「お爺ちゃんが会長していて、お父さんが頭取なの。お爺ちゃんは系列の十五の企業を束ねる斑鳩グループの総帥で、斑鳩大学の理事長もしているの……因みに、私達の高校の理事長は、お父さんの妹……つまり、私の叔母さんよ」

「……」明日香の壮大なスケールの話を、龍士は、ただ大きく口を開けて聞いていた。

 話には聞いていた、何処かには居るはずの大金持ちの一族が、意外と身近に居た事に龍士は驚いている。

「結局お父さんの銀行は、お金を貸さなかった……それまでは、ずっと取引はしていたんだけど、追加融資はしなかったの。それで、その子のお父さんの会社は倒産して、私のお父さんの銀行が、家や会社を差し押さえて……その子は、転校して行ったわ……」

「そんな……」悲しそうに話す明日香の話を聞いて、龍士は何と言って良いのか分からない。

 まだ高校一年生の龍士にとって、大人の社会のシビアさが、ただ残酷にしか聞こえない。

「それでね……それで……その子と最後にあった時……あんなに好きだったのに……私の事、好きだって言ってくれてたのに……私の顔を……二度と……見たくないって……」

 明日香は其処まで言うと、顔を膝を抱えた腕に埋めた。

 明日香は泣いているのか、小刻みに肩を震わせている。

 暫くして、明日香は涙を指で拭いながら、顔を上げると、

「それで、その子が転校してから、クラスで変な話になっちゃって……私のお父さんが、その子の家も、お父さんの会社も取り上げたって……私のお父さんのせいで、その子が転校したって……二年生に成った時には、皆は私を避ける様に成ったの……あの子人気者だったから……だから……私、そんな雰囲気が嫌で……だから余計に意地張って……だから余計に嫌われて……」目に涙を貯め、遠くの方を見ながら話した。

「皆、私の事知ってるから、あからさまな苛めは無かったけど……結局、苛めよねこれって……私、何もしてないのに……私、何も悪くないのに……理不尽よね、お父さんのせいで、皆から嫌われるなんて……そうよ、お父さんが悪いのよ……何時も勝手な事ばかりして……私、あの子に頼まれて、お父さんにお願いしたのに無視して……お父さんが悪いのよ……」

 最後は、呟く様に話す明日香の話を聞いて、

「そんなの間違ってるよ……」と、龍士は明日香の顔を見ながら言った。

「えっ……」龍士の言葉を聞いて、明日香は龍士へと振向いた。

「大人の事情って、まだ俺には良く分からないけど……確かに残酷な話だと思うよ……だけど、橘のお父さんにも事情があるだよ……」

「なによそれ……」

「俺のお父さんも、社長なんだぜ」訝しそうに眉を顰める明日香に、龍士は明るく言った。

「従業員五十人程の、小さな建設会社なんだけど……もしかして、橘のお父さんの銀行にも、お金借りてるかもね……お父さんがね、前に言ったんだ『社長の仕事って何か知ってるか?』って」

「社長の仕事?」

「うん、俺まだ中学生だったから良く分からなかったけど、毎日夜遅くまで働いているお父さんを見て、社長って威張っているだけじゃ無い事ぐらいは分かってたけど……お父さんが教えてくれたんだよ『社長の仕事は、従業員に給料を払う事』だって」

 明日香は龍士の話を黙って聞いている。

「きっと、橘のお父さんだって同じだと思う。もし、お金を追加で貸して返って来なかったら……可哀そうだとか、そんな事で社長が勝手な事をしてたら、橘のお父さんは、銀行の従業員さん達に給料払えなくなっちゃうよ……」

「だけど……」

「橘がお父さんの事、信じて上げなきゃいけないんじゃないのか?そりゃ、苛められて辛かったのは分かるけど、まず、橘がお父さんの事信じて上げなきゃ……一生懸命、俺達子供の事を思って働いてくれているお父さんの事を信じて上げなきゃ」

 龍士が訴える様に明日香に向って言うと、

「あんな人……信じられないわよ……あんな女と再婚して……信じられないわよ!」明日香は、最後に拳を握り締めて叫んだ。

「そんなの……そんなのって悲しいよ……お父さんが可哀そうだよ」

 龍士が悲しい表情で明日香に訴えると、

「でも、そのせいで、私は苛められて……好きだった子にも嫌われて……親同士が勝手に何しようが構わないわよ!何で私が巻き込まれなきゃいけないのよ!好きだったのよ、私!本気で好きだったのよ!なのに、最後にあんな酷い事言われて!」明日香は、泣きながら龍士に叫んだ。

 涙を流しながら龍士を睨み付ける明日香を見て、龍士は、

「じゃあさ……なんでその男の子は、橘の事、信じてくれなかったかな」と、静かに言った。

「えっ?……」龍士の言葉に、明日香は驚いた様に涙を溜めた目を大きく見開いた。

「どうして、好きな女の子の事信じられなかったのかな……葵さんだって、時貞さんの事信じたじゃないか。時貞さんから、最初は葵さんを利用する為に近付いたって聞いても、葵さんは時貞さんを信じたんだよね……親同士が、いがみ合って居ても、葵さんは時貞さんの事、信じたんだよね……それは、葵さんが時貞さんの事、本気で愛していて、時貞さんも葵さんの事を、本気で愛しているって知っているから、信じられたんだろ……」

 淡々と話す龍士の言葉を聞いて、明日香は黙って俯いた。

「好きだった女の子に、顔も見たくないなんて……酷いよ、橘のせいじゃないのに……その子、本当に橘の事、好きだったのかな……」

「やめて!」俯いていた明日香が、急に顔を上げて叫ぶ。

「止めないよ!」龍士も負けじと叫び返す。

「ねぇ、辛いだろ……好きな子に信じてもらえなんて……橘のお父さんだって一緒だよ。自分の娘に信じてもらえないなんて……そんなの辛いよ……」

 龍士の言葉を聞いて、明日香は黙ってしまった。

 中学生の時、付き合っていた男の子……愛し合っていると信じていた男の子……それなのに、最後に酷い言葉を残して分かれた男の子……まだ幼かったとは言え、真剣に好きだった明日香の恋愛を、完全に否定する様な龍士の言葉が、明日香には痛かった。

 気まずい雰囲気の中、二人は黙って膝を抱えて空を見詰めていた。

---◇---

「信綱殿!」

 遠く背後から聞こえる声に、小隊の先頭を行く信綱が空中で静止し、後ろを振り返る。

 遠くから近付く影に気付き、

「おお!多門次殿!」と、大きく手を振り上げる。

 多門次は、信綱の側まで来ると、

「久しいのう!」と、笑顔で信綱の肩を抱いて、

「おお、一年ぶりかの」と、信綱も笑顔で多門次の肩を抱く。

「お主が居ると言う事は、道真様が来られて居るのか?」

「うむ、時康様も、憲正様も来られて居る」

 笑顔で話していた多門次が、

「何と、そんな大仰(おおぎょう)な……伊予十二神将の方々が御三人も……」と、驚いた。

「我も聊か大袈裟過ぎるとは思うが……例によって我が主が、時康様に物申しての……抜き足成らぬ様になってな」

 何時もの事だと、信綱が呆れる様に言うと、

()も有りなん、憲正様が居っては……時康様と憲正様とでは、道真様も目を離す訳には行かぬな……」多門次も仕方が無いと、眉を潜める。

「おお、そうじゃ、そう言えば、お主は最初から葵を追って居たのであったな」

「ああ、そうじゃが……」

「では、刑部様よりの下知が伝わってはおらんだろう」

「なんじゃ……下知とは……」信綱の話を聞いて、多門寺は驚いた様に尋ねた。

「刑部様は、葵が下手人とは腑に落ちぬと言われ、事の次第を知って居るはずの葵は、殺すなと命ぜられた」

「おお、流石は刑部様……遠くに居られても、ご洞察が鋭い……」

 感心する多門次を見て、

「なんじゃ、お主も葵が下手人では無いと……」と、多門次の顔を覗き込む。

「う、うむ、我も腑に落ちぬ……」

 多門寺は信綱に尋ねられて、何故か、ぎこちなく目線を逸らす。

 そんな多門次を訝しむ目で見ながら、

「されど、お主が見たと報告したのであろう?違うのか?」と、尋ねた。

「我は見た通りに報告したまでじゃ。若が身罷われる時、側に葵が居ったのは事実……我は葵が手に掛けたとは申しては居らん」

「成る程な……それで我が主も、腑に落ちぬと申されたのか……」

「なんと、道真様も……」

 思慮深い賢者の誉れ高い道真の言葉に、多門次は顔を明るくする。

「我はな、下手人は他に居ると確信しておる」

 硬い表情で、眉を顰める多門次を見て、

「なんと……」と、信綱は驚いた。

「あの日……男刀を持った葵を、源一坊と共に捕らえ様とした時、何かの気配を感じ空を見れば、何者か分からぬが、黒い影が飛んで行きよった……」

「なんじゃ……それは……」多門次の話に興味を引かれ、信綱が多門寺に顔を近付ける。

「分からん……我は源一坊に葵を任せ、影を追ったが見失い、ちょうど陣屋の側まで来て居ったので、手勢を集めんが為、陣屋へと戻ったんじゃ」

「そうか……」期待はずれの言葉に、信綱は詰まらなさそうに顔を戻す。

「陣屋には、時康様がお着きになって居られて、我はご報告申し上げ、恭介と平太に、兵を引き連れ源一坊に加勢する様に命じてから、佐助を伊予へと飛ばした。そして、其の後、我も時康様に命ぜられ葵を追った」

「ううむ……」信綱は、多門次の話を聞いて、腕を組んで考え込んでいる。

「なあ、多門次殿……結局は、その不審な影は、陣屋の側で消えたと言う事か……」

「なに……」信綱の言葉に、多門次は驚いた様に目を向ける。

「速き事、風の如き多門次殿が追いつけぬとは……其の者、ただ者ではあるまい……」

「うむ、何が言いたい……」多門次は、信綱を眉を顰め睨み付ける。

「何故、時康様は遅れてお着きに成った……」

「……お主……」

「時貞様は、御刀を清める為に、既に五十鈴川で(みそぎ)を済まされて居たと言うのに……」

「何が言いたいのじゃ……」多門次が、信綱を睨みながら言い寄る。

「……元より、あまり中がよろしく無かった御兄弟……昨今、特に言い争いが絶えなかったとか……」睨み付ける多門次を睨み反しながら、信綱は呟く様に言った。

「滅多な事を口にするな……」多門次が信綱の胸倉を掴んで睨み付ける。

「……」そんな多門次を、信綱は無言で睨み返す。

 そして、暫くして、

「すまぬ……忘れてくれ……」と、信綱は多門次から目線を逸らす。

 信綱の言葉を聞いて、多門次が手を放し信綱から離れ、

「……とにかく、葵を捕らえねば話にならん……」と、信綱に言うと、

「……そうじゃな……」信綱は、眉を顰め頷いた。

---◇---

「中学二年生の時、亜美ちゃんとクラスが一緒になって……あの子も除け者にされていたわ」

「山添も……」明日香の話を聞いて、龍士が少し驚いた様に明日香の方を見た。

「あの子……人の感情が見えるでしょ。小学校低学年の時なら、そんなに気に成らなかったみたいなんだけど、四年生の時に先生に言っちゃったのよねぇ……朝、皆の前でニコニコしながら亜美ちゃんに、おはようって声を掛けた先生に、どうして怒ってるの?って、何も考えないで言っちゃったのよねぇ……其の時、先生は驚いて、何言ってるのよ!って怒鳴って……後で聞いたら、恋人と喧嘩別れしたみたいでさ……」

「ばれちゃったのか?」

 膝を抱かかえながら、静かに話す明日香に、同じく膝を抱えて座っている龍士が尋ねた。

「ううん、直接ばれた訳じゃ無いけど……そんなのが何度か有って、皆が亜美ちゃんの事気味悪がって……亜美ちゃん自身、やっと、それは言ってはいけない事だって気が付いたんだけど……既に、皆は亜美ちゃんを避ける様になったって……家族との会話でも、時々、両親にそんな事言っちゃいけませんって、言われて居たんだけど、あまり気にしていなかったみたいで……」

「そうだったの……」

「元々、明るい子だったみたいよ……だけど、それ以来、あんなに引っ込み思案になっちゃって……辛いのよ、仲間はずれにされるって……稲葉君が思っている居る以上にね……」

 そんな苛めの経験の無い龍士にとって、経験者の明日香の言葉は重かった。

「中学に進級したら状況も変わるだろうって思ったけど、結局変わらなくて、亜美ちゃん、とうとう拒食症になって、お花畑が見える寸前まで行ったんだって……」

「壮絶だな……」

「何とか持ち直して……転校も考えたみたいで……だけど二年で私と出会って、何とか二人で励まし合って頑張って……其の頃よ、お互いが超能力者だって分かったの」

「そうだったのか……」

 人と言うものは幼い頃でも、少なからず裏表と言うものがあるのに、大人となれば其の落差は大きい。

 亜美の能力は、成長すればするほど辛い物になって行く事に龍士は気付いた。

「熱くなって来たね……」明日香が高く上る太陽を見て言った。

「そうだね……」龍士も外を見上げる。

「中のベスト脱ぐから、ちょっと外に出てくれない?」

 明日香が龍士に向って言うと、

「あっ、分かった」と、言って、龍士は立ち上がり岩の隙間から外に出た。

「あまり遠くに行っちゃ駄目よ」

 明日香が中から声を掛けると、

「分かってるよ」と、龍士は答えた。

 龍士が外で待っていると、遠くの方に人影が見えた。

 一瞬、龍士に緊張が走り、使えもしない刀の柄に思わず手が行った。

 龍士が緊張しながら人影を見ていると、見覚えのある白い着物を着た、女性らしい人物が認識出来た。

「あっ、あれ?葵さん?」龍士の緊張が解け、刀の柄から手を放す。

 其の時、岩の隙間では、

「これはもう使えないわね……」と、明日香が、前が破れたブラの肩紐を外して居た。

 木々の途切れた、見通しの良い向こうから、葵と思われる人影の後ろに三人の姿も見付け、

「あっ、皆!」と、龍士は思わず声を上げた。

 向こうの方で、葵が手を振っている。

「やっぱり、葵さんだ!」

 龍士は手を振りながら、皆の方に走り出すと、皆も龍士の方へと走り出した。

「皆!無事だったんだね!」

「ああ、稲葉も無事だったか!」

 龍士と、邦彦が思わず肩を叩き合う。

「葵さんも……良かった無事で……でも、なんで皆と」

「成り行きでの……稲葉殿も無事で何よりじゃ……」葵が微笑みながら龍士に声を掛けた。

「よかった、無事で……でも、橘さんは?」

 その場に居ない明日香を心配して、翔子が訪ねると、

「無事だよ、あっちにいるよ」と、言って、龍士が岩の方を指差した。

 皆が一緒に、岩の方に向って歩き出した。

「何だよ其の刀……どうしたんだ?」

 邦彦が龍士の腰の刀に気付き尋ねると、

「いろいろと有ってね……」と、龍士は照れながら頭をかいた。

 皆が明日香が居る岩の隙間の前まで来ると、

「橘はあそこに居るよ」と、龍士が指を刺した。

「橘さん、大丈夫だった?」

 声を掛けながら翔子が岩の隙間を覗き込むと、

「あっ!」

「あっ!」と、前が破れたブラウスを着ようとしている明日香と目があった。

 無用なブラを外していた明日香が、思わず破れたブラウスの前を閉じる。

 翔子は、反射的に身を引き振り返ると、ギンッと、龍士を睨み付け、

「この、けだもの!」と、龍士を罵った。

「えっ?」突然の事に龍士は驚き、目を丸くする。

「橘さんに何をしたのよ!」

「えっ?えっ?」

 叫びながら、詰め寄る翔子の言っている意味が分からず、龍士は戸惑いながら後退る。

 何事かと、思った邦彦が岩の隙間を覗き込むと、

「あっ!」と、言って顔を赤くして、直ぐに振り返った。

 そして、翔子に詰め寄られる龍士を睨み付け、

「最低だな、お前!」と、龍士を罵った。

 外の騒ぎが気になり、明日香が慌てて、龍士のブレザーに手を通す。

「こんな時に、橘さんを襲うなんて!」

「えっ?」

「同じ男として恥かしいよ!」

「へっ?」二人に詰め寄られて、龍士は、益々訳が分からずに戸惑う。

「ちょっ、ちょっと、待ってよ!何の事だよ!」

 戸惑っている龍士が堪りかねて尋ねると、

「橘さんを襲ったんでしょ!」

「へっ?」

「そんな奴だとは思わなかったよ!」

「えっ?……ちょっと、待ってよ……そんな、俺、何もして無いよ!」

 どうやら、明日香を強姦したと疑われている事に、龍士はやっと気付き、力いっぱい否定した。

「あっ!皆!葵さんも!」岩の隙間から顔を出した明日香が、皆が居る事に気付いた。

 明日香は笑顔で隙間から出て、皆の方へと向う。

「なに、言い訳してんだよ!」

 強く言い寄る邦彦に、

「してないったら、してないよ!誰があんな、ペチャパイ!」と、龍士が言い放った時、

「誰が……ぺちゃぱい……ですって……」と、殺気の篭った目で、明日香が龍士を睨んだ。

「あっ……」明日香の殺気を背中で感じ、龍士の顔が青ざめる。

 明日香は、可愛い猫さんプリントのショーツが見えるのも気にせず、大きく足を振り上げ、

「誰が!ペチャパイですって!」と、叫びながら、龍士へと回し蹴りを喰らわせる。

「あうっ!」龍士は、見事、尻に入った渾身の蹴りに、体を仰け反らせて地面に倒れる。

「だ・れ・が!ぺ・ちゃ・ぱ・い・ですって!」

「あうっ!ご、ごめんなさい!うっくっ!ゆ、ゆるして!ひっ!お、おねがい!わあぁお!」

 倒れた龍士のお尻に、怨みを込めて蹴りを入れる明日香の姿を見て、

「あっ……誤解……みたいね……」

「そう……みたいだな……」と、翔子と邦彦は素直に納得した。

 ただし、明日香に蹴られている龍士の顔が、何故か薄笑みを浮かべているのに気付き、二人は不思議に思った。

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