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第3話

---隠里---

 気が付けば、其処は森だった。

 明日香に抱き付いたまま、龍士は周囲の景色が急に変わった事が理解出来ずに、ただ呆然と辺りを見回していた。

 明日香も、抱き付く龍士の顔を押しながら、ただ呆然と辺りを見回していた。

「な、何が、ど、どうしたんだよ……此処、何処だよ……」

 顔を青ざめ呟く龍士の声を聞いて、明日香は我に返り、龍士の手が自分の掴み所の無い胸を掴んでいる事に気付き、

「ど、何処触ってるのよ!」と、叫びながら龍士を平手で張り倒す。

 バシッと、弾けた音と共に、龍士は仰け反り仰向けに倒れた。

「この変態!痴漢!スケベ!けだもの!」

 倒れた龍士の横で明日香が、あらん限りの罵声を浴びせると、

「そ、そんな!不可抗力だよ!態とじゃないよ!」と、龍士は、不名誉な罵りに力いっぱい抗議した。

「聞く耳持たん!」龍士の抗議を一喝し、明日香は身を縮める龍士のお尻を蹴飛ばした。

「変態!変態!痴漢!痴漢!けだもの!けだもの!」

 明日香は、見ている者が居れば龍士に同情すると思われる程、罵りながら龍士のお尻を蹴飛ばしている。

「あう、いや、ごめん!やめて!」

「黙れ!変態!変態!変態!変態!」

 明日香に罵られ、蹴られて、龍士は身を縮めお尻の痛みに耐えていると、

「あっ、いや、あう、うふ、わふ、わぁお……」痛みとは別の感覚が心に芽生え初めて来た。

---◇---

 軽い目眩が治まり、気が付くと見覚えの無い風景が広がっている。

 腰まである熊笹に覆われた林の中で、呆然としている邦彦の腕の中には、眠った様に気を失っている亜美がいた。

「おい、山添……山添……」

 がっしりとした体格の邦彦が、囁く様な声で呼びかけながら、触れれば壊れそうな華奢で小柄な亜美を遠慮がちに揺さぶっている。

 なかなか気が付かない亜美の顔を間近で見ながら、

「……可愛い……」出物、腫れ物所構わずと言おうか、この状況下において、邦彦は仄かに発情していた。

 そうなると、邦彦としては亜美を起こすより、このまま亜美の寝顔を見ていたいと言う思いが強く湧いて来た。

 少し頬を染めて、じっと亜美を見詰める邦彦。

 特にそれ以上の事は求め様とはせず、邦彦はただじっと亜美を見詰めている。

 そして、亜美がゆっくりと目を開ける。

 亜美は、寝ぼけた様な焦点の合わない目で暫く邦彦を見ていたが、

「いやあぁぁぁ!」と、その小さな体で、どうしたらそんなに大きな声が出るのかと思う程の叫び声を上げた。

「あっ、あ、あの、あ……」

 邦彦は、其の叫び声に驚きながら、どうしたら良いのか分らずに戸惑っている。

 叫び終わった亜美は、邦彦の腕の中で身を縮め、目を強く閉じて震えている。

「あっ、ごめん……あの、えっと……」

 怯える亜美の姿を見て、取りあえず謝った邦彦だが、其処から先、どうすれば良いのか分らず戸惑い、

「えっと……あの、大丈夫だから……」と、何が大丈夫なのか分らないが、亜美を安心させようと微笑みを浮かべる。

 しかし、亜美は目を硬く閉じ、邦彦の笑顔を見る事も無く震えている。

「あの、放すよ……立てる?その、山添、気を失って倒れたから、俺、その、だから……」

 優しく語り掛ける邦彦の言葉を聞いて、亜美はやっと恐々、目を開け邦彦を見た。

 まじかに見える邦彦の顔を見て、亜美は青白い頬を仄かに赤く染める。

 邦彦は、そっと亜美を抱き起こす様に体を起こし、地面へと静かに下ろした。

「大丈夫か?痛い所とか無いか?」

 背の高い邦彦が少し屈み込んで亜美に尋ねると、亜美は驚いた様にビクッと体を震わせ、すぐ傍にある木の陰へと隠れた。

 その様子を見て、少し残念そうに邦彦は微笑みながら、

「どうやら、大丈夫みたいだね」と、亜美に尋ねた。

 すると亜美は、木の陰に隠れたまま、顔を半分出す様にして、邦彦に目線を会わせる事無く、小さくこくりと頷いた。

 邦彦はそれを見て安心したのか、微笑みながら頷いた。

 そして邦彦は改めて辺りを見渡し、

「何処なんだ、此処は……」と、呟く。

 ついさっきまでいた、校舎裏の花壇とは掛け離れた風景に邦彦は戸惑っている。

「それに、皆は……あの化物達は何処に行ったんだ……」

 邦彦は、龍士達の事も気に成っていたが、あの化物達が、まだ傍に居ないかと警戒した。

 視界の悪い林の中で、邦彦は付近に何も無い事を確認すると、

「山添、ちょっと皆を探してくる。だから、此処を動くなよ」と、亜美に向って言った。

 すると亜美は、不安を浮かべた顔で暫く邦彦を見ていたが、小さく頷いて了解した。

「いいか、動くなよ……直ぐに戻って来るからな」

 笑顔で亜美に念を押してから、邦彦は辺りを警戒しながら林の中を進んで行った。

---◇---

 体の重さが一瞬消えたかの様な不快な目眩に足がふらついて、慌てて半歩踏み出し足を踏ん張る。

 誤作動した三半規管のせいで、崩れた体の平衡感覚を修正しながら顔を上げると、其処は、ごつごつとした岩肌の見える斜面に挟まれた狭い谷間だった。

「何処?……此処……」

 決して豪華とは言えないが、春の花々が咲いていた校舎裏の花壇の風景が、一瞬で殺伐とした岩肌の見える風景に変わった事に、翔子は驚き戸惑っていた。

「皆……何処?……何処に行ったの?……」

 非常識な現象に、翔子は恐怖と不安を感じ、周りを見渡し自分が一人である事を知ると、更に不安は膨らんだ。

「どうなっているのよ……皆、何処に行ったのよ……」

 翔子は一人、岩肌の斜面に沿って、辺りをきょろきょろと不安げに見回しながら、皆を探そうとゆっくりと歩き出した。

「いやぁ、参ったな……」

「なんやったんでっしゃろ……」

「恐ろしい女子(おなご)や……」

 怯える翔子の耳に人の声が飛び込んで来た。

「やっぱり外は怖いでんな……」

「わてらは、此処が一番落ち着くな」

 少し先に見える、岩肌の斜面が終わり、Y字路になっている辺りから聞こえる声に、翔子は漠然とした期待を抱いて、Y字路の方へ駆け出した。

 翔子がY字路を右へと曲がった瞬間、

「ひっ!」

「わっ!」と、出会い頭に、お互いが驚いて声を上げた。

 翔子の目の前には、驚き半歩下がって身構える河童が三匹居た。

 その、非常識な生き物に翔子も驚き、認識の範囲を飛び越えた光景に声が出ない。

 頭は天辺に有る皿の様な物を中心に、おかっぱヘアー。目はギョロッと大きく、口は燕の雛の様な平たい口ばし。両生類の様な滑っとした皮に覆われ、手足の指の間には水掻きがあり、背中には甲羅があった。

 腰蓑姿の河童達は、愛嬌が有ると言えば愛嬌があるのだが、始めてみる理解し難い生物の姿を見て、翔子の思考は止まった。

 三匹の河童と翔子はお互いに、体を仰け反らして身構え睨み合っている。

「な、なんやねん……」

 河童の声に我に帰った翔子は、一気に恐怖が湧き上がり、

「きゃぁぁぁぁぁ!」と、耳を劈く悲鳴を上げた。

「わあぁぁ!」

 翔子の悲鳴に驚き、河童達はダイブする様に後ろに飛び退き、身を縮める。

「きゃぁぁ!きゃぁぁ!」

 翔子は悲鳴を上げながら、その場にへたり込む様に座ってしまった。

「あれ?……」

 その様子を見て、河童達が落ち着きを取り戻した。

 そして、一匹の河童がゆっくりと立ち上がり、翔子に近付き、

「わあぁ!」と、業とらしく大げさに手を頭上に振り上げ翔子を脅す。

「きゃぁぁぁぁ!」

 河童に驚き体を捻り、後ろに倒れ悲鳴を上げる翔子を見て河童達が顔を見合わせてにやりと笑った。

 残りの河童達も翔子に近付き、取り囲む様に集まり、

「わあぁ!」と、三匹同時に両手を挙げて翔子を脅す。

「きゃぁぁぁ!きゃぁぁぁ!」

 頭を抱え、膝を付いて身を縮めてうつ伏せに成り、悲鳴を上げる翔子の姿を見て、

「これや!これやがな!」

「この反応が欲しかったんや!」

「やったね、兄貴!」河童達は肩を抱き合って喜んでいる。

 再び、にやりと笑った河童が更に翔子を脅す。

 何がなんだか分からない翔子は、河童達に再び悲鳴を上げる。

 翔子の悲鳴を聞いて、またまた河童達は喜んで翔子を脅す。

 しかし、翔子も馬鹿ではない。

 何時までたっても襲って来ない河童達に『何がしたいんだ』と、疑問が湧いた。

 河童達は、しつこく翔子を脅す。

「きやぁあ……きやぁあ……」いい加、減翔子は馬鹿馬鹿しくなって来た。

 その時、一匹の河童が翔子を後ろから羽交い絞めにする。

「きゃっ!」急な事に驚き、翔子が短い悲鳴を上げる。

「へへへ、よう見たら、この姉ちゃんかて、えらいべっぴんやで……」

 羽交い絞めしている河童が、顔を突き出し翔子の横顔を眺める。

「こいつ……人間でっせ……」一匹の河童が不思議そうに翔子の顔を覗き込む。

「何、ほんまか?」もう一匹の河童も翔子の顔を覗き込む。

 顔を覗き込まれて、翔子は負けじと河童達を睨み付ける。

「細かい事はええやんけ、それより、姉ちゃん……わてらと、ええ事せえへんか?」

 羽交い絞めしている河童が、にたにたと嫌らしい笑いを浮かべている。

「へへへ、そうや……じきにあんじょうしたるさかい……」

 一匹の河童が翔子の胸に水掻きの付いた手を伸ばし、形の良いBカップの胸を鷲掴みにする。

「いやっ!」

 急に胸を掴まれ、翔子は驚き身を捩る。

「大人しい、しときや姉ちゃん……これからが、お楽しみやで……」

 そう言いながら、一匹の河童が翔子のスカートを捲り上げ、秘密の花園へと手を伸ばす。

 思わず身を縮める翔子だが、ふと、冷静に『こいつ等……只の変態か?』と、思うと、無性に腹が立って来た。

 この様な事態は、今までも何度か経験していた翔子は、痴漢に対しての対処は冷静だった。

 日本人形の様な上品な美少女の翔子には、聊か不釣合いな黒いレース模様で飾られたスキャンティーに手を伸ばし、今にも摺り下げ様と河童が力を入れた時、

「やめんかあぁぁ!」と、叫び翔子は、河童達の頭にフィールドを張って、皿に思いっきり静電気を食らわせた。

「ひいぃぃぃ!」

 普通、皮膚は乾燥状態に比べ、発汗時には十二分の一、湿潤状態では二十五分の一まで抵抗(Ω)が低下し、非常に感電し易くなる。

 皆さんもご存知と思われるが、河童の皿は通常、湿潤状態を保っている。

 その湿潤状態の脳天にある皿に、スタンガン宛らの電撃を食らって、河童達は一瞬で白目を向いて悶絶した。

 翔子は、痙攣して倒れている河童達を見ながら、ゆっくりと立ち上がり、下着とスカートを整え、スカートに付いた土汚れを払うと、

「さて……どうしてくれよう……かしら……」と、残酷な笑みを口元に浮かべ、冷酷な目で河童達を見下ろした。

---◇---

「いったい、何処なんだ……此処は……」

 腰まで生えている熊笹に足を取られながら、邦彦は辺りを見回している。

 熊笹を足で踏み付け倒している為、中々前へとは進めない。

「これだと……山添じゃ、無理だな……」

 中学時代、柔道部で鍛えていた邦彦でも、息が上がって来た。

 邦彦は立ち止まり、木々の合間を覗き込む様に、見回すが何も見付からない。

「無駄に歩いても……体力が消耗するだけか……」

 とは言っても、どちらに行けば良いのか見当も付かない。

「とりあえず……山で迷えば登れって言うな……」

 山登りの鉄則を思い出し、進む当てが無い以上、そうするしか無いと思った。

 そして、邦彦は今来た方へと引き返した。

「となると……山添はどうしよう……」

 倒したはずの熊笹は既に元に戻り、再び倒しながら歩いていると、

「おんぶでもするか……」と、邦彦の頭に亜美を背負って歩く自分の姿が思い浮かんだ。

 その瞬間、邦彦は顔を赤くして立ち止まり、

「きっ緊急事態だもんな!しょうが無いよな!」と、自分に言い聞かせた。

 おんぶすれば、亜美と体が密着し、邦彦の手は当然、亜美のお尻か太股へと行く。

 その事を想像しただけで、邦彦は顔を真っ赤にしていた……純情やねぇ……

 邦彦は、下心がある訳では無いが、その事を亜美に、どうやって自然な態度で提案しようかと悩んでいた。

 およそ十五分ぐらいで、邦彦は熊笹を掻き分けながら亜美の所へと帰って来た。

 木の陰に隠れている亜美を見付けると、

「あのな、山添……」と、邦彦が声をかけた時、

ズボッと、二人の間に黒い影が湧いて出た。

「わっ!」邦彦は驚いて、思わず一歩身を引いた。

 その現れた者を良く見ると、直径が二十cmはあろかと思われるミミズが、十数匹のたうっていた。

「わあぁぁぁ!」邦彦は、そのおぞましさに驚き叫び、後ろへと飛び退いた。

 ミミズ達の向こうで、どさっと、亜美が再び気絶して倒れた。

「山添!」

 亜美が倒れた姿を見て、邦彦は叫び、ミミズ達を避けて亜美へと駆け出した。

 その時、ミミズの一匹が、口を開いて邦彦に襲い掛かった。

 それは、見るもおぞましい口だった。

 頭と思われる先端が八方に割れ、人の頭ぐらいなら飲み込んでしまう大きさに広がり、中には四方に分かれた歯茎に、明らかに肉食である事が分かる鋭い牙が見えていた。

「くそっ!」

 襲い掛かるミミズを払い除け、邦彦は亜美へと駆け寄る。

 恐怖とおぞましさで小便をちびりそうになったが、今の邦彦には亜美の事しか頭に無かった。

 亜美へと辿り着いた邦彦は、おんぶも、くそも無いこの状態に、躊躇無く亜美を抱き上げ肩に担げて走り出した。

 熊笹に足を取られ、ふら付きながらも必死で逃げる邦彦の後をミミズ達が追って来る。

 熊笹の中に埋もれ姿が見えないミミズだが、以外に早いスピードで追いかけて来る。

「どわあぁぁぁ!」

 すぐ背後にミミズ達の気配を感じ、邦彦は肩の上の亜美を気遣いながら気合を入れてダッシュする。

 顔の直ぐ横に亜美のお尻。手はしっかりと亜美の太股を抱えている。

 しかし、そんな状況は一切認識出来ず、邦彦は必死で走っている。

「あっ!」

 逃げていると、岩肌の見える、角度が四十度を越える斜面が目に付いた。

 根拠は無いが、手足の無いミミズ達は斜面なら追って来れないのではと思い、邦彦は斜面へと進路を変える。

斜面に辿り着くと飛び上がり、空いている片手で斜面にしがみ付き、邦彦は斜面を登って行った。

 案の定、斜面の縁でミミズ達の追撃は止まり、ミミズ達が上を見上げている。

「よし……」

 邦彦が、目論見通りミミズ達が止まった事に、ほっとしたのも束の間、ミミズ達はゆっくりではあるが、身をくねらせながら斜面を登りだした。

「くそっ、なんなんだよ……」

 ミミズ達の登って来る姿を見て、邦彦は登るスピードを速めた。

 そして、邦彦が斜面を登りきって、前へと進もうとした時、

「うそっ……」と、地面が消えている事に茫然となった。

 二・三歩踏み出せば、二十mぐらいの高さの切り立った崖へと真逆さまと言う狭い頂上で、

「誰だよ!登れば良いなんて言った奴は!」と、邦彦は力いっぱい怒鳴った。

 左右には切り立った尾根が続いているが、亜美を担いだままでは、とても通れそうに無い。

「畜生……」

 斜面の下からミミズ達が迫って来る。

 迫るミミズと崖下を眺めながら、

「……やって、見るか……」と、邦彦はある決心をした。

 そう言って邦彦は亜美をそっと下ろし、座った格好の亜美の背中から抱き付いた。

 その時、亜美が気が付いて、何事かと驚き後ろの邦彦の顔を見た。

 そして、亜美が逃げ様と暴れだすと、

「静かにしろ!」と、邦彦は怒鳴り、ぎゅっと、亜美を抱いている腕に力を入れた。

 亜美は邦彦の怒鳴り声に驚き身を縮める。

「来たぞ……」

 邦彦の呟く声を聞いて亜美が前を見ると、三匹のミミズが顔を出し、おぞましい口を開いている。

「ひっ!」

 亜美が悲鳴を上げた瞬間、

「行くぞ!」と、邦彦は叫びながら後ろ向きに崖下へとダイブした。

 何が起こって居るのか理解出来ず、亜美の顔は恐怖に引きつる。

 後ろ向きで落下しながら邦彦はタイミングを計る。

「たあっ!」

 地面に激突する瞬間、亜美を突き出すように上に放り上げ、体の周囲にバリヤーを張る。

 地面すれすれ十cmぐらい手前で邦彦の体がふっと、止まる。

 其処へ、放り上げた亜美が落下し、邦彦の体の上でふっと、止まる。

「はっ、は、は、や、やた……止まった……やった……」

 顔を真っ青にして引きつらせ、小刻みに震える体で邦彦が呟いた。

 明日香達の話を聞いて、理屈では運動エネルギーを中和させられると理解していても、現実、上手く行く保障など邦彦には無かった。

 しかし、何もせずにミミズ達に食い殺されるならばと、壱か八かの勝負に賭けた。

 亜美を巻き込む事に、躊躇いはあったが、あのままでは亜美も食べられてしまう。

 亜美を途中で放り上げたのは、抱き付いたままだと自分は止まっても、二十mと言う距離を落下する亜美の体重の慣性で、お互いが怪我をする……いや、怪我では済まない事は想像出来た為、直前で亜美を放り上げ、自分のバリヤーの上へと落下させたのだ。

 全てが計画通り上手く行って、ほっとした瞬間、バリヤーから眩しい光が放たれ、邦彦の体を温風が包んでバリヤーが消えた。

「な、なんだ……」

 初めての現象に、邦彦は戸惑った。

 しかし、そんな事より、今は逃げる事が第一だと思い出し、

「山添!大丈夫か!」と、自分の体の上で震えている亜美に声をかけた。

 亜美が震えながら邦彦を見て、小さく頷く。

「そうか、良かった……」

 微笑みながら、邦彦が亜美を下ろし、立ち上がる。

「立てるか?」

 手を差し出しながら邦彦が尋ねると、亜美は頷きながら、おずおずと邦彦の手を掴んで立ち上がる。

 立ち上がった亜美の姿を確認して、邦彦は崖の上を見上げて、

「流石に、此処まではこれないみたいだな……」と、ほっとした。

 そして、改めて辺りを見回すと、其処はごつごつとした岩肌の見える斜面に挟まれた場所だった。

「結局、状況は変わらず……か……いったい、何処なんだよ、此処は……」

 再び見覚えの無い場所に、邦彦は途方に暮れていた。

 辺りを見回している邦彦の姿を見ていた亜美が、

「あっ」と、小さく声を上げる。

「えっ?」

 その声に気付き、邦彦が亜美の方へと振向くと、亜美は肩から架けたポシェットの中を探っていた。

 そして、亜美はポシェットの中から、バンドエイドを取り出し、

「血が……」と、言って邦彦の手を見た。

熊笹で手を切ったのか、邦彦の手の甲から少し血が流れていた。

「あっ」それに気付き邦彦が手を見る。

 そして、亜美がバンドエイドを捲っているのを見て、

「あ、ごめん……」と、言って邦彦が手を差し出す。

 差し出された手に、亜美がバンドエイドを張ると、邦彦に向ってにこっと微笑んだ。

「あっ、ありがとう……」

 微笑んだ亜美の顔を見て、邦彦はドキドキしながら礼を言った。

「あ、あの……私こそ、ありがとう……助けてくれて……」

 か細く小さな声で亜美も礼を言うと、二人は顔を赤くして、黙って俯いてしまった。 

 初めて交わした会話で、亜美の声は〝邦彦にとっては〟とても可愛いく思え、改めて『可愛い……』と、邦彦は思った。

「あ、あの……とにかく、皆を探そうか」

 邦彦が俯きながら提案すると、

「うん……」と、亜美はこくりと頷いた。

 そして、邦彦を先頭に二人は斜面に添って歩き出した。

---◇---

「うっ、うっ、何も、其処まで、しなくても……」

「ごめん……やり過ぎたわよ……」

 明日香に、罵られ、蹴られ、踏み付けられた龍士は、膝を抱かかえしゃくり上げる様に泣いている。

「もう……男の癖に、何時までもめそめそしないでよ」

 泣いている龍士に愛想を尽かし、明日香が面倒臭そうに言うと、

「うっ、うっ、そんなの……男女差別だ……」と、龍士がぼそりと呟いた。

「ぐっ……あのね!なによ!貴方だって、乙女の体に勝手に抱き付いて!貴方が悪いんでしょ!この痴漢!変態!」

 龍士の抗議に腹を立てて、明日香は拳を握りながら、龍士を攻める。

 明日香に罵られ、龍士は上目ずかいで明日香を見ながら、

「……乙女って……処女って事?」と、ぼそりと尋ねた。

 相変わらずの龍士の呆けた質問に、

「露骨に言うなあぁぁ!」明日香は顔を真っ赤にして怒鳴り付ける。

「あう……」

 明日香の怒号に、龍士は情けなく頭を抱えた時、二人に近付く気配がした。

「なに?」明日香が、木々の間に目を配る。

 木々の間から、馬ぐらいの大きさの白狐が現れた。

「ひっ!」龍士は驚き思わず後退る。

 明日香も慌てて木の陰に隠れる。

「かえせ……」全身が傷だらけの白狐が、ふらふらとした足取りで明日香へと近付く。

「喋れるのか……」龍士は、白狐の声を聞いて目を丸くする。

「返せって……これ?」明日香は手に持っている綺麗な布で出来た袋を見た。

「返せ……」か細い声で呟きながら、白狐は更に明日香に近付く。

「い、嫌よ!返したらどうなるのよ!渡したら、私を食べる気でしょ!」

 明日香は身構え、白狐から離れる様に後退る。

 その姿を見て、龍士は立ち上がり明日香へと駆け寄る。

「橘、返してやれよ」

「嫌よ!何でよ、そんな事したら私達どうなるか分からないわよ!」

 龍士の言葉に、明日香は袋を強く握り締めて反論する。

「馬鹿!相手は喋れるんだぞ!言葉が分かる奴なんだぞ!ちゃんと話すれば……」

「甘いわよ!話が出来たって、分かろうとしない奴だって居るわよ!」

 怒鳴りあう二人に、白狐は更に近付いて来る。

「くそっ」

「あっ!」

 龍士は明日香から、無理やり袋を取り上げて白狐へと近付く。

「返してやる!だけど、約束しろ!俺達には何もしないって!」

 白狐の前で龍士は刀を差し出し、白狐へと話しかけた。

「ばっ、馬鹿!何してるのよ!危ないわよ!」

 明日香が後ろから龍士を怒鳴り付けると、

「良いから!今の内に逃げろよ!俺が時間稼ぐから!」と、龍士は白狐から視線を逸らさずに明日香に怒鳴った。

「……なっ、何を言ってんのよ……」龍士の言葉に明日香は戸惑っている。

「良いから、早く逃げろって!」

 再び龍士が明日香に怒鳴ると、

「馬鹿言うんじゃないわよ!」と、怒鳴りながら明日香は龍士に駆け寄った。

「な、何だ……」明日香の意外な行動に、龍士は驚き明日香の方を向いた。

「何?私に逃げろって言うの?貴方を置いて?私一人で逃げろって言うの?私達、友達に成りましょうって言ったわよね!なのに、私にそんな目覚めの悪い事させるわけ!私に一生負い目を背負えって言うわけ!」

 明日香は龍士の目の前で、龍士に噛み付かんばかりに食って掛り、抗議する。

「あ、いや、その……」明日香の迫力に、龍士は返す言葉が出ない。

「自己犠牲の押し売りなんか御免だわ!」

 明日香は怒鳴りながら龍士から袋を奪い返して、

「ほら、返してやるわよ!だけど、いい事、私達には何もしないって……」と、明日香が白狐に袋を差し出しながら怒鳴っている時、白狐が力尽きる様に、どさっとその場に倒れた。

 龍士達は、何が起きたのか分からずに倒れた白狐を眺めていると、白狐の体が仄かに青白く光りだし徐々に小さく成り、人の姿へと変化して行った。

 そして、白狐は龍士達と同じ歳ぐらいの少女の姿となって横たわっていた。

 何事が起きたのか理解出来ない龍士だったが、目の前に倒れている少女が全裸である事は理解出来た。

「あ……」上向で倒れている少女の、豊かな胸に龍士の視線は釘付けとなる。

 それに気付いた明日香は、

「みるなあぁぁ!」と、叫びながら、龍士の尻に渾身の力を込めて回し蹴りを食らわせた。

「ぶっ!」龍士は思わず噴出し、その場に倒れた。

「やっぱり、変態じゃないの!この痴漢!」

 怒鳴り付ける明日香に、

「そ、そんなの誤解だよ!不可抗力じゃないか!」と、龍士も負けずに怒鳴り返す。

「……また、蹴られたいの……」

 冷やかな目で、明日香が龍士を見下ろすと、

「はい、ごめんなさい。私が全て悪うございました。ごめんなさい。二度といたしません」と、龍士は土下座しながら素直に明日香に謝った。

「……とにかく逃げましょうか……」

 倒れている少女を見ながら明日香が言うと、

「そんな、この子をこのままで?」と、龍士が心配そうに明日香に尋ねた。

「でも、あの大きな狐なのよ、この子……」

「そりゃ、そうだけど……」

 そう言って、龍士は徐に立ち上がると、ブレザーを脱いで少女へと近付いた。

「何するの……」

「別に……」

 心配そうに尋ねる明日香に、龍士は素っ気無く答え、少女の体を見ない様に顔を背け、少女にブレザーを掛けてやった。

 ブレザーを掛けてから、龍士は少女を見て、

「……なんだ、この子、傷だらけじゃないか……」と、少女の脇にしゃがみ、少女の傷だらけの手を取った。

「あ……危ないわよ……」明日香が心配して声を掛ける。

「大丈夫だよ……可哀そうに……どうしたんだろう」

 龍士は、そう言って少女の腕の痣に成っている所を優しく撫でた。

 明日香は不安げな顔でその姿を見ていると、

「あれ?」と、龍士が不思議そうに声を上げた。

「どうしたの……」明日香が恐々、龍士に近付く。

「……痣が……」

「痣?」

 龍士の言葉に、明日香が龍士の肩越しに少女の腕を覗き込む様に見た。

「うん、摩っていたらだんだん小さくなって……」

 そう言いながら龍士が少女の手の痣を摩ると、

「あっ、本当だ……」小さく薄く成って行く痣に、明日香が驚いた。

「凄い……これって、人間にも効くのかな?」

 期待いっぱいに尋ねる明日香に、

「たぶん効かないと思うよ」と、龍士はあっさりと答えた。

「どうして分かるの?」

「だって、自分が怪我した時には、全然効果が無かったし……」

「あっ、そうか……でも……稲葉君、怖くないの?こんな事して……」

「うん……不思議だけど、怖くないな……俺、何時もお父さんに言われてるんだよ」

「えっ?」

「女の子には優しくしろって、へへへへ」

 照れ臭そうに笑う龍士を、明日香は呆れた様な微笑を浮かべて見ていた。

「この子……足、凄い怪我……」

 明日香が少女の太股を見て、まだ血が流れている傷を見付け、龍士も少女の足を見た。

「この子、もしかして学校に現れた化物じゃ……この傷、あの時、蛇に咬まれた傷じゃないの?」

 急な変化で、混乱していた記憶が徐々に回復して、明日香が学校での出来事を思い出していた。

「あっ、そう言えば……そうだよ、あの時の狐だよ……」龍士も記憶が蘇って来た。

「だとしたら……やっぱり危ないわよ……」

「だけど……」心配そうな顔で龍士が、まだ血の流れている傷を見ながら呟いた。

「……許す……」

 明日香が腕を組み龍士を睨みながら、ぼそりと言うと、

「うん」と、頷いて龍士は少女の横に座りなおした。

「あ、傷を治す為だからね。けっして変な気は無いからね」

 龍士が、明日香に念を押すと、

「分かってるわよ……」と、明日香は龍士を睨みながら呟いた。

 龍士は、全裸の少女に掛けたブレザーから、はみ出している太股へと手を伸ばし、傷口を優しく撫でる。

 最初は血を擦り付けている様な状態が、暫くして血が止まり、傷口が塞がりだした。

「あ、凄い……」明日香は、その現象に素直に感動した。

 と、その時、気を失っていた少女が気が付き、ひょこっと首を上げると、龍士と目が合った。

 龍士と明日香は、少女が気が付いた事にビクッと体を振るわせる。

 少女は、何が起こって居るのか分からない様子で二人を眺めていたが、自分の太股を触っている龍士に気が付き、

「不埒者!」と、叫びながら龍士にアッパーカットを食らわせた。

「あっ、ごめん、誤解よ!大丈夫よ!怪我!怪我を治していたのよ!」

 吹き飛んだ龍士を無視して、明日香は慌てて少女に説明した。

「怪我……」少女はそう言って、自分の太股を見た。

「あっ……」

 覚えがあるのか、怪我が治っている事を理解した少女は、

「なぜじゃ……何故、治っている……」と、不思議そうに太股の傷跡を見詰めていた。

「稲葉君が治したの。稲葉君、貴方達、化物の怪我を治せるみたいなの」

 不思議そうに太股を眺めている少女に、明日香が説明すると、

「何……あの、御仁が……」と、龍士を不思議そうに眺める少女見て、

「いや……御仁って言うほどじゃないけど……」明日香が少し呆れながら呟いた。

「これは、ご無礼いたしました!」

 少女は、倒れている龍士に駆け寄り、龍士を抱き起こす。

「そんな事とは露知らず、何とも申し訳無い事を……」

 少女は全裸のまま、龍士に抱き付き非礼を詫びている。

 揺り動かされ、龍士が気が付くと、目の前に立派なメロンの様な巨乳が目に入った。

「ぶっ!」思わず目を剥く龍士。

「お怪我はございませぬか」

 龍士に抱き付き、尋ねる少女に、

「あっ、いや、その……何とも、無いよ……」と、目のやり場に困り、目を泳がせながらも、張り艶のあるメロンをちらちらと見ながら龍士が答えた。

「あのさ……どうでも良いけど……貴方、裸よ……」

「えっ?」

 明日香に言われて、やっと自分が全裸である事を自覚した少女は、

「きゃぁぁぁぁ!」と、叫びながら、抱き付いていた龍士に、左のストレートを食らわせた。

 幸せそうな顔で、再び吹き飛ぶ龍士を見て、

「死ねば……」と、明日香は冷たく言い捨てた。

 少女は慌てて、手を大きく頭上に振り上げ、全身を撫でる様に振り下ろすと、全裸だった少女は白装束姿へと変わった。

---◇---

「そりゃぁ、帰る方法は有りまっけどな」

「ほんと!」

 何時の間にか手懐けた河童達の前で、翔子の顔に笑顔が浮かぶ。

「此処は言うてみたら、わてらの隠里……天然の結界の中でんねん」

「せやから、出入り口に行けば元の世界に戻れまっけどな」

「何処なの其処!」

 期待いっぱいに翔子が、顔を輝かせて河童達に尋ねると、

「……そんな、ただで?」

「せや、教えて貰おうと思たら、それなりにな……乳の一つでも揉ましてもらわんと……」

「股座開いて見せて貰ってもええけどな……生で……」

 翔子の体を、嫌らしい目で嘗め回す様に眺めながら話す河童達を見て、

「……で、教えるの?教えないの?」と、目に冷酷な光を浮かべ、無表情のまま、手に静電気を溜める。

「ひっ!」

 手から、パシッと、空中放電する小さな稲光を見て、河童達は慌てて頭の皿を防御する様に手で隠した。

「あ、あ、(あね)さん!待っておくれやす!」

「冗談!冗談でんがな!」

 河童達が翔子の手を見ながら、怯え寄り添い身を縮めて居るのを見て、

「ふんっ」と、軽蔑した目で河童達を見ながら、翔子はフィールドを解除して手を下ろした。

「で、何処なの出口は?」

 翔子が、河童達に迫る様に尋ねると、

「えっ、でも、そんな簡単には……」と、まだ渋る河童に、

「躾が、まだ足りないのかしら……」と、翔子が再びフィールドを張る。

「いや、ちゃいまんねん!」河童達は、手を大きく振りながら慌てて翔子を制した。

 あの後、か・な・り、酷い〝躾〟を河童達は受けたのだが、余りにも残酷な描写が含まれる為、割愛させてもらいます。

「あの、ややこしいんですわ!迷路みたいな道順を、間違わんと進まんと辿り着けまへんのや!」

「迷路?」河童の言葉に翔子が眉を顰める。

「へぇ!決まった場所から始まって、決まった通りに進まんと、辿り着けまへんのや!」

 河童達の必死の説明に、嘘は無さそうに思った翔子はフィールドを解除した。

「その、道順って、貴方達知っているの?」

「へえ、そりゃ知ってまっけど……三日は掛かりまっせ」

「三日?!」河童の説明に翔子が驚き目を丸くする。

「そりゃ、そうでんがな。そんな簡単に行き来出来たら結界の意味がおまへんや」

「まぁ、偶然に結界の切れ目とか、隙間が出来たりする事は有りまっけど、そんな偶然待ってらなぁ……それこそ何時になる事やら……」

「決まった頃合に、開いたり閉じたりする門みたいな所も有りまっけど……」

「へえ、わてらもさっき、山添の方へ遊びに行って来ましたんやけど、その門も次に開くのは二週間ほどしてからやし」

「妖力の強い者やったら、無理やりに抉じ開ける事も出来まっけど……」

「やっぱり、今やったら、あの道が一番早いか……」

 翔子は河童達の説明を聞いて、暫く考えていたが、

「それしか方法が無いのなら、時間が掛かっても、手堅く行くしか無いわね……」と、結論付けた。

「案内して」

「へっ?」

「わてらがでっか?」

 翔子の要求に、河童達があからさまに迷惑そうな顔で翔子を見る。

「何か、問題でも?」

 そう言って、手にフィールドを張る翔子の姿を見て、

「いえ、喜んで案内させていただきます」と、河童達は翔子に土下座しながら答えた。

 と、その時、

「三輪!」と、翔子の後ろから、名前を呼ぶ声がした。

「えっ」慌てて振り返って見ると、其処には邦彦と亜美の姿があった。

「ああ、やっと会え……いっ!」

 翔子に駆け寄る邦彦だったが、翔子の向こうに居る河童達の達の姿に気が付いて、

「なっ、なんだ!そいつら!」と、立ち止まって驚きの声を上げる。

 亜美は、邦彦の後ろで邦彦の腕にしがみ付いている。

「ああ、これ……気にしないで、下僕みたいな者だから……」

 何でも無いかのように答える翔子に、

「下僕って……危なく無いのか?」邦彦がおずおずと尋ねた。

「大丈夫よ、何もしないわ。ちゃんと躾してあるから」

「失礼なやっちゃな」

「せや、危ないのは姉さんの方や……」

 翔子が説明している後ろでぶつぶつ呟く河童達の話声を聞いて、

「何ですって!」と、翔子が目を吊り上げて河童達に振向くと、

「いえ、何でもございません」と、河童達は恭しく頭を下げた。

 その姿を見て、邦彦は少し安心したのか、河童達に近付いて、

「喋れるのか……」と、河童達を見回した。

「へへへ、どうもう」愛想良く笑う河童達を見て、亜美も少し安心したのか、邦博の後ろから顔を出して河童達を見ていた。

「あ、それより田原本君……」

 翔子は河童達に聞いた、帰り道の事を邦彦に話した。

「出口があるのか」

「ええ、でも3日ほど掛かるって」

「三日か……それは仕方ないとして、それより、橘と稲葉はどうする、探さないと」

「そうね……でも、探す当てが無い以上、合理的に考えて、帰り道の途中で会う事を期待しないと……彼らも同様に出口に向かっていると思わないと、此処で無意味に何日も過ぎてしまう事になるわ」

「……確かにそうだな……探しながら帰る……それしかないか……」

 割り切れない思いと共に、邦彦は亜美の方を見ると、亜美も不安な顔で邦彦を見ていた。

「どっちにしろ、もう直ぐ暗くなる……何処か安全な場所を探さないと……」

「そうね……ねぇ、何処か眠れる所、無いかな?」

 翔子が河童達に尋ねると、

「へ、どうぞ」と、河童達は並んで上向に寝そべった。

「なによ……それ……」軽蔑の混じった白けた目で、翔子は河童達を見ている。

「ささ、遠慮せず……どうぞ」

「わてらの上で、ゆっくりお休みやす」

 明らかに、下心がある笑みを浮かべて河童達が翔子を誘うと、

「いっぺん、死んでみる?……」と、翔子がフィールドを河童達の皿へと張った。

 そして、その後の余りにも凄惨な情景に、邦彦と亜美は思わず顔を背けた。

---◇---

「くそっ……隠里か……」

 多門次は一人、森の上空で辺りを見回していた。

「我らの結果が飲み込まれ、隠里の結界で皆ばらばらになったか……厄介な所で結界を張ってしまったな……源一坊め、何処に行きよった……」

 周囲を見回し辺りを散策するが、何の気配も感じられない。

 隠里は何重にも天然の結界が張り巡らされており、空間そのものが迷路の様になっている。

「探すしかないか……」そう呟き、森の上空を低空で飛び去って行った。

 一方、源一坊は、十数匹の化物達と共に再び葵を探していた。

「ええい、せっかく追い詰めたと言うに……隠里とは厄介な所へ迷い込んでしまったものよ」

 苦々しく呟きながら、源一坊は森の中を進んでいる。

「うむ……しかし、考えて見れば、これで葵もそう簡単に此処から出られぬな……」

 源一坊は暫く考えていると、

「其処の蝙蝠!」と、一匹の蝙蝠の化物を見つけて呼び付けた。

 大型犬ほどの大きさの蝙蝠が、源一坊の前へと降り立った。

「よいか、わしが結界に穴を開ける。お前は其処から抜け出し、時康様に此処に葵が居る事を伝えよ。そして、増援を頼むのじゃ、よいな」

「ききき」

 源一坊の命令を受けて蝙蝠が返事をして頷く。

「わしの力だと、ほんの小さな穴しか開けられぬ、お前は普通の蝙蝠の姿に戻り、その穴を抜けるのじゃ」

 源一坊の説明に蝙蝠が頷き、二十cm程の普通の蝙蝠の姿に戻った。

「行くぞ!はあぁぁぁ……」源一坊が気合を入れて、錫杖を振り上げる。

「たあぁぁ!」そして、気合と共に錫杖を目の前の空間へと突き立てる。

「ぬうぅぅぅ……」空間を抉じ開ける様に、錫杖に力を込める。

 すると錫杖の先の空間が光だし、三十cm程の割れ目が出来た。

「今じゃ!」源一坊の合図と共に蝙蝠が空間の割れ目に飛び込み、外へと飛び出した。

「ふう……」源一坊は力を抜いて、錫杖を腋へと抱える。

「援軍を求める事なぞ、恥じ入る事ではあるが……これ以上長引けば、時康様にも申し訳が立たん……」源一坊は、苦々しい思いで顔を顰める。

---◇---

「本当に、もう良いのか?」葵は、明日香の隣に座っている龍士を気遣っている。

「ははは、大丈夫だよ、何とも無いよ」龍士は、直ぐ前に座っている葵に向って、少し照れ臭そうに頭をかいている。

 明日香に蹴られ踏み付けられ、更に葵に殴り飛ばされても、直ぐに回復する能力は、龍士のもう一つの超能力かもしれない……いえ、コメディーですから……

「あの、聞いても良いかな?」

「なんじゃ?」

 遠慮気味に尋ねる明日香に、葵が微笑みながら問い返した。

「あの……私達を食べたりしないわよね……」

 余りにもストレートな質問に、葵は一瞬、何の事かと目を丸くしてから、

「ほほほ、我が怖いか?」と、優しく微笑んで答えた。

「そりゃ……あんな戦い見たら……」

「……安心せい、恩ある者に仇なす事などせん」

 葵の言葉を聞いて、明日香は少し安心したのか、肩の力を抜いた。

「その袋、大切な物なの?何が入っているの?」

 心が緩むと明日香は、遠慮無しに自分の疑問を葵に尋ねた。

 明日香に聞かれて、葵は少し悲しい笑みを浮かべ

「これか……これは、愛しいお方の形見じゃ……」と、刀袋を胸に抱き締めた。

「形見って……」

 再び明日香が問い掛けるが、葵は悲しい顔で黙っている。

 その様子に明日香は少し苛々して来た。

「あのね、言いたく無い事もあるだろうけど、結局、私達って貴方に巻き込まれたのよね?貴方が化物と戦っている時に私達はこんな所に来ちゃったのよね?」

 明日香はきつい口調で、事の成り行きを確認するように尋ねたが、葵は黙ったままだった。

「だったら、説明ぐらいしてくれたって良いんじゃないの?何も説明が無いなんて失礼よ」

 相手が襲って来ないと分かった明日香は、葵に対してずけずけと、言いたい事を言った。

 そんな明日香を、困った様な笑みを浮かべながら見て、

「そうじゃの……確かに、我のせいでは無いにせよ、迷惑を掛けた事には変わりは無いな」と、葵が静かに答えた。

 そして、葵が静かに語り始めた。

「何処から話そうかの……この刀の持ち主は、伊予西条ノ介、時貞様と言うてな、我らは慕い合っておった。じゃが、我らが慕い合って居る事は周りに知られては成らぬ故、忍んで合うしかなかったのじゃがな……」

「何で、周りに知られたらいけないかったの?」

「親同士が……一族の者同士がいがみ合っておっての……五百年程前の大戦の遺恨が未だに根強く残っておって……我らが慕い合っているなどとは知られる訳には行かなかったのじゃ」

「そんな……」

 静かに語る葵に、明日香は同情する様に悲しそうな表情になる。

「我が始めて時貞様に出会ったのは、二百五十年程前の事じゃった……」

「二百五十年!ちょ、ちょっと、貴方、歳幾つなのよ!」

 二百五十年前と聞いて、明日香は目の前に居る、自分達と同じ年頃にしか見えない少女に慌てて問い掛けた。

「我は、齢三百二十じゃが?」

「三百二十……」

 何でもないかの様に答える葵に、明日香は三百二十と聞いて驚き、目を丸くしている。

「まだ幼かった我が、八坂様のお祭りが見とうて、母上におねだりしたんじゃ」

「八坂様?」

 何の事だと尋ねる龍士に、

「祇園祭りの事よ」そんな事も知らんのか、と、きつい口調で明日香が答えた。

「華やかで綺麗な祭りじゃった。生まれてからずっと山暮らしの我にとっては、見る物全てが珍しかった。我が山鉾に見とれておったら、人波に推され、母上達とはぐれてしもうてな、途方に暮れて居った時に、助けて貰ったのが時貞様じゃった」

 懐かしむ様に微笑を浮かべて遠くを見て語る葵を見て、二人は葵が、あの大狐だとは想像出来なかった。

「初めてお会いした時貞様は、それはお美しい若人じゃった……」

 目を輝かせ語る葵は、二人から見ても、同年代の普通の少女にしか見えなかった。

「その時は、何処のどなたかは分からず仕舞いで分かれたが、五十年程してから、何処でどう調べられたのか、我の所へと文が届いての、近くに来ている故に合いたいと……何処の誰とも知れぬ者に合う事など、母上は許してくれる筈も無く……されど、我は今一度、あのお美しい方に会いとうなって、侍女達と共に春日様にお参りに行くと嘘を付いて出かけたのじゃ……」

「侍女って……貴方、お嬢様?」

「お嬢様?ははは……そうじゃったな、まだ名乗っていなかったな……我は、大峰の主、大和紀伊百万石を治める笹百合の末娘、大台の葵と申す」

「ひゃ、百万石って……もしかして貴方……葵さんって、妖怪のお姫様?」

「まぁ、そう言う事じゃな……」驚いている二人に、葵は少し照れるように答えた。

「あっ、俺は稲葉龍士」続いて、龍士が名乗り、

「私は、橘明日香よ」明日香も続けて名乗った。

「よろしゅうにな……」名乗る二人を微笑みながら聞いて、葵は話を続けた。

「それから度々、時貞様より文が届き、何度かお会いしているうちに、我の心は時貞様に引かれた……ただ、時貞様は何処の誰とは教えてくれず、両親を早くに亡くし歳若く所領を継いだ、西の国の三万石の領主じゃとだけ言われた」

「じゃ、その人も妖怪の殿様?」

「……そうじゃ」明日香の質問に、葵は顔を曇らせて悲しそうに答えた。

「……そして、ある日、時貞様は我に全てを話して下さった……時貞様は、八坂様の祭りの時より、我が笹百合の娘である事を知っておったそうな……そして、ご自身は、四国百十一万石の跡取り、隠神刑部様の御嫡孫である事を明かされた……時貞様は聡明な方で、伊予と大峰が何時までも、いがみ合っていてはいけないと考えられ、我と懇意を深めれば解決の糸口が見付かるやも知れぬと思われ、我に近付かれたそうな」

「それって何?葵さんを利用しようとしたわけ?」

 明日香が不機嫌そうに眉を顰めて尋ねると、

「ははは、そうじゃな、そう言う事になるな」葵は、何でも無いかのように笑って答えた。

「それを、時貞様は正直に仰って下さった……」

「でも、なんで?」

 不思議そうに尋ねる明日香に、

「……そ、それは……時貞様が……」言葉に詰まりながら、葵は顔を赤らめ、

「わ、我に……懸想……されたと……」顔を白装束の袖で隠して、明日香から顔を背けた。

 純情な乙女の様な葵の姿を、明日香と龍士は白けた気分で眺めていた。

「……その……それで、我には正直に話す事を決心されたと……」

 顔を隠しながら話す葵が、大狐の化物だと言う事を、今や二人はすっかり忘れている。

 葵は、顔から袖を離し、明日香達から顔を背けたまま、

「……我は、正直驚いた……いや、御主の言う様に利用されたと口惜しかった。それに、仇敵である伊予の跡取りと知っては……我の心は乱れた……」と、悲しそうに俯いた。

「その日、我は、何処をどう帰ったのかも分からぬぐらい悲しかった、いや、悔しかった……懸想した方が仇敵の跡取りだったとは……」

 悲しそうに俯く葵に近付き、

「でも、そんなの関係ないじゃない!お互いが好きだったら、家がどうのとか親がどうのとか関係ないじゃない!」明日香が葵の手を取って訴える様に話した。

 そんな明日香に少し驚きながら、葵は眼を閉じ静かに頭を左右に振った。

「そう言うわけには行かぬ……お互い一族を治める者。勝手は許されぬ」

「そんな……」悲しそうに話す葵の目を見て、明日香が悲しそうに呟く。

「一族を治めると言う事は、力付くでは出来ぬ。一族の者の心を掴まねば……その為にも、お互いの心を一つに束ねる、相通ずる敵と言う者の存在は大きい……それとな、時貞様も我も同じじゃが、五百年前の大戦なぞ知らぬ、正直な所、遺恨など何も無い……しかしな、大戦を知っている年寄りが、まだ多く居る。その年寄り達が、未だに幅を効かせて居るのじゃ」

「でも、でも……」訴える様な目で、葵の手を強く握る明日香だが、住む世界が違い過ぎ、何と言って良いのか分からず言葉が続かない。

「そうじゃな……我も今は、我らと和解しようとした時貞様のお考えを良く理解しておる。じゃが、その時の我は理解出来んかった」

 葵は、強く握る明日香の手の上に、もう一方の手を微笑みながら添える。

「あの日、悲しみの内に分かれ、いっそ、時貞様を憎めたら……じゃが、我は時貞様を忘れる事すら出来んかった……それが、悲しかった……苦しかった……もう、合えぬと思うと……尚更……想いが……募り……」言葉を詰まらせ、葵の目から涙が零れる。

「我は、幾日も泣いて暮らして居った……」

「葵さん……」葵の話を聞いて、明日香の目も潤む。

「幾月かして、時貞様より文が届いての……歌が一つ書いてあるだけの文じゃった。我はそれを見て決心した。時貞様と共に歩むと……」

「どんな歌だったの?」

「……」明日香に聞かれて葵が顔を赤くする。

「ねぇ、教えなさいよ、どんな歌だったの?」

 更にしつこく尋ねる明日香の気分は、

「ねぇっら、ねぇ……」既に、女子高生同士の恋愛相談レベルである。

 葵は暫く考えて、空を見上げながら、

「天の海、仰ぎし見れば遥かなる、愛しき君も見ゆる月かも……」と、少し恥かしそうに歌を読んだ。

「……はぁ……なにそれ、かっこいい……」

 歌を聴いて、目をキラキラさせながら感動する明日香に、

「……あの、どう言う意味なの?」と、龍士が後ろから、こそっと聞いた。

「……あのね……気分ぶち壊し……」

 呆れて睨む明日香に、

「ごめんなさい……」と、龍士が申し訳無さそうに頭を下げて素直に謝った。

「あのね、星空に浮かぶ月を見ていると、遠くに居る大好きな貴方も、きっと同じ月を見ているのでしょうねって意味」

「はあ……」だから何だ?と、明日香の説明を聞いても、龍士には今ひとつ意味が理解出来ない様だった。

「だから、天の海って夜空ってだけの意味じゃないの。伊予って四国でしょ、大峰は奈良、つまり紀伊半島。その間にある海にも掛けてあるわけ。遥かなるって、その距離だけじゃ無くて、いがみ合っている家庭の事情も含んでいて、そんな離れ離れの愛しい貴方も、私と同じ月を見ているんでしょって、つまり同じ想いで居るんでしょうねって事よ」

 不機嫌そうに解説した明日香に、

「あ……御丁寧な御解説ありがとうございました」龍士が深々と頭を下げて礼を言った。

「ねぇ、それで、どんな返事をしたの?」

「えっ……」興味信信の目で明日香に聞かれて、葵は再び頬を染める。

「それは……」

 にたにたと、冷やかし笑いを浮かべる明日香を恥かしそうに見ながら、

「昇る海、隠るる山は違へども、我らを照らす天の月かな……」と、小さな声で歌った。

「うっふう……」明日香は更に、にたにた笑いを膨らませる。

「あのう……」

「何よ」おずおずと声を掛ける龍士を飛鳥が睨み付ける。

「うっ……あの、違う場所に居ても、大好きな貴方と、同じ想いですって……解釈してよろしいでしょうか……」

 睨み付ける明日香を見ながら、遠慮気味に尋ねる龍士に、

「それで、十分」と、明日香は腕を組んで頷いた。

「でも、そう言うラブレターって、今だと逆に新鮮に聞こえるわね……浪漫チックだわ……」

 すっかり友達気分の明日香の言葉を聞いて、

「らぶれ……?なんじゃ、それは?」と、葵が首を傾げる。

「だけど……どうして、その刀が形見なの?」

 何気なく尋ねた明日香の言葉を聞いて、

「……」葵は、硬い表情で俯いた。

「おい、橘……」葵の顔を見て、龍士が明日香の袖を引っ張る。

「あっ、ごめん……」自分の尋ねた形見と言う言葉の意味に気付き、明日香は慌てて謝った。

 悲しそうな笑みを浮かべ、そんな明日香を見ながら、

「……よい……これが、御主達も巻き込んでしもうた、そもそもの起こりなんじゃから……」と、葵が刀袋を見ながら静かに言った。

「我らは何度か文を交わすうちに、ある決心をした」

「決心?」

「うむ、結局は、我らの仲は一族に受け入れられて貰えぬ物と分かってはいたが……この想い、お互いに押さえる事が出来ぬ様になり……時貞様が、一族の名代として伊勢へとお参りに来られるのを期に、我ら二人は、天照様の宮で夫婦(めおと)の契りを交わす事にしたんじゃ」

「やるうぅ」古風な葵が、意外と大胆な事を決心した事に明日香は目を丸くして感心した。

「一族の祝福など受けられぬ……如何なる道行きに、なるやも知れぬ……しかし、時貞様は、事を起こさねば、何事も始まらぬと……それ故に、我は家を出る覚悟を決めた」

「はぁ、なんか駆け落ち見たいね……いや、出来ちゃった狙いかな?」

「おい……」明日香の軽い感想に、龍士が呆れる。

「約束の場所へ、幼い時から友の様に使えてくれていた侍女達五人と共に、向ったのじゃが……」葵の顔が、悲しく曇る。

「我が着いた時には……既に……時貞、様は……時貞様は……」

 葵は歯を食い縛り、言葉を詰まらせながら涙を零す。

「背を、何者かに刺され、既に、虫の息であった……時貞様……時貞様は、我の……我の腕の中で……塵となり……果てられた……」

 無念の思いに涙を流す葵の姿を見て、二人に言葉は無かった。

「時貞様のご遺言……この刀を、守ってくれと……清めぬうちは、誰にも渡すなと……」

 其処まで言うと、葵は袖で顔を覆い、泣き崩れた。

 泣いている葵に近付き、明日香は葵の肩を抱いて、

「ごめん……ごめんね……嫌な事を思い出させちゃって……」と、謝った。

 謝る明日香の目にも涙が浮かんでいた。

---◇---

「時康殿!何処まで進む気だ!」

 伊勢から大峰へと、天高く五百を越える軍勢と共に進む時康に、道真が問い掛ける。

「このまま行けば、あと暫くで吉野ぞ!吉野川からは大峰の領地ぞ!」

 道真の言葉を聞いて、時康が進軍を止める。

「どう言う積りだ、大峰と戦を始める気か」

「それも面白い……」

 道真の後ろから、同じく五百百の軍勢を率いる憲正が、ぼそりと呟いた。

「なんだと!」憲正の言葉を聞いて、道真が憲正に食って掛かる。

「ご隠居様の下知を忘れたか!」

「やめろ……」

 もめる二人を見ずに、時康が言い捨てる様に言うと、

「時康殿、何を考えているのだ、この様な軍勢を引き連れて、吉野に近付けば、戦を仕掛けると思われても致し方ないぞ。それに、道々の神々には前もって声を掛けて回ってはいるが、ご隠居様の名を出す強引なやり方に、何方(どなた)も良い顔をされて居らぬ。このまま慇懃無礼(いんぎんぶれい)な進軍を続ければ、ご隠居様の御名に傷を付ける事になるぞ」道真は時康に向かい、淡々と道理を説いた。

「道真殿の道理は聞き飽きた……」

 面倒臭そうに顔を背ける時康に、

「真面目に聞け!このままでは天の神にもお叱りを受けるぞ!」と、道真は怒鳴り付けた。

「お叱り……そんなものこそ……お叱りを受けるのは隠居した者の役目じゃ。隠居したからには大人しくしておれば良いのじゃ。それなのに、事有る毎に、一々と……」

「従兄弟殿……貴様……」時康の刑部を馬鹿にした様な言葉に、道真は怒りを露に時康の胸倉を掴んだ。

「気を付けよ、道真殿。兄者の死んだ今、我が跡取りぞ……」

「……貴様……本気で言って居るのか……」時康の胸倉を掴んだ手を引き寄せ、道真が時康を睨み付ける。

 道真に睨み付けられ、今、言うべき事では無い事に気付き、

「……すまぬ……道真殿……忘れてくれ……」時康は目を逸らして謝った。

 それを聞いて道真は、時康から手を離し、

「よいか、ご隠居様は、この伊勢参りが無事済めば、時貞殿に全てを任せるお積りじゃった。その為の一族の名代では無かったのか。そんな事は従兄弟殿も知っておるじゃろ」と、時康に静かに語った。

「知っておる……」

「血肉を分けた兄が殺されて、乱れる従兄弟殿の心も分かるが、今一つ、冷静に成って考えられよ」

 時康を諌める道真の姿を、憲正は面白く無さそうに見詰めていた。

 その時、

「御報告にございまするうぅ!」と、叫びながら、猿の化物が近付いて来た。

 時康達は声のする方を注目する。

「何事じゃ」

 尋ねる道真に、

「はっ、伝法院様よりの御伝言が参って居ります」と言って、蝙蝠を指差した。

「何と申しておる」

「はっ、只今、伝法院様の軍勢は、葵めを生駒の隠里に追い込んだとの事にござります」

「何、生駒の隠里……」そう言って、三人が顔を見合わせる。

「はっ、隠里故、増援を願うとの事にごりまする」

「……隠里か……厄介だな……」

 道真が呟くのを聞いて、

「その方が、葵も逃げ出せず、好都合と言うものだ」と、憲正が言った。

「しかし……」

 道真が言いかけたのを制して、

「分かっておる、隠里に住む者達を懸念しておるのであろう」と、時康が言った。

「そうじゃ……この様な軍勢を引き連れて行けば……」

「懸念いたすな、心得て居る。むしろ大勢で取り囲めば、葵も観念するであろう。さすれば、おじじ様の下知通り、生きて捕らえられると言う物じゃ」

 時康の作戦を、道真は心配そうに眉を顰めて聞いていた。

「では、生駒に向うぞ……道真殿は付いて来られるのか?」

「無論だ」

 時康達は総勢千の軍勢を率いて、生駒へと向った。

 その時、地上では、

「なんだ、あいつ等。派手に飛び回りやがって……天界にばれるじゃねえか……くそっ、こりゃ、吉野のお玉ちゃんの所に行ってる場合じゃねぇな……」と、白蓮達にばれない様に、山添から離れた吉野の地で、白金丸が飛び去る軍勢を見て、焦りながら呟いた。

---◇---

「暗くなって来ましたよ……お姉様……」

「……」

 明らかに機嫌の悪い白蓮に、遠慮気味に白雪が声を掛ける。

 白金丸から聞いていた、赤目と月ヶ瀬を探して回ったが、当然、白金丸の姿は無く、結局、山添まで帰って来た。

「どうします?山ちゃん様の所に寄ります?」

「……」

 終始無言の白蓮が心配になって、白菊が白蓮の顔を覗き込むと、白蓮の目には大粒の涙が溢れていた。

「お姉様……」

「あいいぃぃぃ!白金丸のばかあぁぁぁ!」

 白雪が声を掛けた途端、大声を上げて泣き出したかと思うと、突然、叫びながら、近くに生えていた、直径五十cmぐらいの大木を回し蹴りで圧し折った。

 地響きと共に轟音を轟かせて大木が倒れるのを、白雪は白けた顔で見ていた。

「なにあるか!私の何処が、気に入らない、あるか!ばかあぁぁ!浮気者おぉぉ!」

 叫びながら、周囲の大木を圧し折り、自然破壊を繰り返す白蓮に、

「お、お姉様!おっ、お、落ち着いて!」と、白雪が叫んだ。

 白雪の叫びを聞いて、ぴたりと自然破壊を止めると、

「白雪ちゃんは、贅沢ある……何度も何度も、喧嘩しても、何時も何時も、心配して迎えに来てくれる旦那様に文句言うなんて……」肩を震わせながら呟いた。

「はあ……」

「いいあるか、女は我慢しなきゃいけないある……白雪ちゃんは我慢が足りないある……」

「はあ……」

「私なんか、我慢して、我慢して……」

 白蓮の説教が始まって『またかよ……』と、長くなる事を知っている白雪は慌てて、

「あっ、そうだ、お姉様!お兄ちゃん、本当に仕事に行ったのよ!」と、勤めて明るく白蓮を説得した。

「……そうあるか?」白雪を不審感丸出しの目で睨む。

「そうよ!ほら、お兄ちゃんそう言う所〝だけ〟は真面目だから……」

「そう言う所〝だけ〟……〝だけ〟……」

 睨み付ける白蓮を見て、自分の失言に気付き、白雪は慌てて口を押さえる。

 その時、二人の上空を時康達の軍勢が飛び去って行った。

 白蓮はその後姿を眺めながら、

「じゃぁ、あれに付いて行ったら、あの人が居るあるね……」と、呟いた。

 その言葉を聞いて白雪は『どうか、お兄ちゃんが居ます様に……』と、心の中で祈った。

---◇---

「なるほど……淀川から大和川までの、信貴、生駒に広がる隠里か……確かにこれだけ広いと厄介だな……」

 大軍を背に、道真が呟いた。

「如何いたします」

 時康の隣で、憲正が尋ねると、

「……兵を分ける、憲正殿は三百を率いて北から、道真殿は同じく三百を率いて南から、わしは残りを率いて中よりまいる」時康は、指で方向を指し示しながら、命令した。

「うむ……」時康の命令を聞いて、不満そうに道真が時康を見た。

「どうかされたか、道真殿」

 不満そうな道真に気付き、時康が尋ねると、

「……本当に、心得て居るのでしょうな」道真が時康を睨んで尋ねた。

「ふん、どうやらわしは、道真殿には信頼されて居らぬ様じゃな」

「いや、そう言う意味ではないが……」

 冷たい笑みを浮かべる時康の言葉を聞いて、道真は思わず目を逸らした。

 まだ、歳若い時康から目を離す事に、道真は漠然とした不安を感じていた。

「では、若。我は北へ向います」

「うむ」

 憲正が時康に挨拶をして一礼すると、

「続け!」と、後ろの兵に腕を振り上げ命令し、北へと飛び去って行った。

「では、我も行って参ります……」

「うむ」

 道真が顔に不安を浮かばせ、時康に挨拶をし一礼をする。

 道真は、時康が心配だった。

 妖力も秀でて強く、武芸の鍛錬を怠らない時康は、既に立派な若武者では有ったが、従兄弟として生まれた時から時康を見ていた道真にとって、自分より若い時康が、まだ大人に成り切れて居ない所が心配で仕方が無かった。

 道真は、硬い表情で振向くと、後ろの兵に向って大きく手を振り、

「続け!」と、命令し南へと向った。

---◇---

「暗くなって来たね……皆どうしてるかな……」

「そうね……携帯も圏外だし……」

 腹も空いて、森の中で、どうすれば良いのか分からない龍士と明日香は途方に暮れていた。

「どうかしたのか?」元気の無い二人を気遣って、葵が声を掛けた。

「暗くなって来たし……お腹空いたし……今日、帰れそうに無いし……寝る所も無いし……」 

 明日香が、物悲しくポツリポツリと言うのを聞いて、

「そうじゃったの……人のお主らでは、此処では過し難いのう……」と、葵が同情した。

「せめて帰り道が分かれば……」

「方法はあるぞ」

「えっ!」

「どうするの!」帰れる可能性に二人は顔を輝かせる。

 葵に迫る様に尋ねる二人に、

「うっ、じゃが、人のお主らでは難しいぞ……」と、戸惑いながら葵が答えた。

「そりゃ、私達、空を飛んだり出来ないけど、山を降りる道さえ分かれば何とか……」

「いや、そうではない」

 明日香の言葉を葵が遮ると、

「どう言う意味?」と、不思議そうな顔で龍士か尋ねた。

 そして葵は、此処が化物達の隠れ里である事と、天然の結界に囲まれて空間が迷路の様になっている事を明日香達に説明した。

「じゃから、初めて此処に来た我も、容易には出られんのじゃ」

 自分達の常識の中に無い、環境を説明されても、二人は今ひとつ理解出来ないでいたが、普通に歩いて帰れない事は理解出来き、途方に暮れていた。

「でも、方法があるって……」

 葵が話した僅かな可能性に、明日香は縋る様に尋ねた。

「迷路の様になっている道順を、正しく進めば出られる」

「……それって、どうやって正しいって判断するの」

「それは……人のお主らでは無理じゃ」

「そんな……」僅かな希望が、絶望へと変わる。

「懸念いたすな、これも何かの縁、我が付いて行ってやる。我も此処から出ねば成らぬからな」

「本当!」再び明日香は、満面の笑みを浮かべて顔を輝かせる。

「本当じゃ」葵は明日香の笑顔を、優しい笑みを浮かべて見ていた。

 明日香と龍士は笑顔で顔を見合わせ、思わず手を握り合って喜んだ。

 そして、明日香は葵へと近付き、葵の両手を握って、

「お友達に成りましょう!」と、言った。

「えっ?」

 突然の事に戸惑う葵を無視して、

「ねっ、お友達よね!ねっ、良いでしょ!お友達!」と、明日香は葵の手を強く握った。

「そうじゃな……別に構わぬが……まあ、よろしく頼む」

 明日香の強引な態度に戸惑いながらも、明日香は笑顔で承諾した。

 龍士は、はしゃぐ明日香の姿を見て、別に変な所が有る訳では無いのだが、昼間の時と言い明日香は友達と言う事に、拘っている様な印象を受けた。

「あっ……」はしゃいでいた明日香が、急に静かになって、辺りをきょろきょろと見回し始めた。

「どうかしたの?」

 明日香の挙動を不審に思った龍士が明日香に声を掛けると、

「……ちょっと……ね……」と、明日香は口篭りながら答えた。

「えっ?おい……大丈夫か……」

 そんな明日香が心配になって、龍士が再び明日香に声を掛けながら近付くと、

「良いから来ないで!」と、言って森の奥へと向った。

「まて!」葵が大声を上げて、森の奥へと向う明日香を止める。

「えっ?」明日香は大声に驚き、思わず立ち止まり葵へと振向く。

「不用意に動くな。此処は隠里ぞ。道に迷えば、人のお主では戻れなく成るぞ」

「えっ、そんな遠くには行かないわよ……ちょっと其処までよ……」

 もじもじしながら言い難そうに答える明日香に、

「少しでもじゃ。油断するな。何処で結界が変化しているやも知れん。良いか、結界が変化している箇所では、通った道、例えば木々の間とかは、行きと同じ場所を通らねば元には戻れんのだぞ」

「えっ、そんなにシビアなの……」葵の説明を聞いて、明日香は戸惑っている。

 明日香は暫く考えて、

「目、瞑って……」と、龍士にぼそりと言った。

「えっ?」

 何の事か分からない龍士が聞きなおすと、

「良いから、目を瞑ってあっちを向いて!」

「えっ、でも……」

「鈍感!分からないの!あっち向いて目を瞑ってよ!早く!それと耳も塞いで!早くして!漏れちゃうぅ!」

 足踏みしながら必死で訴える明日香の言葉を聞いて、

「あっ……」やっと龍士は明日香の訴えが何であるか理解出来た。

「はやぐじでえぇ!」泣きそうな声で訴える明日香。

「あっ、ごめん……」龍士は言われた通り、目を瞑って反対側を向いて、耳を塞いだ。

 明日香は、龍士の姿を堪忍する暇も無く、皆を見失わない程度の所まで走って離れ、スカートをたくし上げると、白地に可愛い猫のキャラが、お尻の部分にプリントされたショーツを慌てて摺り下げ、しゃがみ込んだ。

---◇---

「おなかすいたぁ……」

「へっ?」

「お腹空いたって、言ったの」

 翔子が、洞穴の外に居る三匹の河童に向って訴えた。

 翔子達は、ちょうど二人が並んで寝そべる事が出来る程度の、洞穴の様な岩の裂け目を見付けて其処で今夜は眠る事にした。

 邦彦は外で寝る事にして、洞穴に枯れ草等を敷き詰め、ベッドメイキングが終わった翔子が河童達に、空腹である事を訴えた。

「それで……わてらにどうしろと……」

 翔子の訴えを聞いて、一匹の河童が戸惑いながら問い返すと、

「なんとかしなさいよ」と、翔子はあっさりと答えた。

「なんとかって……」河童達は呆れた顔で、顔を見合わせている。

「早くしてよ」

「魚でも捕って来ましょか……」

 催促する翔子に、半ば諦めた様に河童が提案すると、

「早くしてねぇ」と、翔子は笑顔で手を振った。

「はぁ……」河童達は大きく溜息を付いて、近くの川へと向った。

 暫くして河童達は、丸々と肉付きの良い三十cm近くある鱒を十数匹捕まえて帰って来た。

「おまちです……」と、河童達は笹の葉を敷いて、その上に鱒を降ろした。

「で……」

「で?……」

「料理してよ」

 しれっと、河童達に要求する翔子に、

「料理って……」と、河童達が途方に暮れる。

「わてら、普段はこのまま食べてまんねん、料理って言われても……どうやってええんか分かりまへんがな……」

「もう……使えないわね」

 ぷいっと、河童達から不機嫌そうに顔を逸らす翔子を見て、河童達の目に怒りの炎が上がった。

「兄貴、何でさっき逃げへんかったんや」

「せや、もう、うんざりでっせ」

 河童達が顔を付き合わせて話し合っている。

「あほ、これだけしたんや……元は取らんとな」

「元?」

「なんやかんや言うても、ええ女やで……」

「せやな、確かにべっぴんや……」

「乳も尻も……わての好みや……」

 河童達が、緑の顔を赤らめながら翔子を見ている。

「これから暫くは一緒に居るんや、乳揉んだり、尻触ったりする好機もあるちゅうもんや」

「なるほど……あわよくば、女陰(ほと)を拝めるかも……」

「そしたら、ぐいっと、わての一物をつっ込んで……」

 にや付きながら、企む河童達の後ろから、

「聞こえているわよ……」と、翔子の感情の無い声が聞こえた。

 緑の河童が、真っ青になって体を硬直させる。

 暗闇に光る閃光と共に繰り広げられる阿鼻叫喚の凄惨な情景に、邦彦と亜美は顔を背けた。

---◇---

「……」不機嫌な顔で、木の枝を立て掛けている明日香。

 三人は、寝る場所を探すために移動して、切り立った岩肌の場所へと辿り着き、夜露を凌ぐ為に、切り立った岩肌に葉の付いた木の枝を組み合わせる様に立て掛け、三人が一列になって眠むれるスペースを作っている。

「これ以上、真っ暗な中を歩くのは危険だから……これでなんとか、夜露を凌いで……」

 不機嫌そうに龍士と一緒に枝を立て掛ける明日香は、龍士を無視して無言のままだった。

「今夜は風も無さそうだし……これで良いか……」

 仮の宿を完成させて、黙ったままの明日香が気になり、

「さっきからどうしたんだよ……黙ったままで……」と、龍士が明日香に声を掛けると、

「べつに……」と、明日香は素っ気無く答えた。

 年頃の少女が、男性の直ぐ傍で用をたしたと言う事が、明日香にとっては、人生の敗北にも思えるほどの屈辱だった。

 そんな事とは露知らず、鈍感な龍士は不機嫌な明日香に、どう対処して良いのか分からずに戸惑っていた。

 其処へ葵が帰って来た。

「どうじゃ、こんな物でも食べるか?」

 葵は、両手に小さな(たけのこ)を抱えて帰って来た。

「わあ、筍!」明日香の顔に笑顔が戻る。

「えっ、でも……筍って苦手だな……」

「どうして、美味しいわよ。ちょっと早いかも知れないけど」

 龍士は、やっと、明日香が話してくれた事は嬉しかったが、筍は苦手だった。

「こんな時に好き嫌いなんて贅沢言わないの!」

「だって、硬いし、あくがえぐいし……」

「何言ってんの、旬の若い筍はえぐみも少なくて、柔らかくて美味しいのよ」

 嫌がる龍士に明日香が、筍の説明をする。

「食べにくいのであれば、焼けば食べ易くなるぞ」

 二人の話を聞いて、葵が提案すると、

「でも……火なんて無いし……」と、龍士が渋る。

「ほほほ、子供の様じゃの……よい、我が焼いてやる」

 龍士の渋る姿を見て笑った葵が、筍を地面へと並べる。

 そして両手を翳すと手に青白い炎が燈り、辺りを仄かに照らす。

「わっ!」

「すごっ!」葵の狐火を見て、二人は驚き半分に感心する。

 大きな狐火を一つ落とし明かりにして、そして小さな狐火を幾つか燈し、筍の上に落とす。

 暫くすると、香ばしい香りが辺りに漂った。

「もう良いじゃろ」葵が筍を明日香に差し出す。

「いただきまあす!」明日香は笑顔で受け取ると、熱い所に気を付けながら、筍の皮を剥き出した。

「どうじゃ、食べるか?」

「……うん」差し出された筍に、龍士は少し躊躇ったが、空腹には勝てず、この際仕方が無いと決心し、筍を受け取った。

 まだ熱い皮を剥いて、龍士が恐る恐る、一口、筍をかじると、

「あっ……美味しい……」と、初めての味に感動した。

「でしょ」明日香は得意げに龍士に言って、二つ目の筍の皮を剥きだした。

 そんな二人を微笑みながら見て、葵も筍を食べ始めた。

「ねぇ、でも、あの学校に現れた化物達に追われてるって、結局は誤解なんでしょ」

 筍を食べながら明日香が葵に尋ねると、

「そうじゃな、時貞様が我の腕の中で息を引き取られる所を、時貞様の家臣が見て、我が殺したと思ったみたいじゃ」

「そんなの、葵さんが遣ってないって、ちゃんと説明出来なかったの?」

「……話した所で……いや、どう話せば良いのじゃ……我は敵方の姫ぞ」

「そんな……」悲しそうな顔で話す葵の話を聞いて、明日香も悲しそうな顔になる。 

「二人が慕い合っていた事なぞ、言えるはずも無く……その上、事が大きくなった今では、我は帰る訳にも行かず……」

「葵さん……」龍士も葵に同情している。

「何時もそうよ……結局は、親の都合のせいで、何時も子供が迷惑するのよ……」

「えっ?」

 突然の明日香の言葉に、龍士は何の事かと明日香を見た。

「そうよ、親どうしが、いがみ会っているなら勝手に喧嘩すれば良いのよ、子供を巻き込むなんて迷惑でしかないわよ……親なんて……」

 嫌な事を思い出したように、悲しい顔で話す明日香に、

「どうかしたのか?」と、龍士が心配そうに声を掛けた。

「……」明日香は黙ったまま、三人の中央で燃えている狐火を見詰めていた。

「葵さん達は愛し合っていたのに……凄く愛し合っていたのに……なんで、こんな酷い目に合わなくちゃいけないのよ……可哀そうよ……そうでしょ!」

 静かに話していた明日香が、急に龍士に向って叫ぶ様に同意を求めた。

「えっ、う、うん……そうだね」急に聞かれて、龍士は戸惑いながら答えた。

「親の犠牲になる必要なんて無いじゃない!親同士がもめてなかったら、葵さん達は今頃、幸せに二人で居られたのに……そうでしょ!」

「う、うん……」

 龍士を睨み付ける明日香の目に、涙が浮かんでいた。

「橘……お前……」

 龍士が涙に気づいた事に、明日香は慌てて袖で涙を拭い、龍士から顔を背けた。

「橘、どうしたんだ?」

 心配して、尋ねる龍士に、

「な、なんでも無いわよ……」と、明日香は、顔を背けたまま答えた。

---◇---

「ご馳走様……」翔子が二匹の鱒を食べて、丁寧に手を合わせる。

 結局、枯れ草をほぐし、翔子の静電気で火種を作り、焚き火で魚を焼いて皆で食べたが、河童達は生のままで食べていた。

「山添、お前もう良いのか?半分ほどしか食べてないじゃないか」

 亜美の隣に座る邦彦が、亜美の小食を心配している。

「そりゃ、今日一日で、いろいろあったもんね。食欲も無いわよ」

 翔子が前から邦彦に言うと、

「そりゃそうだけど……」と、二匹をペロリと食べた翔子の食欲に呆れた。

「でも食べないと体が持たないぞ、これから三日は歩かないといけないのに」

 心配そうに見詰める邦彦に、

「うん、大丈夫……」と、亜美が少し頬を染めて笑顔で答えた。

 そんな二人を見て、

「何?二人とも……ふうぅん……」と、翔子がニカッと笑みを浮かべて、

「田原本君、なんなら寝る場所変わってあげようか?」と、冷やかした。  

「なっ!何、何を言ってんだ!」

 邦彦が顔を真っ赤にして、翔子に怒鳴ると、

「ふふふふ」と、翔子は更に、冷やかす様な笑みを浮かべる。

 そんな二人をの話を聞いて、亜美も、燃えている焚き火以上に顔を真っ赤にしていた。

「ば、ばかな事言うなよ……山添が困ってるじゃないか」

 更に、冷やかしネタに油を注いだ邦彦に、

「あら、田原本君って優しいのね……山添さんには」と、案の定、翔子は更に冷やかした。

 二人は真っ赤になって黙ってしまった。

 なんだかんだと言っても、慣れない環境でも、逞しく生きている五人であった。

---◇---

 腹も満たされ、五人の巻き込まれた高校生達が眠っている頃、

「時康様、有りました。隠里の入り口です」と、一人の若武者が時康へと報告した。

「やっと見付けたか。よし、行くぞ」

「はっ」

 若武者は返事をして一礼すると、案内するために飛び立った。

 その姿を見て、時康は、

「続け!」と、軍勢に号令を掛け、若武者を追って行った。

 そして、時を同じくして、憲正と道真の軍勢も隠里の入り口を見つけ、隠里へと侵入した。

「あれ……行っちゃいましたよ」

 白雪が、時康の軍勢が飛び去るのを見て、白蓮に言うと、

「いないある……」と、白蓮は白雪の言葉に気付く事無く辺りを見回している。

 そんな白蓮を呆れた顔で見ながら、

「もう隠里に入ったんじゃないんのかな……」と、もう、どうでも良いやと言う態度で、白雪が呟いた。

「じゃ、私達も入るある」

「えっ、隠里に?」

「行くある」

 そう言って、白蓮はワンピースのスカートの裾を捲り、何処にしまってあったんだと思わせるぐらい大きな扇子を取り出した。

 綺麗な羽飾りと彫り物がしてある扇子は、巾が五㎝以上あり、長さも五十cm以上あった。

「えっ?ちょっとお姉様、まさか、結界を破る気?」

 白蓮が扇子を取り出したの見て、白雪が驚いて尋ねた。

「こんな結界、ちょろいある」白蓮が扇子を振り上げる。

「あっ、駄目よ!お姉様!」白雪が慌てて白蓮を止める。

「なんであるか?」止める白雪に、不満そうに尋ねる白蓮。

「隠里って天然の結界でしょ。幾つ物結界が微妙なバランスで折り重なっているのよ。そんなの私達の力で壊したら、バランスが崩れて、それこそ大事(おおごと)になるわよ」

 白雪に、窘められて不満そうに頬を膨らませる白蓮に、

「お兄ちゃんの手前もあるから、余り目立つ様な事はしない方が良いわよ」と、白雪が更に釘を刺す。

「じゃ、どうするあるか?」

「入り口を探すしか無いでしょ……」

「面倒ある……」

 いい歳して、駄々っ子の様に唇を尖らせ、頬を膨らませる白蓮を、白雪は呆れて見ていた。

「まあ、とりあえず、探しましょうよ」

 白雪が笑顔を浮かべて、白蓮を宥める様に促すと、

「分かったある……」と、白蓮は渋々同意した。

「で……」

「で?……」

「どっちに行くあるか?」

「もう、分かんないわよ……」

「じゃ、とりあえずこっち……」

「とりあえずって何よ?」

「とりあえずはとりあえずあるよ」

 などと、二人は話しながら、隠里の入り口を探し始めた。

 一方、白金丸は、

「信貴か……あっ、此処だと石川の良子ちゃんが近いな……あっ、いや、そんな暇は無いんだ……」と、少しは真面目に仕事をする気に成っていた。

「なるほど……隠里か……厄介だな……そう言えば、さっきの狸の小僧から変な気配がしたな……まさか、あいつも神杖を持ってるんじゃ……ああ、面倒だな……しょうがない、急ぐか」

 そう言って、白金丸は両手を差し出し、手を光らせると、

「よっこらしょ……」と、結界を開き、

「どっこいしょ……」と、開いた所を通り抜け、

「あらよっと……」と、開いた結界を閉じた。

 隠里にあっさりと侵入した白金丸は、

「さて、どっちに行くかな……」と、辺りを見回した。

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