第2話
残酷な表現が含まれています。
---追跡---
「まだ、捕らえられんのか!」怒鳴り声と共に、椅子を下に控える者達に投げ付ける。
人も通わぬ山間の、五十段ばかりの石段を登った所に在る朽ちた神社の境内に、陣屋の幕が張ってある。
松明が燈される中、狭い陣屋に百匹以上の化物達が集まっていた。
「時康様、なにとぞ、お気をお静め下され」
「黙れ!」
宥め様と近付いた老婆を、時康と呼ばれた裃姿の青年が殴り飛ばす。
「あ、兄じゃを、殺されて……どう静まれと言うか!」
「ひっ!」時康は、更に老婆を蹴り飛ばす。
下に控える化物達も、時康の剣幕に身を縮め、怯えている。
「我が遅れて着いたばかりに……この様な、不始末、おじじ様に何と申せば良いのか……」
暴れていた時康が、急に力が抜けた様に、膝を付いて項垂れる。
「若、只今、源一坊が追い詰めております故、直に……」
「多門次……」
時康が、声を掛けて来た青年を睨み付けると、
「はっ!」山伏姿の多門次は、怯える様に慌てて頭を下げた。
「真事兄じゃは、大台の女狐めに遣られたのか……」
「はっ!我と源一坊が駆け付けました時、既に御曹司は塵と成り消え行く所にございました。其の時、傍に居りました者達を捕らえ様としました所、侍女と思しめき者達が、姫様と、葵様と呼んでいるのを、しかとこの耳で」
「其の侍女達は如何した……」
そう言って、時康はゆっくりと立ち上がり、多門次へと近付く。
「はっ!全て、その場にて、引き裂いて、滅っしました」
「そうか……」
近付く時康に怯えながら答える多門次の前に、時康はしゃがみ込み、
「そして、女狐めを取り逃がし、男刀を奪われ……貴様は、よくも、おめおめと戻って来れたの……」鋭い爪を伸ばした手で、多門次の首を鷲掴みにする。
「ぐっ……」爪が、多門次の首に食い込む。
「……」冷酷な目で時康は多門次を睨んでいる。
死の恐怖に震える多門次の目が白く裏返った時、
「貴様も、女狐を追え!」と、叫び、時康は多門次を投げ捨てる様にして首から手を放した。
「ぐっ、ごほっ……は、はっ!」喉を押さえ、ぼやける意識を必死で保ちながら、多門次が一礼をして返事をする。
多門次が立ち上がり黒い翼を伸ばし、後ろに控えている化物達に手を振り合図すると、化物達が一斉に立ち上がる。
再び多門次が時康へと振り向き、膝を突いて一礼をすると、多門次は烏天狗へと姿を変え、化物達を引き連れ、その場を飛び去って行った。
先程、殴り飛ばされた老婆が、健気にも時康が投げ放った椅子を拾い、時康の傍へと運び広げて置くと、時康は其の椅子に黙って座った。
そして時康は、考え込む様に腕を組み、じっと多門次達が飛んで行った空を見詰めていた。
---◇---
真っ暗な林の中を青白い光が、木々を縫う様にくねりながら凄まじいスピードで飛んで行く。
青白い光を放ち、白狐姿の葵が通り過ぎた直後、木々に光の矢が連続で突き刺さる。
体を掠める様に飛んでくる光の矢を避け、体を捻りながら反転した処へ再び光の矢が通過する。
葵は懐剣を咥えながら、前足の爪を伸ばし、光の矢を放っている蜂の化物へと突進する。
蜂の化物と擦違った刹那、葵の爪に引き裂かれた蜂は、緑色の体液と共に黄色い臓物を撒き散らす。
蜂の化物は落下する途中で塵と成って消えて行った。
着地し駆け出した葵の前に、ムカデの化物が体を起こし立ちはだかる。
葵は走りながら、背中から青白い炎を舞い上げる。
立ちはだかるムカデの寸前で、炎で全身を包み込み、葵は飛び上がりムカデへと体当たりをかます。
衝突した瞬間、ムカデの胴は肉片を撒き散らし砕け散る。
葵が再び着地した時、ムカデは塵と成って消えた。
群がる化物を、躊躇う事無く容赦の無い攻撃で叩き潰す。
迷ったり手加減する余裕等、葵には無かった。
「おのれえぇ!」一つ目の大入道、源一坊が凄まじい勢いで木々を薙ぎ倒しながら、葵を追う。
僅かに木々が途切れた時、源一坊が勢い良く飛び上がり、錫杖を振り上げ、
「たあぁぁ!」気合と共に錫杖を袈裟懸けに振り下ろすと、衝撃波が三日月の形で空気が震わせ、葵へと向う。
「ぎゃあぁん!」衝撃波が命中し弾き飛ばされた葵は、咥えていた懐剣を落とし、杉の大木を五・六本薙ぎ倒して倒れた。
「くっ!」倒れた葵は、直ぐに体を捻り、弾ける様に立ち上がり四本の足を踏ん張ると、体の周りに青白い狐火を五つ浮かべ溜める。
「はあぁぁ!」気合と共に狐火が、駆け寄る源一坊へと放たれる。
勢いの付いていた源一坊が、慌てて止まり錫杖を構えた。
「このおぉぉ!」飛んで来る狐火を錫杖で薙ぎ払うが、四発目、五発目が払えず、源一坊に命中する。
「ぐっ……」命中した狐火は、爆発し凄まじい炎を上げ、
「うおぉぉ!」炎に包まれた源一坊が、もがき苦しんでいる。
其の隙に、葵は再び懐剣を咥え、
「うっ……」痛む体に顔を顰めながらその場を飛び去った。
「はあっ!」葵が飛び去った後、源一坊が気合と共に炎を吹き飛ばす。
「うっ、おのれ、流石じゃわ……」源一坊は膝を付き、葵が飛び去った後を睨みながら呟く。
「何をしておる!追え!追うんじゃ!」
源一坊の怒鳴り声で、葵の後を追い化物達が一斉に飛び上がった。
「源一坊!」葵の後を追いかけ様とする源一坊が、名前を呼ばれ立ち止り、
「……多門次か……」空の一点を見詰め、源一坊が呟く。
月の無い漆黒の星空から、黒い影が近付く。
百余りの化物と共に、多門次が源一坊の傍に降り立った。
「源一坊……どうした、其の姿」
焼け焦げた衣を見て、多門次が源一坊に声を掛けると、
「何でも無いわ……流石に大台の姫だけの事はある、と言う事じゃ……」と、源一坊は、にやりと笑って答えた。
「そうか……油断は出来んな……しかし、何故じゃ」
「何がじゃ」
辺りを見回す多門次の言葉が分からず、源一坊が聞き返す。
「此処は赤目の森……伊勢から見れば大台とは正反対……方向が違う。何故、女狐は眷族の居る大台へと逃げぬ」
「うむ……言われて見れば……伊予の我らならいざ知らず、勝手知ったる女狐が、方向を粉うとは、思えんな……」
「何か企んで居るのやも……」
「御曹司を手に掛けた女狐じゃ……何を企んでおるのやら……多門次、どうした其の首」
言葉の途中で源一坊が、多門次の首に付いている傷と手の形をした痣を目に留め尋ねた。
「……お叱りを受けた……」多門次が首を摩りながら言うと、
「……若が、時康様が伊勢の地に着かれたのか……」目を細め、恐れる様に源一坊が尋ねた。
「ああ、我が鷲嶺の陣屋へ手勢を集めに戻った時には、既に御着きになっておられた」
「うむ……では、急がんとな……」
「ああ……」
二人は顔を見合わせ頷いて、葵の後を追う為に空へと舞い上がった。
---◇---
「な・に……死んだ……」
体長が三mは超える大狸が、愕然と力が抜けた様に椅子に崩れ落ちる。
大狸は、可也の齢を重ねているのか、全身に白い毛が混じっている。
「時貞が……我が孫が……死んだ……」
焦点の合わない目で、空を見詰め、大狸がうわ言の様に呟く。
「はっ、勧善院多門次様の報告によれば、御曹司が身罷れる刹那、傍らに、大峰の主、笹百合御前が末娘、大台の葵が居ったとの事。直ちに捕らえるべく、伝法院源一坊様と共に、大台の輩を討ち果たしましたが、葵を取り逃がし……」其処まで報告すると、小柄な烏天狗が言葉に詰まる。
「……取り逃がし、どうした!」大狸の脇に控える、古老の狸がきつい口調で問い質す。
「はっ……取り逃がし……我が一族の宝、風斬りの刀、その男刀を……奪われました!」
小柄な烏天狗は、戸惑いながら報告し、最後は叫び頭を地面へと擦り付ける様に下げた。
「何!男刀を奪われたと!」古老の狸が叫ぶと、辺りが騒然とざわつく。
「許せん!女狐どもが!」
「五百年前の戦、再び起こそうと言うのか!」
「戦じゃ!」
「おお!戦じゃ!」
森の中の、そう大きくは無い神社の境内に集まる狸達が口々に騒ぎ立てる。
狸達に混じり、おぞましい姿の化物達も同じに騒ぎ立てる。
「静まれ!」古老の狸が、しわがれた大声を上げ、騒ぐ者達を制する。
「ご隠居様の御前ぞ!」
古老の狸の一声で、騒いでいた数百匹の狸と化物達が一斉に押し黙る。
「しかしながら、法蔵院様……」
「黙れ……ご隠居様がお決めに成る……おのれらは口出し無用」
法蔵院と呼ばれた古老の狸に睨まれ、若い狸が頭を下げ黙る。
「ご隠居様……」法蔵院が、大狸へと振向く。
大狸は目を閉じ、じっと何かを考えていたが、
「多門次の話だけでは、時貞を殺した下手人が葵とは決め付けられぬな……」と、徐に目を開け、法蔵院へと話しかけた。
「されど、我らが宝。風斬りの刀を奪い逃げて居ります」
「うむ……」
再び大狸は目を閉じ、じっと考えている。
「しかし今更、大峰が戦を仕掛けて来る理由が分からん……」
「確かに……五百年前の大戦、お互いの数が半数以下に成る程の激しい戦。それ故、未だに一族の者は意趣深く、忘れては居りませぬ……大峰も、また同じ……」
「右衛門、だからと言うて、時代も変わった今と成って、戦を仕掛けて来るほど、大峰は愚かでは無いぞ……大峰も紀伊と大和の百万石を治める主、その様な軽率な事はすまい」
大狸に言われ、法蔵院が頷く。
「孫が死んだ事は悲しい……この身を引き裂かれる思いじゃ……じゃが、わしは男刀の行方が気に成る」
「ご隠居様……」
「二百七十……いや、もう八十年前になるか……伊予松山藩のお家騒動……」
「はっ、謀反人、小源太との盟約により、我らはお家騒動に巻き込まれ、稲生武太夫の〝神杖〟風斬りの刀で、我が一族は、此処九谷、久万山に追いやられ……」
「其の後、領主、松平定英様は差控を幕府から命ぜられ、後を継がれた定嵩様より、わしが隠居する事を条件に、和睦の印として授かった我らが宝……」
「我らに害を成さぬ証として、妖刀、風斬りの刀を二つに折り、我らに下された。我らはそれを、男刀と女刀の二振りの懐剣に拵え直し、宝とし、隠神刑部様はこの、久万山にご隠居なされた……」
「御家騒動の時、息子夫婦を失ったが、立派な跡取りを残してくれていた……なのに、なのに……」
「ご隠居様……」
隠居した隠神刑部が、無念を隠せず顔をしかめ項垂れるのを見て、法蔵院も無念の表情を浮かべ項垂れた。
「右衛門、何としてでも男刀は取り戻せ……ただし、葵は殺すな……どう、痛め付けようと構わぬ……事の次第を話せるならば口だけでも構わぬ……必ず引っ立てて参れ」
「御意」
項垂れたまま、弱弱しく話す刑部に法蔵院が深く頭を下げる。
「佐助」
「はっ!」
法蔵院に呼ばれ、報告に来た小柄な烏天狗が、返事をして頭を下げる。
「今の事、時康様に御伝えせよ」
「はっ!」命を受けた佐助は、返事をし一礼すると直ぐに其の場を飛び立った。
「伝助」
「はっ!」名を呼ばれ、大柄な狸が法蔵院の前に現れ跪く。
「阿波の者達に、紀伊水道を警戒せよと伝えよ、ただし、手出しは命があるまでは許さぬと」
「はっ!」返事をし一礼をした伝助が、直ぐに其の場より駆け出した。
「よいか、皆の者!命があるまでは動くでないぞ!独断は許さぬぞ!」
しわがれた大声で、集まった化物達に法蔵院が下知すると、皆が一斉に返事をし、頭を下げた。
「古より、大峰の者達には、はらわたの煮えくり返る思いなれど、再び、紀伊大和百万石と四国百十一万石が戦ともなれば……」
頭を下げる皆を見渡しながら、法蔵院が呟くなか、刑部は力無く項垂れたままだった。
---◇---
日本最大の湖、琵琶湖。その最深部は百m近くある。
日の光も届かない湖底に、淡く輝く宮があった。
宮廷の中では、美しい十二一重をまとった、女御達が楽しそうに歌を歌い遊んでいた。
「これは、これは……お美しい姫様方がお集まりで……」
御簾を潜り、鯰の様な髭を生やした、公家姿の老人が、女御達が遊んでいる所へとやって来た。
「あら、珍しや。右京の太夫が参られた」
「お上、鯰太夫が参られましたえ」
美しい少女達が、上品な笑い声を上げる。
鯰と言われ、老人は少し苦笑いを浮かべながら、笑う少女達を優しい目で見ている。
「何用じゃ、右京」
少女達の遊んでいる所の奥にある、御簾の中から声がした。
老人は少女達に一礼をして、御簾の前まで進み、其の場に座ると、
「本日は、東海蒼龍王様が御公達 正三位近江廣徳十郎尹大納言 (いんだいなごん)白金丸様におかれましては……」
「ああ、もうよい……その様な、ながながとした口上など聞きとうは無い」杓を前に頭を下げて口上を述べる老人に対して、御簾の中から、うんざりとした声が聞こえた。
「何を申されます。近江様は御自分の立場と言う物を、わきまえなさりませ。天帝様より正三位の位を授かり、弾正台の役職に就かれる、近江の國と其の周辺十ヶ國、五百万石を治められる大貴族であらせられますぞ」老人は、にが虫を噛み砕いた様な顔の眉間にしわを寄せて、御簾の中の白金丸を諌める。
「分った、分った……以後、気を付ける……もう、許せ、右京……」
面倒臭そうに答える白金丸の声に、老人の眉がぴくぴくと動き、額のしわが更に深くなる。
「はぁ……」老人が、諦めたかの様に大きくため息を付いて、
「下々では、何やら騒々しく、近江様には、お耳汚しと成るやも知れませぬが、弾正台にはお知らせした方がよろしいかと存じまして上がりました」老人が再び丁寧に頭を下げる。
「よい、申してみよ」
「はっ、伊予の狸めと大峰の狐めとが、再び、きな臭く成っておるようで」
「ほう……何故じゃ」
「はっ、伊予の隠神刑部狸めの嫡孫、時貞を、大峰の笹百合狐めの末娘、葵が手に掛けたとか。更に葵は、狸めらの宝である風斬りの刀なる物を奪い逃げたとの事にございます」
「何……風斬りの刀だと……」
「はっ、そう聞き及んでおりまする」
驚きが混じる白金丸の声に、老人は何事かと訝しむ。
「近江様……如何なされました」
「……いや、何でも無い……相分った。ご苦労、下がってよい……」
「はっ、しかし、如何いたしまするか……このままでは、再び五百年前の様な事が起きるやも知れませぬ」
何時もなら、世間の噂話には喜々として乗って来る白金丸が、やけにあっさりとしている事に、老人は不思議そうな顔で尋ねた。
「両者も馬鹿では有るまい。そう、軽々と戦など起こしはすまい……よい、捨て置け」
「……はあ……」
老人は、何か煮えきらぬ思いを残し、再び白金丸に長々とした挨拶をした後、席を立った。
老人が去った後、御簾の中の白金丸は、
「風斬りの刀か……厄介な物が出て来たものだ……」と、眉をしかめていた。
---◇---
既に日が昇り、辺りは明るくなっている。
葵は山添村の山奥にある、小さな神社の拝殿に隠れていた。
少女の姿に戻った葵は怯えながら、身を縮め胸にしっかりと懐剣を抱き締めていた。
「時貞様……」そう呟く葵の目に涙が光る。
其の時、外が俄かに騒がしくなった。
葵を見失った多門次の一党が、神社の境内に降り立っていた。
「この辺りに間違いは無い、探せ!」
多門次が手を振り、化物達に命令すると、化物達は散らばる様に飛び立った。
二十匹程の化物と多門次が境内に残り、境内の中を探りに掛かる。
葵は、其の様子を拝殿の中から、一晩中追っ手に追われ、体のあちこちに痣と血の跡が残る体を縮め震えながら見ていた。
多門次が、何かの気配を感じたのか、葵の隠れている拝殿の中を探る様に見回している。
そして、葵が隠れている、向かって右側の部屋の扉を開け様とした時、
「何か、用か」と、一匹の大狸が多門次に声を掛けた。
多門次が、狸をちらっと横目で見たが、無視するかの様にそのまま扉を開けた。
「待たんかい!」
体長二m超える大狸が、同じ位の体格の多門次の肩を掴み引き止めると、
「放せ」多門次は前を向いたまま、素っ気無く言い放った。
「おい、兄ちゃん……誰に向かって口きいとんか分ってんか?」
大狸に肩を引かれ、煩わしそうに大狸を睨み付け、
「邪魔をするな」と、大狸の手を乱暴に払い除けた。
「おお、ええ度胸やの……わしを、この社の祭神と知っての狼藉か……」
「なんだと……」祭神と言われ、多門次が訝しむ様に眉をしかめる。
「神山添伊波礼琵古命っちゅうたら、わしの事じゃ!」
「何!」
凄む様に、多門次に迫る大狸に、思わず多門次が身を引いた時、開けた扉の影に白い足が見えた。
「此処に居ったか!」多門次が飛付く様に、更に扉を開けて、葵を見つけた。
葵は顔を背け、身を縮める。
葵を捕まえようと、部屋に上がり掛けた時、
「待てって言うとるやろが!」と、再び大狸が多門次の肩を掴んだ。
止められた多門次は、煩わしそうに振り返り、跪いて、
「御祭神、無礼の段は謝る。許されよ……」と、言って深く頭を下げた。
「されど、我は、この大罪を犯したる下手人を捕らえる為に参った。手出し無用に願いたい」
「下手人?」
礼儀正しく謝る多門次の姿を見た後、大狸は葵の方を見た。
葵は怯えながら、涙を溜めた目で大狸を見て、首を左右に振っている。
「それを信じろと……わしには、この狐のお嬢ちゃんが、そんな悪い事する子には見えんがな……まずは、名乗ってもらおか」
再び、多門次に振り返り、大狸が言うと、
「これは、ご無礼仕った。我は、伊予松山の隠神刑部様が御嫡孫、時貞様に仕える、勧善院多門次と申す者」多門次は更に頭を下げて名乗った。
「ほう、刑部はん所の身内か……これはこれは……で、このお嬢ちゃん、何しよったんや?」
刑部の名を聞いて、大狸の顔が緩み、気さくな態度で、頭を下げる多門次の前にしゃがみ込んだ。
「はっ、この狐は、我が主、時貞様を手に掛けた上、一族の宝、風斬りの刀を奪い逃走。それを今、追い詰めた所」
「ほお、御嫡孫をな……あの物騒な懐剣でか?」
大狸は、多門次の説明を聞いて、葵の持つ懐剣を睨んだ。
「は、物騒?はて、あれは我ら一族の宝、決してその様な物では……」
「ほう……そうかぁ……」
訝しむ多門次を他所に、大狸は懐剣を睨み付けている。
「お前さんは、礼儀も物の道理も知ってるみたいやさかい言うけどな、あのお嬢ちゃんが刑部はん所の孫さんに簡単に勝てるか?そんなお嬢ちゃんが、孫さんを手に掛けて、あの程度の傷やなんて……信じられんな……」
「あの傷は我らが追い詰めた時の物……それにあの時、侍女も五匹連れて居った故、騙まし討ちも有るかと」
「騙し打ちな……そら、可笑しいわ。孫さんは、このお嬢ちゃんを知っとたんか?」
「いや……その様な事は……我ら一族、大峰の一族とは五百年来の仇敵。会った事も無いはず」
「せやったら、初めて会ったもんに油断する様なぼんくらか?闇討ちやったとしても、孫さんは、そんなぼんくらやったんか?」
「我、主を悪く言うのは、お止め願いたい……」
大狸の言葉に、多門次は怒りの目で睨み付ける。
「まぁ、ええ。わしが言いたいのはそれだけや。まぁ、ゆっくり考え。頭に血が登っとたら、大事なもんを見落としてる時があるさかい……」
「ご助言、心に刻む……それでは」そう言って、多門次は葵の居る部屋へと向いた。
「待ちいや兄ちゃん!」
葵の居る部屋に入ろうとする多門次を制し、大狸は部屋の中の葵を見て、
「お嬢ちゃん、この天狗の兄ちゃんと一緒に行くんか?」と、聞くと、葵は後退りしながら首を左右に振った。
「や、そうや……悪いけど、今日は、このまま帰ったってんか」
「そう言う訳には行き申さん!」
多門次が、大狸に振向き怒鳴ると、
「おい、兄ちゃん……此処はわしの縄張りや……今日の所は、わしの顔を立てて帰ったてんかって言うてるんや」大狸は、睨みを利かせながら、多門次に言い寄る。
「我らが刑部様の家臣と知って申されて居るのか。狐めに味方すると申されるか」
多門次も負けじと睨み、大狸に言い寄る。
「あほか、誰も狐に味方するやなんて言うて無い……」
「ならば……」
二人は顔を突き合わせながら睨み合って居る。
「あのな、怪我した小鳥が、震えて懐に飛び込んで来よったんや……それを見捨てるやなんて薄情な事、出来るか……わしかて男やど……」
「されど……」
「何も刑部はんに盾突く積りは無い。わしも刑部はんは尊敬しとる。義理堅いお狸様やって事は、よう知っとる。せやけどな、神席の末席を汚す、こんなわしでも、人々の信仰を集めとんじゃ。薄情な事出来るかい!それでも無理に押し通るっちゅうんやったら……」
大狸はそう言うと、多門次から離れ、
「どっちの味方もする気は無いけど、わしの顔、潰すっちゅうんやったら、相手になったるで……」と、業とらしく四股を踏み出した。
「……」其の姿を、多門次は黙って見ている。
「では、御祭神。刑部様より正式な親書を持って願えば、如何される」
「刑部はんの親書……道理を通せば、わしも文句は言わん……さっきも言うた様に、どっちに味方する気も無いよってな」
多門次は大狸の言葉を聞いて、暫く考えると、
「では、今日の所は、これにて御免……お騒がせし、申し訳無く存ずる……」
多門次はそう言って、大狸に深く頭を下げ、振向き拝殿を出て行った。
「引くぞ!」外に出た多門次は、化物達に命令すると、境内から飛び立って行った。
多門次達が飛び立ったのを見て、大狸は葵へと向いて、
「そう言う事や。ゆっくりして行き……」と、微笑みながらそう言って神殿の方へと向った。
「御祭神様!」
立ち去る大狸に、慌てて葵が駆け寄ると、
「このご恩、生涯忘れませぬ……」と、平伏して礼を言った。
「……別に、ええ……それより、どうするんや?大峰の一族って言うてたな……大峰に帰るんやったら、わしの眷族付けたろか?」
優しい微笑を浮かべて尋ねる大狸に、葵は顔を曇らせる。
「……どないした?」
そんな葵の様子を心配して、大狸が尋ねると、
「帰れませぬ……帰れませぬ……」そう言って、葵は項垂れる。
「帰れんって……なら、何処ぞ行く当てがあるんか?」
大狸にそう聞かれ、葵は首を横に振る。
「せやったら……」
「これ以上の御迷惑を掛ける事は出来ませぬ……直ぐに出て行きます故……」
「まだ、あいつ等居るで……」
大狸の言葉に、葵は悲しそうな微笑みを浮かべて頷く。
「それより、体、大丈夫か?ゆっくりして行ってええんやで」
「ありがとうございます。もう、大丈夫です」
「わしでは、力になれんか?」
「いえ、その様な事……」
「なんぞ、やる事があるんか?」
そう尋ねる大狸に、葵は静かに頷いた。
「そうか、覚悟は決めとるんやな……せやったら、好きにしたらええ……」
「ありがとうございました」と、葵は丁寧に頭を下げて、拝殿を出ようと振向いた。
「あっ、ちょっと待ち……長助!勘兵衛!」
「へい!」呼ばれて二匹の狸が、ぽんっとその場に現れた。
「兄貴、なんでしゃろ?」
「あほ、命様って呼ばんかい!客人の前やど!」
「あっ……すんまへん……」
大狸に怒鳴られ、現れた狸が、恥かしそうに頭をかいている。
「長助、お前はこのお嬢ちゃんに化けろ、それから二匹で大峰に向って飛べ」
「へい……何の為に?」
化けろと言われた長助が聞くと、
「周りに悪い奴らがぎょうさん居るんや……お譲ちゃんが逃げる前に、お前ら囮になって、そいつらを引き付けたれ」
「なるほど、面白そうでんな……」
「その様な事!危のうございます!」
囮になると聞いて葵が慌てて止めに入る。
「大丈夫や、こいつ等、子供の時から悪さばっかりしおって、逃げ足だけは天下一品や。心配せんでええ」
「へへへへへ……」大狸の言葉に、二匹の狸が葵に向って照れくさそうに笑っている。
「でも、兄貴……いや、命様。なんで勘兵衛も?」
長助が、体格の良い大柄の勘兵衛を指差し尋ねると、
「あれだけ大見得切ったんや、お嬢ちゃん逃がすのに、誰も付けんかったら怪しまれるやろ……護衛代わりに一匹付けたら、信憑性が有るっちゅうとこや」
「流石、あに……いや、命様!」
「それで、お譲ちゃんは、一人身軽に逃げたらええ」
「その様な事まで……何から何まで、ご迷惑を……」
「此処で会ったのも、何かの縁や……気にしな」
大狸が頭を下げる葵の肩をぽんと叩く。
「じゃ、命様、行って参ります」
そう言って、長助が空中でくるっと一回転して葵そっくりに化ける。
「おお、ええがな、立派なもんや……ええか、無茶しなや」
「へい!」
返事をして二匹が拝殿を出て、空へ向って飛び上がった。
案の定、大勢の気配が、其の後を追って行くのが分かった。
「では、御祭神様……これにて失礼いたします」
「たっしゃでな」
葵が深く一礼をして、拝殿を出て、空へと飛び上がった。
葵が飛び去る姿を、大狸は見えなくなるまで見送っていた。
---◇---
「なに、おじじ様が……」
「はっ、女狐めは殺すなと」
伊予から戻った佐助の伝令を聞いて、時康は眉を顰める。
時康は、裃姿から戦装束に着換えている。
「……分かった、下がってよいぞ」
「はっ」
佐助の去った後、黙って目を瞑っていた時康が、徐に目を開き、
「道真殿、どう思う……」と、隣に立つ戦装束の青年に声を掛ける。
「どう思うと、問われても……ご隠居様の言葉じゃ、従うのが道理であろう」
道真と呼ばれた時康より少し年上に見える青年が、少し困った様な表情を浮かべ答えると、
「相手は、大峰の笹百合の娘ぞ、そんな簡単に行くものか……」と、同じく時康の隣に立つ、もう一人の戦装束の青年が無表情のまま呟く。
「うむ、憲正殿それはそうじゃが……とにかく、追手の者へ伝令を……」
道真が憲正と話している所を、
「構わん」そう言って、時康は立ち上がる。
「なんだと……」
「おいっ!刀を持て!」問い質す、道真を無視して、時康が奥に声を掛けると、老婆が恭しく刀を持ってやって来た。
「時康殿も出るのか?……」
「兄じゃを殺されて、じっとして居られるか」時康が、渡された刀を腰に差す。
「如何に、おじじ様の言葉でも……今回ばかりは」
「おい、どう言う意味だ」道真が、時康へと詰め寄る。
「好きにさせてもらう……」睨み付ける道真を睨み返す。
「馬鹿を言え!ご隠居様の下知だぞ!」
「やかましい!」怒鳴る、道真に時康が掴み掛かる。
「おやめ下さい!」思わず老婆が止めに入ると、
「引っ込め!」と、怒鳴り、時康は老婆を蹴り飛ばした。
「従兄弟殿!」道真は、そう叫ぶと、時康の手を払い除け、老婆へと駆け寄る。
「何をする!年寄りに!余りと言えば余りぞ!」
「ふん……」老婆を抱き起こし、怒鳴る道真から時康は顔を背ける。
「従兄弟殿!」
「……従兄弟殿、従兄弟殿……道真殿が我を叱る時は、何時もそう呼ぶ……」
「それがどうした!」
「行くぞ、憲正殿……」
「はっ……」
叫ぶ道真を無視して、時康は憲正と共に奥へと下がって行った。
「おい!従兄弟殿!」
「おやめ下され……」
時康を呼び止め様と怒鳴る道真を、老婆がか細い声で止めた。
「しかし……」
「坊は……いえ、時康様は御寂しいのですよ……ご両親を、松山の御家騒動の時に亡くされ……まだ、幼く顔も覚えない内に亡くされ……今、兄である時貞様まで亡くされて……この婆には、よう分かります……」
「お婆……」
「婆は知って居ります。乳母として小さき時より御使えした婆は、時康様は本当は、お優しい方だと知って居ります……」
寂しそうな目で語る老婆の話を、道真は黙って聞いている。
「まだ、小さき時に、時康様を喜ばせ様と、蝶を捕まえ籠に入れてお見せしたら、時康様は〝可哀そう〟と申され、涙を流されました。そして籠より放って飛んで行く蝶を見て〝蝶は楽しそうに飛んでいる姿が一番愛らしい〟と、笑顔で仰いました……」老婆は其処まで語ると、涙で言葉を詰まらせた。
道真は老婆の話を聞いて、両親に続いて、兄まで失った時康の悲しみに同情した。
---◇---
日が高く昇る頃、多門次と源一坊達が、偽者の葵を追って飛んでいる。
「多門次、何故手を出さん。このままでは大峰に逃げ切られるぞ。紀ノ川を越える前に……」
「分かっている。しかし、あ奴が付いておっては……あ奴に手を出す訳にはいかんからな」
多門次が苦々しく、付き添って飛んでいる狸を睨む。
「それは、そうじゃが……」源一坊も、額にしわを寄せて狸を睨む。
「しかし、おかしいとは思わんか……」
「何がじゃ」狸を睨んでいた源一坊が、多門次の方を見る。
「今まで、大台や大峰から離れる様に逃げていた女狐が、何故、今は大峰に向う……」
「うむ、それは……」訝しそうに目を細める多門次の言葉に、源一坊も一つしかない目を細める。
「確かめるか……」そう言って多門次は、一気に速度を上げる。
「おい!」源一坊も、慌てて多門次を追って一気に速度を上げる。
行き成り近付いた二人に、葵に化けた長助と護衛の勘兵衛は、慌てて空中で止まり、警戒して身構える。
葵を守るかの様に、勘兵衛が二人の前に出て立ち塞がる。
「どうした葵……何を今更……うむ!しまった!」
葵に声を掛けた多門次が、行き成り目を大きく開けて叫んだ。
「どうした多門次」源一坊が、多門次へと近付く。
「刀!……刀はどうした!」錫杖を前に突き出し、多門次が狸達に叫ぶと、
「何!」源一坊も、二人を見る。
「へっ?刀?」問われて、狸達は何の事やらと顔を見合わせる。
長助は上手く葵に化けたは良いが、刀までは持っていなかった。
「ええい!謀られた!」
「くそっ!」多門次と、源一坊は慌てて身を翻し、元来た方へと飛んで行った。
---◇---
「さって、どうしようかなぁ……」
深い山の中をTシャツ、ジーンズにスニーカーと言う、場違いな姿をした二十歳位の青年が気楽な雰囲気で歩いていた。
「久しぶりに出て来た事だし、ちょっと気晴らしに……この辺りだと……月ヶ瀬のよっちゃんか……赤目のみっちゃん辺りかな……」
「へえぇ、みっちゃんて?」
「みっちゃんて言ったら、色白でぽっちゃりで巨乳の、えっ?……げ!白蓮!」
一人ぶつぶつと言っていた青年が、慌てて振り返ると、其処には一七・八歳位の、これまた山奥には不釣合いな、フリルがいっぱい付いた、パステルイエローのワンピースにミュール姿の少女が、目を吊り上げた怖い顔で立っていた。
「あなた!何処行くあるか!」
「あっ、いや、その……」怒鳴りながら詰め寄る少女に、青年は慌てふためく。
「よっちゃんって……誰、あるか?」青年の胸倉を掴み、鬼の様な形相で少女が問い詰める。
「えっ、あの……そ、それより……白蓮、何で此処にいるの?」
青年が目を泳がせ、答えに困り、誤魔化そうと話を変えると、
「はぁい!お兄ちゃん!私も来たよ!」と、またまた、山奥には思いっきり不釣合いな、ゴスロリファションの十五・六歳に見える少女が元気に手を上げて現れた。
「げっ、白雪……なんで、お前までぇ!」
「ねぇ、ねぇ、聞いて、お兄ちゃん!金ちゃんたら酷いのよ!」
ゴスロリファションの白雪が、縋る様に青年に言いると、
「お前ら……また、喧嘩したんか……」と、呆れる様に青年が言った。
「わ、私は悪くないわよ!」白雪が頬を膨らませて、顔を背ける。
「白雪ちゃんが、相談あるって来たあるから、後、追って来たあるね……で、よっちゃんって誰あるか!」
「だから、お兄ちゃん、聞いてって!金ちゃんたら、私の作ったお菓子に文句言うのよ!」
「みっちゃんって誰あるか!」
二人の美少女に言い寄られて、青年は真っ青な顔で震えていた。
閑話休題
「で……」
「で?……」
「何の用で来たんでっか……」
大狸が迷惑そうな顔で、青年を見ると、
「もう、冷たいなぁ……山ちゃん……」青年は科を作って、大狸に擦り寄る。
「やま……わしは、神山添伊波礼琵古命でおます!」
「良いじゃん、だから山ちゃんで……早口言葉じゃあるまいし……」
怒鳴り付ける狸の腹を、青年は人差し指で、ぐりぐりと突付く。
「ぐっ……で、何のようでっか……今日も二人も美女連れて……」
「わあっ!」
大狸の呟きが、余程、都合が悪かったのか、青年が慌てて大狸の口を塞ぐと、
「……今日も?……」ワンピース姿の白蓮が、殺気の篭った冷たい視線で青年を睨み付ける。
「いや、ご、誤解だよぉ……いやだなぁ……山ちゃん、僕が何時そんな事したのぉ?誤解だよ、はははは……いやだなぁ……」誤魔化す青年の言葉に、乾いた空気がその場を白けさせている。
「彼女は、白蓮。僕の奥さんだよ」と、ワンピース姿の少女を指差した。
「ああ、これはこれは、大陸の大黄河竜王はん所の娘さんでしたな」
「始めましてぇ、白蓮です」と、大狸に笑顔で会釈する。
「で、こっちが出戻りの妹……」青年が白雪を見て言い掛けると、
「出戻りって言うなぁ!」白雪が、手を振りかざして抗議した。
「ははは、白雪はんでんな……白山の黄金丸はん所に嫁がれた……」呆れた顔の大狸に、
「はい、始めましてぇ、白雪でぇす!」白雪は元気いっぱいに挨拶をした。
「ええか、山ちゃん……黙っときや、分かってるな、黙っててや、頼むで、ほんまに、黙っててや……」青年が、大狸の肩を抱きながら、耳元で囁くと、
「分かってま……」と、呆れた顔で大狸は了解した。
「それで、今日は何の用でっか?近江ノ大納言はん」
面倒臭そうに尋ねる大狸に、大納言、白金丸は、
「うん、今日は……弾正としての仕事でね……」と、表情を曇らせる。
そんな白金丸を、暫く見て、
「……まぁ、上がりなはれ……」大狸が、拝殿の部屋に案内した。
部屋に入り、白金丸達が待っていると、
「どうぞ、粗茶でっけど……」と、言って大狸がお茶を差し出した。
「あっ、どうも……」白金丸が、お茶を受け取って、
「なあ、知ってるか?伊予の狸と、大峰の狐の事……」と、大狸に尋ねた。
「……えらい、耳が早いでんな……」
「まあね、仕事柄……何か知ってるな山ちゃん……」
「ええ、さっきも可愛らしい狐のお嬢ちゃんと、烏天狗が来よりましたわ」
「えっ、可愛い……」白金丸は、其処まで言って、痛い視線を感じ、言葉を詰らせた。
「まぁ、狐のお嬢ちゃんは逃げて行きましたけどな……」
「そいつら、何か持ってなかったか?」
「お嬢ちゃんが……なんや、物騒な物、持ってましたわ」
「刀か?」
「ええ……よう分かりましたな。懐剣みたいな物、持ってました」
「懐剣?……俺は、二尺五寸の刀って聞いてるんだけどな……」
「はぁ、二尺五寸も、おまへんでしたで……なんでっか、それ」
白金丸は、暫く躊躇う様に考えて、
「……神杖だよ」と、硬い表情で大狸を見据え、ぼそりと呟いた。
「……」大狸は、驚き目を大きく見開いて青年を見ている。
「何で、そんなもんが……」
「たまにね……あるんだよ……」
困った顔で頭をかいている白金丸に、
「ねぇ、お兄ちゃん神杖って何?」何の事かと白雪が尋ねた。
「ああ、俺達に取っては特別な物じゃないよ。お前だって小槌を持ってるだろ」
そう聞くと白雪は、手をパンと打って、
「ああ、これ?」と、言いながら手を離すと、両掌の間に片手で握れる程度の大きさの小槌が出現した。
現れた小槌を見て、白金丸は驚きながら、
「あほ!そんなもん、無闇に出すな!」と、白雪を怒鳴り付けた。
怒鳴り付けられた白雪は、慌てて
「あっ、ごめん……」と、言いながら再び手を閉じると、小槌が消えた。
「ほんとに……俺の〝群雲の剣〟や、白蓮の扇子なんかもそうだけど、神族の者が持つ道具の事を現世じゃ、そう呼ぶんだ」
「それの何処が大変な事なの?」
不思議そうな顔で尋ねる白雪に、白蓮が向き直り
「あのね、白雪ちゃん。私達の持つ御道具は、私達の力を補助する道具あるね」優しい口調で説明し始めた。
「うん」
「つまり、神通が高大な神の力を、更に補助するぐらい、霊力が高いあるよ」
「そんな物が、普通のあやかしや、人間が持っても良い筈無いだろ」
「あっ、そうか……」二人の説明に、手をぽんと打って白菊が納得した。
「天界で霊力を込めて作られた道具だ、現世でも、冥府でも使える……邪なあやかしの手にでも渡れば、何するか分からん……危なくてしょうがねぇんだよ」
「でも、そんな物が、何でこの世に落ちていたのよ?」
不思議そうな顔で首を傾げて尋ねる白雪に、
「落ちて居た訳でも無いんだろうけど……俺達にとって大切な物ではあるけど、さっきのお前みたいに、そんなに特別な物と意識していない……だから、たまに忘れて行ったり、置いて行ったりする神が居るんだよ」白金丸が腕を組みながら、困った顔で説明し、
「こまったもんや……」大狸も同様に腕を組んで頷いている。
「まぁ、普通は神社とかに封印して祀ってあるんだけど……盗まれたりもするんだ」
「盗む?……」
目を細め尋ねる白雪に、
「風斬りの刀も、八幡様の所に納めてあったはずなのに、何時の間にか無くなっていて……」
白金丸は思い出す様に答えて、
「いやぁ、それが分かった時は、天界でもちょっとした騒動が起きてさ、監督官庁の役人の首が幾つか飛んだよ」縦割り行政の薄情さを表す様に、にたにた笑いを浮かべ説明した。
「でも、其の時探さなかったの?」
「それがさ、なんで役人の首が飛んだかって言うと、何時無くなったかも分からなかったんだよ、だから、探しようも無くてね……それが、太政官にも伝わってね、俺も気に留めて居たんだ」
「確かに、兼任の弾正台の長官としては、放っとけないあるね」横から白蓮が口を挟む。
「でも、何で長官のお兄ちゃんが直接出るわけ?部下にやらせないの?」
当然と言えば当然の事を白菊が尋ねると、
「あのな、政治的な取引って奴があるんだよ……」白金丸は、目に悪巧みを浮かべる。
「役所として動いて部下に任せると、事が公に成る。それだと面白くも何とも無いんだよ……此処は俺が内々で処理して恩を売って、監督官庁のお偉いさんに借りを作らせた方が面白いんだよ……」白金丸の口元が、にやりと笑みを浮かべる。
「でも下手したら、俺の首が危ないかも……」
首に手をちょんと当て、白金丸が冗談めかしに言うと、
「嫌あるよ、ニートの奥さんなんて!」白蓮は、目を吊り上げ怒鳴り、頬を膨らませる。
「おい……」その白蓮の様子に白金丸は、ある種の絶望を感じた。
「あっ……」
そんな最中、神社の上空を多くの化物の気配が通り過ぎた。
「なんだ……こんな昼間に、派手に飛び回りやがって……」眉を顰める白金丸を見て、
「大丈夫でっしゃろ、どうせ結界張っとるし……どうやら、ばれたな……」と、大狸が、にやりと呟く。
「なんだ、それ?」
にや付く大狸に、白金丸が尋ねると、
「なに、お嬢ちゃんを逃がすのに、ちょいと芝居を打ちましてね……あいつ等、お嬢ちゃんに化けた、わての身内を追い掛けてた事に、どうやら気が付いたみたいですわ」大狸は楽しげに説明した。
「なんだ?……お前、狐に味方したんか?」
大狸の説明を聞いて、不思議そうに尋ねる白金丸に、
「……別に味方した訳やおまへん……懐に飛び込んで来よった小鳥を放してやっただけです……わては、もう、誰の味方もしまへん……」大狸は、何故か顔を曇らせて答えた。
「……」そんな大狸を、白金丸は黙って見ていた。
塞ぎ込む様に俯く大狸を、硬い表情で暫く黙って見ていた白金丸が、
「じゃ、あいつらを追いかければ良い訳だ……邪魔したな」そう言って立ち上がると、
「私も行くある!」
「あっ!私も!」二人が後を追う様に立ち上がった。
「馬鹿野郞!男の仕事に付いて来るな!」
厳しい顔で、怒鳴り付ける白金丸の迫力に、二人は身を縮めた。
「遊びじゃねぇんだよ……」
更に、睨み付ける白金丸に二人は言葉が無かった。
「じゃぁな、山ちゃん。ちょっと仕事して来るわ……」
白金丸は、手を振りながら二人を置いて拝殿を出て行った。
残った二人が、詰まらなそうに唇を尖らせている。
「もう……何よ……あんな言い方しなくても……」
「そうある……偉そうに……」
ぶつぶつと呟く二人ではあるが、結局は、夫として、兄としての白金丸には逆らえない。
ちゃらい白金丸も、日頃から決める所は決め付けている様だ。
「でも、本当に仕事に行くのかな……」
ぼそりと呟いた白雪の言葉を聞いて、ギンッと白蓮の目が光る。
「なんですって……」
殺気の篭った目で睨み付ける白蓮に、
「あっ、いえ、別に、深い意味は……」と、白雪はしどろもどろになる。
「……探しに行くある……」
「えっ、でも、付いて来るなって……」
「だから、探しに行くある!」
「はっ、はい……」白蓮の迫力に押され、白雪は思わず同意した。
白金丸の威厳は、二人にとっては、あまり大きくは無い様である。
そんな二人の横で大狸は、二人の会話が聞え無い振りをして、黙って茶碗を片付けていた。
---◇---
進路を反転して葵を追跡している、化物を引き連れた源一坊と多門次が、大狸の社の上空を通過する。
「まだ、あそこに居ると言う事は無いだろうな」
「……」
源一坊の問い掛けに、多門次は気付かない。
「おい、多門次……どうした」
「あっ、おっ、すまぬ、考え事をしていた」
多門次に近付き呼び掛ける源一坊に、多門次が我に帰って慌てて答えた。
「うむ……、女狐が未だ、あの社に居ると言う事は無いだろうな」
「ああ、まさか……それは無かろう……」
再び問い掛ける源一坊だが、多門次は何やら上の空で答えた。
「うぅむ、とにかく急ぐぞ」
源一坊が、腕を振り上げ再び葵の後を追いかけ様と体を返すと、
「あっ、待て!源一坊!」と、多門次が慌てて呼び止めた。
「何だ」源一坊が何事かと振り返る。
「このまま行けば、春日様の社が在る……」
錫杖を突き出し多門次が言うと、
「うむ、それは聊か……まずいな……」源一坊は、自分達の進路の先に在る春日山を見た。
「先程の大狸の件も有る……地場の神々との諍いは避けねばならん」
「確かに、それはそうじゃが……」
面倒臭そうに言いながら、源一坊が多門次へと振向くと、
「お主は聊か配慮に欠ける所がある。地場の産土神や土地神との揉め事は避けねばならぬ。ましてや、千歳を重ねる大神には尚更の配慮があってが必定じゃ」
「……」源一坊は、苛付く様子で多門次の説教を聞いている。
「この様な軍勢を引き連れて、大神達の所領に入れば……」
「ああっ、もう良い!分かった!御主の説教は後程ゆっくり聴く!今はそれ処ではなかろう!どうしろと言うのだ!」
「……うむ、春日山を避け、お主は生駒山の方へ、我は笠置山の方へと飛ぶ……」
「ああ、分かった!急ぐぞ!」
苛立ちながら源一坊が、飛び去ろうとすると、
「まて!」と、再び多門次が呼び止めた。
「今度は何だ!」焦る源一坊が振向きもせずに怒鳴り声を上げる。
「此処は大和の地、八百万の神々が坐。くれぐれも、刑部様の御名を汚す様な……」
「分かって居るわ!」
再び始まった多門次の説教を怒鳴り声で遮り、源一坊は半数の化物を引き連れ、生駒山の方向へと飛んで行った。
多門次は、飛び去る源一坊を見送り、
「行くぞ……」と、静かに手を振り化物達に合図すると、笠置山の方へと向った。
---◇---
「で……」
「で?……」
山奥には不釣合いな服装の美少女二人が顔を見合わせている。
「もう!何処に行ったあるか!」
「お兄ちゃん、気配消すと分からないのよねぇ……」
手を大きく振りながら怒鳴る白蓮を見て、白雪は途方に暮れていた。
「あの浮気者!きっと、巨乳のみっちゃんとかの所へ行ったある!」
力強く拳を握る白蓮の目には、嫉妬と怒りの炎が上がっていた。
「あれ?お兄ちゃん巨乳好きだったっけ?」
怒りの炎に包まれる白蓮の胸を眺めながら白雪が呟くと、
「……貴方に言われたく無いある……」と、白蓮も白雪の胸を見ながら呟いた。
緊迫した空気の中、睨み合いが続く……
「……止めるある……」
「そうね……虚しいだけね……」緊張が解け、二人は諦めたかの様に溜息を付いた。
「よう、よう、ねぇちゃん!」
「此処で、何しとんねん(訳 何をしている)!」
虚しさに打ち拉がれている二人の前に、三匹のガラの悪そうな河童が通り掛かった。
「わしらの前を黙って通るんかぁ、おぉう……」
「挨拶も無しに、何しとんじゃ(訳 何をしているのか)!」
三匹は凄みながら、二人を取り囲んだ。
白蓮と白菊はしらけた顔で三匹を眺め、
「はあぁ……」と、業とらしく溜息を付いた。
「居るのよねぇ、田舎には……こう言うの……」
「そうあるね……」二人は完全にしらけている。
「何ごちゃごちゃ言うとんねん(訳 何を言っているのか)!」
「ごおぉら!舐めとったら、いてまうど(訳 おい、舐めていたら、痛い目に合わせるぞ)!」
自分達を見て、一向に怯える様子の無い二人に、三匹は更に凄む。
「へへへ、よう見たら、えらいべっぴんさん(訳 良く見たら、凄い美人)やんけ……」
「ほんまや、こっちのねぇちゃん、わての好みやで……」
下品な笑いを浮かべ三匹が、二人に抱き付き顔を見回している。
「なぁ、ねぇちゃん。楽しい事せえへんか(訳 Hしないか)?」
一匹の河童が、白雪のフリルのいっぱい付いたスカートの中に手を入れる。
「へへへ、こっちのねぇちゃんも……」
残りの二匹が、白蓮の胸を揉み、股間へと手を伸ばす。
三匹の河童に体を弄られながら、
「別にね……生娘じゃあるまいし……」
「ガキ相手に、騒ぐ気も無いあるけど……」と、鬱陶しそうに二人が呟く。
「へへへ、大人しい、しときや……今、あんじょうしたるさかい(訳 良い具合にしてあげる)……」
一匹が、白蓮のワンピースの裾を捲り上げ下着に手をかける。
「こっちのねぇちゃんも……へへへ、ぺちゃパイ(訳 貧乳)やけど……」
そう言いながら、一匹が白雪の胸を揉むと、
「ぺちゃパイって言うなあぁぁぁぁ!」叫び声と共に、捻りの効いた見事な右ストレートが河童の顔面に炸裂した。
それと同時に、白蓮は一歩足を後ろに下げ、
「こっちも、鬱陶しいある!」と、叫びながら、小さな白いリボンが沢山付いたパステルピンクの可愛いパンティーを曝しながら、頭上へと大きく足を振り上げ、パンティーを掴んでいる河童へと足を振り下ろした……なんなら、パンティーの描写に数ページ使っても良いのだが、今回は止めておく。
美しいとまで言える見事な、白雪のコークスクリューと白蓮の踵落しを食らって、河童二匹は白目を向いて地面で痙攣している。
「ひっ!」其の様子を見て、残った河童がその場から逃れ様と走り出す。
「逃がすか!」
二人が叫びながら、逃げる河童へと向って、ダブルドロップキックを決める。
「ぐうぇ!」
河童は体を仰け反らせながら五mほど弾き飛ばされ、大木へと衝突して悶絶した。
白蓮は摺り下がったパンティーを引き上げ、スカートを調える。
白雪は胸のフリルを整え、ブラのパットの位置を直している。
そして二人は、
「ふん!」地面で痙攣している河童達を蔑んだ目で見下ろした。
「お姉様……お歳の割には、可愛い下着ですねぇ……」若作りが……と、言わんばかりに白雪が冷やかな目で白蓮を見る。
「あら……貴方こそ、サイズの合った下着を着けた方が良くてよぉ……」見栄っ張りが……と、言わんばかりに白蓮が哀れんだ目で白雪を見た。
乾いた緊張感に包まれた沈黙の中、二人の視線が火花を散らす。
「で……」
「で?……」
「どっちに行くあるか?」
「もう、分かんないわよ……」
「じゃ、とりあえずこっち……」
「とりあえずって何よ?」
「とりあえずはとりあえずあるよ」
などと、二人は話しながら、森の奥へと歩いて行った。
---◇---
多門次は周囲に気を配りながら飛んでいたが、
「……見誤ったか……」と、呟き、空中で静止した。
続く化物達も多門次の後ろで止まる。
空中で多門次は、周囲を見回す様に探っている。
「やはり、気配が無い……くそっ!」
多門次は錫杖を振り上げ、
「付いて来い!」と、化物達に合図して、生駒山の方へと進路を変えた。
一方、源一坊は、
「ふふふ、匂うぞ匂うぞ……女狐めの匂いが」と、鼻をひく付かせながら呟く。
そして、源一坊達が生駒山の裾野に近付いた時、高度を下げ木々の間へと向う青白い光が見えた。
「おったぞ!」
源一坊は叫び速度を上げ、化物達もそれに続く。
青白い光が消えて行った所へと、源一坊達が飛び込んで行く。
木々の間を物凄いスピードで飛び抜けながら、
「どおりゃあぁぁぁ!」源一坊は、邪魔になる木々を力任せにへし折って飛んで行く。
背後から轟音と共に近付いて来る気配に、葵が青ざめる。
「がっははははは!追い付いたぞ!」
源一坊が飛びながら錫杖を振り回し、連続で衝撃波を放つ。
衝撃波は木々を薙ぎ倒しながら、三日月型に空気を震わせ、葵へと向う。
背後の只ならぬ気配を感じ、葵は身を捻り太い枝を掴む。
枝に掴まり、小半径を描き葵が進路を変えると、其処へ衝撃波が轟音と共に通り過ぎた。
「おのれ!猪口才な!」源一坊が毒づき、再び錫杖を振るい衝撃波を放つ。
葵はそれに気付き、上空へと進路を変える。
衝撃波を交わした葵は、懐剣を口に咥えると、全身を青白い炎で包み白狐の姿へと変化した。
林の中から葵を追って、源一坊達が上昇して来るのを見て、葵は再び林の中へと飛び込んだ。
「くそ!ちょこまかと!」源一坊は顔を顰め、葵が逃げ込んだ方を睨む。
「挟み撃ちじゃ!分かれろ!」
錫杖を振りながら源一坊が指示すると、化物達は二手に分かれ、その間を源一坊が葵を追う。
凄まじいスピードで林の中を飛びぬける化物達が葵に迫る。
右から迫る化物に光の矢を受け、葵は左へと進路を取る。
其処には、別の化物達が葵と平行に飛んで壁となっていた。
進路を阻まれ、葵が再び上昇すると、
「たあぁぁぁ!」待ち構えていた源一坊が衝撃波を放った。
「ぎゃあん!」
逃げる術が無い葵に衝撃波が直撃し、葵は悲鳴を残し力なく林へと落下して行く。
「くたばれ!」叫びと共に、源一坊が葵の落下して行った地点へと、容赦無く連続で衝撃波を放った。
衝撃波は木々を薙ぎ倒し、土煙を上げる。
遠くから、山の裾野に舞い上がる土煙を見て、
「……くそっ……遅かったか……」と、多門次が眉を顰め呟く。
「行くぞ!」多門次は化物達に命令すると、土煙の上がっている地点へとスピードを上げた。
---◇---
午後四時、春の日差しが傾いて来た頃、五人は食堂を出て、家路に着こうとしていた。
校舎裏の自転車置き場を通り過ぎ、初めに集まった花壇の所に差し掛かった時、
「じゃ、月曜日の放課後、此処に集まりましょう」と、明日香が皆に笑顔で提案した。
「それは、良いけど……毎日来いなんて、強制は嫌よ」
翔子が、浮かれる明日香の様子を見て、苦笑いしながら言うと、
「分かってるって、皆だって塾とかの予定もあるだろうし」と、明日香はあっさりと了解した。
「でも、集まるのが花壇って言うのもな……」
「どう言う事?」
何やら、不満そうに顔を顰める龍士に、明日香が尋ねた。
龍士にしてみれば、明日香と一緒に居る事は嬉しいのだが、校舎裏の花壇の様な、座る場所も無いオープンスペースでは、色気も素っ気も無い。
「だって……座る所も無いのに……」
誰も居ない教室の一角で、窓から差し込む夕日に輝く明日香と二人で向かい合い、愛の語らいを妄想する龍士にとって、周りに植えてある花水木や沈丁花、花壇のコケ珊瑚や菖蒲に小蝶花の花々が気に食わない訳では無いが、予算の関係か、石や欠けたレンガを継ぎ接ぎする様に並べてある学校のしょぼい花壇では妄想が広がらない。
本当の恋人同士と言うものは、何処に居ても楽しいものであるのだが、今の龍士では知ろう筈も無い。
「うふ、大丈夫!楽しみにしていて、月曜日には、重大発表出来ると思うから!」
明日香が、楽しそうに笑顔で言うと、
「重大発表?」と、皆が首をかしげた。
と、其の時、亜美が急に明日香の制服の裾を強く引いた。
「えっ?何?」急な事に明日香が驚き、亜美の方へと振向くと、
「……」亜美は、普段でも病的に白い顔を更に青くして、怯え震えながら空中の一点を見詰めていた。
「ど、どうしたの亜美ちゃん!」
明日香は、亜美の尋常では無い表情に驚き、亜美の肩を掴んだ。
皆も亜美の怯える顔を見て、心配になり亜美の周りに集まる。
「どうしたんだ……」邦彦が亜美の視線を追って空を見た。
其の空間は、特に変わった様子も無い……かと、思われたが、何やら雲の様な物が渦を巻きだした。
「な、何だ?」初めて見る奇妙な気象現象に龍士が目を細めた瞬間、
バシッと、稲光が雲の渦に沿って走った。
「わっ!」
「きゃっ!」急な光に皆が、驚き声を上げる。
次の瞬間、行き成り広がった雲の渦から、激しい稲光と共に、白と黒の大きな物体が渦を突き破り飛び出して来た。
ずどおぉぉんと、地響きを上げて物体は落下し、激しく転がる。
「しゃぁぁぁ!」
「がうっ!」
それは、馬ほどの大きさの白い狐に、長さ二十m位の黒い大蛇が巻き付いていた。
その非常識な生き物は、お互いに牙を剥き出しにして、威嚇している。
「がうっ!」白狐が自分に巻き付いている、直径三十cmは有る大蛇の胴に噛み付く。
「しゃぁぁぁ!」大蛇は、噛み付かれた痛みで一度大きく身を反らしたが、次の瞬間、反動を付けて白狐の太股に噛み付いた。
「ぎゃうん!」噛み付かれた白狐が顔を歪め、大蛇から口を離す。
二匹は更に絡む様に転がる。
「ええい、くそっ!結界が破れたか!」今度は、渦巻きの中から一つ目の大入道が現れた。
「源一坊!何をしている!」更に烏天狗が現れた。
「わしでは無いわ!」
「くそっ!なんと言う力じゃ……」
暴れる白狐と大蛇を、二匹の化物が忌々しげに顔を顰めて見ている。
「このままでは不味い!天よりお叱りを受けるぞ!」
「おお、結界を張るぞ!」
二匹は何やら、呪文の様な言葉を呟きながら、錫杖を中段に構える。
五人は、ただ無言でその非常識な現象を眺めていた。
すると、亜美がその場にばったりと気絶して倒れた。
「わぁ!」龍士が倒れた亜美を見て叫ぶ。
それがきっかけとなり、皆が我に帰り、
「おいっ!山添!」邦彦が慌てて亜美を抱き上げる。
「亜美ちゃん!」明日香も慌てて、亜美の脇に寄り添う。
「な、な、何……何よ……何なのよ……」翔子は一人、化物達を見て震えている。
皆が倒れた亜美を取り囲む様に集まり、茫然と化物達を見ている。
其の時、明日香が自分の傍に落ちている、綺麗な布で出来た細長い袋を見つけた。
「何?これ……」明日香はそれを拾い上げ眺めた。
「ぐうおぉぉ!」白狐が痛みに耐え渾身の力を込め、大蛇に噛み付き胴の一部を食い千切る。
噴出し飛び散る血飛沫を浴びて、白狐の顔が真っ赤に染まる。
「ぎゃぁぁぁ!」大蛇は白狐の太股から口を離し、悲鳴を上げる。
そして、怯んだ大蛇の締め付けている力が緩んだ時、白狐は大蛇を振り払い、大蛇の顔へと噛み付いた。
噛み付かれた大蛇の顔が拉げ、血飛沫と共に目玉が飛び出す。
そして、大蛇の体から力が抜け、だらりと地面にたれた時、大蛇は黒い塵となって消えて行った。
白狐は、噛み付かれた足を引き摺り、ふらふらとした足取りで明日香達の方へと振向いた。
「ひっ!」白狐に朦朧とした目で睨まれ、龍士が思わず明日香に抱き付く。
「なっ!何すんのよ!」突然の事に明日香は驚き、龍士を引き剥がそうと、顔を強く押す。
と、其の時、
「うおぉぉぉ!」
「はあぁぁぁ!」多門次と源一坊が気を込めながら、錫杖を頭上へと振りかざし、
「はあっ!」同時に、気合と共に一気に錫杖を振り下ろす。
振り下ろされた瞬間、空間が切り裂かれる様に割れ目が出来た。
二匹の間で、全ての光を吸い込む様な漆黒の割れ目が広がり、周りを飲み込んで行く。
そして……ほんの五分に満たない非常識な現象は、明日香達と共に校舎裏の花壇から消え去った。