イタズラの産物。
最初のオハナシ。
「っきゃあぁぁぁ〜」
不意に隣室から届いた悲鳴に、ライトは慌てて立ち上がり、駆け出した。
隣に座っていたフォルテも同時に動きだした気配を感じたが、振り返る事なく隣室に急ぐ。
「リィ!」
ライトは叫ぶように名を呼びながら、ぶち壊す勢いで扉を開けた。
二人とも勢い良く部屋の中へ雪崩れ込み、素早く右手窓側の机の方へ視線を向けた。
そこに居る筈の。
悲鳴をあげた少女を視界に捉える為に。
「…リィ?」
「何が、あった?」
殆ど同時に飛び込んだ少年二人は、少女を見た瞬間、動きを止めた。
程度の差こそあれ、瞳を見開き驚きを素直に顔に出した二人に、少女は半泣きの表情で口を開いた。
「シーリンにイタズラされたぁ〜」
ふにゃぁ〜と途方にくれた仔猫のように哀れな泣き声がリィナの口からこぼれた。
それは幼い容貌と相まって大変に庇護欲をそそる可愛いらしい風情だった。
…例え彼女が服の海に溺れていようとも。
身に合わない大きすぎる服の中に頭以外を埋もれさせ、涙目で見上げるリィナの姿に、踏みしめた堅い筈の床がぐにゃりと歪んだような気がして、ライトはぐらりと上体が傾いだ。
「効果の持続時間は?」
フォルテが呆れたような口調で端的に質問すると、リィナは少しだけ悔しそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「わかんない。風起こされて色々混ざったみたいだし…目、開けてられなかったもん」
想像つかないよ
と拗ねたようにぽつりと呟いた。
ライトは、小さなため息を一つつくとリィナに歩みより、彼女の両脇に手を入れ持ち上げた。
だぶだぶのワイシャツ以外の服はリィナの身体から離れ、その場に脱け殻のように残された。
服の海から引き揚げられたリィナは推定4・5歳位の姿をしていた。
「懐かしいな」
リィナを吊り上げたままライトが可笑しそうに言うと、リィナは不機嫌そうにライトを睨んだ。
「懐かしくないもん!てか腕痛い」
「ああ、悪い」
仔犬に吠えられた、というような笑い混じりの謝罪を言うと、ライトは一旦リィナを床に降ろした。
そして自分の上着を脱いで、それでリィナをくるむと、両膝裏に右腕を回して掬い上げた。
一連の動作に無駄は無く、とても素早い行動だった。
リィナは益々眉根を不快そうに寄せたが、何も言わず、渋々安定の為に自分の手をライトの肩に置いた。
自分が何か言ってもライトは何処吹く風、と聞き流して絶対に降ろさないと分かっている。
だったら言うだけムダなだけだ。
…腹立ちまでは押さえられないけれど。
膨れっ面をしたリィナと、頓着せず彼女を見て機嫌良さげに笑うライトの様子に、フォルテは何時もの事だとこちらも頓着せずに二人に歩みよった。
「それで?これからどうする?」
フォルテの無駄な言葉の無い、簡潔で建設的な質問に、ライトはそちらに顔を向け、お前らしいな、と呟いた。
口数少なく、表情も然程大きく変わらないフォルテは、周りから遠巻きに見られる事が多い。
リィナはフォルテと普通に会話するが、ライトが彼と仲が良かったから近くにいたリィナも慣れただけで、そうでなければ友人付き合いなどしていなかっただろう。
割合に整った容姿と、端的ながらも的確な言葉から伺える有能さ故に、女子の間で密かに人気が高い。
口数が少ないのと、気軽に声をかけられるような雰囲気では無い為、人気の高さを彼は知らないけれど。
対してライトは親しみやすい雰囲気を持ち、男女問わず顔が広い。
リィナに対するシスコンっぷりが若干マイナスポイントにはなるが、優しい顔立ちと態度に、こちらも中々の倍率の高さとなっている。
二人が傍に居ると視線が怖いんだよなぁ〜と暢気に思いながらリィナは口を開いた。
「とりあえず2・3日は様子を見るよ。できれば薬に頼らない方が良いし。頼るなら間隔開けないとだしね。身体が戻らなければ薬を調合するよ」
材料は有るし、調合する腕もある。
まだ身分は学生だったが、リィナの薬師としての知識と腕は折り紙付だ。
リィナ自身、薬師としての研鑽を怠らず、オリジナルの調合を良く実験しているし、知識の吸収にも貪欲だ。
だから調合実験中にイタズラされ、効果を予測出来ない事を素直に悔しいと、思う。
実験の為に、机上には様々な薬草や、鉱物や、器具が乗っていたのだが、シーリンのイタズラによって床に散乱していた。
これを片付けるのかと思うと、些かどころではなくゲンナリする位の散らかりように少しばかり腹も立つ。
ついでに今の縮んだ体型に、幼い頃の自分を思い出してにやついているライトにも腹が立つ。
リィナは自分を子供抱っこしたままのライトの頬を八つ当たりも込めてぎゅっとつねってやった。
「痛いよ、リィ」
くすくすと笑いながら、機嫌の良さそうな声でそう言うライトを無言で数秒睨み付けてから、リィナはぷいっと膨れっ面でそっぽを向いた。
「あれ、ご機嫌を損ねちゃったかな、僕のお姫さま」
困ったなぁ。どうしようか。
大して困ってないのが丸分かりの口調でそう言いながらう、ライトはフォルテに視線を向けた。
フォルテは自業自得だ、と視線で返してから口を開いた。
「シーリンか。珍しいな」
「え?」
フォルテの言葉に、意味の分からないリィナは、きょとん、とした表情で問いかけた。
そんなリィナに視線を向けて、フォルテは口を開いた。
「シーリンなんて先ず見かけないだろ」
「え?」
「リィは可愛いからね、シーリンだってリィの魅力には勝てないんだよ」
「はぁ?!」
至極真面目な顔でそう言いきったライトの言葉にリィナは思わずすっとんきょうな叫びを上げた。
「何バカな事言ってるのよ!」
「バカな事じゃないよ。リィの可愛さはシーリンにも有効だという、素晴らしい事実を述べてるんじゃないか」
「それがバカな事でしょうが!」
この兄バカ〜っとリィナが力一杯ツッコミをいれると、愉快そうにライトはあはは、と笑い声をあげた。
フォルテは、そのやり取りに無言で呆れた視線を返した。
フォルテの冷ややかな視線に、リィナが自分もその対象なの!?と慌てて問いかけると、フォルテは当然、とばかりに頷き、リィナはがっくりとライトの肩に顔を埋めた。
リィナが反応を返すからライトが面白がって更にちょっかいを出すのだから、適当に流せば良いのだ、とフォルテは思う。
最も、それが出来ないのがリィナだし、流せるような性格なら自分は彼女に心を許すような事はしなかっただろう、とも思いはするが。
それはそれ、これはこれ、だ。
「うぅぅ〜ライトのばかぁ〜」
「ひどい言われようだなぁ」
フォルテは相変わらず冷ややかな呆れを含んだ視線のままだったが、ライトは一切頓着しない。
顔を埋めたまま、くぐもった声で唸るリィナを楽しそうに見つめたまま扉に向かって歩き出した。
「とにかくその格好じゃ風邪を引きそうだから、着替えておいで」
「…うん。わかった。…縮んじゃったのは良くないけど、此処が家で良かった」
「そうだね。こんな可愛いリィの姿を見せるなんて考えたら、両目抉るだけでも生ぬるいよね」
「生ぬるくないわよ!十分酷いわよ!」
「えー、リィと同じ空間に存在してるってだけで許せないでしょ」
「どんな独裁者よ!」
ライトの言葉にきゃんきゃんと噛みつくリィナを更に煽りながら扉を開けて出ていくライトは、一瞬だけ振り返り、自分を見つめる訝るような視線にからかうような笑みを返して扉を閉めた。
後に残されたフォルテは、シーリンの悪戯によって粉々に砕け散った器具の破片をじっと見つめながら、ぽつり、と呟いた。
「本当に、珍しい」
※※※
「ねぇ、ライト。いい加減降ろして」
「はいはい、お姫さま。転ばないでね?」
「転ばないわ…っぷぎゃっ!」
丁寧に下ろされたリィナは、憤然と抗議しながら歩き出そうとして、見事に上着の裾に躓いてすっ転んだ。
ライトがそれを見て盛大に笑いながら、優しくリィナを抱き起こした。
そしてそのまま先程のようにリィナを自分の腕に抱えた。
「うぅ〜」
リィナは、鼻を押さえて不満そうに呻きながらライトを睨み上げる。
笑われたことを抗議したいが、自分の失態の手前言葉を飲み込んで、視線だけで不満を表明する。
瞳が痛みと羞恥心で潤んでいて、幼児の外見と相まって大層愛らしい様子だった。
ライトは腕に抱えあげたリィナにざっと視線を走らせながら、問いかけた。
「怪我はなさそうだけど、痛いとこはあるかい、リィ?」
ライトの問いかけに、リィナは膨れっ面をして無言で首を横にふった。
いまだ笑いを含んだ声音でも、優しく本心から気遣う様子にリィナは嬉しそうなくすぐったそうな表情を一瞬だけ浮かべたが、直ぐに膨れっ面を作った。
ライトを睨みつけていた手前、素直になれないようで、ライトは内心でこっそりと笑った。
「本当にリィは可愛いよね」
ライトは機嫌の良さそうな声でそう言いながら、たどり着いた部屋の前で抱えていたリィナをそっと降ろした。
「さぁ、着替えておいで」
「…うん」
リィナを促すと同時に上着を脱がせてやり、ライトは扉を片手で押さえてリィナを中に促した。
扉の向こうに小さな背中が消えると、ライトは顔の笑みを消して小さく呟いた。
「さて。どうしようかな」
続きます。