いいねゾンビ、増殖中!
最近、世界はなんだかおかしい。
発端は『いいねゾンビ』という、SNSアカウントが登場したことだった。
どこにでもあるアイコンを使っているそのアカウントはたった一言、「最近、いいねゾンビ多くない?」とつぶやいた。
すると、どこからともなくそのつぶやきに賛同する者たちが現れる。「俺もそう思う」「あたしも」などコメントをする者、ただ「いいね」を残す者、とりあえずアカウントをフォローだけする者と反応はさまざまだった。
ここだけをかいつまんで見ると、何気ないやり取りだ。問題はそこからだった。
『いいねゾンビ』に対してコメントやいいね、フォローした人々が次々と『いいねゾンビウィルス』に感染し始めたのだ。後の調査でその全員が、『いいねゾンビ』から何らかの反応があったことがわかる。
このウィルスの厄介なところは、その拡大のスピードである。
発信源の『いいねゾンビ』アカウントを削除したところで、ウィルス感染者が誰かにいいねすると、いいねされた人間も感染する。大SNS時代の現代では、根絶することは不可能だった。
それでは『いいねゾンビウィルス』とは何か? 感染したからといって、映画に出てくるような腐った死体になるわけではない。体は健康な普通の人間のままである。ただ一つ、会話の語尾に「いいね!」がついてしまうことを除いては……。
一人暮らしのアパートの一室、俺はノートパソコンのキーボードを打つのをやめて伸びをする。
「……こんなところか」
個人が自由に記事を投稿できるプラットフォーム用の記事を軽くまとめたところで、休憩に入ることにした。文章を書いているとコーヒーが飲みたくなる。直に座っていたフローリングから立ち上がり、小さな流しに向かった。
電気ケトルに水を入れ、沸騰まで待つ。その間にコーヒーの瓶からスプーンで適量をすくい、マグカップに入れておく。あいつ、遅いな。
時計を見ると、午後七時を少し過ぎている。よしおとの約束は七時だ。休日だから二人で酒を飲もうと言ったのはあいつなのに。
ケトルの中で水が沸騰していき、パチンと終了の音が鳴る。沸いたお湯をマグカップに注ぐと、ほのかにコーヒーの香りがする。インスタントも悪くはない。
「……しょうがない、記事を進めるか」
改めてコーヒーをすすりつつ、ローテーブルの前に腰掛ける。俺はパソコンのスリープモードを解除し、再び書き進めていった。
いいねゾンビを元に戻す方法が見つかったのは偶然だった。
ある夫婦の夫の方がウィルスに感染した。「いいね、いいね」と会話の度に言われると、さすがの妻も限界だったのだろう。かっとなり持っていたスマホを夫に向かって振り上げた。夫は避けようとしたが、運悪く硬いスマホは頭に直撃し床に倒れた。
これはまずい。早く処置しなければ、ゾンビどころかただの屍になってしまう。妻は急いで救急車を呼ぼうとしたが、すぐに夫は意識を取り戻し言った。
「……なんか正気に戻ったみたい」
復活した彼の語尾に「いいね」はなかった。そこから研究が進み、『硬いけどそこまで硬くないスマホハンマー』が開発されることとなったのである。
「まさかこんな嘘みたいなもんが必需品になるとはなあ」
手元に置いてある「硬いけどそこまで硬くないスマホハンマー」を見つめる。一人暮らしの俺でも、万が一の時に備え準備していた。
……使われたくないなあ、これ。ちょっとは痛いみたいだし。
そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。立ち上がってドアを開けると、大柄な男が立っている。
「遅いぞ、よしお。酒とつまみは用意しといた」
「すまんすまん。ちょっとライブ配信を見てて。おっ、芋焼酎か。いいねえ」
床に置いてある買ったばかりのスーパーの袋を見ると、酒好きのよしおはそう言った。
「ったく、とりあえず入れよ。テーブルの上、片付けるから」
彼が荷物を置いているうちに、俺はパソコンを片付けた。代わりに買ってきた酒とつまみをテーブルに並べる。
「いいねいいね。揚げ出し豆腐にやげん軟骨、牛すじ煮込みもあるのか、いいねえ!」
よしおは嬉しそうに声をあげた。大きな図体だが、まるで子どものようにはしゃいでいる。
「ちゃんと手、洗えよ」
手を洗うように流しを勧めると、よしおは素直に従った。だが、きょろきょろとした動きで何かを探している。
「あれ、タオルがないいね?」
「ああ、そうだった。だいぶ濡れてたから、あとで替えようとしてそのままだった」
タオルを取りに行こうとした時、俺はずっと感じていた違和感について尋ねた。
「……何かお前、今日いいね多くない?」
すると、さっきまでの元気はよしおから消えていた。全然良くない表情で彼は言う。
「……お前には嘘つけな『いいね』」
彼の悲しそうな表情を見て、鈍い俺でも察しがついた。
「よしお、お前、『いいねゾンビ』だったのか!」
「そうです。俺がいいねゾンビです。『いいね』」
なんてこった! よしおがいいねゾンビに……。
聞くと、先ほどライブ配信でコメントしたところ、そのコメントにいいねがついて感染したとか。俺の家に向かう途中で気がついたが、どうしたものかと悩んでいるうちに約束の時間に遅れてしまったのだそうだ。
「まさか俺がいいねゾンビになるとはな。悔し『いいね』」
言葉とは裏腹に、『いいね』をうまく使いこなしている……。だが、こうなってしまったら方法は一つしかない。俺は準備しておいた伝家の宝刀、いや、『硬いけどそこまで硬くないスマホハンマー』を強く握った。
「……よしお、ちょっと痛いだろうけど我慢しろよ」
よしおは静かに目をつむり、座禅を組む。そしてこう言った。
「頼む。俺を人間に戻してくれ『いいね』」
その言葉で俺は吹っ切れた。
「いくぞ! うおぉぉぉ! 何とかなれー!」
「ちょ、そんな力入れなくてもいい……」
俺は思い切りスマホハンマーを振り抜いた。ハンマーが頭にクリーンヒットし、彼は倒れる。しばらくの静寂。ワンルームは静まり返る。えっ、大丈夫だよね?
そうして俺が心配し始めた時、むくりとよしおは大きな体を起き上がらせた。
「だから言ったのに! 力入れなくてもって言ったのに!」
あれだけの勢いでぶん殴っても、よしおには傷一つなかった。『硬いけどそこまで硬くないスマホハンマー』の開発者様様である。
「よしお、正気に戻ったみたいだな! 語尾のいいねが取れてる!」
「……本当だ。ありがとう、助かった!」
そしてその夜、俺たちはよしおの復活を祝い祝杯をあげた。
数日後。
「……何とか記事がまとまったな」
よしおが『いいねゾンビウィルス』に感染するというハプニングもあり、彼に許可を取ってそのことも記事にまとめた。やはり、実際の体験談があるのとないのでは、記事の完成度も大きく違う。読者の心を動かすのは『体験』なのだ。
「よし、誤字脱字もない。投稿っと」
少し緊張しつつ、俺はパソコンから投稿ボタンを押した。近いうちに何かしらの反応を期待して……。
ところが、俺の予想は大きく外れる。数分もしないうちに反応が返ってきたのだ。
奇妙に思い、すぐさま画面を見ると、赤いマークが灯り通知があったことを示している。震える手で俺はアイコンをクリックし、通知を確認した。そこにはこう書かれている。
『いいねゾンビさんがあなたの投稿に「いいね!」しました』




