第49話 Scene:翼「こっち見ろ、望」
望はこの一週間、度々ケイコさんになって、役作りと簿記の勉強を頑張ってきた。
今日は午前中に再試をやって、午後から撮影に入る。望がテストを受けている間、俺はカフェテリアでコーヒーを飲みながらスマホをいじって待つ。
「お待たせー」
望が走ってきた。その様子だと、きちんと解けたようだな。
「一緒に卒業できそうか?」
「問題なーし!」
それを聞けて安心だ。
現場に到着して、唖然とする。
「え、このシーンからですか?」
一番キツイところからだ。
「どうして、初日からこんな……」
文句を言うつもりはないが、いくら何でも、おかしいだろと、言いたくなった。配役担当のスタッフさんを捕まえて聞いてみる。
「こういうシーンになると逃げ出しちゃう女優さんって意外と多くて、このプロデューサーさんは、以前の作品で撮り直しに苦労されたご経験から、先に難しいシーンを撮ってしまおうってお考えなの」
「そういう事ですか」
控室にいる望の部屋に戻った。
「望、あのさ……」
「翼さん、見当はついていますのよ」
「お察しがいいですね、ケイコさん」
「大丈夫ですわ」
ケイコさんは凛としていて、気高く、人を寄せ付けないオーラがある。
黙って、2時間ほど同じ部屋で過ごした。
「花里さーん、ご準備いいですか?」
「行ってまいりますわ」
すっと立って、すたすたと行ってしまう。
ケイコさんは大丈夫でも、俺が大丈夫でいられるか不安になる。
親が残した借金の形に、金貸しのボスに体を好きにされる。
抵抗するケイコさんは殴られ、手下が見ている前で組み伏せられる。
流れは俺も分かってるが、実際に望が、たとえそれがフリだと分かっていても、暴力を振るわれるのは見ていられない。
「それでは本番、さん、にー、……」
ケイコさんが事務所に投げ込まれる。
ドンという音がして、無機質な灰色のデスクに押し倒される。
ものすごい形相で男たちを睨みつけるケイコさんに、容赦なくボスが馬乗りになる。
落ち着け、俺。これは演技だ。止めに入るなんて馬鹿げている。
ケイコさんの両手が頭上で、男たちに押さえられる。
ボスに乱暴に唇を押し当てられて、必死で抵抗している。
思わず拳に力が入り、殴り飛ばしたい衝動にかられる。
男たちに取り囲まれたケイコさんは、一瞬はっとした表情を浮かべ、その後すぐに瞳から生気が失われた。同時にツーと涙が頬を伝った。
「はい!カットー!」
怖い顔をしただけの、実は優しい俳優さんが望に手を差し伸べてくれた。
にっこり笑って、起き上がる望。よくできたな。
「確認しましたー!オッケーでーす」
安心した。もう一度は絶対に見ていられない。
望が小走りでやってくる。
「もう大丈夫ですわ」
まだ、ケイコさんが抜けていない。
プロデューサーさんがやって来た。
「驚きましたよ!思ってた以上の迫真の演技で、最高のが撮れました!」
「それは、良かったです」
ちらっと望を見たら、凛と気丈な笑みを浮かべている。
プロデューサーさんが間違っているとは言わないが、俺にはこの笑顔の方が真に迫った演技に見える。もう少しで解放してやるからな。
「今日はもう大丈夫なんで、帰っていただいて結構ですよ。体調整えて、また次の撮影に来てくださいね」
「ありがとうございました」
望の手を取る。冷たい汗でビチョビチョだ。
控室に入るなり、望を抱きしめる。抱っこして、テーブルに座らす。
「大丈夫か」
「ええ、あ、うん、はい」
この混乱を早く解いてやりたい。
「歩けるか?」
「はい」
手を引いて駐車場に急ぐ。車を出して、近くのホテルに停める。
こっちを見ろ。あんまり長くケイコさんに浸らないでくれ。
そっとベッドに押し倒し、両腕を頭上で組み伏せる。
さっきのシーンと同じ体勢を取るべきか迷う。これで合ってるのか?
「こっち見ろ、望」
ふわふわと漂う視線を捕まえる。
目を合わせたままキスをする。
「終わったぞ」
「終わった……」
そう言うと、望の目からどっと涙が流れた。
さっきと同じだ、くそ、どうすればいい?
「ふぇーん、げん、か……ふぇ」
「ん?なんだって?げん?」
「減価償却間違えたかもぉ……ふぇーん」
「はい?」
「問2の減価償却費の計算、間違えたかも知れなーい、ふぇーん、ふぇーん」
泣きじゃくる望を膝に座らせ、頭をポンポンする。
一体、この中はどうなっているのやら……
「水、飲むか?」
「飲むー」
キャップを取ってペットボトルを握らせる。
「さっきすごく怖くなってね、ふぇっ」
「ああ」
「なにも考えないようにしようって、思ってね、ふぇっ」
「ああ」
「そしたら、簿記のテストが浮かんできてね、計算、間違えたかもぉって思ったら、ふぇーん、みんなと卒業できないかもってー、ふぇーん、ふぇーん」
「そうかそうか」
怖くて泣いてるんじゃなくて良かった。
望を横にして、添い寝する。
「ねぇ」
俺の腕枕で泣いてる望がこっちを見た。
涙で塗れた、漆黒の瞳は反則だ。
「翼に犯されたい」
「なに言ってんだ」
「めちゃくちゃにして欲しい。今日のこと全部、忘れたい」
「乱暴な事は出来ないよ」
「でも、いつもより激しくして欲しい」
望が俺の首に顔を埋めて、耳の後ろにキスをしてくる。耳たぶを甘噛みしてくる。
「お願い、おかし……」
手で望の口を塞いだ。
覚悟は出来てるってことでいいんだよな。




