第10話 「朝起きたらケモミミ幼女が『嫁』を名乗り、メイドが包丁を研ぎ始め、修羅場が限界突破した件」
1
チュンチュン、と小鳥のさえずりが聞こえる。
爽やかな朝だ。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、私の頬を優しく撫でる。
……はずだった。
「……んぐ、ふ……重い……」
私は金縛りにあったような重苦しさで目を覚ました。
胸の上に、温かくて重い何かが乗っている。
そして、首筋には、湿った温かい感触。
「……んむ……美味い……」
寝言と共に、ザリッとした舌が私の鎖骨を舐め上げる。
「ひゃっ!?」
私は飛び起きた。
布団がバサリと落ち、私の胸の上に乗っていた「それ」が転がり落ちる。
銀髪に褐色の肌。
頭にはピコピコ動く犬耳。お尻にはフサフサの尻尾。
昨夜、私の部屋に不法侵入し、勝手に「番」宣言をした伝説の魔獣――フェンリルだ。
「……むぅ、なんだ。朝飯か?」
フェンリルは目を擦りながらあくびをした。
布切れ一枚の姿が、朝の光に照らされて眩しい。
というか、昨夜よりも私との距離が近い気がする。
「……おはよう、フェンリルちゃん。……よく眠れた?」
私は引きつった笑顔で聞いた。
フェンリルはニカッと笑い、私の腰に抱きついた。
「うむ! 極上の寝心地だったぞ。……お前の匂いは落ち着くな。ずっと嗅いでいたいくらいだ」
スリスリ。
犬が飼い主にじゃれつくように、頭を擦り付けてくる。
可愛い。
悔しいけど、見た目は天使(中身は猛獣だけど)だ。
……しかし。
私の野生の勘(陰キャセンサー)が、背後から凄まじい殺気を感じ取っていた。
「…………」
無言の圧力。
室温が急激に下がっていくのを感じる。
私は、ギギギ……と錆びついたロボットのような動きで、部屋の入り口を振り返った。
そこには。
朝の支度のための銀盆を持った、完璧なメイド姿のルナが立っていた。
彼女は微笑んでいた。
聖母のような、慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
ただ、その手には、銀盆ではなく――抜き身の包丁が握られていた。
「……おはようございます、コーデリア様」
ルナの声は、鈴を転がすように美しかった。
「素晴らしい朝ですね。……ところで、お布団の中に潜り込んでいる、その薄汚れた『害獣』は……今日の朝食のメインディッシュでしょうか?」
ヒィッ!!
目が笑ってない! ハイライトが死んでる!
「害獣」って言った!?今、伝説の神狼を食材認定した!?
「ち、違うのルナ! これはその、迷子の……わんちゃん!」
「わんちゃん?」
ルナが一歩踏み出す。
包丁がキラリと光る。
「ほう……。コーデリア様という飼い主がいながら、他の雌犬を連れ込むとは……。私が至らなかったせいですね。……いっそ、この害獣を捌いて、その皮でコーデリア様の新しいコートを仕立てましょうか」
「グルルッ……」
殺気を感じたのか、フェンリルが私の背後から飛び出し、ルナに向かって唸り声を上げた。
四つん這いになり、牙を剥き出しにする。
「我は神狼フェンリルだ! たかが人間のメイド風情が、我に刃を向けるか!」
「神狼だろうが野良犬だろうが関係ありません。……コーデリア様の寝所に土足で(しかも裸で)上がり込む泥棒猫は、駆除対象です」
バチバチバチッ!!
ルナとフェンリルの間に、火花が散る。
最強の暗殺メイド VS 最強の魔獣。
朝っぱらから頂上決戦が開幕しようとしている。
「ストーーップ!!」
私は二人の間に割って入った。
両手を広げ、必死の形相で叫ぶ。
「喧嘩しないで! 私の部屋を血の海にしないで!」
「ですがコーデリア様、この獣が貴女様の純潔を……!」
「我は番だ! コーデリアは我のものだ!」
「ほら見なさい! やはり殺処分しか!」
「待って待って! 落ち着いて!」
私は深呼吸し、脳細胞をフル回転させた。
このままでは、フェンリルが殺されるか、ルナが返り討ちに遭うか、女子寮が崩壊するかの三択だ。
平和的解決策を見つけなければ。
「ルナ。……この子は、私の『使い魔』よ」
「……使い魔、ですか?」
ルナの手が止まる。
「ええ。昨日の魔法の暴走で、偶然召喚しちゃったの。……ほら、私って魔力が強いじゃない?だから、こんなすごい魔獣と契約しちゃったみたいで……テヘヘ」
苦しい言い訳。
だが、ルナの「コーデリア様絶対主義」フィルターには効果覿面だった。
「なるほど……。流石はコーデリア様。神話級の魔獣すら従えるとは……」
ルナは包丁をスッと懐にしま(どこに入ってたの?)い、感嘆のため息をついた。
「使い魔ならば、致し方ありません。……コーデリア様の所有物として、躾が必要ですね」
ルナの目が、教育者のそれに変わる。
「おい、ちんちくりん。……コーデリア様のお役に立ちたいなら、まずは服を着なさい。そしてテーブルマナーを覚えなさい」
「誰がちんちくりんだ! 我は高貴な……!」
「マナーのなっていない獣は、おやつ抜きです」
「……ッ!?」
おやつ、という単語にフェンリルが反応した。
耳がピクッと動く。
「……ルナの作るご飯、美味しいよ?」
私が援護射撃をする。
「……くっ。……わかった。着てやる」
フェンリルは渋々といった様子で頷いた。
食欲には勝てなかったらしい。
こうして、私の部屋に新たな住人(ペット兼・番)が増えることになった。
……また人口密度が上がった気がする。
2
登校時間。
私は、いつもより重い足取りで学園への道を歩いていた。
その理由は、私の隣を歩く小さな影にある。
ルナが見繕った子供用のゴシックドレスを着たフェンリルだ。
銀髪に黒いリボン、フリルのついたスカート。
見た目は完全に「深窓の令嬢の妹」だが、その頭には隠しきれない犬耳が、お尻からは尻尾が出ている。
「うむ。この服、動きにくいが……悪くないな」
フェンリルはスカートの裾を珍しそうに弄っている。
「帽子被っててね。耳が見えちゃうから」
私は彼女にキャスケット帽を深く被らせた。
魔獣連れ込みは校則違反だ。バレたら退学、最悪の場合は討伐対象になる。
「使い魔」として登録するにしても、アリスに根回しが必要だ。
「お姉さまーっ!」
前方から、いつもの元気な声。
ルミアだ。
今日も尻尾が見えるほどブンブンと手を振って走ってくる。
「おはようございます! ……あれ?その子は?」
ルミアが急ブレーキをかけ、フェンリルを見て首を傾げる。
フェンリルもまた、ルミアを見て鼻をヒクつかせた。
「……ん?お前、美味そうな匂いがするな」
「えっ?」
「光の魔力……。齧ったら甘そうだ」
フェンリルが涎を垂らしてルミアに近づく。
やめて! ルミアちゃんを食べないで!
「こ、この子は……遠い親戚の子! 預かることになったの!」
私は必死に嘘をついた。
「親戚……?あ、なるほど! 銀髪で、お姉さまに似てますもんね! 可愛い妹さんですね!」
ルミアは疑うことを知らない純粋さで、パァっと笑顔になった。
「初めまして! 私はルミア。コーデリアお姉さまの剣です!」
「剣?お前、武器なのか?」
「比喩です! 仲良くしてね!」
ルミアがフェンリルの頭を撫でようとする。
すると。
ガブッ。
「いたぁっ!?」
フェンリルがルミアの手を甘噛みした。
「……ふむ。やはり甘いな。おやつに丁度いい」
「お姉さまぁ! 妹さんに食べられそうですぅ!」
涙目で私に抱きつくルミア。
それを冷めた目で見るフェンリル。
そこに、もう一人の厄介者が現れた。
「フッ……朝から騒がしいな、愚民どもよ」
ノアだ。
彼女は眼帯を押さえながら、フェンリルをジロジロと見た。
「……ほう。その幼女から、強大な『獣の因子』を感じるぞ。……まさか、魔界のケルベロスか?」
鋭い!
中二病の直感恐るべし。
「違うわよノアちゃん。親戚の子だってば」
「フン、隠しても無駄だ。……我が邪眼には、その尻尾が見えているぞ」
バレてる!
スカートの中で動く尻尾が丸わかりだった。
「……で、名前は?」
「フェンリルよ」
「フェンリル……! なんと甘美な響き……! 我の『使い魔』に相応しい名前だ!」
ノアが目を輝かせてフェンリルに近づく。
フェンリルは鼻をヒクつかせた。
「……お前、甘い匂いがするな」
「え?」
「昨日のクッキーの匂いだ。……ポケットに入ってるだろ?」
フェンリルがノアのポケットに頭を突っ込む。
そこには、朝食用に持ってきたらしいクッキーの包みがあった。
「ああっ! 我の非常食が!」
「よこせ。これは税金だ」
バリボリとクッキーを強奪して食べるフェンリル。
涙目のノア。
カオスだ。
朝の通学路が、猛獣使いのサーカスみたいになっている。
3
昼休み。
私はフェンリルを連れて、生徒会室へと避難した。
教室に連れて行くわけにもいかないし、ここならアリスがいるからなんとかなるはずだ。
「……なるほど。状況は把握したわ」
アリスは執務机で紅茶を飲みながら、深いため息をついた。
その視線の先には、ソファの上でクッションを食い破って遊んでいるフェンリルの姿がある。
「『大災厄の魔獣』フェンリル……。まさか、こんな幼女の姿になっていたなんてね」
「アリス、知ってたの?」
「ええ。……教団が復活させようとしていた『切り札』の一つよ。本来なら、もっと巨大で、凶暴な狼の姿のはずなんだけど……」
アリスはフェンリルを観察するような目で見つめた。
「おそらく、封印が不完全な状態で目覚めたせいで、幼体化しているのね。……あるいは、貴女の魔力(料理の匂い)が、彼女の構成要素を書き換えてしまったのかも」
「私のせい!?」
「まあ、結果オーライよ。……教団の戦力を一つ削げたわけだし、何より……」
アリスは少し頬を染めて、フェンリルに手招きをした。
そして、ポケットから「高級ジャーキー」を取り出した。
「おいで。……美味しいわよ?」
「!」
フェンリルの目が輝く。
彼女は弾丸のようにアリスの膝に飛び乗り、ジャーキーに食いついた。
「……よしよし。いい子ね」
アリスがフェンリルの耳を撫でる。
フェンリルは気持ちよさそうに目を細め、喉をグルグルと鳴らした。
「……懐いてる」
「当然よ。私は何回もループしてるんだから、魔獣の調教方法くらい心得ているわ」
アリスがドヤ顔をする。
ループ知識の使い所がおかしい。
「コーデリア。この子は私が『特別認可の使い魔』として学園に登録しておくわ。……書類上は『希少種の犬(人型)』としてね」
「人型の犬って何!?」
「細かいことはいいのよ。……それより、本題は『林間学校』よ」
アリスの表情が引き締まる。
「いよいよ明日が出発日。……この子も連れて行きましょう。戦力になるし、何より教団の手から守る必要があるわ」
「わかった。……でも、大丈夫かな?私、死亡フラグ立ってるんでしょ?」
「大丈夫。……私が絶対に守るから」
アリスは立ち上がり、私の手を取った。
その瞳には、強い決意の炎が宿っていた。
「今回は……最強の布陣よ。貴女の魔力、ルミアの剣、ノアの知識、そしてフェンリルの力。……これだけ揃っていれば、どんな運命だって捻じ曲げられる」
アリスの手の温かさが、私の不安を溶かしてくれる。
そうだ。
一人じゃない。
私には、この頼もしい(そして少しおかしい)仲間たちがいる。
……そう思っていた時だった。
「――失礼します」
ノックと共に、生徒会室の扉が開いた。
入ってきたのは、一人の教師だった。
この学園の教頭先生だ。
「アリス生徒会長。……林間学校の引率の件ですが、変更がありました」
「変更……ですか?」
「ええ。……急遽、外部からの特別講師をお招きすることになりましてね。……彼が、今回の責任者となります」
教頭が避けた背後から、一人の男が入ってきた。
長身痩躯。
黒いスーツに身を包み、銀縁メガネをかけた男。
その顔には、張り付いたような笑みが浮かんでいた。
「初めまして。……特別講師の『クロノス』と申します」
男が優雅に一礼する。
その瞬間、私の背筋に悪寒が走った。
なんだ、この感覚。
生理的な嫌悪感というか、本能的な恐怖。
フェンリルが、アリスの膝の上で毛を逆立て、低く唸った。
「……あいつ、臭いぞ」
フェンリルが小声で囁く。
「……死体の匂いがする」
私はアリスを見た。
アリスの顔色は、真っ青だった。
彼女は震える声で、その名前を反芻していた。
「……クロノス……。まさか、教団の『司教』が……直接来るなんて……」
司教。
教団の最高幹部。
ゲームのラストダンジョンに登場するはずの、最強の敵。
それが、林間学校の引率?
嘘でしょ。
ハードモードどころの話じゃない。
男――クロノスは、メガネの奥の冷たい瞳で私を見据え、ニヤリと笑った。
「よろしく頼みますよ、コーデリア・フォン・ローゼンバーグ様。……貴女の『活躍』、楽しみにしています」
それは、獲物を甚振る楽しさを知っている捕食者の目だった。
4
翌朝。
学園の正門前には、大型の魔導バスが並んでいた。
林間学校への出発だ。
生徒たちは浮足立ち、楽しげに会話している。
だが、私たち「ハーレムメンバー」の周囲だけは、ピリピリとした緊張感に包まれていた。
「……全員、揃ってるわね?」
私服姿のアリスが点呼を取る。
リュックを背負った私、剣袋を持ったルミア、大きなトランクを引きずるノア、そして私の背中に張り付いているフェンリル。
そして、影から私たちを見守るメイドのルナ(彼女は『現地スタッフ』として潜入済みだ)。
「いい?バスの中でも、現地についても、絶対に単独行動は禁止よ。……あのクロノスという男、一瞬たりとも隙を見せてはダメ」
「はいっ!」
私たちは頷いた。
これは旅行じゃない。
生存を賭けた戦争だ。
「さあ、行きましょう。……私たちの未来を掴み取りに」
私はバスに乗り込んだ。
窓の外には、青い空が広がっている。
これから向かう「精霊の森」には、どんな罠が待ち受けているのか。
そして、私の運命は。
バスが動き出す。
私の隣の席には、当然のようにルミアが座り、通路を挟んでアリスとノアが座り、膝の上にはフェンリルが丸まっている。
重い。物理的にも、運命的にも。
でも、不思議と怖くはなかった。
だって、私のポケットには、ルナが持たせてくれた「特製激辛スパイス(目潰し用)」が入っているし、何よりこの仲間たちがいるから。
林間学校編、スタート。
絶対に、生きてタピオカを飲むんだから!
(続く)




