第13話 「巨大魔獣に世界が滅ぼされそうになったので、全力で『お座り』をさせたら、神様ごとペットになった件」
1
「グルルルルルルッ……!!」
精霊の湖に、轟音が響き渡る。
黒い泥から生まれた巨大な狼――「災厄のフェンリル(本体)」が、私たちを見下ろしていた。
その大きさは、校舎ほどもある。
口から滴る涎の一滴が、ドラム缶ほどのサイズだ。
(……デカすぎでしょ)
私は内心で絶叫していた。
勝てるわけがない。あんなの、怪獣映画のサイズ感だ。
一噛みされたら、私の繊細なボディなんてプチトマトみたいに潰れる。
「素晴らしい……! これぞ破壊の化身!」
クロノスが両手を広げて陶酔している。
こいつ、本当に楽しそうだなおい。
「さあ、食事の時間ですよ。……まずは、そこの邪魔な羽虫たちから平らげなさい」
クロノスが錫杖を振るう。
巨大狼が、アリスたちに向かって跳躍した。
速い! 巨体に見合わない、風のようなスピードだ。
「きゃああっ!?」
「くっ……!」
アリスとルミアが動けない。
さっきの衝撃波でダメージを受けているのだ。
「ダメぇぇぇっ!!」
私の肩に乗っていた、幼女姿のフェンリル(チビリルと呼ぼう)が叫んだ。
彼女は小さな体で飛び出し、本体の前に立ちはだかった。
「やめろ! その人たちは、我の……我の友達だぞ!」
チビリルが両手を広げる。
しかし、本体の目には理性がない。
ただの殺戮マシーンだ。
巨大な爪が、チビリルごと全員を薙ぎ払おうと迫る。
(――させない!)
私の思考が加速する。
怖い。逃げたい。
でも、ここで友達を見捨てたら、私は一生後悔する。
そんなの、悪役令嬢の名折れだ!
私は一歩踏み込み、地面を蹴った。
身体強化魔法、全開。
「……ハウスッ!!」
ドゴォォォォン!!
私の右手が、巨大狼の鼻先をぶん殴った(ように見えた)。
実際には、拳の先に「重力魔法」の塊を纏わせて、物理的な衝撃を数百倍に増幅させて叩きつけたのだ。
「キャインッ!?」
巨大狼が悲鳴を上げ、盛大に吹き飛んだ。
湖の水面をバウンドしながら転がり、対岸の岩壁に激突する。
ズズズン……と地面が揺れた。
「……え?」
時が止まった。
アリスも、ルミアも、ノアも、そしてクロノスさえも、口をあんぐりと開けていた。
「……殴った?」
「あの巨体を……素手で?」
「ワンパン……?」
違うの。魔法なの。
でも、見た目は完全に「か弱い(?)美少女が、怪獣をグーパンで吹っ飛ばした図」だった。
2
「バ、バカな……! 災厄の魔獣を、物理的に排除だと……!?」
クロノスが眼鏡をずり落としながら叫ぶ。
「いけません、コーデリア様! 神の使いになんてことを!」
「うるさいわね! 躾の最中よ、黙ってて!」
私は髪をかき上げ、キッと巨大狼を睨みつけた。
心臓はバクバクだが、一度スイッチが入った私は止まらない。
「毒食わば皿まで」の精神だ。
「……起きなさい。寝たふりは許さないわよ」
私の低い声に反応し、瓦礫の中から巨大狼がのっそりと起き上がった。
その目には、怒りの炎が宿っている。
鼻先が赤くなっているのが、ちょっと可愛い(なんて思ってる場合じゃない)。
「グルルルルッ……!!」
狼が咆哮する。
空気がビリビリと震える。
今度は本気だ。全身の毛が逆立ち、口元に黒い魔力の球体が形成されていく。
ブレスだ。あれを撃たれたら、森ごと消し飛ぶ。
「やらせるか! ……みんな、私に続いて!」
アリスが叫んだ。
「光よ、盾となれ! 『アイギス・シールド』!」
アリスが巨大な光の盾を展開する。
「風よ、加速しろ! 『ソニック・レイド』!」
ルミアが風を纏い、目にも止まらぬ速さで狼の懐に飛び込む。
ザシュッ!
剣閃が走り、狼の足に傷をつける。
「深淵の鎖よ、縛めろ! 『ダーク・バインド』!」
ノアが地面から黒い鎖を召喚し、狼の動きを制限する。
すごい。
みんな、傷ついているのに、私を守るために戦ってくれている。
これが「絆」の力か。
――でも、相手が悪すぎる。
「ガアアアッ!」
狼が身を捩り、鎖を引きちぎる。
その衝撃波でルミアが吹き飛ばされ、アリスの盾にヒビが入る。
口元のブレスが、発射寸前まで膨れ上がる。
「終わりですね。……さようなら、旧世界の残滓たち」
クロノスが勝ち誇ったように笑う。
万事休す。
誰もがそう思った。
だが、私だけは違った。
私の目には、その巨大な魔獣が「脅威」ではなく、「寂しがり屋の迷子」に見えていた。
あの子(本体)は、怒っているんじゃない。
空腹と、孤独と、そして「自分を制御できない恐怖」で泣いているんだ。
だって、あの子は――チビリル(幼女)の半身なのだから。
「……まったく。手のかかる子ね」
私はため息をつき、一歩前に出た。
防御魔法なんて展開しない。
武器も構えない。
無防備な姿で、ブレスの射線上に立つ。
「コーデリア様!?」
「お姉さま、逃げて!」
みんなの悲鳴を背に、私は右手を高く掲げた。
「……いい? よく聞きなさい」
私は魔力を声に乗せた。
戦場全体に響き渡る、絶対命令。
「『お座り(シット・ダウン)』ッ!!」
ズドォォォォォォォォォォン!!!!
上空から、桁違いの重力が降り注いだ。
それは、昨日の調理実習で使った「圧力鍋」の比ではない。
文字通り「神の鉄槌」のような圧力。
キャインッ!
巨大狼が、地面に縫い付けられたように伏せた。
発射寸前だったブレスが暴発し、空に向かって虚しく消えていく。
「……ぐぅぅ……」
狼が動けない。
四肢を地面に押し付けられ、情けない声を上げている。
私はゆっくりと狼に近づいた。
その鼻先まで歩み寄り、冷徹な目で見下ろす。
「……『待て』よ。動いたら、次は無いわ」
殺気。
本気の「お仕置き」の気配。
巨大狼の瞳から、暴虐の色が消え、怯えの色が浮かんだ。
尻尾が足の間に巻き込まれる。
「……よし」
私は重力を少し緩め、優しく狼の鼻先を撫でた。
「いい子ね」
その瞬間。
狼の体から黒い霧が晴れ、その姿が急速に縮んでいった。
山のような巨体が、シュルシュルと小さくなり――
ポンッ。
煙の中から現れたのは、ボロボロになった服を着た幼女――チビリルだった。
彼女はペタンと座り込み、きょとんとしていた。
「……あれ? 我、何を……?」
どうやら、本体の意識と統合されたらしい。
私は彼女を抱き上げた。
「おかえり、フェンリル。……もう、勝手に家出しちゃダメよ?」
「……う、うむ。……なんか、すごく怒られた気がする……」
フェンリルは私の胸に顔を埋め、大人しくなった。
完全鎮圧。
物理と恐怖と飴による、完璧な調教完了だ。
3
「……あ、ありえない……」
クロノスが膝から崩れ落ちていた。
彼の眼鏡はズレ、錫杖は手から滑り落ちていた。
「破壊神フェンリルを……『お座り』一つで従わせた……? 魔法による拘束ではなく、純粋な『格付け』による屈服……?」
彼はガタガタと震えながら、私を見上げた。
その瞳には、今まで以上の狂気が渦巻いている。
「ああ……ああぁっ! 間違いありません! 貴女こそが! 貴女こそが真の『支配者』!」
クロノスが地面に額を擦り付ける。
五体投地。
最上級の土下座だ。
「申し訳ありませんでした、女神よ! 私は貴女の器を見誤っていた! 貴女は、我々が用意した『神輿』に乗るようなお方ではない……自らの足で天を歩む存在だったのですね!」
「……気持ち悪いからやめてくれる?」
私がドン引きしていると、クロノスは顔を上げた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃだが、満面の笑みだ。
「わかりました! 今日のところは引かせていただきます! ですが、諦めませんよ……! いつか必ず、教団の全てを貴女に献上し、貴女を世界の頂点に……!」
言うが早いか、クロノスは懐から「転移水晶」を取り出し、パリンと割った。
「またお会いしましょう、愛しき女神様……!」
黒い霧と共に、クロノスの姿が消えた。
逃げ足だけは速い。
後に残されたのは、静まり返った湖と、呆然とする私たちだけ。
4
「……終わった、の?」
ルミアがへなへなと座り込む。
アリスが杖を下ろし、深く息を吐いた。
「……信じられない。あの状況から、全員生還するなんて」
アリスが私を見る。
その瞳には、呆れと、そして深い信頼の色があった。
「やっぱり、貴女は『イレギュラー』ね。……私の数百回のループの中で、一番無茶苦茶で、一番……素敵なコーデリアだわ」
「……褒め言葉として受け取っておくわ」
私は苦笑いした。
腕の中のフェンリルは、すやすやと寝息を立てている。
ノアは「くっ……我が邪眼を持ってしても見切れなかった……」とブツブツ言っているが、無事そうだ。
朝日が昇る。
湖の水面が、黄金色に輝き始める。
私たちは生き残った。
教団の陰謀を阻止し、最強のペットを正式に仲間に加え、林間学校の試練を乗り越えたのだ。
「……帰ろうか」
私が言うと、みんなが笑顔で頷いた。
――こうして、波乱万丈の林間学校は幕を閉じた。
だが、これはまだ「序章」に過ぎない。
逃げたクロノスは、さらなる狂気を孕んで動き出すだろう。
そして、「ウロボロスの指輪」の謎、アリスの記憶の欠落、世界のバグ……。
解決すべき問題は山積みだ。
でも、今はいい。
とりあえず、寮に帰ったら、ルナに土下座して(無断外泊を)謝り、最高に美味しいタピオカミルクティーを作ってもらおう。
私のささやかな野望は、まだ潰えていないのだから。
(続く)




