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第78話:想定外の要件定義、オブザーバーでもメシは食える

 本館に併設された酒場は、広々として採光も良く、洗練された空間だった。


 一般的なギルドの酒場から連想されるような、昼間からジョッキを傾ける冒険者たちの喧騒や、泥臭い活気といったものは全く見られない。

 この第7区という土地柄が客層にも表れているようだ。寄り付くのはお行儀の良い、コンプライアンス意識の高い冒険者で、他の冒険者たちは気兼ねなく飲み食いできる店に流れているのだろう。


 そのためか、昼食の時間帯の店内を埋めているのは主にギルドの職員たちとなっていた。

 あちこちのテーブルからは、同僚同士で他愛のない雑談や午後の業務の確認を交わす、ごく当たり前の昼休みの風景が広がっている。荒っぽい笑い声や怒号がない分、どこか官公庁の食堂のような小綺麗な落ち着きがあった。


 そんな風景の中で、壁際のテーブル席に座るルキアンの姿を見つけた。

 食事を取る姿は普通に見えたが、あの裁定の後だ。内心は穏やかではないのかもしれない。自分の判断とはいえ、鑑定の正確性を損ねたという事実は、真面目な彼の胸に重く残っているだろう。


 こういう時、声をかけるべきか放っておくべきか。正解はない。

 ヴェリサに目配せすると、彼女は小さく頷いた。彼女も同じことを考えていたのだろう。

 今回は、誰かが話を聞いた方が良さそうだ。

 俺たちはカウンターで食事を注文すると、彼の席へと向かった。


「ルキアンさん、相席失礼します」


 声をかけると、ルキアンの肩がわずかに跳ねた。

 彼の向かいの席にヴェリサが、俺はその隣に腰を下ろした。


「カツラギ様。それに、ヴェリサ様」


 ルキアンは、力ない笑みを口元に浮かべた。


「今日、ヴェリサ様が再鑑定されると仰った時、どこかで安堵している自分がいました。ラテリス様の仰る通り、私の能力が基準に満たなかったのでしょう」


 俺は口を開こうとしたが、やめた。

 この場において、俺のような管理側の人間が慰めの言葉をかけたところで、安っぽい憐憫(れんびん)にしか聞こえないだろう。


「ルキアン様。それは、違います」


 ヴェリサの声には、いつもの遠慮がちな響きはなかった。


「私は午前中、あなたの鑑定を見ていました。丁寧で、魔力の波長の読み方にも迷いが感じられませんでした。ルキアン様、あなたの鑑定精度は、とても高いものです」

「ヴェリサ様……」

「ですから、急にあなたの様子が変わったことに気づいたのです。焦って、判定を急いでいるように見えました」


 彼女の言葉は感情的な慰めなどではなく、客観的な事実の提示だった。


「能力が足りないのではありません。あなたに確かな能力があるからこそ、普段の正確な作業との『差』がはっきりと際立ったのです」


 ルキアンの瞳が、かすかに見開かれた。

 彼にとって、自らの仕事を評価する基準は、常にラテリスの冷徹な言葉と、処理件数という無機質な数字だけだったのだろう。

 だが、今目の前にいるのは、結果としての『数字』だけでなく、彼の『作業工程』そのものを正確に観察し、プロとしての価値を認めてくれる本物の専門家だ。


「ルキアン様。あなたの鑑定技術は、間違いなく一流のものです」


 ヴェリサは、はっきりと告げた。


「能力が足りなかったのではありません。あなたが能力を発揮できなかった原因は、あなた自身ではなく、別のところにあるのだと……私は、そう思います」


 ルキアンは何も言わず、ただヴェリサを見つめ返していた。

 自らで鑑定の正確性を損ね、主から『基準に満たない』と処分されたという事実は、そう簡単に割り切れるものではないだろう。

 それでも、少しは気持ちが楽になったはずだ。


「ありがとうございます、ヴェリサ様。心が落ち着きました」

「……私も、同じ鑑定士ですから」


 2人はそう言い合うと、そのまま見つめ合っていた。


 …………。

 ……。


 ……何だ、この空気は?


 ルキアンを元気づけられればと思ってはいたが、予想外の方向に事態が進んでいるような気がしなくもない。

 まあ、悪い空気ではない。少なくとも、ルキアンの顔色は先ほどよりも随分と良くなっている。というか、元より良くなっていないか?


 俺が訝しんでいると、注文した料理が運ばれてきた。

 木の器に盛られた温かいシチューと、焼きたてのパン。

 スプーンひと口で、根菜の甘みと鶏の出汁が穏やかに広がった。素材の味を活かした、実直な味付けだ。


「ヴェリサ様は、元々は第4支部にいらしたんですか?」

「はい。そちらへも出向していまして。所属は魔導師ギルド──カヴンになります」

「確かに、あなたのローブはカヴンのものですよね。優れた鑑定技術をお持ちなわけです」


 シチューの中に沈んでいた鶏肉の塊を掬い上げた。柔らかく煮込まれていて、冒険者向けのガッツリした味付けではなく、毎日食べても飽きなさそうな家庭的な味わいだ。


「私はそういう場所で習いましたから。ルキアン様はギルドに来てから始められたのでしょう?」

「はい、元々魔法が得意な方でしたので。ですがヴェリサ様の魔力の読み方は、とても繊細で……正直、勉強になりました」

「そんなことは……ルキアン様こそ……」


 パンをちぎると、中からふわりと湯気が立った。外は香ばしく、中はしっとりとした焼き加減。今まで無かった味わいだ。こういう丁寧な仕事は、この区の気質がそのまま皿の上に表れている気がする。


「魔法が得意ということは、ランクの方も認定されているのでしょうか?」

「そうですね……上級ではあります」

「上級魔導師ですか? それはすごいです、私の方こそ、お勉強させてください」


 シチューの根菜は人参にカブ、それに見慣れない紫色の芋のようなものだ。どれも火の通りが均一で、素材ごとの食感がしっかり残っている。自然豊かなこの区で採れた野菜なのだろう。やはり素材の力が違う。


「ルキアン様は、普段のお休みの日は何をされているんですか?」

「そうですね、本を読んで過ごすことが多いですが……天気が良い日は書店巡りをすることもあります。あまり面白みのない過ごし方ですが」

「そんなことはありません、素敵な本に出会えますから。私も──」


 …………。

 ……。


 シチューの底に残った最後のスープを、パンの欠片で丁寧に拭い取った。

 ヴェリサとルキアンは、まるで俺がここに存在しないかのように、2人の世界で語り合っている。


 どうやら、出番は最初から無かったらしい。

 俺は何も言わずに席を立ち、空になった器をカウンターに返しに行った。


 何はともあれ、目的は果たしたと言っていいだろう。

 手段は想定と違ったが、結果が出ているのだから文句を言う筋合いはない。

 結果が良ければ全て良し、ということにしておこう。


---


 昼食を終え、2人よりも先に酒場を後にした俺は、本館の静かな廊下を歩いていた。

 午後からの視察箇所を頭の中で整理していると、声をかけられた。


「カツラギ殿。丁度いい、共有しておこう」


 廊下の窓辺に立っていたのは、シヴィリオだった。

 彼は、窓の外の風景を眺めたまま、こちらに視線を向けることなく口を開いた。


「どうやら、我々の懸念が試される時が来たらしい。つい先ほど、本部より鳩が届いた」


 シヴィリオはゆっくりとこちらに顔を向けた。


「第5支部、および第6支部の管轄下にあるダンジョン群において、魔物の異常発生――スタンピードの兆候が確認されたそうだ。両支部のギルド長から、本部に報告が為されている」


 俺は第9支部でスタンピードを経験したことがあった。といってもピークの当日は寝ていただけだが。

 あの時、物資だけでなく数名の職員も応援に駆けつけてくれたのが、他でもないこの第7支部なのだ。


「近隣の支部へ向けて、本部より人員の応援と物資確保の通達が出される見込みだ」

「なるほど。前回、第8支部と第9支部に行ったようにですね」


 俺は、当時の記憶を重ね合わせながら言葉を継いだ。


「あの時は大変助かりました。ですが、今回は事情が違っていますよね。今の第7支部に、前回と同じような支援を期待するのは難しいと思います」


 そう返すと、シヴィリオは微かに息を吐いた。笑ったのか、呆れたのか判別しづらい、彼特有の反応だ。


「貴君は、どう見ている?」

「当時のこの支部が、何故すんなりと人員や備品を融通できたのか。事後処理で確認しましたが、送られてきたのはありふれた備品の寄せ集めでした」


 応援に来てくれた職員たちも『暇だったから手伝いに来た』という軽い調子だったらしい。


「有事を想定した堅牢な仕組みが構築されていたわけではなく、たまたま余っていたものを出しただけだったのでしょう」

「その通りだ。当時の彼らはただ、倉庫に放置されていた空の木箱や麻袋をかき集め、手の空いている者を適当に向かわせただけだ。組織の管理としては三流の杜撰さと言える」

「ですが、その杜撰さがあったからこそ、有事の際に『余り物』を即座に吐き出すことができた。無駄に人員を抱え込み、過剰な備品を放置していたことが、結果的に隣接する支部を救うための安全在庫として機能していたわけですか」

「皮肉なことだが、それが事実だ」


 シヴィリオのあっさりとした同意に、俺は内心で深く納得した。

 あの支援は、優れた仕組みによるものではなかったのだ。


 今の第7支部はどうだろうか。

 ルキアンの件を見る限り、ラテリスの改革は人員配置の余裕を削っている可能性がある。物資の在庫状況についてはまだ確認していないが、彼女の合理主義を思えば、使われない備品を倉庫に放置するとは考えにくい。

 無駄という名の冗長化(リダンダンシー)を排除した組織が、外部からの突発的な応援要請に応えられるのだろうか。


「有事の際に、この支部がどう動き、どのような回答を出すのか。それも一つの、試金石だな」


 シヴィリオの言葉には、明らかに含みがあった。


「はい。平時において最適化された仕組みが、有事でも機能するとは限りません。お手並み拝見といきましょう」


 俺が応じると、彼は口角をわずかに上げた。

 この男が何を考えているのかは、未だに読みきれていない。こちらの手の内を見透かした上で、自分のカードはなかなか見せない。食えない男なのだ。


 この2日間で、多くの情報が集まってきたが、全体像を見通すにはまだ足りない。

 明日以降、もう少し深く見ていく必要があるだろう。


 俺は思考を切り替えて、午後の視察へと向かうべく廊下を歩き出した。


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