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第72話:役割効果の波及、カッコつけてるわけじゃない

 3日後。


 第9支部と第8支部を行ったり来たりのせわしない日々が続いていたが、ようやくそれも落ち着きを見せつつある。


 今夜は、ツェイフの近況報告を兼ねて、アトナとエリンを食事に誘っていた。

 せっかくなら他のメンバーもと思ったのだが、ユメリとフラッフルの2人は、また第4区へ出向いているらしい。


 足を運んだのは、以前彼女たちに誘われて訪れた、第8支部の裏手にある隠れ家的なレストランだ。

 案内された個室には飴色に磨き込まれた重厚なテーブルが置かれ、訪れる客に親密で穏やかな時間を提供している。

 卓上に置かれた小さな魔導ランプの揺らめきが、静かで落ち着いた空間を演出していた。


「というわけで、ツェイフさんは上手くやってくれている」


 俺は向かいに座る2人に告げると、グラスに注がれた深いルビー色の赤ワインを一口味わった。

 報告の内容は、彼が『インストラクター』としていかに優秀に機能したかという、客観的な事実の羅列だ。

 若手たちの無軌道な行動を適切に制限し、反発を招きながらも確実な生存という結果を提示し、最後には自らの価値を理解させる。

 今後、ギルド主導の冒険者サポートシステムが本格的に動き出すなら、実働部隊のリーダーも任せられるだろう。それだけの実績を、彼はたった5日で証明してくれた。


「そりゃそうっしょー。ウチのお父さんなんだから『しごでき』なんだよねい」


 得意げに笑うアトナの口から飛び出した言葉に、俺の頬も自然と緩んだ。

 彼女特有の軽薄な響きを持つ言葉だが、その奥にあるツェイフへの絶対的な信頼は、痛いほどに伝わってくる。


「お父さん、か。実際のところ、君たちから見て昔の彼はどういう冒険者だったんだ?」


 純粋な興味から問いかけると、アトナは少し記憶を探るような素振りを見せた後、ゆっくりと語り始めた。


「んー。ウチが知ってるお父さんは、もうすっかり『守り』の人だったかなあ。お父さんとお母さんは幼馴染でさー、ずっと一緒に過ごしてたんだってえ。んで、結婚して娘さんが生まれてからはー、特に安全性を重視するようになったらしいですねえ」


 アトナはテーブルに頬杖をつき、記憶の糸をたぐるような静かな表情を浮かべた。


「本当なら、もう少し上のランクに行けてたと思うんだよねえ。パーティランクに比べたら実力はもっとあったしー。でも、絶対に無理はしなかった感じ……」

「……なるほどな」


 命を懸けて上を目指すか、足元を固めて安定性を目指すか。

 それは、登山家が直面するジレンマと似ているのかもしれない。

 危険を冒してまで山頂を目指す。家族の立場からすれば、死ぬかもしれない無謀な挑戦などしてほしくないと思うのが当然の心理だろう。


 そう、ツェイフは山頂を目指すことをやめ、家族を選んだのだ。

 自己実現の欲求よりも、愛する幼馴染の妻と娘を守り抜く責任を重んじた。

 だが、彼がそれほどの思いで守ろうとした平穏は、妻の病死という抗いようのない運命によって呆気なく奪われてしまった。

 子供の頃から共に過ごした半身とも言える女性との別れ。その深い絶望が、彼の精神をどれほど蝕んだのか。


 ふと、ステンとサナンナのことが脳裏をよぎった。

 彼らが恋愛感情のようなもので結ばれているのかは定かではないが、同じ孤児院で育ち、互いを補い合うように生きているあの二人は、今の時点でも深く依存し合っているように見えた。

 この異世界において、似たような境遇で片方を失った、あるいは両方を失ってしまったケースは、これまで数え切れないほどあったはずだ。

 若さゆえの無謀が、たった一つの致命的なミスを引き起こし、全てを奪い去っていく。


 俺は神ではないから、世界中の悲劇を根絶することなどできない。

 だが、自分の手が届く範囲の組織構造においては、そのような無益な喪失は可能な限り回避したいものだ。


「カツラギさん。この度は、本当にありがとうございました」


 静かな声で紡がれた言葉に視線を戻すと、エリンが深く頭を下げるのが見えた。


「あのカジノでカツラギさんが動いてくださらなければ、今頃どうなっていたことか。私には剣を振るうことしかできませんから、どれほど感謝してもしきれません」

「ウチも見てることしかできなくてえ、どうしたらいいか全然わからなかったからさー。カッチーには、大感謝です……」


 そう言って、エリンの隣に座るアトナも頭を下げた。


「……俺が感謝されるような筋合いはないよ」


 俺は静かに首を振り、手元のワイングラスをテーブルに置いた。


「彼が立ち直ったのは、彼自身の内にある底力によるものだ。そして何より、君たちからの手紙がよく効いた。俺はただ、彼が再び歩き出すためのきっかけを与えたに過ぎない」

「それでも、です」


 エリンは真っ直ぐにこちらを見つめてきた。

 俺は小さく息を吐き、言葉を繋ぐ。


「役割を与えられたことで、ツェイフさんの中でバラバラになっていた全ての歯車が、噛み合ったんだろうな」


 俺は淡々と分析を口にした。


「役割、ですか?」


 エリンが瞳を(まばた)かせた。


「ああ。人は立場を与えられると、無意識のうちにその役割にふさわしい行動を取ろうとする生き物だ。『役割効果』というやつだな」

「役割、効果……」

「そう。エリンもパーティのリーダーとして、その役割を意識した時に、自然と心構えや行動が変わる瞬間があるだろう?」

「はい……そうですね、思い当たる節はあります」


 彼女は真剣な眼差しで頷いた。


「ツェイフさんの場合は、それが『若者を死なせないための指導者』という役割だった。彼が抱えていた巨大な喪失のエネルギーを、その役割に注ぎ込むことで、生きるための執念に変換させたんだ」


 それは、喪失を無理に乗り越えさせるのではなく、喪失によって歪んだ形にぴったりと合う、新しい部品を嵌め込む作業だ。


「失われた過去を無かったことにして、元の状態に戻すことなど不可能だ。だからこそ『完治』を目指すのではなく、その傷を抱えたまま『機能』させるんだ」

「……そうですね。深く刻まれた過去は、そう簡単に忘れられるものではありませんから」


 エリンは伏し目がちに、静かに答えた。


「ああ。今回は上手く行ってよかった。たまたま彼の事情と、俺の求める条件が合致しただけでもあるが。まあそれが、俺の考える『人材再生』のやり方だな」


 悲しみを力に変えろなどという無責任な精神論ではない。

 システムとして、彼の過去の痛みが最も有効に作用する配置を見つけ出したまでのことだ。


 ふと、向かいに座るアトナが、頬杖をついたままニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていることに気づいた。


「やー。カッチーってさー、ほんっとカッコつけてるよねい」


 間延びした声で、唐突にそんなことを言い出す。


 …………。

 ……。


 ……ん?


 …………。

 ……。


 俺はカッコつけてなどいない。

 事実と、そこから導き出される論理を淡々と述べているだけだ。


「そこがいいんだけどさー」


 俺の無言の抗議を気にするそぶりもなく、アトナは笑って続けた。


「冷たいこと言ってるようでー、泥臭いところまでちゃんと見てるっていうかあ」

「そうですね。素敵だと思います」


 エリンまでもが、穏やかな微笑みを浮かべて追撃してくる。

 俺は小さく息を吐いた。


「……大人をからかうもんじゃない。君たちは本当に、人の懐に潜り込むのが上手いな」


 呆れたように言うと、2人は楽しげに顔を見合わせて笑った。


「でも、言ってる内容はユメリと変わらないと思うんだよねー。あの子も、いつもそれっぽいこと言ってるし」

「カツラギさんは、初対面の時からユメリの言葉を理解して、やり取りされていたそうですね」


 思いがけず名前の挙がった不思議な少女のことを思い出す。

 ユメリは詩的な比喩表現を多用するが、その言葉の芯にあるものは常に鋭く、事象の本質を的確に突いていた。

 つまり、その『本質を見抜く眼』が似ているということだろうか。


 ……うん、そうだろう。そうに違いない。

 決して俺が『(ポエム)』を口走っているわけではないはずだ。


「そいえばさー。仕事は落ち着いたって言ってたけどお、しばらくこっちには来ない感じー?」

「そうだな。明日から、第7支部を見に行くことになっている」


 俺の言葉に、エリンが反応した。


「第7区ですか。あちらは自然が多い場所ですので、落ち着けるのではないでしょうか」

「エリンは第7区、好きだよねえ」


 オルガからの事前情報によれば、第7支部への出向はシヴィリオの要望であるということだが、具体的な内容はまだわからない。

 このまま第9区には戻らず、明日は第8区から直接第7区へと向かう予定を組んでいた。


「では、明日すぐに発たれるのですか?」

「いや。第8区からは馬車で1時間ほどの場所だそうだし、急ぐ必要もない。夕方頃に発つつもりだ。ここ数日働き詰めだったから、明日はオフにして少しゆっくりするつもりでいるんだ」


 そう答えた瞬間、向かいに座っていたはずのアトナの姿が視界から消えた。


「休みだったらさー」


 声がしたのは真横からだった。

 いつの間にか俺の隣の席にするりと滑り込んできたアトナが、身を乗り出すようにして顔を覗き込んでくる。


「夕方まで、ウチらとデートしよーよ、カッチー」

「デート? 俺と遊んでも面白いことは何もないぞ」


 突然の距離の近さに眉をひそめ、もっともらしい理由で防衛線を張るが、彼女たちにそんな建前が通用するはずもなかった。


「私でよろしければ、ぜひご一緒させてください」


 今度は逆の隣から、エリンがテーブルに手をついて上品に身を屈め、逃げ道を塞ぐような柔らかな微笑みで覗き込んでくる。


「ほらほら、エリンも言ってるしい。たまにはウチらと遊んでよー」


 言葉の包囲網だけでなく、物理的にも完全に退路を断たれてしまった。

 アトナの無邪気な、しかし緻密に計算された押しと、エリンの柔らかな微笑み。

 まったく、彼女たちは魔物との戦闘能力だけでなく、対人交渉においてもAクラスの実力を持っているらしい。


 アラサーの男が、18歳の少女たちとデートとは。

 元の世界であれば彼女たちも成人扱いだし、事案にはならない……と思いたいところだが。

 まあ、ここは異世界だ。そのあたりの倫理観や常識も違うのだろう。

 この際、細かいことは気にしないでおくことにする。


「わかった。夕方までな」


 俺が降伏を宣言すると、2人は示し合わせたようにパッと表情を明るくした。


 あっという間に貴重な休日の予定が決まってしまったな。

 どうやら明日は、平穏無事には終わりそうにないだろう。

 体力も人並み以上に持つであろう2人のことだ。ショッピングの荷物持ちや甘味処のハシゴにでも付き合わされるに違いない。


 今回は、この笑顔を失わずに済んで良かった──ということもある。

 明日の疲労は、甘んじて受け入れさせていただくとしようか。


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 第5章 人材再生編 完


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