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第71話:支援の成果報告⑤、羅針盤は永遠に道を指し示す

 2日後。


 夜の帳が下りた第9区。

 石畳を覆う夜の冷気が、昼間の喧騒の熱を静かに奪い去っていく。

 ガス灯に似た魔導灯の淡い光が、入り組んだ路地裏の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。


 五度目となる、看板のない店。

 いつもの薄暗い照明。いつもの個室。


 テーブルを囲む彼らの間に流れている空気は、前回までのそれとは決定的に異なっていた。

 お通夜のような重苦しい沈黙はない。

 かといって、初日のような浮ついた軽薄さもない。

 そこにあるのは、嵐を乗り越え、確かな実質を手に入れた者だけが纏うことのできる、静かで穏やかな空気だった。


 向かいに座る若き冒険者の2人は、肉体的な疲労の色を隠せないものの、その瞳には明確な意思の光が宿っているように見えた。

 顔つきが変わった、と表現するのが適切だろう。


 たったの5日。

 だが、生死の境界線を一度またぎ、自らの役割を問い直した人間にとっては、虚飾のメッキを剥がし、本物の地金を鍛え上げるのに十分な時間だったようだ。


「さて。今日で5回の同行契約が一旦終了となる」


 俺が切り出すと、ステンとサナンナは背筋を伸ばし、真剣な眼差しをこちらに向けた。


「改めて聞こう。ツェイフさんの同行はどうだった?」


 問いかけに対し、ステンは少しだけ躊躇うように視線を泳がせた後、ゆっくりと口を開いた。


「……正直に言っていいっスか?」

「構わない。率直な声こそが、次の改善を生む」

「初日や2回目は、マジで面倒くさい人だと思ってました」


 ステンは苦笑交じりに、ツェイフの方をちらりと見た。

 ツェイフは怒るでもなく、ただ小さく頷いている。


「あれをやるな、ここは慎重にいけ、武器の手入れは終わったか。いちいち口うるさくって」


 ステンの感想は、まさに新入社員が教育係に対して抱く典型的な不満だ。

 だが、それは同時に、ツェイフが『インストラクター』としての役割を全うしていた何よりの証明でもある。

 危険を察知し、事前に芽を摘む。現場で自由に動き回りたい人間からすれば、己の行動を制限される鬱陶しい行為に他ならないだろう。


「でも、わかったんスよ。あの『口うるささ』が、オレたちを守る見えない鎧だったんだって。うるさく感じてたあの小言のおかげで、オレたちは安全に生きて帰れたんス」


 実感の伴った、重みのある言葉だ。

 ただの耳障りの良い精神論ではない。自身の命という最も高価なチップを賭けたからこそ導き出された、真理への到達。

 人は痛みを伴わなければ、本当の意味で教訓を学ぶことはできない。


「それに、ツェイフさんの素材剥ぎ取り……あれは凄かったっス。今までオレたちがどれだけ素材を傷つけて、無駄にしてたか思い知らされました。教えてもらえて本当によかったっス」


 前衛として剣を振るうだけでなく、利益を最大化するための実務技術。

 ダンジョンをただの暴力の舞台ではなく、資源を回収する作業場として認識する視点。

 それを肌で学べただけでも、今回の同行には十分な価値があったと言える。


「サナンナはどうだ?」


 視線を向けると、彼女はテーブルの上で両手を組み合わせた。


「わたしは……少しだけ、夢から覚めたような気分です」

「夢、か」

「はい。わたしが昔から憧れていた、吟遊詩人が歌うような『英雄の冒険譚』。ああいうのって、結果だけを綺麗に切り取ったお伽話だったんですね」


 サナンナは自嘲的でありながらも、晴れやかな表情で笑った。


「誰も怪我をしないように警戒して、武器を磨いて、安全な道を選ぶ。ツェイフさんのような『地味な準備』の積み重ねが、きっとウィスケイドさんやユリーファさんにもあったんだなって、知ることができました」


 華々しいプロジェクトの成功の裏には、必ず泥臭く地味な進行管理が存在する。

 数字の表を睨み、予算の超過を削り、スケジュールを調整する裏方がいなければ、どれほど優秀な人間が表舞台にいようと組織は機能しない。

 彼女は、その世界の構造に気がついたのだろう。


「わたしが、あんなふうに立派な冒険者になれるかは分かりません。でも……」


 サナンナは隣に座るステンへと向き直り、きっぱりと言い切った。


「ステンを死なせないための『守り役』として、わたしはツェイフさんの教えを引き継ぎます。それが、わたしの役割だから」


 その言葉に、ステンは照れくさそうに鼻の頭を擦った。


 良い傾向だ。自分の弱さを認め、役割分担の重要性を理解した組織は強い。

 彼らはすでに、ただの仲良しごっこではない、互いの命を預け合うパートナーとしての第一歩を踏み出している。


 話がひと段落すると、タイミング良く今日の料理が運ばれてきた。

 『白身魚の塩釜焼き』と『彩り野菜とハーブの冷製マリネ』。


 テーブルの中央に置かれたのは、高さのある3本脚の鉄台だ。

 その上の大皿には、白い岩のような巨大な塊が鎮座している。

 熱気と共に、ほのかな磯の香りが漂ってきた。


「なんだこりゃ、ただの塩の塊っスか?」


 ステンが身を乗り出した。


「そうだ。大量の粗塩で大きな白身魚を丸ごと一匹包み込み、そのままオーブンで焼き上げた料理だな」


 説明しながら、料理と共に運ばれてきた小さな木槌を手に取る。


「破片が飛ぶかもしれないから、少し顔を引いていてくれ」


 注意を促した後、木槌を振り上げ、塩の塊の頂部へと的確に振り下ろした。


 ガツン、という硬い音が響く。

 ひび割れた塩の塊にさらに数回の打撃を加えると、表面が崩れ落ち、中からハーブに包まれた白身魚が姿を現した。

 その瞬間、閉じ込められていた極上の香りが、凝縮された熱気と共に個室いっぱいに広がる。

 淡白な魚の香りに、ハーブの清涼感と、程よい塩の風味が混ざり合った、食欲を刺激する匂いだ。


「うわうわ、すっごくいい匂い……」


 サナンナが感嘆の声を漏らし、ステンは喉を鳴らした。


「取り分けるから、少し待ってくれ」


 俺はナイフとフォークを使い、崩れた塩と皮を避けながら、ふっくらと蒸し焼きにされた白身魚の身を解してそれぞれの皿に取り分けた。


「さあ、どうぞ」


 促されるまま、2人はフォークに魚の身を乗せて口へと運んだ。


「美味い! なんだこれ、すげぇフワフワっス!」

「うんうん。塩辛いのかと思ったら、丁度いい塩味で、お魚の旨味がぎゅっと詰まってます」


 2人の感想を聞きながら、俺は自分の分の魚を口に運んだ。

 完璧な火入れだ。厚い塩の層がオーブンの直接的な熱を遮断し、内部の水分を逃がさずに蒸し焼きにする。

 シンプルだが、極めて理にかなった調理法である。


「この魚の味の決め手は、なんだと思う?」


 問いかけると、ステンが咀嚼を止め、首を傾げた。


「えっと、新鮮な魚っスか?」

「それもそうだが、この料理を成立させている最大の功労者は、君がさっき『ただの塩の塊』と呼んだ、外側の硬い塩釜なんだ」


 皿の端に避けられた塩の欠片を、フォークの先で指し示す。


「もしこの塩釜がなければ、魚の身はオーブンの強烈な熱に直接当てられ、水分を失ってパサパサの消し炭になっていただろう」


 その言葉に、2人の動きが止まった。

 パイ包みスープでの教訓が、彼らの脳裏に蘇ったのではないだろうか。


「硬くて融通の利かない塩の殻。それが外側から熱を遮断して、内部の水分を保護する。その『管理』があって初めて、中の魚は焦げずに最高の味を引き出すことができるんだ」


 ツェイフを一瞥し、再び2人へと視線を戻す。


「君たちが窮屈だと感じたツェイフの小言は、この塩釜と同じだ。一見すると不要な制約に見えるが、それがなければ、君たちはダンジョンというオーブンの中で、とっくに燃え尽きていたかもしれない」


 ステンとサナンナは、深く頷いた。


「現場で剣を振るう『攻め』と、それを外側から律する『守り』。そのどちらが欠けても、最高の成果は得られない。互いの役割が不可欠なんだ」


 組織の構造論だ。

 ルールという名の塩釜があってこそ、現場は最大のパフォーマンスを発揮できる。

 彼らはもう、その理屈を身をもって理解しているはずだ。


「さて、話はこれで終わりではないんだが」


 中央の大皿を支えている、3本脚の鉄台を指差す。


「熱い大皿をテーブルから浮かせておくためのこの三脚。もしこの足が、二つしかなかったらどうなる?」


 不意の問いに、ステンは大皿を見つめ、すぐに答えた。


「二つじゃ、バランスが取れずに倒れちまうっスよ。こんな重い塩の塊、絶対に支えきれねえ」

「その通りだ」


 俺は頷き、ワイングラスを手に取った。


「2本の足では、どんなに太く鍛え上げても、横からのちょっとした衝撃で簡単に倒れてしまう。安定して自立するには、最低でも3本の足が必要になる」


 グラスを傾けながら、彼らの反応を待つ。

 ただの世間話ではない。彼らがこの期間で得た最も重要な『気付き』を、彼ら自身の口から語らせるための誘導だ。


 ステンとサナンナは顔を見合わせ、やがて何かを確信したように頷き合った。

 先に口を開いたのはサナンナだった。


「ツェイフさんのサポートは、本当に勉強になりました」


 彼女は、ツェイフに対して視線を向けつつ、言葉を紡いだ。


「でもでも。指摘の内容と同じくらい……ううん、それ以上に、ただツェイフさんが『そこに居てくれるだけ』で、すごく楽だったんです」

「……ああ。オレもそう思った」


 ステンがサナンナの言葉を引き継ぐ。


「ダンジョンの中で、前後左右を全部警戒するのって、2人じゃどうやっても見えない場所ができるんスよね。でも他にいれば、そこを任せられる。それだけで、目の前の魔物への集中が全然違ったっス」


 それは、個人の技術や知識といった水準の話ではない。

 純粋な人員配置という、物理的な土台の問題だ。


「どれだけオレたちの連携が上手くなっても、どれだけサナが警戒してくれても、やっぱり『2人』って人数だと危ねえんだなって……この期間で改めてよくわかったっス」


 2人組の限界。

 一人が負傷すれば、残る一人は戦闘と介抱を同時に行わなければならない。戦力は半減どころか、一瞬で崩壊する。

 彼らは、ツェイフという『3本目の足』を得たことで、初めてその決定的な欠陥に気づいたのだろう。


「だから」


 サナンナが、毅然とした声で宣言した。


「わたしたちには、この三脚のような安心感が必要です。わたしたち、仲間を増やそうと思います」


 ステンも隣で強く頷いている。


「このまま2人で無理を続けるより、信頼できる仲間を探して、パーティの足元を固めるべきだって、そう決めたっス」


 俺はグラスのワインを一口含み、喉の奥へ流し込んだ。

 芳醇な葡萄の香りが、彼らの成長という肴と混ざり合い、静かな喜悦となって胸に広がる。


「……素晴らしい結論だ」


 舌に残る心地よい余韻を味わいながら、俺は静かにグラスを置いた。


「ただ寂しいからとか、火力が足りないからといった感情的な理由ではない。2人組という陣形の穴を冷静に分析し、命を守るための備えとして『仲間を増やす』という堅実な結論を出した。その判断を、俺はギルド職員として全面的に支持する。無謀な特攻を卒業し、足元を固めようとする君たちになら、これから先の活躍も期待できそうだ」


 賛辞を贈ると、ステンは照れ笑いを浮かべた。

 だが、サナンナはじとっとした半目でこちらを見つめる。


「カツラギさんって、最後まで上からで辛辣ですねー。素直に応援してくれればいいのに」


 彼女の遠慮のない言葉に、ツェイフが堪えきれずに吹き出し、ステンも声を上げて笑い出した。


 俺としては、これ以上ないほど素直な賛辞を送ったつもりだったのだが。

 次からは若者にも伝わりやすいストレートな言葉を選ぶとしよう。


 屈託のない笑い声が個室の壁に吸い込まれ、静かで心地よい余韻が降り積もっていく。

 ひとしきり笑った後、ステンは少し真面目な顔になり、ツェイフの方を見た。


「でも、本当に……ツェイフさんには感謝してるっス。口うるさくて、でもいざって時には体を張ってオレたちを守ってくれて……」


 少し気恥ずかしそうに、ステンは視線を落とす。

 親を知らない彼らにとって、それは初めて触れる『父性』という名の安心感だったのかもしれない。


「オレたち、親の顔なんて知らない孤児っスけど……もし親父がいたら、こんな感じだったんスかねえ」


 その不器用で真っ直ぐな言葉に、ツェイフは一瞬目を丸くした。


「よしてくれ。僕みたいな駄目な父親を持ったら、苦労するだけだよ」


 自嘲気味に笑うツェイフの横顔には、かつて己の弱さから身を崩し、一人娘に重い心労をかけた男の、消えない後悔の念が滲んでいるように見えた。

 だが、今の彼は違う。過去の過ちを抱えながらも、確実に前へ進み、若き命を導く指導者への道を進んでいる。


「父親といえば。ツェイフさん、アトナたちがまだ駆け出しだった頃は、あなたが面倒を見ていたんですか?」

「ええ、まあ。本当に最初の、右も左も分からない頃に、少しだけ口うるさくした程度ですが。あの子たちは優秀でしたから、すぐに僕の手を離れていきましたよ」


 俺は頷き、ステンたちへと視線を向けた。


「今、話に出た子たちは、現在『星の天頂(スターゼニス)』というパーティで活動している」


 そう言い添えると、2人の動きが止まった。


「『星の天頂(スターゼニス)』って、あのAランクの!? マジっスか!?」

「うわうわ。アトナさんって、アトナツィヒさん……あのすっごく素敵な人ですよね!」

「同じ教えを受けたんだ。地道な備えを忘れなければ、君たちもいずれ、その領域を目指せるかもしれないな」


 俺の言葉に、ステンとサナンナは少しだけ姿勢を正し、ツェイフを見つめ直した。

 彼らの眼差しには、先程までの親愛の情に加えて、明らかな畏敬の念が宿っていた。


 スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも同じだ。

 名選手が必ずしも名監督になるとは限らない。

 逆に言えば、プレイヤーとして一流の成績を残せなかった者でも、己の『失敗の経験』を正しく言語化し、体系立てて伝える術さえ持っていれば、最高の指導者(エデュケーター)になり得るのだ。


 『歩く失敗事例集』であり、その結果として徹底したリスク管理を身につけたツェイフは、まさにそれだ。

 彼が語る『生きた教訓』は、いかなる英雄の武勇伝よりも、弱き者たちを生存へと導く確かな羅針盤となる。


 俺は手元の皿に残っていた冷製マリネを、フォークで口に運んだ。

 酸味の効いた冷たいトマトが、塩釜焼きの濃厚な後味をさっぱりと洗い流してくれる。

 彼らの未来を暗示するように、テーブルの中央に据えられた三脚は、揺らぐことなく確かな安定を保っていた。


 3本目の足を自らの意志で探し求めた若者たちと、新たな役割を見出した元冒険者。

 彼らの冒険(クエスト)は、ここからが本番だ。


 総決算として、これ以上ない夜だった。


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