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第70話:支援の成果報告④、痛みとは血肉という名の資産である

 2日後。


 夜の帳が下りた第9区。

 喧騒から切り離された路地裏には、息が詰まるほどの静寂が横たわっている。

 誰の口からも言葉は零れず、ただ鈍い足音だけが石畳を打ち鳴らした。


 四度目となる、看板のない店。

 いつもの薄暗い照明。いつもの個室。


 テーブルを囲む空気は、重苦しい沈黙に支配されていた。

 卓を挟んで座る若き冒険者の2人は、揃って気まずそうに首を垂れている。


 前回の、退屈を持て余したような彼らの態度はどこにもない。

 この空気感には見覚えがある。

 致命的な損失を生み出す寸前までいった若手社員が、上司の決死のフォローによって辛うじて事なきを得た直後の、あの居たたまれない空気だ。


「……さて。随分と反省の色が濃いようだな」


 俺が静寂を破るように声を落とすと、ステンがびくりと背筋を跳ねさせた。


「ツェイフさん。報告をお願いします」


 ツェイフはメモ帳を開くと、淡々とした口調で語り始めた。


「本日の目的であった『アルミラージの角』の規定数納品ですが、これに関しては予定通り、問題なく完了しました」


 アルミラージ。

 額に鋭い一本角を生やした、野兎のような魔物である。

 偵察用の小型ドローンに無理やり特攻用の槍を括り付けたようなちぐはぐな設計で、ターゲット層もコンセプトもブレていると言わざるを得ない。

 駆け出し冒険者の動体視力を測るための、都合の良い的といったところか。


「問題は、目的を果たし、帰還の途についた際に起きました」


 ツェイフが言葉を区切ると、ステンとサナンナの身体が目に見えて強張った。


「通路の奥へと逃げ込む『黄金角のアルミラージ』を発見したんです。滅多に姿を見せない希少種です」


 希少種。

 遭遇率が極めて低く、その素材や魔石は高値で取引される。

 ビジネスの世界で言えば、偶然舞い込んだ利幅の大きい新規案件、あるいは思いがけない特別ボーナスといったところか。

 だが、美味い話には必ず裏がある。それはどの世界でも不変の真理だ。


「それを目にした瞬間、2人の目の色が変わりました。僕は即座に深追いを禁じたのですが……」


 ツェイフは小さく息を吐き出した。


「欲に駆られた彼らは、僕の制止を振り切り、独断で通路の奥へと突撃してしまったのです」


 典型的な命令違反だ。

 目の前にぶら下げられたニンジンに理性を奪われ、周囲の状況確認を怠る。

 ギャンブルにおいて、一発逆転の特大配当に目が眩み、手持ちの資金をすべて突っ込んでしまう心理に似ている。

 かつてカジノで地獄を見たツェイフにとって、彼らのその軽はずみな行動がどれほど恐ろしく映ったかは想像に難くない。


「結果はどうなりました?」

「最悪の展開でした。希少種を追って飛び込んだ先では、複数の魔物が待ち受けていたのです」


 ただの偶然か、それとも魔物なりの姑息な狩りの手口だったのかは定かではない。

 だが、2人は包囲された。


「複数の魔物による奇襲を受け、ステンは前方に現れた魔物の対処で手一杯となり、すぐ近くにいたサナンナが完全に孤立しました」

「っ……」


 サナンナの口から、堪えきれないような息が漏れた。


「そこへ魔物が彼女に迫り、僕が彼女を庇って前に出ました」


 ツェイフの言葉は平坦だったが、その情景を想像するだけで背筋に冷たいものが走る。


「サナンナに向かっていた一撃を弾き飛ばすことには成功しましたが、その隙を突かれ、別の魔物の攻撃を、僕自身が受けることになりました」

「ツェイフさん……!」


 ステンが顔を上げ、絞り出したような声を漏らした。

 その表情には、強い後悔の色が浮かんでいるようだ。


「しかし、安心してください、カツラギさん。僕は無傷です」


 ツェイフは自らの胸元を叩いてみせた。

 そこには、彼に支給した見栄えのしない鎧――『エシカル防具』が着込まれている。


「魔物の爪は鎧の表面を削っただけです。抜群の強度でした。結果として、体勢を立て直し、魔物たちを退けて撤退することができました。それ以上、希少種を追うことはしていません」

「……そうですか。無事で何よりです」


 ひとまずは安心だ。

 若手のサポート係を任せた結果、彼を死なせてしまっては元も子もない。

 同時に、冷徹な計算を弾く俺の頭の片隅で、図らずも『エシカル防具』の強烈な耐久テストが完了したことに、ある種の達成感を覚えていたのも事実だ。

 機能性を最優先し、端材を組み合わせたあの防具が、熟練の冒険者の命を救ったのだ。


「オレの……オレのせいっス」


 ステンが沈んだ声で言った。


「オレが、金に目が眩んで……ツェイフさんの言うことを聞かずに突っ込んだせいで。サナを危ない目に遭わせて……ツェイフさんまで……」

「わたしもです……」


 サナンナが俯き加減でそれに続いた。


「わたしが『あの子を追いかけよう』って言っちゃって……。止めるのがわたしの役割なのに、わたしまで一緒になって追いかけちゃって……」


 若さゆえの過ち。

 結果として誰も死ななかったから良かったものの、一歩間違えれば全滅していた事案だ。

 だが、今ここで俺が彼らを激しく叱責することに意味はない。

 彼ら自身が、すでに己の愚かさを骨の髄まで理解しているからだ。


 重苦しい空気を断ち切るように、料理が運ばれてきた。

 今夜のメニューは『きのこのパイ包みスープ』と、分厚く切り分けられた『ローストポークのベリーソース添え』だ。


 それぞれの前に置かれたのは、白磁の器。

 その器の口を、こんがりと黄金色に焼き上げられたドーム状のパイ生地が、蓋をするように完全に覆い隠している。

 芳醇なバターの香りが個室に広がり、先程までの陰鬱な空気をいくらか中和してくれた。


「2人とも、十分に反省しているのは分かった。しかし、落ち込んで腹を空かせたところで過ぎた失敗は取り戻せない。今日の報告会はここまでにして、冷めないうちに頂こうか」


 俺がスプーンを手に取ると、ステンもまた、どこか気まずそうにしながらもスプーンを握った。


「美味そうっスね」


 ひどく落ち込んでいようと、腹は減る。それは生きている証拠だ。

 彼は躊躇(ためら)いなく、パイ生地へスプーンを突き立てたが――。


「あっちぃっ!?」


 すぐに短い悲鳴を上げ、スプーンを取り落とした。

 力加減が雑すぎたのだろう。勢い余って、柄を握る指先ごとパイ生地に突っ込んだらしい。

 蓋の役割を果たしていた生地が破れたことで、閉じ込められていた高温の蒸気に指先を容赦なく焙られてしまったようだ。


 ステンは慌てて右手を振り、指先をもう片方の手で押さえた。


「ステン、大丈夫!?」


 サナンナが素早く反応して彼の手に触れると、淡い光が見えた。

 治癒魔法(ヒール)で痛みは和らいだようだが、ステンの顔には情けなさと自己嫌悪が混ざり合ったような表情が浮かんでいた。


「……それが、今日の反省点だな」


 俺は自分のパイ生地を、(ふち)の方からスプーンで少しずつ崩し、中の蒸気をゆっくりと逃がしながら口を開いた。


「え?」


 ステンが間の抜けた声を出す。


「見た目の良さに釣られ、中身に潜むリスクを確認せずに真っ直ぐ突っ込む。その結果、思わぬ反撃を受けて痛い目を見る。ダンジョンでの失敗と、今の火傷。全く同じ構造だ」


 俺の言葉に、ステンはハッとしたように目を見開いた。


「表面を覆う黄金色のパイ生地は、さしずめ『黄金角のアルミラージ』といったところか。魅力的な外見に目を奪われ、その下に熱湯の如き罠が待ち受けている可能性を全く考慮しなかった」

「そうっスね。落ち着いて対応するのが、オレの役割なんスけど……」


 ステンが自嘲気味に呟いた。

 自ら定めた役割(ルール)を忘却した代償が、この痛々しい火傷というわけだ。


 俺はスプーンで掬ったスープを口に運んだ。

 きのこの濃厚な旨味が溶け出したスープは絶品だ。火傷さえしなければ、極上の味わいを楽しめる。


「まあ、生きて帰ってこれたのだから、次は間違えないことだ」


 俺がそう締めくくろうとした時、ツェイフが静かに口を開いた。


「ステン。君が先程突き崩した、そのパイ生地の断面を見てみるんだ」


 ツェイフの言葉に促され、ステンは崩れたパイの残骸を覗き込んだ。


「断面、っスか……?」

「それは、薄い生地が重なり合って一つの層を形成している。だからこそ、中の熱い蒸気を閉じ込めることができ、外からの衝撃にもある程度耐えられるんだ」


 ツェイフは親指で、自身の鎧の胸元を示した。


「僕が着ているこの鎧も、考え方は似ているんだよ」

「えっ、その鎧が?」

「うん。カツラギさんから支給されたこの鎧は、工房で捨てられるはずだった端材の寄せ集めから作られているんだ」


 ツェイフの告白に、若き2人は驚きに目を見張った。

 彼らが普段目にする冒険者の鎧と言えば、分厚い一枚の鋼板を打ち出したものか、あるいは高価な魔物の皮革をなめしたものが相場だからだ。


「端材は、そのままでは何の役にも立たない。だけど、端材から切り出した鉄片を何十、何百と重ね合わせ、編み込むことで、立派な鎧になるんだ」


 それが『ラメラーアーマー』の構造だ。

 決して見栄えが良いとは言えない。鉄片を繋ぎ合わせているのだから当然だ。

 だがギルドは、他者が『ゴミ』だと見捨てたものに価値を見出し、生存のための最適解を導き出した。


 いわゆる『創造的再利用(アップサイクル)』の成功例だな。

 製造工程で廃棄されるはずだった端材が、見事に冒険者の命を繋いだわけだ。


「僕が今日、魔物の攻撃を受けても無事でいられたのは、この小さな鉄片の集まりのおかげなんだ。一枚一枚地道に積み重ねられた『堅牢な鎧』が僕の命を救い……ひいては、君たちの命を繋ぎ止めたんだよ」


 ツェイフの、確かな重みを持った言葉が、個室の空気に染み渡っていく。

 ステンとサナンナは、何も言えずにただ黙って彼の言葉を噛み締めていた。


 冒険者という稼業は、どうしても『攻撃』の派手さに目を奪われがちなのだろう。

 どれだけ強い剣を振るうか、どれほど強力な魔法を放つか。

 だが、真に生き残るために必要なのは、決して破綻しない屈強な『防御』である。

 それは装備の話だけではない。情報を集め、罠を警戒し、深追いを避けるという、精神的な防御も含まれる。


 2人は今日、ツェイフという安全策、そして『エシカル防具』という防壁に守られ、こうして温かいスープを飲むことができているのだ。

 自分たちが、いかに周到に準備された『焼かれたパイ』の内部で守られていたか。

 その事実を、身をもって痛感したことだろう。


「……オレ、馬鹿でした。かっこいい武器とか、レアな獲物とか、そういう上っ面ばっかり見てて。一番大事な足元を、全然見てなかったっス」


 ステンはテーブルに置いた両手を強く握りしめ、深く頭を下げた。


「ツェイフさん。改めて……助けてくれて、本当にありがとうございました。もう二度と、あんな真似はしません」

「わたしからも……本当にごめんなさい。そして、ありがとうございました」


 サナンナもまた、深く頭を下げる。

 ツェイフは小さく頷き、彼特有の穏やかな笑みを浮かべた。


「生きて学べたのなら、それで十分だよ。さあ、スープが完全に冷めてしまう前に食べようか」


 その光景を見届けながら、俺はローストポークにナイフを入れた。

 刃は滑らかに肉を断ち切り、鮮やかな肉汁がベリーソースと混ざり合う。


 派手な見た目のハイリスク案件に飛びつき火傷を負ったが、リスク管理の重要性を学べたのなら、授業料としては安いものだ。

 熱も、痛みも、すべては血肉という名の資産に変わる。


 表面的な利益を追うことをやめた2人は、これから本物の成果を生み出しそうだな。


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