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第69話:支援の成果報告③、スリルはリスクしか生まない

 2日後。


 夜の帳が下りた第9区。

 路地裏の静寂は、昼間の喧騒をすっかり飲み込んでいる。

 石畳を叩く自分たちの足音だけが、不規則なリズムで響いていた。


 三度目となる、看板のない店。

 いつもの薄暗い照明。いつもの個室。


 テーブルに着いたステンとサナンナの装備は、前回までと比べると綺麗だった。

 泥汚れがなければ、鎧の傷も増えていないように見える。

 それは、今日の彼らが『完璧な仕事』をしたことの証明であり――同時に、ある種の不満の種でもあったらしい。


「……はあ」


 ステンが露骨なため息を吐き、テーブルに頬杖をついた。


「おや。今日は随分と余裕がありそうだな」


 俺が声をかけると、ステンは唇を尖らせた。


「余裕っていうか……なんていうか、手応えがないんスよ。今日は」


 不満げな若者とは対照的に、対面に座るツェイフは涼しい顔をしていた。

 彼の表情には、職務を全うした者特有の静かな自負が見て取れる。


「報告をお願いします」


 ツェイフはメモ帳を開き、淡々と話し始めた。


「本日のクエストは、地下5階より下の層に咲く『幽灯花(ゆうとうか)』5輪の採取。結論から言えば、最良の結果です」


 幽灯花(ゆうとうか)とは、ダンジョンのみに咲く青白い発光植物らしい。

 地上の動植物は拍子抜けするほど地球と同じだが、ダンジョンには常識の通用しない未知が転がっている。


「索敵を徹底し、無用な戦闘は回避しました。遭遇した魔物も、気付かれる前に攻撃を仕掛けるか、遠距離から魔法で倒しました。一切の反撃を受けずに処理しています」


 ゲームで言うところの『ハメ技』に近い戦術だ。

 敵の感知範囲外から一方的に攻撃し、近づかれる前に仕留める。

 あるいは、狭い通路に誘い込み、一対多の状況を作らせないリスク管理の徹底だ。

 ビジネスで言えば、不確定要素を排除し、完全にマニュアル化された『標準オペレーション』で利益を上げるような堅実な運営と言える。


「被弾なし。ポーション消費ゼロ。文句のつけようがない成果です」

「数字の上では、ですね」


 俺が頷くと、ステンがテーブルを指でトントンと叩いた。


「いや、わかるんスよ。怪我しなかったし、楽だったし。それはいいことなんスけど……」

「けど?」

「面白くねえんスよ」


 ステンが吐き捨てるように言った。


「作業っスよ、こんなの。敵を見つけて、罠にハメて、一方的に攻撃して終わり。ヒリつくようなやり取りがなけりゃ、ギリギリで避ける緊張感もない。これじゃあ、素振りと変わらないじゃないっスか」


 若さ故の渇望か。

 安全な勝利よりも、血湧き肉躍る闘争を求める。

 それは冒険者という人種が持つ根源的な欠陥であり、同時に魅力でもある。


「スリルがないと、成長してる気がしないんスよ。死線を越えてこそ『生きてる』って実感があるもんじゃないっスか?」


 その言葉が出た瞬間、ツェイフの表情からスッと温度が消えた。

 彼の纏う空気が、温度を数度下げたように感じる。


「気持ちはわかるよ」


 ツェイフは静かに告げた。


「でも、その考え方は良くないね。リスクをスリルと錯覚するのは、ギャンブルに溺れる人間の思考だよ」

「ギャンブル、っスかぁ!?」

「プロにとって『スリル』とは、楽しむものじゃない。『想定外の事故』のことだよ。準備不足、敵の見落とし、あるいは慢心。それらが招いたミスを、『スリル』という甘美な言葉で誤魔化しているに過ぎないんだ」


 ツェイフは真っ直ぐにステンを見据えた。


「君が求めているのはクエストの達成じゃない。快楽だ。金貨の代わりに命を賭けている。ダンジョンはカジノじゃないんだよ」


 言葉の端々に、実体験ゆえの重みが乗る。

 ビギナーズラックという麻薬。

 『これならいける』という錯覚。

 そして、全てを失った後の虚無。

 彼は、ステンの現在の思考回路が、かつて自分を破滅させたロジックと酷似していることを見抜いているのだ。


「悪いことは言わない。その『感覚』を追い求めるのはやめるんだ。それは成長への階段じゃなく、破滅への落とし穴だ」


 あまりにも正論であり、そして切実な忠告だった。

 だが、ステンは引き下がらなかった。

 顔を紅潮させ、拳を握りしめる。


「違う! オレはそんな、遊びでやってるわけじゃねえ!」

「では、なぜ危険を求めるんだい?」

「……憧れ、なんスよ」


 ステンの声のトーンが変わった。

 熱を帯びた、それでいてどこか切実な響き。


「オレとサナは孤児なんスよ。教会で育ちました」


 ステンが隣に少し視線を向けると、サナンナは小さく頷いた。


「たまに豪華な飯が食える時があったんスけど。決まって、ある冒険者が寄付をしてくれた時だったんスよ」


 成功者が慈善事業を行うのは珍しい話ではない。

 名声のためか、あるいは免罪符か。

 動機はどうあれ、その金が子供たちの腹を満たしたのは事実だ。


「カッコよかったんスよ。カッコいい武器を持って、立派な鎧を着て、笑顔で金を置いていく。オレも、あんな風になりたいって。あんな風に強くなって、誰かを助けられるようになりたいって思ったんだ」


 ステンの視線が、部屋の隅の壁に立てかけられたグレイブとショートソードに注がれる。


「だからオレはこの武器を選んだんスよ。その人が使ってたのと同じ組み合わせで、どんな状況でも対応できる最強のスタイルだって思うから」


 彼のちぐはぐな装備構成には、そんなルーツがあったのか。

 機能性よりも、憧れという名のロマンが先行しているわけだ。


「……その冒険者というのは」


 ふと、ツェイフが口を開いた。


「『悠久の誓約(エタニティオース)』の、ウィスケイドのことかい?」

「えっ!?」


 ステンの目が丸くなった。

 椅子を鳴らして身を乗り出す。


「知ってるんスか!? ウィスケイドさんを!」

「知っているも何も、Sランクパーティの冒険者だ。有名人だろう。グレイブとショートソードを同時に操る特異な戦闘スタイル。彼以外に思いつかないよ」


 ツェイフは小さく息を吐き、天井を仰いだ。


「昔……10年前ぐらいかな。何度か一緒にクエストをこなしたことがあるんだ。彼がまだ、駆け出しの……君と同じ『Eランク』だった頃の話だけどね」

「マジっスか! すげえ、あの人と一緒に……」


 ステンが食い入るように見つめる。

 ツェイフは苦笑交じりに続けた。


「彼も君と同じだったよ。無鉄砲で、スリルを求めて突っ込んでいく。僕はその時も、今回のように助言をしたものさ。『死に急ぐな』ってね」

「へえー! ウィスケイドさんはなんて言ってたんスか?」

「『わかっているけど、体が動いてしまう』と笑っていたかな。その後、彼は圧倒的な才能で駆け上がり、僕は留まった。それだけだよ」


 ツェイフの言葉には、自嘲とも誇りともつかない響きがあった。

 天才の背中を見送り、地道な生存を選び、そして一度は道を踏み外した凡才の矜持。

 それはそれで、一つの生き様だ。


 ステンは少しだけ黙り込んだ。

 憧れの英雄が、かつては自分と同じ無鉄砲な若者だったという事実に、衝撃を受けているのだろう。


「……オレじゃ、ウィスケイドさんみたいになれないっスかね?」

「いいや。素質はあると言ったよ」


 ツェイフは否定しなかった。


 ここで否定するのは簡単だ。

 だが、彼はステンの純粋さを理解してしまったのだろう。

 かつて自分が失ってしまった『熱』を、目の前の若者が持っている。

 それを無下にする権利は、自分にはないと感じたのかもしれない。


「でも、君は彼の『形』だけを追ってしまっている。ウィスケイドが生き残れたのは、運が良かったからだけじゃない。技術があったからだ」

「技術……」

「君は魔力操作が得意だ。前回、僕はそれを指摘したけど、それは武器にもなるんだよ」


 ツェイフは壁際のグレイブを指差した。


「本来、グレイブは両手で扱う武器だ。でも器用な君なら、身体と武器への魔力流動を併用することで、片手で扱いながら武器も強化できるだろう」

「えっ? いや、まあ……できなくはないっスけど。精度が落ちるっスよ」

「そこで、空いたもう片方の手だ」


 ツェイフは空いた左手を動かし、見えない鞘から剣を抜くような仕草をした。


「ショートソードを抜きなさい。ウィスケイドはそうしていた。右手で長柄のリーチと威力を活かし、懐に潜り込まれたら左手の剣で迎撃する。あるいは、剣で受け流して長柄で追撃する」


 ステンが呆気にとられた顔をする。


「二刀流……ってことっスか? グレイブとショートソードの?」

「そう。至難の業だよ。左右で異なる間合いと異なる重さを管理して、身体と武器に魔力流動まで行う。相当な魔力操作技術が必要だ」


 ツェイフは意地悪そうに、しかしどこか楽しげに口角を上げた。


「スリルが欲しいんだろう? 死ぬかもしれない恐怖じゃなく、技術的な困難に挑むスリルを味わいなさい。被弾のリスクを負うのではなく、操作の限界に挑むんだ。それができれば、君は憧れの英雄に一歩近づける」


 ステンの表情が変わっていく。

 若いだけあって単純だ。

 だが、その単純さが彼のエンジンなのだろう。


「……へへっ。面白そうじゃねえっスか。やってやりますよ」

「期待してるよ。まあ、最初は自分の足を切らないように気をつけることだね」


 俺も口を挟むことにした。


「いい提案だな。技術が向上すれば、より高難易度のクエストも安全にこなせるようになる。それは単純に、稼ぎが増えることを意味する」


 俺は視線をサナンナに向けた。


「稼ぎが増えれば、サナンナも安心できる。そうだろう?」

「そうですよっ!」


 サナンナが勢いよく身を乗り出した。

 自分でも驚いたのか、ハッとして口元を押さえ、頬を赤らめる。


「あのあの、いえ、その。ステンが強くなって怪我しなくなるなら、それが一番です。それに、ウィスケイドさんと一緒にいたユリーファさんは、わたしの憧れですから。わたしも一緒に強くなりたいと思います」


 彼女にとっても、孤児院時代の記憶は大切なものなのだろう。

 2人にはそれぞれの憧れがあり、そこへ続く道が見えている。


 話がまとまったところで、タイミング良く料理が運ばれてきた。

 今夜のメインディッシュは『魚介のパエリア』だ。


 テーブルの中央に置かれたのは、巨大な鉄鍋。

 その中には、サフランで鮮やかな黄金色に染め上げられた米が敷き詰められている。

 米の上を彩るのは、真っ赤な有頭エビ、漆黒の殻を持つムール貝、そして白身魚の切り身だ。

 レモンの輪切りと緑のパセリが、視覚的なアクセントを加えている。

 立ち昇る湯気には潮の香りと、焦げた米の香ばしさ、そしてサフラン特有のエキゾチックな芳香が混じり合っていた。


「うわうわ、綺麗……!」


 サナンナが歓声を上げる。

 まるで宝石箱を開けたような反応だ。


「こりゃすげえ。こんな黄色い米、初めて見たっス」


 ステンも目を丸くしている。

 俺が給仕代わりに取り分け、それぞれの皿に盛った。


「冷めないうちにどうぞ。底のお焦げが美味いんだ」


 俺の言葉に従い、2人はスプーンを口に運んだ。

 サクッとしたお焦げの食感と魚介の旨味を吸い込んだ米の味が、口いっぱいに広がるはずだ。


「……うん。美味いっスね」


 ステンが咀嚼しながら言った。

 しかし、その反応はどこか薄い。


「でも、なんかちょっと……味が薄いっていうか、物足りない気がするっス。もっとこう、ピリッとくるような刺激が欲しいっスね」

「そうかな? わたしはこれで丁度いいと思うけど。素材の味がしっかりしてて、すっごく美味しいよ」


 サナンナは幸せそうに頬を緩めている。

 この温度差。

 まさに、彼らの冒険に対するスタンスそのものだ。


「ステン。君が感じている物足りなさは、まさに『スリル』の欠如と同じだ」

「えっ、飯の話っスよ?」

「そうだ。刺激的な味――スパイスの話だ」


 俺はスプーンで黄金色の米を掬い上げた。


「この料理は、素材の出汁とサフランの香りで成立している。優しいが、奥深い。サナンナはそれに満足し、君は物足りないと言う」


 激辛の香辛料を好む者がいるように、リスクという名の刺激がないと生を実感できない人種は確かにいる。

 だが、それはあくまで嗜好品だ。主食にしてはいけない。


「スリルというスパイスが足りないなら、足せばいい。ツェイフさんが提案した『二刀流』という難題は、君にとって極上のスパイスになるだろう」

「スパイス……技術への挑戦が、スか」

「そうだ。ただし、忘れないでくれ」


 俺はステンを見据え、言葉に重みを乗せた。


「スパイスは、適量だからこそ料理を引き立てる。かけすぎれば素材の味を殺し、舌を麻痺させ、最後には食べられなくなる。スリルも同じだ」


 過剰なリスクは、人生という皿を台無しにする。

 一度台無しになった料理は、二度と元には戻らない。

 それは、彼の目の前にいるツェイフという男が一番よく知っていることだ。


 俺はテーブルの端に置かれていた、木製のペッパーミルを手に取った。

 手の中で重さを確かめ、自分の皿の上で2回だけハンドルを回す。

 乾いた音が響き、黒い粒が黄金色の米に散った。


「俺には、これくらいが適量だが。君はどうだ?」


 ミルをステンに差し出すと、彼は少し戸惑ったように受け取った。

 その手の中にある重みは、これから彼が自分で調整すべきリスクの重みそのものだ。


「君にとっての『適量』がどれくらいか。そして、サナンナにとっての『適量』とはどれくらい違うのか。それをしっかり考えることだ。君一人の食事ではないんだからな」


 ステンは、隣で美味しそうにスプーンを動かすサナンナを見た。

 彼女は強い刺激が苦手なのかもしれない。

 あるいは、ただ静かに食事を楽しみたいだけなのかもしれない。

 パーティを組むということは、互いの刺激の許容量の違いを理解し、同じテーブルに着くということだ。

 一つの組織において、メンバー間の『リスク許容度』のズレは、いずれ致命的な崩壊を招く。


「……わかったっスよ。かけすぎ注意、っスね」


 ステンは少し照れくさそうに鼻を擦ると、受け取ったミルを慎重に回した。

 パラリと散った粒は、ほんのわずかだ。

 彼は再びスプーンを動かし始めた。

 今度は、じっくりと味わうように。


 俺もまた、パエリアを口に運ぶ。

 少しの苦味と、凝縮された旨味、そして黒胡椒の鮮烈な刺激。


 ただ甘いだけの食事はもう終わりだ。

 噛みしめるほどに味が出る、そんな冒険者になってくれればいいのだが。


 俺は口の中に残る複雑な余韻を楽しみながら、グラスを傾けた。


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