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第67話:支援の成果報告①、見えない経費は首を絞める

 夜の帳が下りた第9区。


 迷路のように入り組んだ裏路地の一角に、その店はひっそりと佇んでいた。

 看板には店名がなく、ただ古い木製の扉に『営業中』の小さな札が掛かっているだけだ。

 知る人ぞ知る、という表現がこれほど似合う場所もないだろう。

 オルガが『美味くて、うるさい客もいない』と太鼓判を押していた店である。


 重厚な扉を押し開けると、カウベルが低く柔らかな音を奏でた。

 店内は照明が落とされ、各テーブルに置かれた魔導ランプの暖色の灯りがレンガ造りの壁を温かく照らし出している。


 案内されたのは、店の一番奥にある個室だ。

 分厚いカーテンで仕切られた空間は周囲の会話を遮断し、密談を交わすにはうってつけの隠れ家となっていた。

 室内には4人掛けのテーブルが置かれており、俺とツェイフは上座である奥側へ進んだ。


 ツェイフが若手コンビに同行する期間中は、この場所で『食事を兼ねた報告会』を行うことになっていた。

 今回は、その第1回目で、2回目以降の開催は『永遠の羅針(エターナルコンパス)』の2人に合わせて実施していくことになる。


 冒険者という職業は、毎日休みなくダンジョンに出向いているわけではない。

 十分な休息に加え、装備の手入れや日々の鍛錬、ギルドや酒場での情報収集といった下準備が必要になるためだ。

 稼働日数が限られている個人事業主(フリーランス)だからこそ、一度のクエストにおける『利益率の向上』と『課題のフィードバック』が重要になる。

 日中のうちにクエストをこなしてもらい、夜は美味い飯を食わせながらその日の反省会を行う。それが今回の試験運用における基本サイクルだ。


「……へえ。結構いい店だな」


 ステンが物珍しそうに店内を見回しながら、革張りの椅子に腰を下ろした。

 キョロキョロと忙しなく動くその視線は、落ち着いた空気に飲まれているようにも、生意気な好奇心で値踏みしているようにも見える。


「うわうわ、いいお値段……。これ、本当にギルド持ちなんですよね?」


 サナンナがメニュー表の価格を盗み見ながら、小声で確認してくる。

 その言葉と表情からは『タダ飯』という事実への喜びと『後で何か請求されるのではないか』という警戒心が半々で透けて見えた。


「気にしないでください。依頼期間中はご馳走しますよ」


 俺は短く答え、給仕に合図を送った。

 同行依頼の期間中は、この店でオルガのお勧めメニューが運ばれてくるよう、あらかじめ手配してある。


「さて。料理が来るまでの待ち時間を使って、先に報告会を済ませてしまいましょうか」

「うげっ、メシの前っスか。腹減って頭回らないっスよ」


 ステンが露骨に嫌な顔をする。


「仕事を終えてからの方が、食事も美味しいでしょう。それに、時間は有限です」

「……わかったっスよ」


 ステンは渋々といった様子で背もたれから体を起こした。

 サナンナも居住まいを正す。


「ツェイフさん。本日の成果報告をお願いします」


 俺が促すと、ツェイフは手元のメモ帳を開いた。


「本日のクエストはホブゴブリンの魔石の納品。討伐数は10体です。遭遇した個体すべてを逃すことなく処理しました」


 ホブゴブリン。

 ゴブリンを一回り大きくし、筋肉という名の鎧をまとわせたような醜悪な亜人だ。

 知能も相応に高く、個の暴力だけでなく集団での連携すら使いこなす。

 ゴブリンの延長線上だと軽い気持ちで挑んだ冒険者が、その組織的な狩りの犠牲となったケースは多い。


 奇妙なのは、身につけている武器や防具が冒険者から奪ったものではなく、発生した時点から『装備』として身体の一部のように備わっていることだ。

 錆びた鉄剣に、異臭を放つ革鎧。

 製造工程や物流といった経済活動を嘲笑うかのような『暴力の既製品』である。


 それを10体。

 すでにEランクに昇格しているだけあって、彼らの基礎戦闘能力は申し分ないようだ。


「率直に言うと、2人の才能は素晴らしいものです。基礎能力が高く、度胸もある。このまま経験を積めば、問題なくDランク、いや、それ以上を狙える器でしょう」

「まあ、当然っスけどね。オレたちだけでもやってこれてるんだし」


 自信を持つことは悪くない。

 だが、俺が聞きたいのは『表面上の勝利』ではない。


「それで、何か気づいたことはありませんでしたか?」


 ただ褒め称えるだけなら、俺もツェイフも必要ない。

 ツェイフは一度言葉を切り、静かな瞳で2人を見据えた。


「そうですね、今のままでは『効率』が悪いといえます」

「……へっ?」


 ステンが間の抜けた声を漏らす。


「稼ぎに対して、経費の比率が高い。つまり、費用対効果に問題があります。このままランクの高いクエストに挑めば、いずれ赤字になりそうですよ」

「赤字ぃ!?」


 サナンナの目の色が変わった。


「どういうことっスか。オレたちは魔物を倒したし、素材も回収したっスよ」

「無駄な出費が出るんですよ。気づいた点は大きく分けて三つあります」


 ツェイフは指を3本立てた。


「一つ目。防具修理費の増大です」


 彼はステンの胸元を指差した。


「ステンさん。あなたは今日、魔物の攻撃をほとんど回避しませんでしたね。あえて鎧の厚い部分で受け止めつつカウンターを狙っていた」

「ああ、そっちの方が手っ取り早いし。あいつらの攻撃なんて、この鎧なら痛くも痒くもないっスよ。それにオレが避けて後ろに逸らせば、サナに危険が及ぶかもしれないじゃないっスか。前衛のオレが体を張るのは当たり前っスよ」


 ステンの言い分は、一見するともっともだ。

 タンク役が攻撃を引き受けることで、後衛の安全を確保する。

 教科書通りの回答である。


「その認識が、会計上の欠陥を生みます。あなたの武器はグレイブだ。その最大の利点は『間合い』にあります。それなのに、あなたは自らその利点を捨てて、魔物の攻撃圏内に踏み込んでいた。これは戦術的な矛盾です」

「矛盾って……倒せたらよくないっスか?」

「コストの問題です。あなたが着ているのは魔物の皮で作られた高品質なレザーアーマーです」


 ツェイフは淡々と続けた。


「意外と知られていませんが、レザーアーマーは『購入費用は安いが修繕費用が高い』装備の代表格です。叩けば直る金属と違い、断裂した革は修復が難しい。安さに釣られて買った冒険者が、修理費で苦しむのはよくある話ですよ」

「……マジっスか……」


 初期費用(イニシャルコスト)は安く済むが、維持費用(ランニングコスト)で首を絞める。本体を安く売り、専用の消耗品で稼ぐビジネスモデルと同じだな。


「今回の損傷だとまだ大丈夫ですが、張り替えになれば今日の稼ぎの3割は飛びますよ」

「3割ぃ!?」


 サナンナが悲鳴を上げる。


「『防具は消耗品』という考えは間違いではありませんが、無駄に消耗させるのはただの浪費です。間合いを制し、回避すればゼロで済むコストを、君はわざわざ支払っている」


 ステンは口を尖らせたが、反論はしなかった。

 3割という数字のリアリティが、彼の痛覚を刺激したのだろう。


「それに、戦術的にも問題です。いくら『この程度の攻撃なら大丈夫だ』という認識があっても、自分の身で受けるのは危険すぎますよ。当たり所が悪ければ、その時点で終わりです」


 ツェイフは畳み掛けるように言った。


「カウンター狙いで受けるにしても、あなたの場合ならグレイブの柄で受けるべきです。そうすれば修理費も浮くし、何より身体への衝撃がない」

「……柄で受ける、か」


 ステンは、何かをイメージするように手を動かした。


「確かに、攻撃することばっかり考えてたっス。長物なんだから、刃のない部分を盾代わりに使えばよかったんスね」


 柔軟な思考だ。

 防具以外に魔力でも身体を守ってはいるのだろうが、用心に越したことはない。


「二つ目。軽傷への過剰医療と、魔力回復ポーションの浪費です」


 ツェイフの視線がサナンナに向く。


「サナンナさん。あなたはステンさんが鎧の上から受けた、かすり傷や打撲程度のダメージに対しても、即座に治癒魔法(ヒール)を使用していましたね。その結果、魔力が枯渇してポーションを2本も空けました」

「それは……だって、小さな傷でもあったら動きが悪くなるかもしれませんし、感染症のリスクだってあります。ポーション代なんて、命に比べれば安いものですから」


 サナンナが早口でまくし立てる。

 彼女なりの安全管理基準なのだろう。


「その通り。命より安い。ですが、ポーションは飲み物です」


 ツェイフは水を一口飲んだ。


「戦闘中にたくさん飲めば、水分で腹が膨れる。結果、集中力が切れ、動きが鈍ります」

「うっ……」

「あなたは攻撃魔法も担当しています。些細なことに魔力を浪費すれば、肝心の攻撃に回す分が足りなくなる。それを回復するためにポーションを飲む……悪循環だとは思いませんか?」

「ううっ……」


 サナンナが言葉に詰まる。

 現実は物理的な質量を伴う、胃袋への負担があるということだ。

 ゲームでアイテムを使うこととは話が違う。


「ステンさんの防具の修理費に加え、攻撃用の魔力を回復に回したサナンナさんのポーション代まで発生している。いわば二重の無駄遣いです。『受けて治す』のは下策。『避けてタダで済ます』のがプロの仕事です」


 2人が項垂れた。

 前衛のコストに、後衛のコスト。いわゆる二重の損失(ダブルロス)というやつだ。

 金銭的な損得勘定を突きつけられれば反論の余地はない。


「そして三つ目。これが最も深刻です。武器への『魔力コーティング』が不足したことによる刃こぼれ」


 ツェイフは厳しい目つきになった。


「ステンさん。あなたは『魔力コーティング』ができる。それは素晴らしいのですが、たびたび武器への魔力流動を忘れ、素の刃で壁や床を叩いていましたね」

「そりゃまあ……狭い場所とか壁際で振れば、当たるのは仕方ないっスよ。それに、いちいち魔力操作を気にしてたら攻撃の勢いが緩んじまうし……」


 ステンが悪びれもせずに答えたが、これには俺も口を挟みたくなった。

 道具への愛着がない職人は、いつか道具に裏切られるからだ。


「狭い場所なら、なぜ腰のショートソードを使わないのですか?」


 ツェイフが静かに問う。


「環境に適した道具を選ばないのは怠慢です。それに、刃こぼれした槍は、ただの鉄の棒に過ぎない。結果として武器の性能――切れ味という最大の武器を殺しています。本末転倒ですよ」


 ツェイフの言葉は、決して感情的ではない。

 ただ事実を積み上げ、数字という揺るぎない根拠で殴りつけているだけだ。


「……わかったっスよ」


 ステンは、観念したように椅子の背もたれに体重を預けた。

 ぐうの音も出ない、といった様子だ。


「確かに、無駄に金がかかるのは嫌だしな」

「わたしも気をつけます。ポーション代、馬鹿にならないし」

「でも、終わってからじゃなくて、その場で言ってほしいっスね。魔物を倒した後にでも」

「うんうん。そうすればすぐに考え直せますから」


 2人の視線がツェイフに向く。

 反発心よりも、向上心が上回っているようだ。


「わかりました。次からは遠慮なく指摘します。少々、うるさく感じるかもしれませんが」

「ああ、それとっスけど」


 ステンが思い出したように付け足した。


「その丁寧な喋り方、やめてくれないっスかね。カツラギさんも」

「敬語をやめろということですか?」

「ああ、なんか調子狂うんスよね。ガキ扱いされてるみたいで、とっさに言い返そうとしても言葉がつっかえるし」

「うんうん。わたしも賛成です。指示を出すなら、短い言葉の方がわかりやすいですし」


 サナンナも同意するように頷いた。


 なるほど、一理あるか。

 現場において、過度な礼儀は伝達速度を遅らせるノイズになり得る。


「わかった。俺もその方が楽だ」


 俺は頷き、ツェイフに視線を送った。

 彼も小さく苦笑し、肩の力を抜いたようだ。


「……わかった。じゃあ、次からは好きにさせてもらうよ」


 ツェイフの声色が、少しだけ低く、太くなった。


 話が一段落したところで、タイミング良く給仕が料理を運んできた。

 『骨付き肉と根菜のポトフ』だ。


 大皿の中央に鎮座するのは、子供の拳ほどもある巨大な骨付き肉。

 その周囲を、琥珀色に透き通ったスープと、くたくたになるまで煮込まれた根菜類が彩っている。

 湯気と共に立ち昇る芳醇な香りは、暴力的なまでの食欲を喚起させた。


「……こいつぁ、うまそうだ」


 ステンが待ちきれない様子でナイフを入れている。


 手元の肉に刃を入れた瞬間、繊維に沿ってほろりと崩れた。

 そのまま一口放り込むと、濃厚な肉汁とスープの旨味が脳を直撃したかのような衝撃だ。

 オルガが太鼓判を押すだけのことはある。文句なしの絶品だな。


 顔を上げると、生意気な少年の表情が、年相応の無邪気なものへと変わっていた。

 美味い飯の前では、どんな生意気な虚勢も意味をなさないらしい。


 しばらくの間、テーブルを支配したのは食器が触れ合う音と、咀嚼音、そして感嘆の吐息だけだった。

 空腹という最良のスパイスと、仕事を終えた開放感が、彼らの食欲を加速させている。

 俺もまた、黙々と食事を進めた。


---


 30分後。


 大皿が空になり、食後のコーヒーが運ばれてくる。

 湯気と共に立ち昇る深く香ばしい匂いが、満たされた胃袋を優しく撫でた。

 俺はその黒い液体を一口啜り、彼らの皿に目を向ける。


 ステンの皿には、巨大な骨が転がっていた。

 だが、その骨の周りには、まだ食べられる肉が残されている。

 豪快と言えば聞こえはいいが、雑な食事風景だ。


 対してツェイフの皿は、骨が白く晒されるほど綺麗に肉が削ぎ落とされていた。

 軟骨の一欠片まで拭い去られている。

 俺はステンの皿を指差した。


「ステン。それで完食か?」

「え? そうっスね。美味かったっスよ」

「ツェイフさんの皿を見てみろ」


 ステンは怪訝な顔でツェイフの皿を覗き込み、そして自分の皿と見比べた。

 その差は歴然としている。


「綺麗に食ってるっスね」

「そうだ。そしてそれが『利益』の差だな」

「利益?」

「骨の周りに残った肉。それは、君が今日捨てた利益そのものだと言えるんだよ」


 俺の言葉に、ステンが不意をつかれたような顔をする。


「雑な戦い方で防具を消耗させ、道具を傷め、不要な薬を飲む。それは、手元に残るはずだった報酬を自ら削り取っているのと同じことだろう?」


 ただの食事作法の話ではない。

 1円を笑う者が1円に泣くように、わずかな利益を軽視する者は、いずれクエストの収支決算に泣かされることになるだろう。


「本来なら自分の腹に収まるはずだった『旨み』を、みすみす残して席を立つ。もったいない話だと思わないか。骨の髄までしゃぶり尽くす――それくらいの貪欲さを持った方がいい。誰も損失を補填してはくれないんだからな」


 俺の指摘に、ステンはバツが悪そうに視線を逸らし、再びナイフとフォークを手に取った。


「……わかったっスよ。食いますよ。口が上手いっスね、カツラギさん」

「でもでも、いくら勿体ないからって骨まで食べちゃダメだよ」

「んなことしねえっての!」


 反省会の直後だというのに、湿っぽくならないのは彼らの美徳だろう。

 互いに遠慮のない、良い関係だな。


 2人は苦言という名の指摘を、自分たちを成長させる『栄養』として素直に咀嚼できている。

 そしてツェイフもまた、自身の失敗という泥の中から見事に教訓を掬い上げてみせた。


 次の報告会を、期待して待つとしよう。


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