第66話:ナレッジマネジメント、武勇伝は聞き流せ
翌日。
第9支部、会議室。
テーブル越しの向かいに座るツェイフには、かつてカジノで廃人のようになっていた面影はない。
茶色の髪は綺麗に切り揃えられ、清潔なシャツを着て、最終面接の候補者のように背筋を伸ばしている。
規則正しい生活とギルドでの窓口業務に、娘たちからの手紙。
それらが彼の心身のサビを綺麗に洗い流し、再び社会と向き合うための強固な土台を再構築させていた。
準備は整った。
彼に『真の役割』を与えるのは、今このタイミングをおいて他にない。
「ツェイフさん。この数日間、裏方の業務や体力作りに励んでいただき、感謝します」
「いえ。こちらこそ、このような再起の機会を与えていただき、何とお礼を申し上げてよいか……」
「お礼には及びません。これは慈善事業ではなく、ギルドの利益を見越した投資ですから。本日は、あなたを第9支部へ招き入れた真の目的についてお話しします」
俺は姿勢を正し、本題を切り出した。
「現在、ギルド主導で新たな制度の立ち上げを計画しています。名付けて『冒険者サポートシステム』。経験の浅いパーティを対象に、ギルドから正式な『補助係』を派遣して、現場での立ち回りやリスク管理を指摘してもらいます」
「指摘、ですか」
「ええ。そして、あなたにはこの試験運用の第一号として、若手冒険者たちのパーティに同行してもらいたいのです」
ツェイフは一瞬、俺が何を言っているのか理解できないというように目を白黒させた。
やがて言葉の意味を理解したのか、彼は困惑したように眉を下げた。
「カツラギさん、ご期待は大変ありがたいのですが……僕には、荷が重いのではないでしょうか」
「理由を聞かせてもらえますか」
「僕は、元Dランクパーティの冒険者ですから。上に行けずに引退した人間です。そんな僕が、これからの未来ある若者を導くことなど……」
予想通りの反応だ。
彼は真面目すぎるがゆえに、自らの挫折を『指導者としての欠格事由』だと捉えている。
だが、その認識こそが根本的に間違っているのだ。
「だからこそ、いいんですよ。冒険者の人口比率は、綺麗な三角形を描いているわけではありません。全体の約九割が、DランクからFランクで停滞します。Cランク以上の『上澄み』に到達できるのは、ほんの一握りに過ぎないのです」
ツェイフは黙って俺の言葉に耳を傾けている。
「SランクやAランクの英雄譚は、耳触りはいいですが教材としては不適切です。彼らの成功は、天性の才能や特殊なスキル、そして強運に支えられているケースが多い。つまり、他人が真似をしようとしても再現性が低いんです」
天才の真似を凡人がすれば、大怪我をする。
プロ野球選手の打撃理論を草野球の初心者が真似ても、すぐにヒットを打てるわけではない。それと同じだ。
「対して、失敗体験は誰にでも再現可能です。慢心、準備不足、資金管理の甘さ。これらは才能の有無に関わらず、誰しもが陥る落とし穴ですから」
俺はツェイフの目を真っ直ぐに見据えた。
「あなたは、その落とし穴に落ち、泥にまみれ、それでも這い上がってきた。言わば『歩く失敗事例集』です。その経験は、これから壁にぶつかる九割の凡人たちにとって、英雄の武勇伝よりも遥かに価値があります」
ツェイフが、小さく息を呑む音が聞こえた。
失敗を恥じる必要はない。それは得難いデータであり、組織にとっての資産だ。
俺が求めているのは、前衛で敵を薙ぎ倒す無双の戦士ではない。
炭鉱のカナリアのように、危険を察知し、若者の背中を掴んで引き留める『ストッパー』なのだ。
「自分の能力以上の魔物に挑もうとする、無謀な冒険者たちは数多い。彼らが自分で歯止めをかけ、撤退の判断ができるように知識を授ける。それが、あなたの役目です」
ツェイフは暫くの間、自分の手のひらを見つめていた。
そこにあるのは、才能に見切りをつけて剣を置いた手であり、ギャンブルで全てを失いかけた愚か者の手だ。
だが、その手だからこそ、引き留められる命がある。
「『歩く失敗事例集』……ですか。ふふっ、今の僕にはこれ以上ないほどお似合いの肩書きですね」
ツェイフは自嘲気味に笑った。
しかしその瞳には、確固たる使命の光が灯っている。
「わかりました。僕の恥多き人生が、誰かの命を守る役に立つなら……謹んで、お受けいたします」
「ギルド長から『ちょうどいい候補』がいると聞いています。才能はあるものの、危なっかしい15歳の冒険者たちだそうで。明日の朝、彼らにお引き合わせします」
俺が今後の段取りを告げると、ツェイフは神妙な面持ちで頷いた。
昨日までの、ただ漫然と事務作業をこなしていた時とは違う。明確な目的を与えられたことで、彼の中で停止していた何かが再び熱を持ち始めたのを感じる。
これで本題は終わりだが、彼にはもう一つ片付けてもらいたい業務があった。
「それと、ツェイフさん。『エシカル防具』を受け取っていますよね。どうでした?」
「はい。昨日、オルガさんとの定期巡回で着用してみましたが、着心地自体は決して悪くありませんでした」
「それはよかった。明日からの同行の際にもそれを着用し、ダンジョン内での耐久性や、長時間の稼働に伴う疲労度などの実地データを報告していただきたいのです」
「装備のテストも兼ねる、というわけですね」
「ええ。若者の安全管理に加えて新規防具の検証ですので、少々業務過多かもしれません。しかし、あなたならこなせると踏んでいます」
「お任せください。この鎧の真価は、僕が一番よく証明できそうですから」
ツェイフは迷いのない声で請け負った。
「セカンドキャリアの第一歩、期待していますよ」
俺の言葉に、ツェイフは深く頭を下げた。
「はい。必ず、役割を全うしてみせます」
顔を上げた彼の瞳には、静かだが確かな熱が宿っていた。
交わした視線だけで、彼の覚悟のほどは十分に伝わってきた。
---
翌朝。
早朝のギルドロビーは、冒険者たちの熱気と、夜通し飲んでいた連中の酒の臭いが混ざり合い、独特の澱んだ空気を醸成していた。
「紹介しよう。Eランクパーティ『永遠の羅針』の、ステンとサナンナだ」
オルガが示した先には、2人の若い冒険者が待機していた。
『永遠の羅針』か。
今まで色々なパーティ名を聞いてきたが、全体的に壮大というか、中二病的なネーミングセンスのものが多いな。
若さがそうさせるのか、あるいは死と隣り合わせの日常を生き抜くための一種の自己暗示なのか。
「……どうも。オレはステン。よろしくっス」
陽光を思わせる金茶の髪を、無造作に逆立てた少年。
背中には身の丈ほどある長柄のグレイブを背負い、腰にはショートソードを差している。
中肉中背だが体幹はしっかりしており、立ち姿だけで運動神経の良さが伝わってくる。
その表情は、根拠のない自信に満ち溢れているように見えた。
『自分だけは死なない』と信じて疑わない、一番死に近いタイプだ。
「わたし、サナンナです。よろしくお願いします」
その隣で、フードを被った少女が丁寧に頭を下げた。
亜麻色の髪は柔らかな縦巻きになっており、両肩の前から胸元まで届いている。
くりっとした大きな瞳におっとりとした顔立ち。
白を基調としたローブを纏い、腰には無骨なフランジメイスを下げている。
癒やし系の見た目だが、その視線は俺やツェイフを上から下まで値踏みするように動いていた。
「前衛のステンはリーチのある武器を巧みに扱い、後衛のサナンナは攻撃と回復の魔法が両方使える。バランスは悪くないんだがな」
2人パーティか。
『2人だけの世界』と言えば聞こえはいいが、どちらかが行動不能になった時点でパーティは全滅の危機に瀕する。
リスク管理の観点からすれば、余裕がなさすぎる構成だ。
「こちらの方です」
俺は一歩後ろに控えていたツェイフを前に出した。
彼は支給されたばかりの『エシカル防具』を身につけている。
鋼鉄、青銅、革が混在したラメラーアーマーは、新品でありながら熟練の傭兵のような渋い存在感を放っていた。
「試験的な取り組みとして、このツェイフさんをあなたたちのパーティに同行させたいのです。彼は元冒険者であり、今回はサポート役として皆さんの安全管理を行います」
「えっ? おっさん……じゃなくて、大人じゃないっスか」
ステンがあからさまに不満そうな顔をした。
十代の少年からすれば、親世代の男が監視役としてついてくるなど、異物でしかないだろう。
「オレたち、2人でうまくやってるっスよ。余計な人が入ると、連携とか乱れるし」
「あなたたちは不要だと思っているでしょうが、これはギルドからの依頼として協力してもらいたいのです」
俺はビジネスライクに告げた。
反発は織り込み済みだ。ここで引くわけにはいかない。
すると、サナンナが控えめに手を挙げた。
「あのあの。質問いいですか?」
「はい、どうぞ」
「その人、ツェイフさんに、荷物とか持ってもらっても大丈夫ですか? ギルドからの派遣なんですよね?」
彼女の視線は、ツェイフの背中に背負われたバックパックに向けられている。
「ええ、構いませんよ。常識の範囲内であれば、素材など持ってもらって問題ありません」
「本当ですか!?」
サナンナの瞳が、硬貨を見つけた商人のように輝いた。
「やった! ステン、聞いた!? 荷物持ちが増えるよ!」
「え、まじで?」
「まじまじ! あなたいつも『重いから』って安い素材を途中で捨ててくるじゃない! 持って帰れる量が増えるのは最高でしょ!」
「うっ……」
ステンが言葉に詰まる。
どうやら、このパーティのヒエラルキーは彼女が握っているらしい。
サナンナは計算高い。
荷物持ちの冒険者を一人雇うだけでも相応のコストがかかるが、ギルドからの派遣となれば報酬を割く必要はない。無料の荷物持ち兼、有事の際の肉壁。彼女にとっては願ってもない申し出なのだろう。
「……まあ、ずっといるわけじゃないなら、いいっスけど」
渋々といった体で、ステンが承諾した。
若者の領分に大人が踏み込むのは無粋だが、死なれては元も子もない。最初はただの荷物持ちという認識で構わない。
現場で危機に直面した時、彼が『歩く失敗事例集』としての真価を発揮することになることを期待しよう。
「よし、商談成立ですね。早速、今日から同行してもらいます。夜には活動報告をお願いしますよ」
俺の言葉を合図に、3人はクエストの準備を整えてギルドを出発した。
先頭を歩くステン、その後ろをついていくサナンナ。そして最後尾で、バックパックを背負い直しながら、確かな足取りで歩くツェイフ。
『エシカル防具』のつぎはぎが、朝日に鈍く光っていた。
---
3人が人混みに消えるのを見届けていると、ふと、先日の記憶が蘇った。
第8区で、シヴィリオが見知らぬ人物と密談していた光景だ。
ピンクブロンドの髪をした、ギルド長のコートを着た女性。
相手が誰だったのか、同じ役職であるオルガに聞けばわかるだろう。
俺は記憶にある特徴を伝え、彼女の正体を尋ねてみた。
「ああ、あの子か。名前はラテリス・イルデイン。第7支部のギルド長だ」
「イルデイン……貴族ですか」
「貴族の令嬢でな。22歳にしてギルド長を任されてる」
22歳のギルド長。
実力主義の社会において、若くしてその地位に就くという意味。
それは単に血筋が優秀であるだけでなく、周囲の古参たちをねじ伏せるだけの圧倒的な『結果』を出してきたということだろう。
「あんたもいずれ、第7支部に行くことがあれば会うだろうよ。まあ、悪い子ではないさ」
オルガは面白そうに笑った。
俺がその女性と会うことで、何かが起こることを期待しているのだろうか。
なんとなく、含みが感じられる顔だ。
まあ、先の話よりも目の前の仕事だ。
俺はネクタイを締め直し、自分の業務へと戻るべく踵を返した。
あの若手コンビとツェイフ。
彼らが持ち帰るのが目覚ましい『成果』か、あるいは新たな『失敗データ』か。
その報告を、楽しみに待つとしよう。




