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第63話:非対称情報の悪用、カモは金貨を持ってこい

 カジノの喧騒は、俺にとって心地よい旋律だ。

 敗者が吐き出す絶望の溜息、勝者が上げる下品な歓声。

 全てが、俺の懐を温めるための燃料に過ぎない。

 さっきのカモから巻き上げた金貨と指輪を思い出すだけで口元が歪んじまう。


 ああ、実に美味かった。

 全財産を失い、さらに思い出の品まで奪われた瞬間の、あの顔。

 魂が抜け落ちたような表情こそが、この商売における最高の報酬だ。


「失礼。今宵の『舞台(ステージ)』は、こちらでよろしいですか?」


 凛とした声。


 顔を上げると、男……いや、女が立っていた。

 整った顔立ちに、仕立ての良い燕尾服。短い青髪を揺らし、気取った仕草でシルクハットを直している。

 その後ろにいるのは、従者か?

 黒髪の冴えない男と、真珠色の髪をした少女、そして――。


 俺の視線は、豊満な体をした獣人の女に吸い寄せられた。

 紫のドレスからこぼれ落ちそうな胸元。引き締まった肉感的な太腿。ふさふさとした毛並みの尾が、揺れている。

 とんでもない上玉だ。

 黒髪の男のような、どこにでもいそうな端役が連れているには勿体ない。


「いらっしゃいませ。お客様」


 頭を下げて、口元が緩むのをこらえた。


 また、いいカモが来やがった。

 そのすました顔が絶望で歪み、鼻水を垂らして許しを乞う様が見たくなる。

 気取った仮面が剥がれ落ち、金欲しさに俺に媚びへつらう瞬間こそ、この世で最も美味い酒の肴だ。

 高貴なふりをした人間が泥にまみれる姿は、いつ見ても傑作だからな。


 女――ミュッテと名乗った客は、優雅に椅子に座ると、革袋をテーブルに置いた。

 中身は金貨。重量からして、50枚はあるか。


「当店のルールはご存知でしょうか?」

「ええ、『台本(ルール)』は把握しています。ですが、ボクが求めているのは筋書きのない『即興(アドリブ)』なのですよ」


 何がボクだ。生意気な口を利きやがる。

 なら、特別な提案をしてやるか。


「基本的には、1ゲームの上限は通常のゲームと同じ金貨10枚でございます。ですが、このテーブルにおける特別ルールとして、お客様が望むタイミングで一度だけ、上限なしのオールベット。『決闘』が可能となっております」


 背後の憲兵どもに目配せをする。


「その際、金貨以外の物品を賭けることも可能とします。宝石、権利書、あるいは……それと同等の価値があるものなら、何でも」

「なるほど。随分とスリリングな『演出(ディレクション)』を用意しましたね」


 ミュッテは革袋から金貨を10枚取り出し、ベットエリアに積み上げた。

 いきなり上限か。

 いいだろう、お手並み拝見だ。


「では、第1ゲームを開始いたします」


 シューターからカードを引き抜く。

 プレイヤーに2枚、俺に2枚。


 俺のアップカードは『8』。

 対するミュッテの手札は――『14』。


 際どい数字だ。

 次に『10』を引けばバーストする確率が高い。

 定石なら、ここはスタンドして、ディーラーのバーストを待つ場面だ。


「ヒット。『(ショー)』の始まりですね」


 ミュッテは迷わずカードを要求した。

 素人か。それとも、ただの無鉄砲か。

 次のカードを配る。


 めくられたのは『10』。

 合計『24』。


「……おや。残念でございますね」

「ええ、これは手厳しい『序幕(プロローグ)』です」


 バースト。俺は何もしなくても勝利した。

 金貨10枚が、俺の手元に吸い込まれてきた。


 チョロいな。顔だけの馬鹿か。

 これなら、特別な手を使うまでもなく(むし)り取れそうだ。


---


 続く第2、第3、第4ゲーム。

 勝負は一進一退だった。


 ミュッテはただの馬鹿ではなかった。

 セオリー通りの戦略程度は理解している。


 だが、それだけだ。

 一流の領域には程遠い。運任せの遊び人と大差ないレベルだ。


 そろそろ、飽きてきたな。

 一度、ショックを与えて熱くさせてやるか。


 第5ゲーム。

 ミュッテが金貨10枚をベット。

 配られたカードを確認すると、合計『19』。

 かなり強い手だ。


「スタンド。さあ、貴方の『演技(パフォーマンス)』を見せてください」


 ミュッテは自信ありげにステイを選択した。

 俺の手札をオープンする。

 『6』と『10』。合計『16』。


 ルール上、ディーラーは『17』以上になるまでカードを引き続けなければならない。

 そして、俺は知っている。山札の一番上にあるカードが『10』であることを。

 このまま引けば『26』となり、俺のバースト負けだ。


 ――さて、仕事の時間だ。


 俺は山札に手を伸ばした。

 指先から僅かな魔力を放出し、カードの表面に送り込む。


 このテーブルのカードには、特殊なスライムインクが使われている。

 魔力を流すことでインクの形状を変化させ、数字を書き換えることができるのだ。


 誰にも気づかせない。

 一瞬で『10』を『5』に書き換える、神業だ。

 これはもはや、芸術と言っていい。


 指先に吸い付くような感触と共に、インクがうごめいた。

 これで――。


「『5』でございますね。合計『21』」


 『21』の完成だ。


「ああ、なんてことだ! 女神はボクに『悲劇(トラジディ)』を演じろと仰るのか!」


 大げさなヤツだな。

 だが、完璧だ。魔力は問題なく機能している。

 やはり俺はこのテーブルの支配者だ。

 確率なんて不確定な要素は、俺の指先一つでどうとでもなる。


「難しそうだと思ったが、このゲームなら俺でも遊べそうだな」


 背後の黒髪の男が、間の抜けたことを言っていやがる。

 凡人が、何を分かった風な口を。馬鹿が。


 笑いそうになるのを堪えて、その隣にいる獣人の女を見た。

 扇子で口元を隠しているが、その豊満な胸元は隠しきれていない。

 あんな冴えない男が、こんなエロい女を連れ歩いているとはな。

 男の趣味が悪いんじゃないか?


「では、次へいきましょうか」


 頬を引き締め、第6ゲームの開始を宣言した。


 ミュッテが金貨10枚をベット。

 シューターからカードが滑り出る。


 ミュッテの1枚目は『勇者(10)』。

 俺のアップカードは『6』。


 2枚目を配ろうとした、その時。


「待ってください。『脚本(シナリオ)』の変更です」


 ミュッテが革袋の中身を全部テーブルにぶちまけた。

 後ろに控えていた獣人の女が、重そうな革袋を差し出している。


「やはり、極上の舞台には相応の『舞台装置(ステージセット)』が必要でしょう?」


 ジャラジャラと、金貨の山が築かれた。

 これは、100枚はあるか?


「全財産をベット。さあ、ここからが『見せ場(クライマックス)』ですよ」


 外野の連中が、ざわつき始める。


 大きく出たな。

 まだミュッテの手札は1枚。俺の手札も1枚しか見えていない。

 この段階でのオールベットは、狂気の沙汰だ。

 だが、こいつの眼は据わっている。

 勝てる確信があるわけでもないのに、一発逆転を狙って思考停止したギャンブラーの末路だ。


「承知いたしました。ですが、お客様」


 俺はテーブルの上の『戦利品』――カモどもから奪った指輪や宝石を指差す。


「これらを対価として賭けろ、ということでしょうが、少々釣り合いが取れませんね。あなた様の提示額では、私のコレクションと、私が負うことになる借金のリスクに見合いません」


 これは商売じゃないからな。

 大金を積まれようが、等価交換でなければ成立させる気はないんだよ。


「ほな、わたいを賭けるのはどやろ?」


 獣人の女が、身を乗り出した。

 テーブルが女の胸を受け止め、弾むように揺れる。


「足りひんぶんは、わたいの身体で穴埋めしたるわ。お釣りが出ますやろ?」

「フェリコ、正気か?」


 黒髪の男が慌てたように言うが、女は扇子を揺らして笑っている。


 本気か?

 心臓の鼓動が、激しくなる。


 金貨100枚と、この極上の女。

 それに対して、俺が失うのはガラクタ同然の戦利品と、店への借金か。


 いや、俺には『必勝法』がある。

 負ける要素はない。


「……いいでしょう。『決闘』ですね。その提案、個人的な勝負としてお受けします」


 笑いをこらえろ。

 カモが自分から鍋に飛び込んで、さらにデザートまで持ってきやがった。

 いいだろう、絶望の時間だ。


「ゲーム再開です」


 ミュッテに2枚目のカードを配る。

 『騎士(10)』。

 1枚目の『10』と合わせて、合計『20』。

 『21』に次ぐ強い数字だ。

 俺の手元にも伏せ札を滑らせた。


「スタンド。さあ『幕引き(エンディング)』といきましょう」


 ミュッテが勝利を確信したのか、シルクハットに右手を添えた。

 まあ当然だろう。これ以上引く馬鹿はいない。


 だが、甘い。

 甘すぎるよ、お嬢ちゃん。


「舞台からは降りられませんよ? 『大団円(フィナーレ)』はこれからなのですから」


 芝居がかった台詞ばかり吐きやがって。

 主役のつもりか?

 マヌケめ、威勢がいいのは今のうちだけだ。


 伏せ札をオープンする。

 『10』。

 アップカードの『6』と合わせて、合計『16』。

 ディーラーは『17』以上になるまで引かなければならない。

 強制ヒットだ。


 俺は山札に手を伸ばした。

 俺には分かる。次のカードは『聖女(10)』だ。

 このまま引けば『26』。バーストして俺の負けとなる。

 ――普通なら、な。


 唇が、自然と歪む。

 関係ないんだよ。

 途中の経過がどうだろうが、最後に俺が勝っていればいいんだ。

 全部勝てば怪しまれるが、ここぞという大一番だけでいい。

 それで全てを奪える。


 カードに触れる瞬間。

 俺は魔力を練り上げ、指先に集中させた。

 書き換える数字は『5』。


 これで終わりだ、カスどもが。

 金も、あの女も俺のものだ。

 あのエロい身体。端役には過ぎた玩具だ。

 勝てば、毎晩好き放題にできる権利が手に入る。


 巻き上げた金で最高級の酒を飲み、破滅した負け犬どもを肴に、極上の女を躾ける夜はさぞかし格別だろうな!

 ありがとうよ、最高の生贄たち――。


 その瞬間。

 バチッ、と空気が弾けるような音がした。


 なんだ、今のは?

 魔力は……送った、よな。


 違和感がする。

 だが、染み付いたディーラーとしての動きは止まらない。

 俺の手は勢いのままカードを引き抜き、テーブルに叩きつけていた。


「『21』です。私の勝ちですね」


 勝った。

 俺の技術に失敗はない。


 それなのに。

 動かない。誰も、何も言わない。

 歓声も、悲鳴も上がらない。

 あるのは、重苦しい沈黙だけ。


 なぜだ?

 なぜ絶望しない?


 視線を落とし、自分が叩きつけたカードを見た。


 そこにあったのは、慈悲深い微笑みを浮かべた『聖女』の絵柄。

 数字は――『10』。


 『5』じゃない!?


 16足す10は……26。

 バースト。

 俺の、負け?


「おやおや。三流役者は計算もできないようですね」


 冷たい声。

 前を向くと、ミュッテがゴミを見るような目で俺を見ていた。


「な……」


 喉が引きつる。

 ありえない。俺は書き換えたはずだ。魔力を送ったはずだ。


 なぜ書き換わっていない?

 なぜスライムインクが反応しなかった?

 今日はずっと……今さっきまでは反応していたのに。


 金貨100枚。戦利品の全て。そして俺個人の借金。

 その全てが、今、確定した?


「そんな……馬鹿な……」


 カードを掴もうとしたが、指に力が入らない。


「……はは、冗談だろ?」


 指が、カードを擦る。

 強く。もっと強く。

 インクが滲んでいるだけだ。そうだろ?


「ほら、よく見てくれ。これは『5』だろ。俺がそう決めたんだから、そうなんだよ」


 変わらない。

 なんでだ?


 魔力を送った。俺はディーラーだ。支配者だ。

 だから、これは『5』なんだよ。


 動け。反応しろ。

 『10』なんて数字はありえない。

 そんな数字があったら、俺の金がなくなる。

 俺の女がなくなる。俺の人生が終わる。

 嫌だ。


 変われ。変われ。

 変われ変われ変われ変われ変われ!

 俺は負けてない。

 俺は勝ち組だ。


 俺は――。


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