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第60話:収益構造の分析、綺麗な花には毒がある

 2時間後。


 夜の第8区。

 富裕層向けの商業施設が立ち並ぶエリアの一等地に、そのカジノはあった。


 大理石で組まれた外観は王宮か神殿を思わせる威容を誇っている。

 正面に掲げられた看板には金貨とカードを模した意匠が魔導灯で浮き上がり、周囲の灯りが霞むほど妖しく輝いていた。

 欲望という名の神を祭るには、これ以上ない舞台装置である。


 俺が身に纏っているのは、昨夜と同じ黒のタキシードだ。

 一度袖を通したことで生地が馴染んだのか、それとも覚悟が決まったのか、昨日よりも幾分か背筋が伸びる気がする。


 2人の装いも、昼間の冒険者としての装備からは劇的に変化していた。


 エリンが纏っているのは、氷河を思わせるアイスグレーのロングドレスだ。

 露出は控えめだが、身体のラインに沿った滑らかなシルク地が、彼女の研ぎ澄まされた肢体を優美に包み込んでいる。

 腰にはドレスと色味を合わせた白銀の鞘――ショートソードが吊るされていた。

 夜会服に帯剣。本来なら異様な組み合わせだが、彼女が纏うと、それさえも計算された宝飾品(アクセサリー)のように見えてしまう。


 対するアトナは、夜空を溶かしたようなディープブルーのドレスだ。

 膝丈のスカートは彼女の快活さを損なわず、動くたびに裾が軽やかに翻る。

 特筆すべきは、その上半身のシルエットだろう。

 華奢な体躯からは想像もつかない豊かな質量が、計算されたカッティングによって強調されている。

 重力に抗うようなその曲線美は、清廉なエリンとは対照的な、生命力に溢れた官能性を主張していた。

 深いスリットから覗く太腿のガーターベルトには、護身用のナイフが2本、機能美を伴って収まっている。

 無邪気さと致死性。相反する要素が同居するその姿は、美しい毒花のような危うい魅力を放っていた。


「武器の携帯が許されているというのは、意外だったな」


 俺が呟くと、エリンが静かに答えた。


「大きすぎない物で、見える位置にあることが条件です。抜剣すれば即座に憲兵が介入しますし、あくまで『装飾品』としての携帯ですが」

「抑止力、だな」


 金と欲望が渦巻く鉄火場だ。

 丸腰の客ばかりでは、突発的なトラブルや強盗のリスクが高まる。

 客同士に武装を許すことで、カジノ側は警備コストを削減しつつ、相互監視による秩序を維持させているわけか。

 些細な揉め事が命取りになるという緊張感が、結果としてマナーの遵守を強制する。

  恐怖による治安維持。実に合理的なシステム設計だ。


 巨大な石造りの門をくぐると、そこは別世界だった。

 高い天井にはシャンデリアが輝き、葉巻の紫煙と芳醇な香水の匂いが混じり合い、独特の甘く重苦しい空気を形成している。

 耳を打つのは、チップがぶつかり合う硬質な音、ルーレットが回る摩擦音、そして勝者の歓喜と敗者の溜息が織りなす欲望の交響曲(シンフォニー)だ。


 フロアを見渡せば様々なゲーム卓が並んでいる。

 カードゲーム用のテーブル、サイコロを使うダイスゲーム、そして回転盤を用いたルーレット。

 さすがに電子制御されたスロットマシンは見当たらないが、ルーレット盤の回転は魔導具で制御されているのか、極めて滑らかで、かつ不自然なほど静かだ。


 どのゲームもプレイヤーと観衆で埋まり、熱気が渦を巻いていた。

 厳格なドレスコードのおかげで彼らが貴族なのか商人なのか、あるいは成金の冒険者なのか、外見だけで判別することは難しい。


「結構賑わってるんだな」


 感心したように漏らしつつも、行われているゲームの内容を分析すべく、入り口付近に掲示されていたルールガイドへと目を走らせた。

 俺の『言語理解』が、羊皮紙に書かれた意匠とルールを自動翻訳してくれる。


 テーブルで行われているのはカードゲームだ。

 この世界にもトランプに似た遊戯用カードが存在する。


 大部分は同じだが、絵柄(スート)のデザインが異なっている。

 スペードは『剣』。クラブは『杖』。ダイヤは『貨幣』。ハートは『聖杯』。

 暴力、魔法、経済、宗教。この世界を支配する4つの権威そのままだ。

 冒険譚や神話をモチーフにしているのだろう。


 絵札(フェイスカード)も独特だ。

 キングには『勇者』、クイーンには『聖女』、ジャックには『騎士』が描かれている。

 そしてジョーカーには、禍々しい『魔王』の姿。

 勇者が魔王を倒すのか、それとも魔王が場を支配するのか。

 皮肉な配役だ。


 ルールも地球のものと酷似している。

 手札の役を競うポーカー。

 配られたカードの合計数を競うバカラ。

 そして、21を超えないようにカードを引くブラックジャック。ここでは『21(トゥエンティワン)』という名称だ。

 文化的な収斂進化(しゅうれんしんか)なのか、過去に俺のような転移者が持ち込んだのかは定かではないが、ルールを覚える手間が省けたのは僥倖だ。


「……さて」


 俺は『警告色視』を発動させた。

 本来は異常を見つけるための能力だが、この場においては『不正』を暴くための探知機(ソナー)となりえる。


 予想はしていたが、フロアのあちこちに赤い光が見えた。

 ルーレットの中心部。

 ディーラーが使うカード。

 ダイスゲームの壺。

 それらから、毒々しい赤色の光が漏れ出している。


 イカサマが、常態的に行われているようだ。

 おそらく、カジノ側――運営母体である国が、組織的に勝敗をコントロールしているということになる。


「カツラギさん?」


 俺の表情の変化に気づいたのか、エリンが小声で話しかけてくる。


「……あちこちで赤く光ってるな」

「赤く、ですか?」

「このフロアは、不正の展示場みたいなものだ。全てではないかもしれないが、主要なゲーム卓の多くに胴元が勝敗を操作できる仕掛けが組み込まれているようだ」


 俺が説明すると、アトナが顔を寄せてきた。


「じゃあ、勝ってる人はわざと勝たされてるってことー?」

「全てが仕込みではないだろうが、要所要所で胴元が勝てるように調整しているだろうな。普段は遊ばせておいて、賭け金が吊り上がった瞬間に確実に回収できる」

「ひどーい! お父さんが勝てないわけだあ」


 アトナが憤慨して頬を膨らませる。


「いや。もしかすると、だが」

「えっ?」

「不正以前の問題かもしれない。ビギナーズラックという甘い蜜を舐めさせられ、思考が麻痺しているんだ」


 俺はフロアの熱狂を見つめながら続けた。


「負けが込むほど『次は勝てる』とか『取り返さなきゃ損だ』と思い込んで引けなくなる。典型的な負け組の心理だ。そうなってしまえば、カジノ側は不正な操作など使うまでもなく、客は勝手に自滅していくんだ」


 サンクコストの呪縛。

 アトナの父親も、その論理的な罠に嵌った一人というわけだ。

 最初は偶然の勝利だったかもしれない。

 だが、一度味わった快感は脳を焼き、正常な損切りを不可能にさせる。

 そういう風に設計されているのだ。


「ギャンブルなんてやるもんじゃないな。ここは遊技場じゃない。ただの集金装置だ」


 俺は吐き捨てるように言った。

 こんな場所で真面目に運試しをするなど、泥棒に財布を預けるようなものだ。


「アトナのお父さんは、来てると思うか?」

「たぶんねえ。最近は毎日通ってるみたいだしー」

「なら、探してみるか。この状況じゃ、まともに勝負しているのを見るのも馬鹿らしい」


 俺たちはフロアの奥へと進んだ。


---


 熱狂する群衆の波を抜けると、少し開けた休憩スペースに出た。

 そこはメインフロアの喧騒が少し遠のき、座り心地の良さそうな革張りのソファが並んでいるラウンジだった。

 勝負に疲れた客や、観戦に飽きた同伴者たちがグラスを傾けている。


 その一角。

 壁際のソファに、獣人の女性が優雅に脚を組んで座っていた。

 深い紫色のイブニングドレス。

 胸元と肩口が大きく開いた大胆なデザインで、白磁のような肌と、獣人特有のしなやかな筋肉の陰影を惜しげもなく晒している。


 肩まで届く、毛先が刃物のように鋭く外側へ跳ねた銀色の髪。

 頭頂部から生えた、同じ色の獣耳。

 フォックス族の獣人だ。


 ふと、視線が交差した。


 瞬間、俺の全身の筋肉が硬直する。

 その女性の顔に、見覚えがあったわけではない。

 だが、そのシルエットには強烈な既視感があった。

 そして何より、彼女の横に立てかけられた長細い刀剣が、俺の記憶にある『死の恐怖』を鮮明に呼び覚ましたのだ。


「あら。お兄さん、久しぶりやねえ」


 透明感があり、甘く粘り気のある声。

 彼女はゆっくりと扇子を揺らし、切れ長の瞳を細めた。


 以前会った時は、その顔は無機質な仮面で覆われていた。

 ノウス商会の社屋。

 ウルバノと一緒にいた、あの『仮面の女剣士』だ。


 俺が身構えるより早く、両脇のエリンとアトナが反応した。

 エリンの手が剣の柄に掛かり、アトナの重心が低くなる。

 周囲の空気が一瞬にして凍りついた。


 だが、女性は動じない。

 扇子で口元を隠して「くふふ」と笑った。


「そんな殺気立たんでもええよ。わたいは今、オフなんやから」


 京都弁に似たイントネーション。

 柔らかい響きだが、その言葉の端々には、容易には踏み込めない毒と圧力が潜んでいる。


「ノウス商会での件は、忘れたわけじゃないだろうな」


 俺は努めて冷静な声を絞り出した。

 彼女は扇子を閉じ、その先端を自身の豊かな胸の谷間に差し込んだ。


「ウルバノさんとの契約は、あの夜で終わり。もう、わたいは関係あらへんよ」


 彼女は気だるげに首を揺らし、組んでいた脚をゆっくりと入れ替えた。

 その仕草に合わせて、ドレスから覗く肢体が艶めかしく波打つ。

 スカートのスリットは深く、太腿の付け根あたりまでが露わになり、見る者の理性を挑発する。


 扇情的な見た目だ。

 だが、こうして素顔を見ると意外なほど若いことに驚かされる。

 10代後半、あるいは20代前半か。

 眠たげな切れ長の瞳は目尻がわずかに上がっており、それが彼女の妖艶さを際立たせていた。


「それに、ここはカジノやで。野暮な喧嘩はマナー違反やろ?」


 彼女はソファの隣の席を、手のひらでポンポンと叩いた。


「立ち話もなんやし、座りよし。せっかくの再会なんや、少し話そうやないの」


 敵意はない、か。

 業務時間外の労働はしない。契約終了後の守秘義務や忠誠心など持ち合わせない。

 徹底したビジネスライクな傭兵か。

 義理人情で動く手合いよりも、金と契約書で動く人間の方が、行動原理を読みやすくて助かる。


 それに、これはチャンスかもしれない。

 ウルバノの逃亡先や、このカジノの裏事情。

 何らかの情報を引き出せる可能性がある。


 リスクは承知の上だ。

 だが、情報という名の果実は、危険な枝先にこそ実るものだ。

 彼女が『オフ』だと言うなら、今は一人の客として商談のテーブルに着くだけの話だ。


 俺は短く息を吐くと、意を決して彼女の対面のソファへと腰を下ろした。


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