第59話:緊急事案の聴取、溺れた者が掴めるのは重りだけ
翌日。
第8支部のギルドロビー。
俺は太い柱の陰に身を寄せて、行き交う人々の流れを観察していた。
午前中のピークタイムだ。
クエストボードの前には人だかりができ、受付カウンターには報告や精算を求める冒険者たちが列をなしている。
受付職員の手際は悪くない。だが、業務フローに改善の余地はある。
冒険者証の確認、魔導照合器による真偽判定、申請書の内容確認、清書、受領札の作成、魔導刻印の押印、受領台帳への記入、受領札の手渡し。
これらを一人の担当者が直列処理で行っているため、一箇所で詰まると全体が遅延する構造になっている。
定型業務は分業化し、並列処理させることは可能だ。
もっとも、第8支部は冒険者の母数が多いため受付も複数人で担当している。
単純な人海戦術で問題が出ていない以上、急いで業務改革する必要はないだろう。
システム自体は良くできているからな。
まあ、その種まきについては追々進めていくとしよう。
そんなことを考えていると、入り口から華やかな空気を纏った2人組が入ってきた。
周囲の冒険者たちが、一斉に視線を向けるのがわかる。
その注目度は、単なる美貌への称賛だけではない。Aランクという『格』に対する、畏敬の念が含まれている。
「あー、いたいたー! カッチー!」
ロビーの喧騒を切り裂くように、場違いなほど明るい声が響いた。
声の主は、胸元まで伸びたホワイトベージュの髪に鮮やかな青いメッシュを入れた少女――アトナだ。
額には透け感のある前髪がかかり、目元には星形の飾りが光っている。
身につけているのは、襟付きの白シャツに革のベルトパーツをあしらった軽装だ。
体に沿うシャツは動きやすさを計算しつつも、その豊かな胸のラインを隠すことなく自然に主張している。
洗練されたその姿は、泥臭い冒険者ギルドの中で一際異彩を放っていた。
その隣には、対照的な空気を纏う少女がいる。
パールグレイの髪を姫カットに整え、常に半分ほど瞼を下ろした冷ややかな瞳。
背中には身の丈ほどある巨大な大剣を背負い、銀の胸甲とアーマースカートで武装した剣士――エリンだ。
『星の天頂』。
王都でも指折りの実力を持つ、若きAランクパーティのメンバーである。
「久しぶりだな。2人とも」
俺が苦笑交じりに片手を上げると、アトナはパタパタと手を振って駆け寄ってきた。
「お久しぶりでーす! 不審者みたいに立ってるからすぐわかるねえ」
「不審者とは心外だな。俺はただ、ロビーの観察をしていただけだ」
「それを一般的には不審者って言うんだよねー」
アトナはケラケラと笑う。
相変わらず、彼女の対人距離設定は営業職のトップセールスマン並みに強引で、かつ嫌味がない。
「カツラギさん、ご無沙汰しております」
エリンが静かに頭を下げる。
その所作には、武人特有の凛とした品格が漂っている。
「最近は見かけなかったが、遠征か?」
「はい。第2区で、貴族の護衛クエストをアトナと受けていました」
第2区といえば、王都の中枢に近い貴族街だ。
Aランクともなれば、魔物討伐だけでなく要人の警護といった政治的な案件も増えてくるのだろう。
リスクは高いが、報酬も桁違いだ。ハイリスクハイリターン。プロフェッショナルな働き方だと言える。
「ユメリとフラッフルは一緒じゃないのか」
「あの子たちは第4区に行ってるねー。魔導具関係の依頼だったかなあ」
彼女たちはパーティといっても常に4人で行動しているわけではなく、それぞれの専門分野に合わせて柔軟にリソースを分散させている。
個々の能力が高いからこそできる、効率的な運用だ。
「それで、今日はどうしたのかな。アトナの生活習慣にも問題があるのか?」
俺が冗談めかして言うと、アトナの表情は少し曇った。
いつもの軽い調子は鳴りを潜め、どこか真剣な色が浮かんでいる。
「実はねえ……カッチーに、ちょいと相談がありましてー」
「相談?」
「えっとー。ここじゃアレなんでえ、夜にお時間いただけますかー? 美味しいお店に、ご案内しますねい」
アトナが周囲を気にする素振りを見せた。
どうやら、立ち話で済むような軽い案件ではないらしい。
何にせよ、俺にできることなら断る理由はないか。
「分かった。予定は空けておくよ」
「うん。じゃあ、また後でねー」
アトナはひらひらと手を振り、隣のエリンは再度深々と頭を下げる。
2人はそのまま踵を返すと、衆目を集めながら出口へと向かっていった。
嵐のように現れ、風のように去っていく。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
深刻な相談、か。
内容が何であれ、夜の会食が単なる『食事』ではなく、骨の折れる『残業』になることだけは確定したらしい。
俺は思考を切り替えると、夜までのタスクを消化すべく、再び観察業務へと戻った。
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夜。
案内されたのは、第8支部の裏手にある隠れ家的なレストランだった。
昨夜の高級店ほどの格式はない。
だが、レンガ造りの外壁に絡まる蔦や控えめに灯る魔導ランプが、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。
『知る人ぞ知る名店』といった趣だ。
個室のテーブルを囲み、俺たちは乾杯を済ませた。
対面に座るアトナは昼間と同じラフな格好だが、エリンはシンプルなワンピースに着替えている。
重厚な鎧を脱いだ彼女は、深窓の令嬢のような静けさを纏っていた。
だが、その華奢に見える肢体は、服の上からでも分かるほどしなやかに引き締まっている。
ただ細いだけではない。極限まで研ぎ澄まされた刃のような、機能的な美しさがそこにはあった。
「ここのお肉料理、絶品なんだよねえ」
アトナのお勧めだという料理が運ばれてくる。
赤ワインで煮込まれた牛ほほ肉はフォークで崩れるほど柔らかく、ソースの芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
昨夜の『食の芸術』とはベクトルが違うが、胃袋に染み渡る確かな実力を持った味だ。
俺たちは会話もそこそこに、目の前の皿と向き合った。
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食事が終わったタイミングで、アトナが本題を切り出した。
「……で、相談っていうのはですねえ」
彼女はワイングラスの脚を指先で弄びながら、少し言い淀んだ。
いつもの能天気な彼女らしくない、重い沈黙。
横に座るエリンが、助け舟を出すように口を開く。
「アトナのお父様のことなんです」
「父親?」
冒険者からの相談といえば、報酬の分配への不満や他パーティからの引き抜き工作、あるいはメンバー間の色恋沙汰が相場だ。
個々の能力が高く結束も固い『星の天頂』には、どれも当てはまらないだろうが、家庭の事情というのは俺の想定にはない変化球だ。
「うん。……ウチのお父さん、3年前に冒険者を引退してー。お母さんと2人で、ずっと夢だった食堂を開業したのです……」
アトナが語り始めた。
彼女の父親は、引退後は貯め込んだ資金を元手に夫婦で小さな飲食店を営んでいた。
味も良く、客足も順調だったという。
セカンドキャリアの成功例だ。ここまでは、よくある美談だ。
「でも、1年前に……お母さんが亡くなっちゃってー」
最愛のパートナーの喪失。
それは、経営における共同代表の欠落というだけでなく、精神的な支柱の崩壊を意味する。
「お父さん、それからすっかり気力をなくしちゃってえ……店も回らなくなって、結局潰しちゃった……残ったのは、借金だけー」
店の運転資金、開業時の借金。
積み上がった負債は『妻との夢の残骸』として彼に重くのしかかった。
「不躾なことを言うが、借金があるなら君が肩代わりすればいいんじゃないか? Aランクパーティ冒険者の稼ぎなら、それほど難しい額じゃないだろう」
俺は率直な疑問を口にした。
彼女たちの稼ぎがどれぐらいかはわからないが、一般的な冒険者を遥かに上回っているはずだ。
親の借金ぐらい処理できるだろう。
「それがねえ……お父さん、頑固なんだよー」
アトナは困ったように笑い、ワインを一気に煽った。
「『娘の稼いだお金で、妻との夢の尻拭いはさせられない』って、援助を一切受け取らないんだよねえ。自分の不始末は自分でつける、だってー」
経済合理性だけで言えば、娘の援助を受けて借金を完済し、再起を図るのが正解だ。
だが、彼にとってその借金は、単なる負債ではない。
『妻と共に歩んだ証』であり、自分の力で清算しなければならない『聖域』なのだろう。
他人の資本を注入した時点で、その物語は『父と母の夢』から『娘に救われた哀れな老後の話』へと書き換わってしまう。
男の矜持とは、時として最も厄介なコスト要因になるものだ。
「それで、お父さんなりに頑張って返済しようとしてたんだけどお。この前8区に戻ってきて、様子を見に行ったら……」
アトナはそこで言葉を切り、首の後ろに手をやった。
「お父さん、カジノに通ってたんだ……」
カジノ。
借金返済のためにギャンブルに手を出したということか。
それは、溺れている人間が藁ではなく重りを掴むようなものだ。
最も選んではいけない選択肢。破滅への特急券である。
「最初は勝ってたらしいんですよねえ。だから『すぐに取り戻せる』って言っててー。でも、どう見ても勝ててるようには見えないし……」
ビギナーズラック。あるいは、胴元による意図的な『撒き餌』か。
ギャンブルにおいて、最初の勝利ほど危険なものはない。
それは成功体験として脳に深く刻まれ、後の敗北を『運が悪かっただけ』『次は勝てる』という誤った認知にすり替える。
「借金は減るどころか増えてると思うんだよねえ。このままだと、お父さん取り返しのつかないことになっちゃいそ……」
普段の明るい振る舞いの裏にある、娘としての切実な苦悩が見えるようだ。
「エリンに相談したら、カッチーなら何か知恵を貸してくれるんじゃないかって……」
「私たち、あのお店にはよく行っていたんです」
エリンが静かに口を開いた。
「とても温かいお店でした。お父様も、料理に真摯な方で。あんな風に終わってほしくないんです」
彼女たちにとっても、そこは思い出の場所だったのだろう。
エリンの真っ直ぐな視線が、俺を射抜く。
借金、ギャンブル、頑固な父親。典型的な転落パターン。
本来なら、ここで線を引くべき案件だ。
他人の家庭の事情、それも借金問題などという泥沼に、外部の人間が首を突っ込むべきではない。
これがビジネスなら、丁寧な言葉で拒絶してリスクを回避するのが正解だろう。
だが、俺を頼って頭を下げてきた相手を見捨てるほどの非情さを持ち合わせてはいない。
彼女たちはAランクパーティの実力者かもしれないが、冒険者という肩書きがなければ、まだ18歳の少女に過ぎない。
剣と魔法では解決できない『家族の情』や『借金』という泥沼を前に、どうしていいか分からず立ち尽くしている子供だ。
そんな彼女たちを前にして「管轄外だ」と扉を閉ざすような真似は、俺の流儀に反する。
俺は小さく息を吐き、口を開いた。
「カジノ側の手口が気になるな」
この世界のカジノは法規制が緩い可能性が高い。
であるなら、客に不利なロジックが組まれた『無法地帯』になっているだろう。
アトナの父親が、意図的なイカサマによって骨の髄までしゃぶり尽くされているのだとしたら――それは放置できない『不正』だ。
「撒き餌に食いつかせ、一度味わった蜜の味を忘れられなくさせる。そして、徐々に回収モードに移行し、最後は全てを奪い取る。意図的な『成功体験の刷り込み』の可能性はあるな」
「成功体験、ですか?」
「ああ。客を勝たせることで、客自身の思考を麻痺させるんだ。『自分には才能がある』だの『ツキが回ってきている』だの錯覚させ、財布の紐を緩めさせる。一度その快感を知れば、負けても『次は勝てる』と思い込むようになる。それが泥沼の入り口だ」
俺の説明に、2人は顔を見合わせた。
「まさに、その通りかもお。『今はツキが落ちてるだけだ』ってー」
「術中にハマってそうだな」
そうなると、外野が何を言っても耳を貸さないだろう。
ギャンブル中毒者の耳には、論理的な説得など届かない。
信じられるのは、脳内で捏造された『勝利の予感』だけだ。
だが、打つ手がないわけではない。
アトナの父親が信じている『勝利のロジック』が、実は何者かによって操作された『虚構』であると証明できれば――目を覚まさせるきっかけになるかもしれない。
「カツラギさん」
沈黙を破ったのは、エリンだった。
「その『不正』を暴くことができれば、ツェイフさん……アトナのお父様を説得できるでしょうか」
「可能性はあるな。彼が信じている『勝算』の根拠を物理的に破壊できれば、正気に戻るきっかけにはなる」
「では、現地へ行きましょう」
エリンはきっぱりと言い放った。好戦的な提案だ。
「敵を知るには、懐に入るのが一番です。カジノへ行って、その手法を確認しませんか?」
「現場視察か」
もしイカサマが常態的に行われているなら、それを見極めるのに俺の『能力』はうってつけだ。
『警告色視』を使えば、不正が赤く光って見える可能性がある。
だが、カジノは金と欲望が渦巻く鉄火場だ。
『ギルド管轄外の実力者』――用心棒や暗殺者といった連中が紛れ込んでいる可能性も否定できない。
「鉄火場となれば荒事も予想されるか」
「そこは大丈夫だよー。国営のカジノだから憲兵も常駐してるし、変なことしたら即拘束だねい」
国営で憲兵付きか。表立った暴力沙汰は起きにくい環境と言える。
「それに、カツラギさん。もし何かが起きたとしても。この身に代えて、あなたをお守りします」
エリンが真っ直ぐな瞳で俺を見つめた。
確かに『星の天頂』が側にいるなら、これ以上ない最強の防犯装置だ。
彼女たちのおかげで、俺はかすり傷一つ負ったことがない。
物理的なリスクは極小化されたと見ていいだろう。
安全性が担保され、ここまで頼りにされてしまっては断る理由を探す方が難しい。
最後まで付き合うとしようか。
「わかった。その案件、俺が一枚噛もう」
俺はきっぱりと告げた。
中途半端な関与は事故の元。やるなら徹底的にやる、だ。
「本当? ありがとー、カッチー!」
「ありがとうございます、カツラギさん」
アトナが嬉しそうに身を乗り出す。
エリンも安堵したように表情を緩めた。
出合った頃を考えると、彼女の表情の機微も解るようになってきたな。
「そのカジノというのは、富裕層向けの商業地域にあるやつか?」
「うん、知ってるんだあ? そこは貴族たちの社交場にもなってるらしくてですねー、ドレスコードがあるんだよねえ。カッチーは大丈夫そー?」
「ああ、問題ないな」
昨夜のタキシードは宿にある。
「一旦解散して、着替えてから集合しよう。場所はカジノ近くの『馬車寄せ』でいいか?」
「うん、了解でーす!」
「承知しました」
俺は残りのワインを飲み干し、席を立った。
余剰利益の投資先としては、少々リスキーな案件かもしれない。
だが、彼女たちの曇った表情こそが、今の俺にとって最大のリスク要因だ。
早期発見、早期治療。
不良債権の処理も、たまには悪くない仕事だ。
そう自分に言い訳をして、店を後にした。




