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第58話:会食接待の享受、美女と美食の波状攻撃(後編)

 コース料理という名の壮大なプロジェクトも、いよいよ最終工程を迎える。

 運ばれてきたのは、純白の陶器に盛られた、これまた雪のように白いアイスクリームだった。


 『ミルクアイス、黒トリュフの蜂蜜掛け』。

 その白一色の世界を、(いただき)からとろりと垂れる黄金色の液体と、そこに散る漆黒の粒子が鮮烈に侵食している。

 物理的な温度差と、視覚的な明度差。

 この皿の上には、相反する要素が同居しているように見える。


「氷点下の冷気と土の温もりの共存、かな」


 レナンセムは銀のスプーンで白と金が混ざり合う部分をすくい上げ、シャンデリアにかざすようにして観察した。


「最後に訪れるこの熱的な矛盾(アンチテーゼ)が、最高の余韻を生んでいるんだね。甘美な冷気が舌を癒やした直後に、大地を思わせる重厚な香りが追いかけてくる。この意外な論理的帰結には脱帽するしかないね」


 彼女の解説を聞きながら、俺もスプーンを口に運んだ。

 瞬間、脳が処理落ちを起こしかける。


 冷たい。甘い。しょっぱい。そして、鼻に抜ける強烈な土の香り。

 ミルクの脂肪分が舌の上で体温に溶かされるのと同時に、蜂蜜のコクとトリュフの香気が爆発的に広がる。

 普通に考えれば、これらは衝突事故を起こすはずの組み合わせだ。

 だが、口の中では奇跡的なバランスで成立している。


 甘み、塩気、冷たさ、そして香気。

 本来なら互いを阻害し合うはずの変数が、計算され尽くした比率で投入されることで、唯一無二の『正解』として胃に落ちていく。


 完敗だ。

 俺はこの未知の味覚体験に対し、白旗を上げるしかなかった。

 そして同時に、戦慄する。

 デザート一品に、これほどの論理と技巧を注ぎ込む。この贅沢の深淵は、底が見えない。


「冷たくて甘くて……美味しいですっ」


 隣ではルティアが、とろけるような笑顔でスプーンを動かしていた。

 彼女のその純粋な反応こそが、この複雑怪奇な料理に対する最も正しい評価なのかもしれない。


---


 食後のハーブティーが運ばれてくると、俺たちの会話は自然と先日の出来事へと流れていった。

 『ファスト防具』事件と、そこで目撃した『本物』の戦いについてだ。


 ノウス商会での一件。

 俺たちが踏み込んだ際、商会側にいた護衛たちの戦闘能力は異常だった。

 ブルークやユメリといった達人がいなければ、俺は挽き肉になっていただろう。


「人の強さというのは実に興味深いものだよ。冒険者ギルドという組織は便宜上、パーティにランク付けを行っているけども、それはあくまで『依頼達成能力』の目安に過ぎないからね」


 レナンセムの言葉に、俺は同意する。

 ランク制度は人事評価システムとしては機能しているが、個人の戦闘能力を完全に数値化できているわけではない。


「ギルドの管轄外や王都の外にも、規格外の強者がゴロゴロしているということか」

「その通り。私のように冒険者登録をしていない者もいれば、特定の分野に特化した職人、あるいは――」


 彼女はそこで言葉を切り、意味深に目を細めた。


「用心棒や暗殺者といった、表の記録に載らない職業の達人も存在する。彼らの技術体系は、魔物を倒すための冒険者とは根本的に異なる。対人戦闘に特化した殺傷技術(メソッド)だね」

「耳が痛い話だな」


 俺が苦笑すると、レナンセムは真面目な顔つきになった。


「カツラギ君。君は対象の魔力供給を強制的に断つことができる。だけども、それはあくまで君が『スイッチを押せた』場合の話だからね」


 俺の能力は相手の魔力回路を視認し、切断あるいは調整する。

 だが、遠距離から魔法を放たれたり純粋な物理攻撃を受けたりすれば、俺ごとき一般人は一瞬で無力化される。

 あの時もユメリの防御障壁がなければ、俺はクラスター爆弾のような魔法で消し飛んでいた。


「深追いしなかったが、正解だったよ」

「絶対ダメだよ。君は頭脳であって、剣ではないんだ。指揮官自らが敵の射程圏内(キルゾーン)に身を晒すなんて、戦術論以前の構造的な欠陥だね」

「重々承知しているさ。俺だって、好き好んで危険地帯に飛び込みたいわけじゃないからな」


 俺が肩をすくめると、隣で話を聞いていたルティアが心配そうな眼差しを俺に向けた。


「カツラギさん。本当に、危険なことはやめてくださいね。命がいくつあっても足りませんから」

「ああ、もちろんだ。ちゃんとわきまえてるさ」


 彼女の瞳には、純粋な案じ色が浮かんでいる。

 その視線に、俺は襟を正される思いだった。


「俺の特殊能力は、戦闘以外にこそ発揮させるべきだと思っているよ。例えば書類の間違い探しとか、姿を隠してサボっているエルフを見つけたりとかな」

「それは『稼働率』のみを追求した悪手だね。休息という充電期間を無視すれば、資産の寿命(ライフサイクル)を縮めるだけだと進言しておくよ」


 皮肉に対し、レナンセムは涼しい顔をしている。

 まったく、この口達者なエルフを言い負かすのは、決算期の監査部を黙らせるより難易度が高そうだな。


---


 話題は、ギルドの人事制度へと移った。

 業務改革において避けて通れないのが『人材の質』の問題だ。


「第8支部の視察で、痛感したことがある。ギルド職員の能力差(スキルギャップ)が大きいことだ」


 俺はカップを置き、現状の課題を口にした。


「受付業務といっても、ただ窓口に座っていればいいわけじゃない。クエストの難易度とパーティの実力の照合、さらには魔物の生態に関する基礎知識まで求められる。査定所なら持ち込まれる素材の一次鑑定が必要だし、これらは専門職並みのスキルセットだ」

「確かに、新人に一から教え込むには教育コストがかかるね」


 第9支部の倉庫職員たちは、その辺がしっかりしていた。

 聞けば、何人かは元冒険者であるということだった。


「元冒険者なら現場(フィールド)を知っている。魔物の特徴も、素材の価値も、そして冒険者たちの気質も肌感覚で理解している。いわば、最初から業界知識を持った即戦力だ」


 例えば俺の隣にいるルティア。

 彼女は冒険者としての経験を活かし、今では優秀な職員として機能している。魔石の鑑定は担当業務ではないが、座学しかしていない職員よりも遥かに正確で速い。


「しかし、不思議なことに応募がない。ギルドから安定した給与が支払われるにも関わらず、元冒険者の志願者が滅多にいないんだ」

「ふふ、それは冒険者という人種を理解していないからだね」


 レナンセムは、鼻先にかかった前髪を指先でクルクルと(もてあそ)びながら面白そうに笑う。


「冒険者が剣を握る理由は様々だよ。一攫千金を夢見て、別の夢を叶えるための資金稼ぎとして割り切っている『野心家』。あるいは、社会の枠組みに馴染めず組織という規律を嫌って荒野へ飛び出した『社会不適合者』。どちらにせよ、五体満足なまま、規則正しい組織の歯車になることを選ぶ者は稀なのさ」

「……なるほど。求職者のニーズと、こちらの提供する環境がマッチしていないわけか」


 俺は腕を組んだ。

 資金稼ぎの者は目標額が貯まれば去るし、組織嫌いの者はそもそも定時出社など耐えられない。

 冒険者を『職員』として縛り付けようとするから無理が生じるのだ。


「なら、雇用形態を変えるべきだな。冒険者を組織に取り込むのではなく、もっと緩やかな形でシステムに組み込む」

「というと?」

「冒険者のパーティ編成における、構造的な欠陥を補うための『インストラクター制度』だ」


 俺は以前から温めていた構想を語り始めた。


 現在、ギルドでは4人から6人のパーティ編成を推奨しているが、これはあくまで推奨だ。

 ソロでも活動は可能だし、逆に10人で徒党を組んでもいい。

 ここで問題になるのが『安全性』と『報酬』のトレードオフだ。


「人数を増やせば生存率は上がる。しかし、頭数が増えれば増えるほど一人当たりの分配(シェア)は減る。このジレンマが若手冒険者をソロ活動や少人数パーティへといざない、結果として死亡率を引き上げている」

「そうだね。命を惜しめば金にならず、金を追えば命を落とす。冒険者は常に、損益分岐点(ブレークイーブン)の上で踊っているようなものだね」

「他のパーティと協力することもあるが、それだと報酬の分配で揉める原因になる。助けた側、助けられた側、どちらがどれだけ貢献したかに明確な基準がないからな」


 現場での共闘は、往々にしてトラブルの種になる。

 かといって、ギルドが介入できるのは事後だけだ。


「現状、ギルドが提供できる安全網は、事後の救助隊派遣が精一杯だ。それも職員や、臨時で冒険者を雇って凌いでいる綱渡りの状態だ」


 俺はその非効率を正すべく、結論を提示した。

 ギルドが公認する、元冒険者による『インストラクター』だ。


「引退したベテラン冒険者を、ランクの低いパーティに『サポート役』として同行させる。直接的な戦闘には極力参加させず、後方からの助言や危険予知、緊急時の撤退判断のみを行う。あくまで裏方だ」


 説明が一区切りつくと、隣からルティアの控えめな問いかけが飛んできた。


「あの、カツラギさん。それだと、いわゆる『クエストお手伝い』になりませんか? 強い人に守ってもらって、実績だけ集めてしまうような……」


 クエスト手伝い。

 ゲーム用語で言えば『パワーレベリング』や『寄生プレイ』と呼ばれる行為だ。

 実力のあるパーティ――例えばEランクの冒険者にAランクの冒険者が同行してクエストを達成する。

 一見すると寄生行為のようだが、若手の安全が担保されるというメリットがあるため、ギルドとしては黙認しているのが現状だ。


「鋭いな、ルティア。しかし、その点は既存の評価制度で弾くことができる」


 俺は指を一本立てた。


「ギルドには厳格な昇格クエストがある。いくらサポート付きで依頼達成数を稼いだとしても、ランクアップ時の審査で必ずボロが出る。能力に見合わないランクを与えれば死ぬのは本人だからな、その辺りのチェック機能は今のままでも十分に堅牢だ」


 ギルドの評価システムは良く出来ている。実績データだけでなく、定期的な実力査定が機能しているからだ。

 身の丈に合わない高ランククエストに挑んでも達成できない。

 実力が伴わない限りは昇格ができなくなっているのだ。


「つまり、今まで非公式で行われていた『クエスト手伝い』を、ギルドが管理する『教育事業』としてシステム化するんだ」


 俺は結論を提示した。


「この制度の肝は、報酬構造の分離だ。インストラクターへの報酬は、クエストの達成金からは引かない。ギルドからの給与として、別途支給する形をとる」


 こうすれば、報酬の目減りを気にすることなくベテランの安全管理(サポート)を受けられる。

 元冒険者にとっても、組織に縛られずに自身の経験を金に換えることができる。


「なるほどね。知識と経験の継承を、業務として成立させるわけか」


 レナンセムは、邪魔そうに揺れる前髪を息で吹き上げた。


「安全管理の観点からも合理的だね。死亡率を下げ、将来の優良な冒険者を育成する先行投資にもなる。……カツラギ君、君の頭の中は常に『最適化(オプティマイズ)』で満たされているようだね」

「職業病だよ。非効率なものが放置されているのを見ると、どうにも落ち着かないんだ」


 俺が肩をすくめると、ルティアの視線が俺の横顔に突き刺さるのを肌で感じた。

 それは疑念ではなく、純粋な信頼の重みだ。真正面から受け止めるには少々こそばゆい。


 議論も尽き、皿も片付いた。そろそろ、撤収の時間だ。


---


 給仕が差し出した革張りのバインダーを開き、請求額を確認する。

 俺は懐から金貨を2枚取り出し、トレイの上に音もなく置いた。


 金貨2枚。

 現代日本の感覚で言えば、20万円といったところか。


 ふと、先日ギルドが摘発した『ファスト防具』のことが頭をよぎる。

 あれは、セットで金貨1枚という価格設定だった。

 つまり、この一食3人分で、あの防具が2セット買える計算になる。


 一般的な鉄の鎧なら、質にもよるが金貨3枚から4枚は下らない。

 腕や脚など同じ構成で揃えれば、金貨10枚近くにはなるだろう。

 そう考えると、ファスト防具がいかに市場破壊的な価格設定であったかが再認識できる。

 たとえ中身がリサイクル品だったとしても、あの価格は魅力的すぎた。


 そして同時に、このディナーがいかに『形に残らない贅沢』であるかが浮き彫りになる。


 防具は資産だ。

 メンテナンスさえすれば長く使えるし、物理的に命を守る。

 対して、料理は一瞬で消える経費だ。

 資産購入に充てるべき予算を、あえて消えゆく経費に投じる。

 これぞ、究極の投資であり、最高の贅沢というやつか。


 ルティアのあどけない笑顔と、レナンセムとの知的な交流。

 そして何より、普段の職場では見られない、二人の華やかなドレス姿。

 それらは金貨2枚分の価値が十分にあった。

 費用対効果(コストパフォーマンス)は、数字だけで測れるものではないからな。


---


 重厚な扉を開けて店の外に出ると、柔らかな夜風が火照った頬を撫でた。

 春の穏やかな空気が街を包み込んでいる。

 通りを行き交う馬車の音と石畳を叩く蹄の音が心地よく響く、過ごしやすい夜だ。


「美味しかったですねっ」


 ルティアが満足そうに伸びをする。その無防備な仕草に、俺は思わず口元を緩めた。

 レナンセムも優雅に夜空を見上げている。


 その時、通りの向こう側、別の高級レストランの入り口から見覚えのある男が出てくるのが見えた。


 月光を弾くような銀髪を無造作に遊ばせ、洗練された貴族のような装いに身を包んだ男。

 シヴィリオ・アスピオンだ。

 ギルド本部の監査官であり、第8支部の騒動では鮮やかな政治的手腕で事態を収拾してみせた、食えない男。


 俺が気になったのは、シヴィリオが一人ではなかったからだ。

 彼の隣には、一人の女性が並んで歩いていた。


 街灯の明かりに透けるような、腰まで届くピンクブロンドの髪。

 遠目に見ても息を飲むほどの美貌を持った女性だ。


 あんな連れがいながら、ルティアに『運命』だなんだとちょっかいをかけていたのか?

 以前、彼が第9支部に視察に来た際、ルティアを見て大げさに愛を語っていた姿を思い出した。

 あれはただの演技だったのか。それとも、単なる女好きなのか。


 だが、その疑惑もすぐに消えた。

 2人の間に甘い雰囲気は感じられない。

 一定の距離を保ち、視線すら合わせずに言葉を交わしている。

 それはデートというよりは、業務上の密談と呼ぶべき光景だ。


 それに、女性が羽織っているコートに見覚えがあった。

 オルガやブルークが着ているのと同じ、ギルド長のものだ。

 組織の上層部同士、何か重要な案件でもあったのだろうか。


 俺の視線に気づいたのか、シヴィリオがこちらを見たような気がした。

 だが、彼は何も言わずに女性と並んで石畳の道を歩き去っていった。


 他支部の有力者と監査官の密会。

 それがどんな政治的な火種を含んでいたとしても、今夜の俺には関係のない話だ。

 今はただ、この素晴らしいディナーの余韻だけを大切に持ち帰ろう。


「さて、帰ろうか。また明日がある」


 俺が声をかけると、ルティアが弾んだ声を上げた。


「はいっ! ごちそう様でした、カツラギさん」

「ああ、気にしないでくれ。成果物への対価だからな」


 俺はあくまで事務的に答える。

 そう、これはあくまでレナンセムが開発した魔導具への支払いなのだ。


「ふふ、また何か開発していいかもしれないね」


 レナンセムは悪戯っぽく微笑み、優雅に歩き出した。

 その言葉の裏にあるのは『そうすればまた美味しいものが食べられる』というあからさまな意図だ。


 俺は苦笑しつつ、ルティアと顔を見合わせた。

 並んで、先を行くレナンセムの背中を追う。


 この投資は、すでにお釣りが来るほどの黒字だ。

 胃の腑に満ちたこの余剰利益があれば、明日からの業務も気楽にこなせるだろう。


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