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第56話:賓客接遇、両手に花は重すぎる

 夜の第8区。


 俺が立っているのは、メインストリートに面した『馬車寄せ』だ。

 頭上には雨除けの屋根が張り出し、庶民の足である辻馬車とは明確にレーンが区別されている。


 このエリアは富裕層向けの商業施設が立ち並ぶ一等地だ。

 石畳は磨き上げられ、魔導灯の柔らかな明かりが行き交う人々の豪奢な衣装を照らし出していた。


 俺は、いつものスーツではなく、仕立ての良い黒のタキシードに身を包んでいる。

 今後、社交の場で必要になりそうだからと自腹で投資したものだ。


 首元に鎮座するのは硬い布で作られた蝶ネクタイで、俺が普段愛用している剣の形をしたものではない。

 この世界には、現代日本におけるサラリーマンの首輪――首から布を垂らして結ぶという奇妙な文化が存在しないのだ。


 喉元を締め付ける不慣れな圧迫感。

 アウェイの会議室で一人待たされている時のような、居心地の悪さと緊張を感じてしまう。


 まあ、緊張の理由はそれだけではないのだが。

 これから現れる2人の女性をエスコートするという大役。

 その重圧(プレッシャー)が、物理的な締め付け以上に俺を強張らせているのかもしれない。


 『ファスト防具』の一件から、半月が経過していた。

 俺は、またもや第8支部への出張業務を命じられている。

 理由は、組織再編に伴う業務フローの観察(モニタリング)だ。


 不正に関与した職員たちは一掃された。

 組織に巣食っていた(ネズミ)たちは駆除されたわけだが、急激な人員整理は現場のオペレーションに負荷をかける。

 その経過観察のために、俺のような外部の人間が派遣されているというわけだ。


 滞在5日目にして見えてきたのは、組織ごとの『色』の違いだ。

 新しく入った鑑定士たちの手際は決して悪くないのだが、処理速度において、どうしても見劣りしてしまうのだ。


 もっとも、比較対象が第9支部のガンドとヴェリサでは分が悪いか。

 彼らが捌く鑑定品の数は、第8支部の職員たちよりも明らかに多かった。

 第4区という職人の街から出向しているだけあって、その能力は抜きんでていたのだろう。

 第8支部とは冒険者の母数が違うとはいえ、鑑定を2人だけで回せていたのは、彼ら個人の資質によるところが大きい。


 そう考えると、従来の採用プロセスには限界があるのかもしれない。

 この世界の求人は、あまりにも受動的すぎる。

 ギルドや広場の掲示板に紙切れを貼って待つだけの告知。

 あるいは、有力者の口利きや縁故。

 当然ながら、この世界に公共職業安定所などという便利なシステムは存在しない。

 求職者と求人側のマッチングは、偶然という名の非効率な運任せで行われている。


 これでは、本当に必要なスキルセットを持った人材(タレント)を発掘することは難しい。

 もっと能動的に、こちらから市場へ打って出る必要があるのではないか。

 例えば、企業説明会のような大規模な採用イベント。

 あるいは、潜在的な求職者に直接アプローチするヘッドハンティング。

 埋もれた人材を掘り起こし、適切なポストへと導線を引く。

 それこそが、組織の代謝を促進させるための――。


 思考の海に沈みかけた意識が、石畳を叩く硬質な蹄の音によって浮上させられた。

 豪奢な装飾が施された馬車が、俺の目の前で静かに停止する。

 まるで富裕層向けのハイヤーのような馬車だ。


 扉が開く。

 エスコートのために手を差し伸べるべきか迷っている間に、一人の女性が軽やかに降り立った。


「お待たせしました、カツラギさん」


 ルティアだ。

 その姿を視界に収めた瞬間、俺の脳内にある視覚情報の処理機能が一瞬だけフリーズした。

 当然だが、いつもの事務制服ではない。

 彼女が纏っているのは、夜空を切り取ったかのような深い紺色(ミッドナイトブルー)のイブニングドレスだった。

 アッシュグレイの髪はアップにまとめられ、うなじの白さが目に眩しい。

 普段は制服のボタンに対して過剰な負荷をかけている豊かな胸元も、今夜は計算されたドレープによって上品に包み込まれている。

 垂れ目がちな瞳が不安げに揺れ、ルティアはドレスの裾を摘まんで見せた。


「変、じゃないでしょうか?」

「いや、すごく似合ってるよ。場に即した完璧な装いだ」

「……ありがとうございます。カツラギさんも、その……素敵です」


 彼女の頬が、魔導灯の明かりとは違う色温度で微かに染まる。

 その視線が、俺の首元の不慣れな蝶ネクタイに向けられ、くすりと笑みがこぼれた。

 まったく、見世物ではないのだが。

 普段のスーツがいかに機能美に溢れたワークウェアであるか、今度プレゼンしてやる必要があるかもしれないな。


 続いて、馬車の中からもう一人の影が現れた。

 周囲の空気が一瞬にして張り詰めるような、しかしどこか甘美な気配に変わる。


「やあ、カツラギ君。待たせてしまったかな?」


 レナンセム。

 第9支部が誇る『働かないお局様』。

 彼女のドレスは、漆黒だった。

 透き通るような白い肌とプラチナブロンドの髪を、残酷なまでに美しく引き立てている。

 髪型はいつもの内巻きのボブヘアだが、鼻先にかかる、前髪の束の隙間から覗く桜色のインナーカラーが、黒一色の装いに妖艶なアクセントを加えていた。


 エルフという種族特有の、年齢不詳の美貌。

 実年齢は52歳というベテランだが、外見(ルックス)はどう見ても10代後半の美少女にしか見えない。

 その瞳に宿る光は、数多の修羅場――サボりの歴史をくぐり抜けてきた古強者のそれだ。


「俺も今着いたところだ。それにしても、随分と気合が入ってるな?」

「当然だよ。これから我々が対峙するのは『食の芸術(ガストロノミー)』だからね。心身共に正装(フォーマル)で迎え撃つのが礼儀というものさ」


 レナンセムはそう言うと、当然の権利のように俺の左腕に手を回した。


 スタンピードの打ち上げの場で交わした『契約』の履行。

 すなわち、『トリュフのフルコース』を奢るという約束だ。

 これはギルドの経費ではない。

 俺のポケットマネーから捻出される、正真正銘のプライベートな支出である。

 ゆえに、損失と考えてはいけない。職場の要人(キーパーソン)たちとの『関係維持費』なのだ。


 ……いや、そんな言い訳じみた計算など不要か。

 目の前には、夜会服に身を包んだ美女2人。

 そのエスコート役という『特権』と、これから味わう美食。天秤にかけるまでもない。

 この出費は、申し分ないどころか、俺の方が得をする内容だ。

 お釣りが来るほどの過剰な利益を甘んじて受け入れるとしよう。


「さあ、ルティアも。遠慮はいらないよ」

「えっと……はい。失礼しますっ」


 レナンセムに促され、ルティアは遠慮がちに俺の右腕に手を添えた。


 両手に花。

 傍から見れば羨むべき状況かもしれない。

 だがその実態は、僅かな重心のズレも許されない綱渡りだ。

 右腕のルティアには安心感を与える繊細なケアを。

 左腕のレナンセムには退屈させない知的な刺激を。

 異なる要求仕様を持つ2人のVIPを同時に、かつ平等に満足させる必要がある。

 今の俺に求められているのは、ベテラン外交官も裸足で逃げ出すような、高度な政治的バランス感覚なのだ。


 俺たちは予約していたレストランへと歩き出した。

 通り沿いには重厚な石造りの建物が並び、その中の一つから着飾った人々が出入りしているのが見えた。

 看板には、金貨とカードを模した意匠が輝いている。


「……明るいですね」

「ああ、あれは『カジノ』だね」


 ルティアの視線の先にある建物を、レナンセムが指し示す。


 カジノ。

 確率と統計、そして欲望が支配する鉄火場か。

 高級レストランや劇場が立ち並ぶこのエリアにあるということは、富裕層向けの会員制クラブのようなものだろう。

 だが、厳格な法規制が、この世界に浸透しているとは考えにくい。

 おそらくは、客に不利なロジックが組まれた無法地帯(ブラックボックス)

 期待値の計算さえ通用しない、ただの集金システムである可能性が高い。


「賭博場か。この世界にもあるんだな」

「興味があるのかい? カツラギ君」

「まさか。不確定要素に金を投じる趣味はない。俺が好むのは、計算通りの結果が出る投資さ」


 レナンセムは「君らしいね」と笑った。

 金が集まる場所には人も集まる。だが、今の俺には関係のない話だ。


 俺は2人の女性をエスコートし、目的の店――重厚な扉の前へと進んだ。

 控えめに待機していた給仕(ギャルソン)が、俺たちの到着に合わせて(うやうや)しく扉を開け放つ。

 途端に奥から芳醇なキノコの香りと、熟成された肉の匂いが漂ってきた。


「ガイドブックの記述が正しければ、この店が提供する『味覚刺激』は、私の幸福の閾値(しきいち)を越えるだろうね。その仮説が真実であるか否か――厳正に検証するとしようか」

「そうだな。投資に見合うだけのリターンがあることを期待するよ」

「ふふっ、楽しみですね」


 レナンセムは上機嫌に目を細め、ルティアは花が咲くような笑みを浮かべて、俺の腕に体重を預けてくる。


 2人は身長というカタログ上の『規格』は同等だが、その『構造』は大きく異なる。

 右腕のルティアからは、重力すら甘やかすような『圧倒的な質量の柔らかさ』が伝わってくるし、対して左腕のレナンセムは、無駄な贅肉を一切排除して必要な強度だけを確保した『機能美あふれる弾力』を主張してくる。

 左右で全く異なる質感の同時伝達。

 理性の処理能力(キャパシティ)がパンクしないよう、俺は精神的な平静を保つのに苦労する羽目になった。


 これから始まるのは業務プロセスの改善ではなく、ただの食事だ。

 だが、漂ってくる芳醇な香りが、既にその答えを教えてくれている。


 極上の食材と、洗練された調理技術。

 それらが皿の上で出会い、完璧な調和を奏でる瞬間――その一期一会の体験は、俺の心身を深層から癒してくれることだろう。


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