第54話:事後処理の完了、詭弁も極まれば芸術だ
ノウス商会への強制調査――という名の殴り込みから、3日が経過していた。
結果から言えば、あの夜の『作戦』は、戦術的には勝利したが、戦略的には引き分け、といったところだろうか。
物流拠点を制圧し、『ファスト防具』の集積と出荷を物理的に停止させることには成功した。
だが、肝心の『頭』であるウルバノたちには逃げられた。
建物の中は、まるで最初から演劇のセットであったかのように空っぽで、決定的な証拠となる裏帳簿や、資金の流れを示す契約書は、根こそぎ持ち去られた後だった。
残されたのは、半壊した社屋と、俺たちが確保した『ファスト防具』という名の産業廃棄物だけだ。
俺は今、第8区の中心街にある高級レストランの個室にいた。
目の前には、白磁の皿に美しく盛り付けられた子牛のロースト。
グラスには琥珀色のヴィンテージ・ワイン。
だが、この場の空気は、料理の芳醇な香りとは裏腹に、鉛のように重く、冷徹な計算式で満たされていた。
テーブルを囲むのは、第8支部ギルド長のブルーク。
そして、冒険者ギルド本部の監査官、シヴィリオ・アスピオン。
シヴィリオが第8支部に姿を現したのは、今日の昼下がりのことだ。
俺たちが第一報の『魔導伝書鳩』を飛ばしてから、わずか2日後である。
本来、巨大組織の意思決定というやつは亀の歩みより遅い。
現状確認、リスク評価、対策会議、法務チェック、そして果てしなく続く稟議と決裁のリレー。
まともに手順を踏めば一週間、下手をすれば一ヶ月は浪費する工程だ。
それを彼は、『正式決定の前段階だが、方針は固まった』という体で、報告に来てくれたのだ。
シヴィリオは、銀のナイフとフォークを指先の一部のように操り、音もなく肉を切り分けていた。
一口大に切られた肉が、優雅な軌道を描いて彼の口へと運ばれる。
咀嚼し、嚥下し、ナプキンで口元を拭う。その一連の動作には、一切の無駄も隙もない。
ただ食事をしているだけだというのに、まるで宮廷での儀式を見せられているような、洗練された貴族の所作だ。
おそらく彼は、不採算部門を切り捨てるリストラのサインをする時も、こうやって涼しい顔でナイフを入れるのだろう。
そんな不謹慎な想像をしてしまうほど、彼の手捌きは完成されていた。
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「本部の決定事項を、先んじて伝えておこう」
シヴィリオが、グラスを揺らしながら静かに言った。
その声色は、以前第9支部で会った時と変わらず、どこか芝居がかった、大げさな響きを帯びている。
だが、その瞳の奥にある光は冷徹だ。
彼は『敵』ではないが、話の通じない無能な上司よりも、もっと厄介な存在だ。
極めて優秀で、極めて論理的な、『組織の守護者』なのだ。
「まずは、今回の事件が発生した構造的要因についてだ」
シヴィリオは、ワインの香りを愉しむように目を細め、語りだした。
「カツラギ殿。貴君の『改革』は、実に合理的だった。業務を可視化し、属人性を排除する。組織としては正しい進化だ。しかし、光が強まれば影もまた濃くなる」
彼は俺を見据えた。
「ルールを厳しくすれば、必ず抜け道を探す鼠が出る。貴君が考案した『確認目録』によって、鑑定の精度は上がった。しかし、その厳格さが、逆に不正を働く者たちを追い詰め、強引な手段へと走らせた」
皮肉な話だ。
俺の『改善』が、結果として『引き金』となってしまった。
良質な防具を廃棄物と偽って横流しすることができなくなり、彼らは本物の不良品を混ぜるしかなくなったのだ。
システムが正しく機能したからこそ、水面下に潜んでいた不正が、最悪の形で表に出たと言える。
「杜撰なルールのままでは、彼らは永遠にギルドの利益を吸い上げ続けていただろう。貴君が締め付けたことで、鼠が暴れまわり、結果として巣穴の位置が特定できた。今回は、鼠を一網打尽にするための『燻し出し』だったと思うことだ」
言い得て妙だな。
そう言ってくれるのなら、そういうことにしておこうか。
「では、具体的な処分について通達する」
シヴィリオは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
そこには、美しい筆致で、事後処理のシナリオが記されていた。
「まず、不祥事を起こした職員たちについてだ。倉庫担当のダビッソ、鑑定部門のイスマン、および彼らに加担した数名の職員。これらは即刻懲戒解雇とした上で、憲兵隊へ引き渡す」
当然の措置だ。
トカゲの尻尾切りと言えばそれまでだが、腐ったリンゴは箱から出すしかない。
「彼らの罪状は重い。ギルド内での不正鑑定、および公的資産である素材の横領。彼らは簡易裁判にかけられ、おそらくは長期の労働刑となるだろう。鉱山か、あるいは開拓地か。情状酌量の余地はない」
この世界の司法は、現代日本のように甘くはない。
ギルドという公的機関の信用を失墜させ、間接的にとはいえ冒険者の命を危険に晒した罪は重い。
彼らは、目先の地位に目が眩んだ代償として、市民権を剥奪され、奴隷階級にまで落とされる可能性すらある。
現代なら懲戒解雇や損害賠償請求で済むかもしれないが、ここでは人生そのものが支払いに充てられるのだ。
「ただし、製造を請け負っていた工房主。ケニングについては、情状を考慮する」
意外な言葉だった。
てっきり、彼も共犯として断罪されるものだと思っていた。
「彼は素材の不正な出処を知らされていなかった。技術者としての過信と、検品体制の不備は責められるべきだが、悪意を持って加担したわけではない。何より、彼の持つ『安価で大量生産する技術力』は、今後のギルドにとっても有益だ」
なるほど、計算高い。
ケニングを完全に潰すのではなく、首輪をつけて飼い慣らし、今度は『正しい素材』で『正しい量産品』を作らせるつもりなのだろう。
それは、ガンドのような職人気質の人間にとっても、新しい視点を取り入れる契機になるかもしれない。
清濁併せ呑む。組織の利益を最大化するための、冷徹な判断だ。
「次に、今回の事件におけるギルドの公式見解についてだ」
シヴィリオは長い指で、紙面をトントンと叩く。
「我々は被害者ではない。しかし加害者と認めるわけにもいかない。よって、公式発表はこうだ。『第8支部は以前から不正の兆候を察知し、極秘裏に内偵を進めていた。そして今回、満を持して悪徳商会と腐敗職員を一網打尽にした』――とする」
俺は思わず、感嘆の息を漏らしそうになった。
見事な論点のすり替えだ。
『管理不行き届きで素材を横流しされたマヌケな組織』という事実を、『自浄作用を働かせ、悪を断罪した正義の組織』というストーリーに書き換えたのだ。
俺たちの泥臭い調査も、命懸けの戦闘も、すべては『計画通り』の演出として消化される。
「そして、『ファスト防具』への対応だ。これについては欠陥品とは認めない」
「……認めないのですか?」
「認めれば、製造物責任の一部を問われかねない。あくまで『犯罪組織が製造した違法な品』として定義する。よって、市場に出回っている全ての製品を『証拠品』としてギルドが強制的に買い上げる」
なるほど、『自主回収』と言うと聞こえはいいが、それは自社のミスを認める行為だ。
だが『証拠品押収』ならば、それは正義の執行となる。
購入者には購入額に色をつけて返金すれば、不満は出ない。
金銭的なコストは嵩むが、ギルドの『信用』という無形資産を守るための必要経費としては安いものだ。
詭弁も極まれば芸術だな。
「最後に、第8支部の管理責任についてだが」
シヴィリオの視線が、ブルークに向いた。
場の空気が張り詰める。
「本来なら、管理不行き届きで減給、あるいは降格処分が妥当だ」
「無論、その覚悟は心得ております」
ブルークが深く頭を下げる。
その巨躯を小さく折りたたむ姿には、悲哀ではなく、責任を全うしようとする武人の覚悟が滲んでいた。
シヴィリオは言葉を継いだ。
「今回の迅速な制圧と証拠保全、そして何より被害を最小限に食い止めた功績。これを相殺し、処分は厳重注意のみとする。指揮官を挿げ替えて現場を混乱させるのは得策ではないという、本部の判断だ」
合理的だ。
あまりにも合理的すぎて、文句のつけようがない。
本部は健全に機能しているからこそ、不祥事の種を神速で摘み取り、組織としての体面を保つ最適解を導き出したのだ。
『不祥事』を『功績』に書き換え、損害を最小限に抑えるためのシナリオだ。
「寛大なるご配慮、痛み入ります。この身を砕いてでも、地に堕ちた信頼、必ずや拾い上げてみせましょう」
ブルークが深く感謝の意を示す。
シヴィリオは優雅に頷き、そして視線を俺に向けた。
「さて、逃亡したノウス商会についてだが」
シヴィリオが声を潜めた。
「すでに、業者登録は抹消されている。しかし、彼らはただの商人ではない。ブルーク殿からの報告によれば、相当な手練れの私兵を抱えていたようだな」
「ええ。獣人の剣士に、紙を扱う魔導師。あれは、一介の商人が抱える護衛の域を、遥かに超えておりますな」
ブルークの言葉に、俺はあの夜の光景を思い出した。
紙の鳥が爆ぜ、不可視の刃が嵐となった瞬間。
あれは、俺の住む世界の常識では測れない『暴力』だった。
ただの営利目的の犯罪ではない、もっと深い闇を感じさせる。
「調査は継続する。しかし相手の戦力を考慮し、これより先はSランクパーティ、あるいは王国の諜報機関へ案件を移管する」
シヴィリオは断言した。
「カツラギ殿。貴君の仕事はここまでだ」
突き放すような言葉。だが、そこには明確な配慮があった。
これ以上首を突っ込めば死ぬぞ。そう言外に告げているのだ。
「承知しました。専門家の領分、ということですね」
俺は素直に頷いた。
悔しさはない。むしろ、安堵していた。
「貴君には、生きて組織を回してもらわねばならないからな」
シヴィリオは満足げに微笑み、ワイングラスを掲げた。
こうして、第8支部を揺るがした一連の騒動は、組織的な幕引きを迎えた。
正義の味方が悪を滅ぼしてめでたしめでたし、とはいかない。
大人の事情と、政治的な妥協と、冷徹な計算によって塗り固められた、ほろ苦い結末。
だが、それが現実だ。
俺たちは物語の登場人物ではない。組織という巨大な歯車の一部として生きる、労働者なのだ。
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時刻は20時前。
会食を終え、シヴィリオとブルークに見送られてレストランを出た。
夜風が、アルコールで火照った頬に心地よい。
第8区のメインストリートは、まだ煌びやかな魔導灯に照らされ、人々の営みが続いている。
数日前、ここには『安くて早い』と謳う防具が溢れ、多くの冒険者がそれに飛びついた。
そして今、それらは『証拠品』として回収され、人知れず姿を消しつつある。
街は何事もなかったかのように呼吸を続けている。
俺たちが奔走し、隠蔽し、処理したおかげで、この街の日常は守られたのだ。
明日の朝には、第9支部へ戻る。
業務改善の監査に来たはずが、詐欺事件の摘発に巻き込まれ、あまつさえ殺し合いの現場に立ち会うことになるとは。
まったく、俺の職務記述書には書かれていない業務ばかりだな。
危険手当ぐらいは請求してもバチは当たらないだろう。
だが、最後に一つだけ、やっておくべきことがある。
俺は石畳の道を歩き、エリンとフラッフルの家へと向かっていた。
今回の事件で、フラッフルは大きな役割を果たした。
メッキを剥がすという地味な作業だったが、そこには確かな技術と、それを制御する精神力が必要だったはずだ。
彼女はもう、魔力が制御できず、才能を持て余した子供ではない。
自身の出力を制御し、求められた結果を出す『技術』を身につけつつある。
その成果を確認すること。
それが、俺がこの街で果たすべき、最後の『契約』だ。




