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第44話:勤怠管理の徹底、何度でもやり直せばいい

 翌朝。


 俺とフラッフルは、第8支部ギルド本館に併設された酒場のテーブル席にいた。


 朝の光が窓から差し込み、店内には焼きたてのパンと、腸詰を焼く香ばしい脂の匂いが漂っている。これから仕事に向かう冒険者たちの活気ある話し声がBGM代わりだ。


 そんな健全な朝の風景の中で、俺の目の前に座る紫髪の少女――フラッフルは、この世の終わりみたいな顔でスプーンを握りしめていた。


「……ねえオジサン。本当にこれ、全部食べなきゃダメぇ?」

「契約不履行は許されない。完食が条件だ」


 俺は冷徹に告げ、自分の黒パンをスープに浸した。

 彼女の目の前には、塩漬け肉と根菜を煮込んだスープ、卵の落とし焼き、そして新鮮な葉野菜とチーズが並んでいる。

 成長期の子供に必要な栄養素を計算した、完璧な朝食メニューだ。

 だが、ジャンクフード中毒の彼女にとっては、これは食事ではなく『苦行』に見えているらしい。


「朝からこんな固形物、胃が受け付けないの……」

「受け付けないんじゃない。胃が『驚いている』だけだ」


 俺は果実水を一口飲み、解説する。


「君の胃袋は、消化しやすい甘い菓子や柔らかいパンに甘やかされすぎている。だから繊維質の野菜や、腹持ちの良い肉といった『まともな薪』が入ってくると、どう燃やしていいか分からず混乱しているんだ。だが、これは必要な儀式だ」

「むぅ……」


 フラッフルは不満げな反応をしつつも、渋々と根菜を口に運んだ。

 偉いぞ。ちゃんと咀嚼している。


 エリンの話によれば、フラッフルは普段、エリンが作る夕食以外はほとんど菓子類で済ませているという。

 朝は寝ているから抜き、昼は焼き菓子、夜中もおやつ。

 完全なるシュガージャンキーだ。

 血糖値のジェットコースターに乗って生活していれば、情緒が安定するはずもない。


「……ところで」


 俺は彼女がスープを飲み込んだタイミングを見計らって、指摘した。


「お菓子を持ってきているな?」

「うえっ?」


 フラッフルがギクリと肩を震わせ、視線を泳がせる。

 典型的な挙動不審だ。税関職員でなくとも怪しいと気づくレベルである。


「……何のことかなぁ?」

「とぼけても無駄だ。砂糖漬けの果実か? それとも焼き菓子か?」

「うぅ……」


 彼女は観念したように、ローブのポケットからごそごそと包みを取り出した。

 出てきたのは、砂糖をまぶしたドライフルーツの小袋だ。


「……非常食だもん」

「ギルドの中は安全地帯だ。遭難の心配はない」


 俺はそれを没収し、自分の鞄へとしまった。


「お菓子を食べるなとは言わない。甘味は脳の活力になるからな。だが、摂取する『タイミング』と『量』は管理させてもらう」

「えぇー! ワタシの人生の楽しみがぁ……」

「大げさな。15時のおやつまで我慢だ。それまでは預かっておく。……在庫の管理も俺の仕事なんでな」


 不満たらたらのフラッフルを宥めつつ、俺たちは朝食を終えた。


---


 朝食後、俺は予定通り第8支部の視察業務を開始した。

 大体は昨日確認したが、今日も一通り確認しておく。


 フラッフルは『見学』という名目で、俺の後ろをついて回っている。

 退屈するかと思ったが、意外にも彼女は大人しくしていた。

 時折、すれ違う職員が「『星の天頂(スターゼニス)』の子じゃないか?」などと奇異の目を向けてくるが、彼女は帽子を目深に被り、我関せずを貫いている。


 視察の結果、第8支部の運営に大きな問題は見当たらなかった。

 スタンピードの事後処理で多少の混乱はあるものの、現場の指揮官であるイスマンやダビッソが優秀なためか、業務は滞りなく回っている。

 これなら、予定通り明日には帰還できそうだ。


 一通りの巡回を終えた俺たちは、地下にある修練場へと足を運んだ。

 石造りの壁に囲まれた広い空間には、魔法の標的や、剣撃用の案山子(かかし)が並んでいる。

 湿った空気と、焦げた匂い。そして、誰かが流した汗の匂い。

 第9支部では全然活用されていない修練場だったが、ここは違う。現場の匂いがする。


「ここが、第8支部の修練場か。設備は古いが、使い込まれているな」


 俺は壁の無数の傷跡を指でなぞりながら言った。

 フラッフルは興味なさそうに、つま先で床をトントンと叩いている。


「ねえオジサン。まだ見るの? 戻ろうよ」

「そう言うな。ここは君の『職場』みたいなもんだろう」


 俺は修練場の、魔法練習スペースを指差した。


「ここは設備が充実しているから、君も魔法を思い切りぶっ放せる」

「……知ってるけどさぁ。1人でやってもつまんないの」

「なら、仲間を誘えばいい」


 俺の言葉に、フラッフルが少しだけ眉をひそめた。


「『星の天頂(スターゼニス)』のメンバーは優秀だ。エリンはもちろん、他の2人も。彼女たちの手が空いている時なら、練習に付き合ってくれるんじゃないか?」

「……みんな忙しいの。ワタシの練習に付き合ってる暇なんてないよ」

「それは思い込みだ。それとも、断られるのが怖いだけか?」


 図星だったのか、彼女は口を(つぐ)んだ。


「いいか、フラッフル。組織というのは、互いの力を補い合うためにある。君が1人で抱え込んで潰れることは、パーティ全体にとっての損失だ」


 俺はエリンの顔を思い浮かべながら言った。


「エリンを見てみろ。彼女は完璧超人に見えるが、君のことを俺に相談しただろう? 自分1人では無理だと判断したか、あるいは外部の人間の可能性を感じた。つまり俺を頼ったんだ。それは弱さじゃない。リーダーとしての正しい采配だ」

「……エリンが?」

「ああ。だから君も、頼れるものは頼ればいいんだ。甘えるのとは違う。目的のために手段を選ぶなということだ」


 彼女が引き籠もっていた理由。

 それは『子供化』への恐怖や、成長しない自分への絶望。そして、成功体験の欠如による無力感。


 以前の小旅行で見せた、極端なまでの子供っぽい振る舞い。

 あれは、普段抑圧している『甘えたい欲求』の反動だったのかもしれない。

 普段は『年相応に大人ぶらなきゃいけない』と背伸びをし、その反動で一気に幼児退行する。

 エルフという種族特性に、そんな逃避機能が備わっているわけではないだろう。

 混血である故の特殊な事情があるかもしれないが、現実的に考えるなら、それは彼女個人の心の防衛本能だ。


 ……まあ、これはあくまで、現代世界での知識を元にした俺の仮説にすぎない。

 心理学の専門家ではない人間の分析など当たっている保証はないし、そもそもエルフや魔法が存在しない世界での話だ。

 魔力が制御できるようになったからといって、あの子供っぽい情動が治るとは限らない。

 人間が部屋に引き籠る理由だって、色々あるわけだからな。


「……わかったよ。みんなに聞いてみるぅ……」


 フラッフルは小さく、しかしはっきりとそう言った。

 その横顔には、昨日までの淀んだ空気はない。

 前を向こうとする意志が、微かにだが芽生えているように見えた。


 種は撒いた。あとは彼女自身がどう育てるかだ。


---


 昼休憩の時間になり、俺たちは地下から一階のロビーへと戻ってきた。

 クエストの受注や報告でごった返すロビーは、朝よりもさらに熱気を帯びている。


 その人波を掻き分けて歩いていると、不意に鮮やかな『赤』が視界に飛び込んできた。


「……あっ」


 声の主は、雑踏の向こうで立ち止まっていた。

 見覚えのある金髪の青年剣士。

 『銀の明星(シルバースター)』のリーダー、アレンだ。

 低いランクのクエストからやり直しているとは聞いていたが、8区で活動していたのか。


 アレンは俺と目が合った瞬間、気まずそうに視線を逸らした。

 無理もない。

 以前、第9支部で彼らが無謀な装備で赤竜に挑もうとした際、俺は彼らを事務的に、かつ徹底的に論破し、最終的には死にかけていたところを救助して高額な請求書を叩きつけた経緯がある。

 彼らにとって俺は、命の恩人であると同時に、二度と顔を合わせたくない『説教臭い事務屋』の筆頭だろう。


 俺も気まずさを感じて視線を逸らそうとしたが、向こうから意を決したように歩み寄ってきた。


「……よう、カツラギ……さん。久しぶりだな」


 アレンは、少し照れくさそうに言った。

 以前の彼なら、肩で風を切って威圧してきただろう場面だが。

 今は、あの頃の刺々しい傲慢さは感じられない。


「こんにちわ、アレンさん。奇遇ですね」

「こんなところで会うなんてな。……仕事か?」

「はい。元気そうですね」


 俺は努めてフラットに返した。

 アレンの後ろにいる仲間たちも、俺に気付くと気まずそうに、しかし以前よりは柔らかな表情で会釈をしてきた。


 毒気が抜けたな、と思った。

 あの頃のアレンたちは、実力以上に自分たちを大きく見せようと必死だった。

 高価な装備で身を固め、虚勢を張り、周囲を威嚇することで『Bランク上位』という立場を守ろうとしていたのだろう。

 だが、一度手痛い敗北を知り、どん底を見たことで、余計なメッキが剥がれ落ちたのかもしれない。

 今の屈託のない表情こそが、彼の本来の性格なのだろう。


 俺の視線は、自然と彼らの装備に向けられた。

 アレンが身につけているのは、明るい赤色の真新しい軽鎧だ。

 従来の無骨な鉄板を繋ぎ合わせた鎧とは違い、身体のラインに沿ったスマートな形状をしている。

 表面には光沢のあるメッキ加工が施されており、その鮮やかな赤色は、アレンの派手好きな好みにぴったりだ。

 仲間たちもそれぞれ、色違いの同じ装備を身につけていた。


 もしかしてこれは、先日耳にした『ファスト防具』だろうか。

 確かにスタイリッシュで、見た目はいいかもしれない。

 これで性能も良く、金貨1枚というのは、価格破壊もいいところだ。


「おおっ、気付いてくれた? これ、やっと手に入ったんだよ」


 俺の視線に気付いたアレンが、自分の胸板をバンと叩いた。


「『ファスト防具』ってやつでさ、なかなか買えなかったんだ。この『バーニング・レッド』、俺カラーって感じで最高だろ?」

「……ああ、よく似合っていますよ」


 当たり障りのない感想を返したが、気にはなる。

 『早い、安い、うまい』が成立するのは牛丼屋だけだ。

 技術革新が起きて、大量生産ラインが確立したのだろうか。


 ……まあ、それは後の市場調査で確認すればいいことだ。

 かつて見栄を張って身の丈に合わない装備に固執し、死にかけた男が、今は量産品の機能性を誇らしげに語っている姿を評価しておこう。

 高い授業料を払った甲斐はあったようだ。


「で、そっちのお嬢ちゃんは?」


 アレンの視線が、俺の隣にいるフラッフルに向けられた。


「カツラギさんの連れってことは、仕事の見学かな? 偉いなぁ、お手伝いか?」


 悪気はないのだろう。

 だが客観的に見て、フラッフルは『親のローブを借りて着ている子供』にしか見えない。

 身の丈に合わない大きな帽子に、地面を引きずりそうなローブ。

 アレンの目には、可愛らしい『お手伝いさん』か『冒険者ごっこ』に映っているのも無理はない。


「残念でした。ワタシはお手伝いじゃないよ」


 フラッフルはわざとらしく大人びた口調で、澄まし顔を作った。


「ふふん。ワタシはこう見えても立派な冒険者なの。子供扱いされても気にしないし、大人の女は、いちいち反応しないもん」


 思いっきり反応している気はするが、俺はあえてツッコミを入れず、生温かい目で見守ることにした。

 指摘してへそを曲げられても面倒だからな。


 一方、アレンはフラッフルの言葉を聞いて、まじまじと彼女の姿を観察し始めた。

 大きな帽子。特徴的な紫色の髪。そして、身の丈に合わない杖。


「……ん? 待てよ。その紫の髪に、魔女みたいな帽子……」


 アレンがハッとして、俺とフラッフルを交互に見た。


「そういえば噂で聞いたぞ。『星の天頂(スターゼニス)』には、見た目は子供だけどとんでもない魔力を持った魔法使いがいるって……。もしかして、君が?」


 どうやら、ようやく噂と実像が結びついたらしい。

 フラッフルは「ふふん」と胸を張り、これ以上ないドヤ顔を決めた。


「噂には聞いてたが、まさかこんな小さな子が……いや失礼、こんな凄い魔導師だったとは! 俺たちなんて、赤竜(レッドドラゴン)に手も足も出なくて撤退したんだよ。それを倒しちまうなんて、本当に凄いな!」


 混じりっけなしの、手放しの称賛。

 アレンたちにとって赤竜は、かつて自分たちが慢心し、完膚なきまでに叩きのめされた因縁の相手だ。


 その純粋すぎる称賛は、フラッフルの『大人の女』という薄いメッキを一撃で粉砕したらしい。


「でっしょおー!!」


 フラッフルの表情が、パァッと輝いた。

 まるで承認欲求という名のエンジンに、ハイオク燃料が一気に注がれたようだ。


「すごいでしょ! ワタシすごいんだよー! あのドラゴン、ドカーンってやっつけたんだよー! こう、バーンって!」


 陥落は早かった。あまりにも早かった。

 さっきまでの澄ました態度はどこへやら、彼女は『子供モード』を全開にし、アレンに武勇伝を語り始めた。


「へぇー! すっげぇなぁ! 俺も見たかったよ!」

「でっしょぉー? ドラゴンのブレスもね、ワタシが風の魔法で――」


 キャッキャと盛り上がる二人を見ながら、俺は深い溜息をついた。

 まあ、引き籠もって腐っているよりは、こうして自分の成果を誇れる方が健全ではあるのだが。


 ……前途多難だな。

 何事も一朝一夕にはいかない。

 俺は手帳を開き、『フラッフルの精神的成長』という項目に『要経過観察』と書き加えたのだった。


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