第43話:生活環境の監査、契約するなら精査から
王都8区の居住区画。
整備された石畳の道を、俺はエリンに案内されて歩いていた。
この辺りは、王都の中でも比較的新しい集合住宅が建ち並ぶエリアだ。
均一な規格で建てられた石造りのアパートメントは、個性を殺した無機質さがあるが、それは同時に都市計画が行き届いている証拠でもある。
俺の世界で言うところの、新興住宅地のマンション群に近いだろうか。
異世界にも、住宅を規格化して押し込む時代が来ているらしい。
「……こちらです」
足を止めたのは、その一角にある小奇麗な建物だった。
外観はこざっぱりとしており、共有部の清掃も行き届いている。管理組合がしっかり機能しているようだ。
エリンの性格からして、彼女のテリトリーは清潔に保たれていることは想像に難くない。
問題は、その聖域に巣食う、小さな同居人だ。
鍵を開け、招き入れられたリビングは、予想通りモデルルームのように整然としていた。
家具は定規で測ったように配置され、テーブルの上には私物一つ置かれていない。
生活感すら漂白されたような空間だ。
だが、その完璧な静寂を汚すように、奥にある扉の隙間から異質な空気が漏れ出しているのを感じる。
「フラッフルは、あの部屋に?」
「はい。起きてはいるはずですが……」
エリンがノックをして声をかけるが、返事はない。
彼女は俺を見上げ、首を横に振ると、静かにドアノブを回した。
扉が開く。
そこにあったのは――『魔窟』だった。
床が見えない。
脱ぎ散らかされた服が地層を作り、読みかけの本や書き損じの羊皮紙が雪崩を起こしている。
食べかけのクッキーの皿。空になった飲み物の瓶。
それらが部屋の主を中心とした円形の防壁を築き、外部からの侵入を拒んでいる。
その中心で、紫色の髪をした少女が、毛布にくるまりながら本を読んでいた。
「……うげ。オジサン?」
フラッフルは俺の姿を認めると、露骨に顔をしかめた。
彼女の容姿には『不摂生』の影が微塵も見当たらない。
肌は陶器のように白く滑らかで、瞳も宝石のように輝いている。クマひとつなく、髪も艶やかだ。
これだけの劣悪環境にいながら、外見上のペナルティを一切受けていない。
若さと長命種の特性が、生活の乱れを完璧に隠蔽してしまっているのだろうか。
「やあ、フラッフル。久しぶりだな」
俺は入り口に立ち、その惨状を見下ろしたまま声をかけた。
扉が開いただけで、澱んだ空気が雪崩のように押し寄せてくる。
二酸化炭素濃度が高すぎる。換気扇のフィルタ交換を怠った喫煙室のような閉塞感だ。
とてもではないが、安易に足を踏み入れられる状態ではない。
「……何の用? ワタシ今、忙しいんだけど」
「忙しいのか。その本を読むのにか?」
「そーだよ。魔法の深淵を覗いてるの。邪魔しないで」
彼女は毛布を頭まで被り、拒絶のポーズを取った。
だが読んでいた本は、どう見ても表紙が娯楽系だ。
魔法の深淵どころか、大衆娯楽の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいるだけだろう。
俺は手帳を開いて現状の『監査』を開始した。
無闇に片付けるのではない。
まずは現場を観察し、問題の発生源を特定する。業務改善の基本だ。
1、衛生環境の悪化(汚部屋)。
2、睡眠サイクルの破綻(不規則な生活)。
3、栄養摂取の偏り(食生活の乱れ)。
「フラッフル、まずは腹ごしらえだ。エリン、夕食の準備をお願いできるか?」
「はい、材料はありますので」
エリンは手際よくキッチンへと向かった。
俺はフラッフルに向き直り、宣告する。
「今日のミッションはシンプルだ。『まともな飯を食う』。話はそれからだ」
---
数十分後。
ダイニングテーブルには、エリンの手料理が並んでいた。
野菜たっぷりのスープに、焼きたてのパン、そして鳥肉の香草焼き。
栄養バランスの取れた、家庭的なメニューだ。
湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが漂う。
しかし、フラッフルは手を動かさない。
皿の上の料理を、まるで異物でも見るような目で見下ろしている。
「どうした? 食べないのか?」
「……お腹、あんまり空いてないの」
彼女はスープをスプーンでつつきながら、ぼそりと呟いた。
部屋にあった菓子の量を見れば当然だ。血糖値が上がりっぱなしで、空腹中枢が麻痺しているのだろう。
常に満腹感があるわけではないが、空腹感もない。
ダラダラと燃料を投下し続けることで、身体のセンサーがバグを起こしている状態にあると推測できる。
「食べたくないなら無理強いはしない。だが、君の抱える問題の根幹は、そこにある」
俺はスプーンを置き、静かに切り出した。
「君のメンタルが子供のままだったり、魔力が制御できない問題。これには、この生活習慣の悪さが直結している可能性が高い」
「……はぁ? 何それ。関係ないでしょ」
フラッフルは不満げに唇を尖らせた。
「大ありだ。俺の世界にはこういう言葉がある。『ガービッジ・イン、ガービッジ・アウト』」
「がびがび……?」
「『腐った材料を使えば、腐った料理しかできない』という理屈だ」
俺は彼女の目を見て続けた。
「君は立派な『かまど』を持っているが、くべる薪は湿気っているし、空気の通りは気まぐれだ。そんな状態で、繊細な火加減の調整ができると思うか?」
「……んー……」
彼女は言葉に詰まった。
理屈としては反論できないのだろう。だが、感情が納得していない。
「でも、ワタシはこれでも平気だし。見た目だって変わらないもん」
「そうだな。だが、結果は出ているんじゃないか?」
俺は、核心を突く質問を投げかけた。
「君は以前、小旅行で『制御の感覚を掴んだ』と言っていたな。あれから半月。一度でも、一人で成功したか?」
フラッフルの視線が泳ぐ。図星だ。
「……それは……」
「やってみたけど、上手くいかなかったんだろう? 俺という補助がない状態で、あの時の感覚を再現できなかった」
あの小旅行は、彼女にとって滅多にない非日常のイベントだった。
集団行動に合わせて、一時的とはいえ昼夜逆転生活も矯正されていただろう。
「考えてもみてくれ。あの小旅行中、君は規則正しい生活を送っていた。朝起きて活動し、栄養のあるものを食べ、夜はぐっすり眠る。俺の補助があったとはいえ、短期間で成果が出たのは、君の体調が万全だったからだ」
成功には理由がある。
俺の能力はあくまできっかけに過ぎない。
彼女自身のコンディションが整っていたからこそ、感覚を掴むことに繋がったのだ。
あの成功は、偶然ではない。正しい入力が生んだ、必然の結果だ。
「つまり、あの時の成功体験は……『コンディションさえ整えば制御できる』という仮説の証明になっているとも考えられるんだ」
「……ほんと、かな?」
漏れ出た声は、魔導師のものではなく、ただの不安な子供のものだった。
「あくまで仮説だがな。しかし、理屈は通る。家に帰って元の堕落した生活に戻った途端、積み上げたコンディションという土台が崩れ去り、感覚も霧散したんだ」
俺は畳み掛ける。
「失敗するのが怖くなって、練習そのものを止めた。『場所がない』、『気分が乗らない』。そんな言い訳をして部屋に逃げ込んだ。そして、これは今回に限った話じゃないはずだ」
「むむっ……」
フラッフルが息を呑む気配がした。
彼女は何か言い返そうとしたが、喉の奥で言葉がつかえている。その沈黙こそが、何よりの肯定だ。
「何年も前から、そうやって逃げてきたんじゃないか? 壁にぶつかるたびに『自分は子供だから』とか『成長が遅いから』という言葉を盾にして、自分の殻に閉じこもる。問題を先送りにしてきた結果が、今の君だ」
厳しい言葉だとは分かっている。
だが、そうしてしまう彼女の心情が理解できないわけではない。いや、痛いほど理解できるからこそ、指摘しなければならない。
周囲の仲間たちは、人間として当たり前に成長し、大人になっていく。
エリンも、他のメンバーも、心身ともに成熟していく中で、自分だけが『子供の時間』に取り残される恐怖。
その疎外感は、計り知れないものがあるだろう。
努力して、それでもダメだったら?
『成長が遅い』のではなく、『欠陥品』だという事実を突きつけられるのが怖いのだ。
だから、『やればできるけど、まだ子供だからやらないだけ』という可能性の中に逃げ込む。
それは、繊細な時期を生きる彼女が、自我を保つために無意識に構築した防衛本能なのだろう。
だが、その守りは、同時に彼女自身を腐らせる檻にもなっている。
「それは君の才能がないからじゃない。単に、今の君の『かまど』がボロボロだからだ。整備不良の道具で、いい仕事はできない」
俺は声を少しだけ和らげ、次の手を打つ。
逃げ道を塞ぐだけでは人は動かない。必要なのは、憧れという名の『出口』だ。
「第9支部には、レナンセムというエルフの事務員がいるんだが、知っているか?」
「……知らない」
「彼女はギルドでも一目置かれている凄腕でな」
俺はレナンセムの特徴を語った。
「彼女の生活習慣は完璧だ。紅茶の温度、食事の質、睡眠時間。それら全てを徹底管理している。なぜなら、『自分のコンディションを整える』ことが、一流の条件だと知っているからだ」
厳密には『美食と快眠のため』だが、結果としてコンディションは整っている。
プレゼンテーションにおいて、事実は解釈によってどうとでも輝く。
だから、サボり魔であることも伏せておく。
「……ふーん。でも、冒険者じゃないんでしょ?」
フラッフルはまだ懐疑的だ。
この世界の実力主義において、冒険者のパーティランクは分かりやすい指標だからな。
侮るのも無理はない。ならば、決定的な情報を出せばいい。
「そうだな。だがそれは冒険者をやる気がないだけで、魔導師としての能力を話すと、彼女は『古代魔法』の使い手だ」
「……古代魔法って、エルフの?」
「俺も実際に見たんだが──」
俺はレナンセムが行使した、『幻影多手』や『多重分身』といった、火や水を操る通常の魔法とは、明らかに異なった種類の魔法についてを淡々と説明した。
フラッフルは少し考えこむと、やがてハッとして顔を上げた。
そして、射抜くような視線を俺に向ける。
「ねえ、オジサン。もしかしてその人……前髪だけ、色が違ったりしない?」
「ん? ああ。金髪の中に、ピンク色のインナーカラーが入っていたな」
俺が答えた瞬間、フラッフルの『疑い』が消えたようだ。
「やっぱり! それって、『根源』に到達してるってことだよ!」
「『根源』?」
「魔導の真理に触れた使い手だけに現れる証なの! お祖母ちゃんとおんなじ……!」
お洒落染めかと思っていたが、あれにはそういう意味があったのか。
フラッフルは身を乗り出して、食いついてきた。
やはり、魔導師としての知識と向上心はあるんだな。
自分より遥か高みにいる存在は、彼女にとって無視できない『正解』のサンプルなのだろう。
「へえー、只者ではないと思っていたが、そんな凄い人だったんだなー」
「会いたい! ねえオジサン、その人に会わせてよ!」
目を輝かせている。
さっきまでのダルそうな態度が嘘のようだ。
「……まあ、紹介するのは構わないが」
俺は勿体ぶって腕を組み、わざとらしく顔をしかめた。
「彼女は美意識が高い。こんな『ゴミ溜め』のような生活をしている子供には、会ってくれないだろうな」
「ゴミ溜めぇ?」
「事実じゃないか。一流は、自分の燃料と環境を厳選する。お菓子で誤魔化しているうちは、君はただの『才能のある子供』止まりだ。対等な相手とは見なされないだろうな」
「……むぅ」
『子供』という単語が、彼女のプライドという名の琴線に触れたのが分かった。
拒絶ではない。悔しさだ。その感情の揺らぎこそが、交渉の糸口になる。
「取引……いや、『契約』をしよう、フラッフル」
俺はあえて、彼女との出会いの切っ掛けとなった、その言葉を選んだ。
「君が生活を正し、まともな『人間らしい』生活を送れるようになったら……俺が責任を持って、レナンセムに紹介してやる」
フラッフルは即答しなかった。
視線が宙を彷徨い、脳内で損益分岐点を計算しているように見える。
天秤にかけられたものは、未知なる大魔導師への渇望と、今の安楽な停滞を捨てるコストか。
「……本当に、会わせてくれるの?」
「約束しよう。契約内容に嘘はない」
しばらくの沈黙の後、彼女は不承不承といった様子で頷いた。
「……わかった。やってやろうじゃないの」
彼女はフォークを握り直し、冷めかけた鳥肉を口に運んだ。
もぐもぐと咀嚼し、スープで流し込む。
最初は義務感で食べていたようだが、エリンの料理の優しい味付けが、荒れた胃袋に染み渡ったのだろう。次第にスプーンの速度が上がっていく。
「……おいしい」
「そうだな。エリンの料理は、身体に優しい味がする」
俺もスープを飲みながら同意した。
隣でエリンが、少しだけ目を細めている。
彼女はずっと、こうして妹分の健康を案じていたのだろう。その献身が、ようやく報われようとしている。
フラッフルは料理を平らげた。
満腹になったことで、血糖値の急上昇とは違う、穏やかな眠気が彼女を襲い始めているようだった。
「……ふあぁ。なんか、眠くなってきた……」
「それが正常な反応だ。胃に血が巡れば、脳は休もうとする」
時計を見る。まだ21時を回ったところだ。
普段の彼女なら活動開始の時間だろうが、今日はもう休ませるべきだ。
「まずは明日だ。明日の朝、俺と一緒にギルドへ出勤してもらう」
「うぇっ、出勤? ワタシはギルド職員じゃないんだけどぉ」
「見学だ。それに、朝起きて太陽を浴びる。それが第一歩だ」
フラッフルは文句を言いそうになったが、渋々頷いた。
「……わかったよぅ。お風呂、入ってくる」
彼女がよろよろと浴室へ消えていくのを見送ってから、俺はエリンに向き直った。
「ありがとうございます、カツラギさん。私が言っても、返事だけで終わっていたと思います」
「第三者の言葉だからこそ、響くこともあるさ。それに、あの子は賢い。理屈で納得できれば、行動を変える力はある」
俺は、考察を口にした。
「あの子が引き籠もっているのは、外に出た時の『子供化』への不安もあるだろうが……『学習性無力感』のようなものに陥っているんじゃないかと思う」
「学習性……無力感、ですか?」
「ああ。何度やっても上手くいかない、どうせ自分には無理だ、と思い込んでしまう心理状態だ」
だから、今の彼女に必要なのは『精神論』ではなく、『具体的な道筋』だ。
生活を改善すれば、コンディションが整う。
コンディションが整えば、魔法制御の土台ができる。
そうやって『自分の行動で結果が変わる』という経験を積ませることが、無力感への特効薬になるはずだ。
「レナンセムという目標と、生活改善という手段。こうすれば良くなる、という明確な道筋さえ見えれば、あの子は自分で歩き出すんじゃないかな」
「……はい。やはり、カツラギさんに相談してよかったです」
エリンが笑みを浮かべた。
初めて見る、年相応の柔らかな表情だった。
俺は合わせて小さく微笑み、席を立った。
「では、俺は一旦宿に戻る。明日の朝、迎えに来るよ」
「はい。……本当に、ありがとうございました」
エリンに見送られ、俺は夜の第8区を歩き出した。
冷たい夜風が心地よい。
他人の家の子供を躾けるなんて、総務の仕事の範疇を越えている気もするが……まあいい。
これもまた『人材育成』の一環だと思えば、あながち無関係でもないだろう。
それに、あの子が万全の状態で魔法を使えるようになれば、それはギルドにとっても大きな戦力になるはずだ。
投資だ。これは、未来への投資なのだ。
俺はそう自分に言い聞かせ、宿への道を急いだ。




