第41話:展開状況の監査、自動化も使い方次第
翌朝。
宿での朝食を済ませた俺は、手早く身支度を整え、鏡の前でネクタイを締め直した。
今回の出張における俺の役割は、第9支部で構築した『業務改善モデル』が、巨大な第8支部においてどれほど『定着』し、かつ『機能』しているかを精査することだ。
システム開発で言えば、本番環境にリリースした後の運用監視に近いだろうか。
スケールメリットという名の化粧が、重大なバグを隠していなければよいのだが。
ロビーに降りると、約束の時間より少し早い――つもりだったが、窓際のソファにはすでに2人がいた。
ブルークとユメリだ。
「おはようございます、カツラギさん。昨晩は、よくお休みになれましたかな」
ブルークは立ち上がり、穏やかに礼をした。
礼儀の角度が深すぎず浅すぎず、ちょうどいい。高圧的でもなければ、馴れ馴れしくもない。
組織のトップとして、対外的な距離感を心得ている立ち位置だ。
「おはようございます。はい、移動の疲れも抜けました」
「それは重畳。判断力は、休息で守るものですからな」
この人は絶対に現場を知っている。
管理職の口から『判断力』という単語が自然に出てくるのは、判断ミスの代償として何が失われるかを見てきた人間だけだ。
「おはようございます、カッチーさん。朝の街は、昨日より眩しいですね」
「朝は、眩しいもんだろう」
「ふふ、現実的ですね」
ユメリの所作は丁寧だったが、表現は相変わらず詩的だった。
軽口を叩き合えるのは悪くない。
だが、俺は今日の仕事で『いい気分』になるわけにはいかない。
心地よさは油断を生み、油断は事故の入口だ。
「わざわざ挨拶だけしに来てくれたのか?」
「今日は『始まりの日』ですから。空気が白いうちに、ご挨拶したかったのです」
比喩で語るが、その意図は極めて具体的だ。
始まりの日は、人の気持ちにまだ余白がある。
余白があるうちに、挨拶という『摩擦を減らす油』を差しておく。
彼女はそれを感覚でやっているのだろうか。だとすれば、天然の潤滑油だな。
「では、私はこれで失礼します。……転ばないでくださいね」
「転ぶのは俺じゃなくて運用だよ。人間は転び方を設計すれば学ぶ」
「それは、優しさですか?」
「優しさかどうかは知らないな。安上がりだからだよ」
ユメリは小さく微笑んだ。
挨拶だけを目的に来て、本当に挨拶だけで消える。
現場にとって『長居する来客』ほど邪魔なものはない。彼女はそれを分かっているのだろう。
---
8区は朝から動線が太い。
通勤の列、荷車、店の仕込み、子供の声。
人が多いというのは、単なる賑わいではない。稼働率だ。
稼働率が高い場所ほど、些細な仕組みの不備が火花となり、全体を焼くリスクを孕む。
石造りの建造物は、『支部』というよりは、『要塞』あるいは『市役所の本庁舎』と呼ぶ方が相応しい威容を誇っていた。
3階建ての重厚な本館。その両翼には、査定所やクエスト依頼所、酒場を含む別棟が広がっている。
朝のラッシュアワーを迎えたエントランスには、ひっきりなしに冒険者が出入りし、その数は第9支部の比ではない。
これが、人口密集地のギルドか。
俺は圧倒されつつも、その光景を冷静に分析した。
人の流れは多いが、滞留はしていない。
入り口で目的別に動線が分けられ、掲示板前、カウンターへとスムーズに誘導されている。
規模が大きい分、混乱すれば地獄を見る。だからこそ、動線設計が徹底されているのだろう。
広い入口、厚い壁、そして人の流量を受け止めるための物理的な余白。
窓口が『町の窓』ではなく、『インフラ施設』として設計されている。
案内されたのは、別棟にある査定所だ。
中に入ると、紙とインクの匂い、それに金属と人いきれの熱気が混ざった独特の空気が鼻をつく。
正面には広大なロビーがあり、そこには『査定状況掲示板』が鎮座していた。
その前には、番号札を握った冒険者たちが並んでいる。
並んでいるが、殺気が薄い。
人間が本当に嫌うのは『待つ』ことそのものじゃない、『いつ終わるか分からない待ち』だ。可視化された『待ち』は、ストレスを軽減するのだ。
第9支部同様、番号札による呼び出しシステムが導入されている。
ただ、規模が違う。
鑑定士の数が10人近くおり、銀行の窓口のようにズラリと並んで並列処理を行っている。
「……ロビーの殺気と怒号が、明らかに減りましたな」
ブルークが低く呟く。
「掲示板が盾になりますからね。怒鳴る相手が職員から板に移る。板は傷つきません」
「何より、職員の心が守られますな」
「ええ、それが一番の効果です」
窓口に目をやる。職員の手が滑らかだ。余裕がある現場の手つき。
ただし、今の余裕は信用しない。余裕は天気のように変わる。
忙しい日、クレームが重なる日、スタンピードの後。
そういう異常時にこそ、仕組みの強度は試される。
入り口がスムーズになれば、その分だけ後工程への圧力は増すことになる。
俺たちはカウンターの脇を抜け、バックヤードへと向かった。
ここが詰まれば、掲示板も意味を失う。
窓口の速度は、結局は『査定というボトルネック』に支配されるわけだ。
「ご紹介いたしましょう。素材鑑定部門のチーフ、イスマンです」
紹介されたのは、細身の神経質そうな男だった。
銀縁の眼鏡をかけ、白衣のような作業着を皺一つなく着こなしている。
その手つきは洗練されており、次々と運ばれてくる素材を無駄のない動きで捌いていた。
「お初にお目にかかります、カツラギさん。お噂はかねがね」
イスマンは手を止め、丁寧すぎるほどの敬礼をした。
眼鏡の奥の瞳は理知的だが、どこか冷ややかで、感情の温度を感じさせない。
そして何より、現場が静かすぎた。
十数人の鑑定士が働いているというのに、聞こえるのはペンの走る音と、素材を置く音、そして必要最低限の確認の声だけだ。
第9支部のような、職人同士の雑談や、時折混じる笑い声が一切ない。
それは規律が取れているとも言えるが、同時に『工場』のような無機質さも感じさせる。
「新しいチェックリスト、活用させていただいております。個人の感覚に頼らない『基準』があるというのは、素晴らしいことですね」
「そう言っていただけると光栄です。現場の負担にはなっていませんか?」
「いえ。むしろ、曖昧な判定で客と揉めることが減りました。……ただ、少し『融通』が利かなくなったと嘆く古参もおりますがね」
イスマンは薄く笑った。
融通。
それは往々にして、不正や癒着の温床となる言葉だ。
彼はそれを『困ったことだ』という風に言ったが、俺には『ルールが厳密すぎて遊びがない』という皮肉にも聞こえた。
俺は一人の鑑定士の手元を観察した。
冒険者が持ち込んだ『魔物の牙』を査定している。
鑑定士は牙の欠けを確認すると、即座にチェックリストの『欠損あり』に印をつけた。迷いがない。
そして窓口職員は、その明細書を冒険者に突き出した。
冒険者は一瞬不満そうな顔をしたが、整然と並んだチェック項目と、減額理由が明記された欄を見て、反論を飲み込んでいた。
以前は、減額の理由をいちいち口頭で説明しなければならず、それが冒険者との不毛な交渉を生んでいた。
今は『紙に書いてあるなら仕方ない』という、官僚的な強制力が働いている。
「納得感が違うのですね。数字と文字で示されると、感情の入り込む余地がなくなる」
俺が分析すると、イスマンは眼鏡のブリッジを指で押し上げながら頷いた。
「ええ。我々は感情ではなく、事実を査定するのが仕事ですから」
その口調に迷いはない。
イスマンのデスク周りは完璧に整理整頓されており、インク壺の位置すらミリ単位で決まっているように見えた。
隙がない。それが第一印象だ。
俺はイスマンにいくつか質問をしてみた。
忙しいとき、チェックは形骸化しないか。
項目の意味が曖昧になっていないか。
新人とベテランで判断が割れたとき、どう整合を取るか。
返ってきた答えは、淀みなかった。
想定問答集が頭に入っているかのような滑らかさだ。
「……忙しい日は、どうしても紙が後回しになりがちですね」
唯一、その言葉だけが人間味を帯びていた。
正直でいい。
完全無欠を装われるより、小さな綻びを見せてくれた方が信用できる。
課題が見える現場は育つし、見えない現場は燃える。
「では、仕組みで止めましょう。未記入の明細は次工程へ行けない。棚に入らない。いわば『転び方』を用意して、声掛けを個人技にしないように」
「承知しました。転び方の設計……参考にさせていただきます」
イスマンが頷く。
現場は叱責で変わるのではなく、転び方の設計で変わる。
叱るのは最後。最後の手段を日常にすると、現場は黙って腐るだろう。
---
午後。
次に向かったのは、馬車で5分ほどの距離にある『物流区』の巨大倉庫だ。
そこは、第9支部の倉庫を3つ繋ぎ合わせたような、巨大な3階建ての赤レンガ建築だった。
とにかくデカい。
外壁には何本ものパイプが走り、蒸気機関のような低い排気音が響いている。
中に入ると、そこは第9支部の倉庫とは別世界の光景が広がっていた。
吹き抜けになった巨大空間に、高い天井まで届く鋼鉄製の棚が林立している。
そして、その棚の格子に沿って、無骨な『鉄の檻』が縦横無尽にスライドしていた。
檻の側面には『魔導シリンダー』が取り付けられ、青白い魔力の光を漏らしながら駆動している。
圧縮された蒸気のような音と共に、鉄の檻が人間の背丈よりも遥か高い位置にある荷物を掴み、滑るように降りてくる。
「……自動搬送式の『魔導ラック』、ですか」
「ええ。第8区の膨大な物流量を上下で捌くための、この支部の心臓部です」
スチームパンクならぬ、マジックパンク。
魔力があり身体能力を強化できようとも、個人の力には限度がある。
ここでは『魔導的な自動化』が物流を支えているようだ。
俺は、唸りを上げて上下する鉄の檻を見上げ、少しだけ胸の高鳴りを覚えた。
魔法という超常の力を、個人の戦闘力としてではなく、産業の動力源としてシステムに組み込んでいる。
これは、俺がいた世界の『産業革命』とは異なる、独自の進化の系統樹だ。
もし、この発想が物流だけでなく、製造や土木、通信にまで広がったらどうなるか。
魔導列車が大陸を走り、魔導通信網が都市を結ぶ――そんな、地球とは違う発展を遂げた未来都市の姿が、一瞬脳裏をよぎった。
この世界には、まだ俺の知らない『文明の伸びしろ』が眠っている。
それを効率化の手伝いで後押しできるなら、悪くない仕事だ。
だが同時に、俺は少し冷めた感想も抱いていた。
この設備、俺が『カラーシステム』を導入する前は、どう運用していたんだ?
『どこに何を置くか』の定位置が決まっていない状態で、この設備を動かせばどうなるか。
答えは簡単だ。『高速で荷物を迷子にする』だけだ。
高いスペックのハードウェアも、運用というソフトウェアがなければ、ただの高性能な混乱生成装置でしかない。
スタンピードのたびに機能不全に陥るのは当然のことだろう。
「彼が倉庫部門のチーフ、ダビッソです」
倉庫の1階で、荷受の指揮を執っている職員。
ダビッソと呼ばれた男は、『色分けされた札』を木箱に貼り付け、次々と搬送ケージへと運び込ませていく。
丸々と太った巨漢で、人の好さそうな笑顔を浮かべているが、その目は油断なく周囲の作業員を監視しているようだ。
荷札を見る目つきだけが、鋭い刃物のように光る。
「おお、あなたがカツラギさんですか。はじめまして」
ダビッソは額の汗を手の甲で拭いながら、俺に歩み寄った。
「見ての通りですよ。貴方の提言した『色による管理方法』は、この巨大な倉庫でこそ真価を発揮しています。以前は、どこにしまったか忘れた荷物を探すために、一日中この鉄の箱を上下させていましたからねぇ」
やはりそうか。
宝の持ち腐れだったわけだ。
「1階は赤と緑、2階は青と黄のように、階層ごとに色を完全に分けています。新入りや応援部隊でも、色を見れば迷いようがない。識字率に関係なく動けるのが強みですね」
「3階建ての構造。スペースの有効活用としては理想的ですね」
俺は棚の奥、搬入口の近くにある一角に目を留めた。
そこには『廃棄物』の山があった。
錆び付いた鎧、折れた剣、魔力の抜け殻となった魔石。それらが麻袋や木箱に詰められ、所定の位置に積まれている。
だが、ただのゴミの山ではない。
種類ごとに大まかに分けられ、一部には『処理待ち』の札が貼られている。
「廃棄物の処理状況はどうなっていますか?」
「ああ、そこがお恥ずかしい限りで」
ダビッソが困ったように太い首をすくめた。
「スタンピードの影響で引き取り品が多く、倉庫職員の手で処理場まで運搬しているのですが、追いついていないのが現状ですね。一気には減りませんから」
「量は多いですね。これだけのゴミ、放置すれば錆が広がったりするリスクもある」
「ええ。ですから、手の空いた者から順次走らせているんですがね。なにせ人手が足りなくて」
俺は頷いた。
廃棄物の滞留は、どの現場でも起こる物流のボトルネックだ。
しかし、俺の目は少し違和感を拾っていた。
『処理待ち』にしては、整理されすぎている気がする。
通常、捨てるだけの廃棄物はもっと雑多に投げ込まれるものだ。
だがここは、まるで『出荷』を待つ商品のように、種類別に整然と並べられている。
処理場での荷下ろしを効率化するためだろうか。
俺は数秒ほどその廃棄物の山を凝視したが、当然ながらゴミは答えてはくれない。
それに、『なぜゴミを綺麗に並べているんだ』という指摘は、監査役としては難癖に近い。
過剰品質は、コスト意識の欠如を除けば罪ではないからだ。
「……ありがとうございます。十分です」
俺は手帳を閉じた。
これで、予定していた一通りの視察は終了だ。
表面的には、何の問題もない。
むしろ、優秀すぎるほどに回っている。
正確なチェックリスト、合理的なカラーシステム。
第8支部の業務改善は、第9支部の事例を『スケールアップ』させた、理想的な成功例に見える。
それが逆に、俺の神経を刺激していた。
『綺麗すぎる現場』には、得てして見えない汚れが隠されているものだ。
掃除が行き届いた部屋ほど、カーペットの下の埃は見えない。
……まあ、職業病か。
今は素直に、この完璧なホワイトボックスを評価すべきなのだろう。




