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第40話:ステークホルダーとの交流、祖父が祖父なら孫も孫

 馬車の揺れが変わり、車輪が石畳を叩く音が規則的で硬質なものへと変化した。

 それは、未舗装の道を走る心許ない振動ではなく、整備された都市の鼓動だ。


 窓の外を流れる景色は、俺の見慣れた第9区のそれとは明らかに異なっている。

 道の両脇には魔導灯が等間隔に並び、夜の闇を人工的な光で切り裂いていた。

 建物は高く、3階建て、4階建ての煉瓦造りが当たり前のように連なり、窓から漏れる生活の灯りが巨大な光の回廊を作っている。


 8区。

 王都の南西に位置するこのエリアは、商業地区と居住区が融合した巨大なベッドタウンだ。

 人口密度は9区の比ではない。行き交う人々の服装も洗練されており、物流の量も桁違い。

 ここは『都市』だ。俺がかつていた世界の空気に、少しだけ近い匂いがする。


 俺は窓枠に肘をつき、流れる街並みを眺めた。

 人口が多いということは、それだけ冒険者の母数も多いということだ。

 夢を追う未熟な新人から、生活のために剣を取るパートタイム冒険者まで。

 多様な層がひしめくこの街で、俺の考案したシステムがどう機能しているのか。

 あるいは、どこで軋んでいるのか。


 馬車が停車場に滑り込む。

 揺れが止まった途端、腰の奥に溜まっていた疲労がここぞとばかりに自己主張を始めた。

 俺は鞄を抱えて降り、軽く肩を回す。

 小旅行の時もそうだったが、人間工学に基づいたシートがいかに身体に優しいかを、異世界で思い知らされるのは皮肉なものだな。


「カツラギさん。遠路、ご苦労さまでした」


 声に振り向くと、そこに『老紳士』が立っていた。


 第8支部の新ギルド長、ブルーク。

 オールバックに整えられた清潔感のある白髪。品良く切り揃えられた白い髭。

 ギルド長のコートを肩に羽織り、ステッキを嗜みのように握っている。

 第一印象は温厚な好々爺(こうこうや)――のはずなのに、その体格が温厚という言葉を許さない。

 身長は190センチを超えているだろうか。温泉で見たあの巌のような筋肉を、仕立ての良い執事服で無理やりラッピングしてるように見えた。

 礼儀正しい老紳士に見えるが、実態は『いつでも暴れられる怪獣が、TPOをわきまえて人間社会に擬態しているだけ』だろう。


「お迎えありがとうございます。ご無沙汰しております」

「ええ。まずは無事に辿り着けたことを喜びましょう。移動の疲れは、判断を鈍らせます。今宵はどうぞ、肩の力を抜いてください」


 握手を求めてくる手が分厚い。

 俺は会社員の握手の力加減で応じたつもりだったが、向こうの手のひらに吸収されて終わった。


 とはいえ、こういう『気遣いの形をした安全管理』が自然に出る人は信用できる。

 現場を知っている人間の言葉だ。


「紹介しておきましょう。孫のユメリです」


 ブルークが少し身を引くと、街灯の光の中に少女が立っていた。


「はじめまして、カッチーさん」


 アトナに聞いたのであろう、その独特な愛称で察しがつく。

 『星の天頂(スターゼニス)』の4人目だ。


「ユメリと申します。小旅行にはご一緒できませんでしたが、こうして夜の入り口でお会いできて光栄です」


 彼女は、夜の都会を擬人化したかのような、浮世離れした美しさを纏っていた。

 腰まで届くキャラメルブラウンの髪は、ハーフアップに品よくまとめられている。

 肩を大胆に露出させたアシンメトリーなドレスシャツに、身体のラインを鮮明に描くスキニーパンツ。足元のブーツまで、一点の隙もないモード系スタイル。

 冒険者というよりは、ファッション誌の表紙から抜け出してきたモデルそのものだ。


「この街の夜は、息をしているみたいでしょう」

「確かに息が荒いな。人口が多い街は、大体こうなるよ」

「ふふ。現実的ですね」


 ユメリは俺の顔を覗き込み、どこか遠くを見るような瞳で微笑んだ。

 詩的な比喩を使いつつも、その物腰は柔らかく、どこか達観したような静けさを湛えている。


 フラッフルの爆発的な情緒や、アトナの軽快なノリとは対照的な、抑制された美学。

 その静けさのまま、彼女はAランクパーティの盾役(タンク)を張っている。

 人選のロジックが、俺の知っている『適材適所』と噛み合わない。

 これほど華奢な少女が最前線で攻撃を受け止める。魔法がある世界は、配置の常識まで変えてくるのだ。


「さあ、立ち話もなんです。席を用意しておりますよ。まずは腹ごしらえと参りましょう」


 ブルークの案内で、俺たちは区内でも評判だというレストランへと向かった。


---


 中心街のレストランは冒険者向けの酒場とは違い、照明が柔らかく、椅子が深かった。

 客の声も低い。稼いでいる層の空気だ。


 運ばれてきた料理は、洗練された都市部の味だった。

 香草を効かせた肉料理、澄んだ野菜のスープ、焼き立てのパン。

 味は上品で、量は『食べさせる側の設計』になっていた。満腹にさせることより、満足させることを優先している。

 移動の疲れで萎縮していた胃が、ゆっくりと動き出す感覚がする。


 食事が進むうちに、ブルークが静かに切り出した。


「第8支部での『改革』の進捗ですが……概ね順調、と申してよいでしょうな」


 ブルークはワイングラスを傾けながら、低い声で語った。

 グラスの脚部分(ステム)があまりに細く見え、指で粉砕されないかヒヤヒヤする。


「カツラギさんが考案された『色による管理』と『項目化された査定基準』。これらは、我が支部の古参職員たちにも受け入れられております」

「抵抗はありませんでしたか?」

「最初はありましたよ。『俺たちのやり方を否定するのか』とな。しかし、ひとたび実践すれば、その効果は否応なく証明されます」


 ブルークは穏やかに言うが、ここに至るまでに相当な軋轢があったことは想像に難くない。

 組織のやり方を変えるというのは、正しさの問題じゃない。慣性と、誇りと、生活の問題だ。


「ただ、規模が大きい分、末端まで浸透するには時を要します。カツラギさんには、ぜひ明日の視察で、忌憚のない意見をいただきたい」

「はい。現場で横展開の確認をして、必要なら手直しの提案をします」


 俺の『横展開』という言葉にユメリが反応した。


「横に広げるって、波みたいですよね」


 彼女は食事の手を止め、フォークを置いた。

 基本は聞き役だが、要所で言葉が刺さるのだ。


「波?」

「一つの岸に届いた波が、次の岸に届いても、同じ形にはなりません。岩があると崩れるし、砂浜だと広がります」


 詩的だが、妙に芯を食った比喩だ。

 横展開は、現場の事情で形が変わる。

 だから『標準』は作れても、『完全な同一』は作れない。

 重要なのは、その土地に合わせて形を変える『ローカライズ』の許容範囲だ。

 変えていい部分と、変えてはいけない部分の切り分けが要る。


「岩は、どこにありますか?」


 ユメリが続けた。

 岩。それは波を砕き、流れを阻害する硬い異物。

 組織論で言うなら、それは『ボトルネック』であり『抵抗勢力』のことだ。

 俺は言葉を選んで答えた。


「人だよ。特に、変化で得をしていた人。あとは、変化で損をすると感じる人かな」

「その通りです。しかし、反発が出るのは悪いことではない。出ない方が、むしろ怖いでしょう」


 ブルークが静かに頷いた。

 これは孫娘の雑談に見えて、組織の核心に触れる内容かもしれないな。


---


 食後のコーヒーを味わいながら、仕事の話を再開した。

 俺はカップを置いて、話し始める。


「第8支部は人数が多いです。だからこそ、教育のばらつきがそのまま品質になります。チェックリストが『記入されているか』だけでなく、『正しく記入されているか』を見ないと、形だけが残って中身が抜けます」

「ええ、そこが怖い。古参は理解が早い。問題は、途中から入った者、忙しさに追われる者ですな」

「忙しさは、判断を奪います。判断を奪われた人間は、手順を省略し始めます。省略が積み重なると事故になる」


 ブルークは静かに頷く。

 俺は続けた。


「そして数字です。待ち時間、処理件数、クレーム、返品。最低限でいいから記録する。記録がない現場は、感情で運営されます」

「感情で運営されると、街は疲れますか」


 ユメリが口を挟んだ。

 比喩じゃなく、素朴な問いに聞こえた。


 記録がない組織()は、すべての判断をその場の『空気』や『記憶』に依存する。それは膨大な認知コストを現場に強いることだ。

 『あの時はどうだったか』『あの人の機嫌はどうか』。そんなことばかり考えていれば、組織は金属疲労のように内側から摩耗していく。


「人が疲れる。疲れた人がミスをする。ミスが事故になるんだ。事故が増えると信用を失う。信用を失うと、現場がさらに荒れる。どの世界でも同じだよ」


 ユメリはカップを持ち上げながら、小さく頷いた。

 ブルークが続ける。


「例外の扱いについても、伺っておきたい。スタンピードのような波が押し寄せた時、平時の手順は通りません。我々は経験で乗り切ってきた。ですが、経験は人に依存します」

「簡易フローが必要です。優先順位と権限移譲。誰が何を決めるかを決めておかないと、現場は『様子見』で止まります。止まると、怒号が飛ぶ。怒号が飛ぶと、さらに止まるんです」


 俺が言い切ると、ブルークは苦笑しながら頷いた。


「耳が痛いですな。しかし、ありがたい。私は古い人間ですが、古いなりに学びたいと思っております」


 仕事の話は、段取りに落ちていった。

 明日どこを見るか、誰に話を聞くか、帳票は何を確認するか。

 段取りが決まると、脳内の雑音が減る。

 やることが見えると、人は安心するものだ。


---


 コーヒーが半分ほど減った頃。

 俺は昼間ガンドたちと話していた『装備の安全基準』について、ブルークにも意見を聞いてみることにした。


「冒険者の装備は、最後は命の話になりますから。安全基準を、もう少し『わかりやすく』できないかと考えていまして」

「ふむ。私は道具とは、使い手と共に育つものだと思っております。使い捨てのような道具は、どうも肌に合いません」


 その言い方が、職人気質なブルークの思想を表していた。

 道具は消耗品ではある。

 だが、消耗品として扱った瞬間に、扱う側の意識も粗くなる。粗い扱いは、事故を呼ぶだろう。


 ユメリが、ぽつりと言った。


「今、この街に……新しい風が吹いているのをご存知ですか?」

「流行、の話かな」

「はい。その風は、『ファスト防具』という装いです」


 ファスト防具。

 聞き慣れない単語だ。


「最近、急に流通し始めた規格品の装備がありましてな。ユメリは、それの着用モデルを頼まれております」


 ブルークが補足する。

 ユメリはファッションモデルのような仕事を兼業しているんだったか。


 規格品の装備。

 俺の頭の中で、昼の会話と今の話が一本の線になった気がした。

 推奨装備を制度で作る前に、市場が『それっぽい答え』を先に出してしまうのは、現代でもよくある話だ。

 問題は、その答えが正解かどうかだが。

 市場の答えは、大抵は短期最適で、長期の事故コストを背負わないのだ。


「売り文句は……そうですね」


 ユメリは『ファスト防具』のキャッチコピーを続けた。


「迷わず選べる規格品。今日買って、明日にはダンジョンへ。最新のメッキ加工による全6色のカラー展開。低価格、高品質、そして圧倒的なスピード供給――」


 なんだそれは。

 まるでファストファッションのノリだな。


「価格は?」

「一式で金貨1枚。普通の鉄の鎧が金貨3枚くらいですね」


 それは安すぎないか?

 安いこと自体は悪じゃない。正義になり得る。

 だがコストは消えない。どこかに移る。

 鉄鉱石の相場、炭火の燃料費、職人の人件費、そして物流コスト。

 これらを積み上げていけば、金貨1枚という数字は、どう考えても『採算の限界点』を突き抜けている。

 それとも、製造工程のどこかに、既存の常識を根底から覆すような圧倒的な『技術革新』があるのか。


「カツラギさん。何か、胸に引っかかるものでも?」

「……いえ。合理的な仕組みには常に惹かれますが、あまりに安すぎる数字を見ると、つい『裏の工程』を勘ぐってしまうのが私の職業病でして」


 コンプライアンス的に、透明な商売であれば良いのだが。


「……ただ、出来の良い規格品を普及させて冒険者の生存率を上げる発想自体は正しい。問題は、その規格品が『基準』として機能するだけの中身を持っているかどうかですが」

「中身。見た目が揃うと、人は安心して目を閉じられますね」


 ユメリがゆっくり頷いた。

 その比喩がまた正しい。


「そう。見た目が揃ってると、人は中身を見なくなるからな」


 メッキは見た目を揃え、見た目が揃うと警戒が薄れる。

 いわゆる『正常性バイアス』が働き、チェックが甘くなる。

 警戒が薄れると、そこに事故が入り込む余地が生まれるのだ。


「で、君はモデルを引き受けるのか?」


 俺が問うと、ユメリはカップをなぞりながら答えた。


「決めかねています。……似合うかどうか、だけではないですから。私が着ることで、誰かが『これなら大丈夫』って思います。そう思ってもらえるのが、怖い時もありますから」


 影響力を持つ者の責任。インフルエンサーとしての自覚があるようだ。

 詩人は、責任の話を比喩で逃げなかった。

 ブルークが頷く。


「支部を見た後で良いでしょう。もし時間が許すなら、店も覗いてみますか。8区は流通の中心です。良いものも悪いものも、回るのが早い」


 現場を見る。帳票を見る。人を見る。横展開が『波』として届いているかを確認する。

 その上で、『ファスト防具』も見る。

 規格は足場だ。だが、一本でも緩めば、踏み外すのは現場の人間だ。


 コーヒーは少し冷めかけていた。

 温度が落ちると香りは薄くなるのに、頭は逆に冴えていく。


 明日はまず支部の視察だ。

 波の形を確かめよう。

 岩があるなら、どこにあるのかも。


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