第39話:標準化の推進、出張辞令はいつだって突然だ
慰安旅行という名の小休止から、半月が経過していた。
温泉地の湯気と共に非日常の余韻は蒸発し、ギルドにはいつもの忙しくも規則正しい、歯車が噛み合うような日常が戻っている。
だが、変化がないわけではない。
潤滑油が馴染み、以前よりも駆動音が静かになった――そんな変化だ。
昼休み。
俺はギルド併設のカフェテラスで、2人の専門職とテーブルを囲んでいた。
第4支部からの出向組である、鑑定士のガンドとヴェリサだ。
「……ンぐ、ごくっ。……ふゥ、昼のエールは格別だな」
ガンドはジョッキを空にし、髭についた泡を手の甲で拭った。
昼間からアルコール摂取とは感心しないが、ドワーフにとっての酒はガソリンのようなものだ。
燃料切れでパフォーマンスが落ちるよりは、オクタン価を高めてエンジンを回してもらった方がマシだろう。
「それで、新人たちの様子はどうかな?」
俺が尋ねると、ヴェリサがこちらを向いた。
彼女は食べ方が綺麗だ。スープの匙を運ぶ角度にまで無駄がない。
素顔を晒して食事をする姿は、以前の挙動不審さが嘘のように堂々としている。
「概ね問題ありません。チェックリストがあるので、判断の揺れが減りました。誰が見ても同じ結論に寄せられます」
「揺れ、か」
ガンドが息を漏らした。
彼は、パンを噛みちぎるたびに腕の筋が浮く。
味わうというより、粉砕工程だ。
「鎧は紙の上じゃ割れねェ。紙の上じゃ人も死なねェ。割れるのは現場、死ぬのも現場だ」
「現場で死なないために、紙に落としてるんだよ」
俺は穏やかに返したつもりだったが、喉から出た声は、自分でも意外なほど硬かった。
「勘は引き継げない。あなたたち2人がいつでも第4支部に戻れるようにして、戻っても崩れないようにしないと」
そう、現在進めているのは『業務の引き継ぎ』だ。
彼らはあくまで、第4支部からの『応援』として来ている。いずれは元の職場に戻る日が来るだろう。
その時に、また現場が混乱しないよう、今のうちに地元の職員を育成し、ノウハウを形式知化しておく必要がある。
組織論において、特定の個人に依存した業務フローは最大のリスクだ。
彼らがいなくても回る仕組みを作る。それが『冗長化』であり、管理者の務めだ。
ガンドは口を尖らせたが、反論はしなかった。
現場の人間は、言葉よりも結果を見ている。
実際、2人体制になった鑑定所は目に見えて滑らかだった。
片方が査定し、もう片方が記録と確認を回す。
判断に迷いが出れば、チェックリストが第三者として介入し、客観的な基準を示す。
揉め事が減り、手戻りが減り、待ち時間が減る。
現場の人間にとって、合理的なワークフローは『中毒』のようなものだ。
一度この『ストレスフリーな環境』を味わってしまうと、もう泥臭い根性論には戻れない。
これはある意味、俺による文化侵略かもしれないな。
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食後のコーヒーを飲みながら、俺は話を切り出した。
最近、市場に出回っている装備品の品質についてだ。
「そういえばガンド。以前話していた『安全基準』の話なんだが」
俺はメモ帳を取り出した。
「冒険者が防具を選ぶ際、何を目安にしていると思う?」
「あァ? そりゃあ『値段』と『見た目』、あとは『素材』だろうよ」
ガンドは即答した。
「だがな、素人にはその素材が本物かどうかなんて分かりゃしねェ。鉄の鎧といっても、純度や焼き入れの技術で強度はピンキリだ。そこを見極めるのが俺たちの仕事だが……買う段階じゃ、冒険者は店主の言葉を信じるしかねェのが現状だな」
情報の非対称性だ。
売り手は品質を知っているが、買い手は知らない。結果、口の上手い業者が粗悪品を売りつけ、真面目な職人が損をする『レモン市場』が形成されるリスクがある。
「そこで考えたんだが、ギルド主導で『推奨装備認定』のような制度を作るのはどうだろうか」
俺は構想を語った。
現代日本における『JISマーク』や『SGマーク』のようなものだ。
ギルドの鑑定士が品質をチェックし、基準を満たした製品にのみ『認定印』を与える。
そうすれば、冒険者は安心して装備を選べるし、粗悪品による事故も減らせるはずだ。
「……なるほどな。悪くねェ発想だ」
ガンドは顎髭を撫でながら頷いた。
「確かに、俺たちが太鼓判を押した防具なら、新人も安心して買えるだろう。職人としても、腕を認められるのは悪い気はしねェ」
「ですが、カツラギ様」
ヴェリサが控えめに手を挙げた。
「それを行うとなると、特定の商会や鍛冶屋をギルドが『依怙贔屓』しているように見えませんか? もし癒着を疑われたら、ギルドの信用に関わります」
鋭い指摘だ。
公的な立場にあるギルドが、特定の民間業者にお墨付きを与えることは、利益誘導と取られかねない。
『あの店はギルドのお気に入りだから認定された』という噂が立てば、制度そのものが腐敗する。
「……その通りだ。公平性を担保するコストが掛かりすぎるか」
「それに、量産品を否定するわけじゃねェが」
ガンドがジョッキの底を見つめながら言った。
「決まった型で作る量産品は、安くてそこそこの性能だが、面白味はねェ。逆に、職人が魂込めた一点物は、性能は良いが高いし癖もある。一律の基準で『これがいい』と決めつけるのは、ちと乱暴かもしれねェな」
工業製品としての『規格化』と、工芸品としての『作家性』。
この世界にはその両方が混在している。
それを一つの物差しで測ろうとするのは、時期尚早ということか。
「難しいな。やはり、地道に『見る目』を養わせるしかないか」
俺はペンを置いた。
アイデアとしては悪くないが、政治的なリスクと運用の手間が見合わない。
この案は一旦保留――あるいは、廃案だな。
「……昔、修行時代にな。俺とは真逆の考えを持つ男がいたンだ」
ガンドは遠い目をして、ジョッキの縁を親指でなぞった。
「道具に魂なんてねェ、あるのは性能とコストだけ。そう言い切る、氷みてェな野郎でな。腕は確かだったが、作るモンに血が通ってねェ。『一生物を作ったら、買い替え需要が死ぬ』だとよ」
計画的陳腐化。
製品の寿命を意図的に短くし、買い替えを促す現代の消費経済モデルだ。
この世界にも、そんなドライな視点を持つ職人がいるのか。
「職人としては優秀だが、鍛冶屋としては三流だ。……今どこで何してるかは知らねェがな」
ガンドにとって、道具とは使い手と共に育つ『相棒』なのだろう。
『消耗品』として割り切る考え方は、生理的に受け付けないのかもしれない。
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午後2時。
俺は今、王都8区へと向かう乗り合い馬車の中にいる。
ガタゴトと、一定のリズムで伝わってくる振動が、座席のクッションを介して俺の腰を刺激する。
窓の外には、王都の喧騒が遠ざかり、街道沿いののどかな田園風景が流れていた。
今回、俺に下されたのは『第8支部における業務改善導入状況の監査』という名目の出向辞令だ。
第9支部で俺が構築した『標準化モデル』が、他の支部にどれだけ定着しているか。
それを提言者本人の目で確認してほしい、という第8支部のギルド長からのオーダーである。
俺は膝の上の鞄を押さえ、窓から外を見た。
道は王都中心へ向かう幹線に合流し、交通量が増えてきている。
荷馬車が列を作り、徒歩の人間が道の端を歩き、時折、騎馬がその間を縫うように駆けていく。
舗装はされているが、決して綺麗ではない。轍の溝が深く刻まれ、継ぎ接ぎのような補修跡がまだら模様を作っている。
整備されているようで、完全ではない。
この世界のインフラは、大体そんな感じだ。
機能はしている。しかし、効率はまだ伸びる。伸びる余地があるというのは、つまり、伸びていない『理由』があるということでもある。
視察とは、結局のところ『現場の空気』を嗅ぐことだ。
書類は嘘をつかない。だが、書類だけが真実でもない。
数字は正しくても、運用が腐っていれば未来は腐る。
運用が正しくても、システムに抜け道があれば、いずれ誰かがそこに落ちる。
俺はそういう落とし穴を、今まで何度も見てきた。
第8区は王都でも有数の巨大なベッドタウンだ。
インフラが整備され、人口が多い――という情報は頭に入っている。
しかし、頭の情報と現場の空気は別物だ。改善の横展開が順調に見えるほど、俺は逆に警戒する。
『見えるもの』は、作れるからだ。
待ち受け掲示板を設置した。明細書にチェックリストを入れた。倉庫を色分けした。
ここまでは『やったこと』として、報告書には残る。
だが、それが『回っているか』は別問題だ。
記入の形だけ残って、中身が空なら意味がない。
色分けだけして、忙しい日は無視されるなら意味がない。
ルールが厳しくなれば、必ず抜け道を探す人間が出る。
仕組みを作った人間の責任は、仕組みが破られたときに終わりではない。
破られ方を見て、次の床を敷くところまで続く。
馬車が段差を越え、大きく揺れた。
鞄が膝から滑りそうになり、俺は反射的に押さえた。
落とし穴は、いつもこういう揺れの中で見つかるものだ。
ふと、笑いが込み上げた。
異世界で、元総務課長代理が、出張している。
剣も魔法も使えないくせに、俺が見ているのは戦場ではなく、帳票と運用と人間の癖だ。
派手な達人の戦いとは無縁の場所で、地味に、しつこく、足場を組む。
だが、その足場がないと、人は踏み外して死ぬ。
それだけは、現代でも異世界でも変わらない真理だ。
御者が短く声を上げ、馬車が速度を落とした。
前方に関所のような建屋が見え、荷馬車の列が詰まり始めている。渋滞だ。
8区に近づけば、こういう詰まりも増えるだろう。
俺は背もたれに頭を預け、目を閉じた。
8区では、『改善が定着しているか』を見る。
そして、もし誰かが踏み外しそうなら、足場をもう一段組み足す。
ただそれだけだ。
――半月前、温泉で湯に浸かりながら『少しは楽になった』と思った自分に言ってやりたい。
楽になった分だけ、次の仕事が見えてくる。
結局、楽になった気がするのは、地獄の階層が一段上がっただけだ、と。
馬車の揺れが、少しだけ大きくなる。
俺は目を開け、窓の外を見た。
遠く、地平の先に、建物の密度が濃くなっていくのが分かる。
人の流れが太くなり、道が広がり、『王都の肺』のような巨大な区画が近づいてくる。
王都8区。
次の現場が、もうすぐそこにある。




