第37話:安全装置の実装、感覚派への指導は骨が折れる(後編)
「ワタシ、まだやれるよ」
俺たちが歩み寄ると、フラッフルは杖を強く握りしめたまま、抗議の視線を向けてきた。
その目は負けん気で光っている。
「ダメだ。今の君は思考停止して杖を振っているだけだ」
感情を挟まず、事務連絡みたいな口調で断言した。
「俺が見ても、魔法が制御できなくなっているのがわかる。そんな状態で何百回繰り返したところで、悪い癖が体に染み付くだけだ」
フラッフルは、じっと俺を見つめていたが、やがて観念したように杖先を下げた。反論は、口から出る前に喉で潰したらしい。
「はい、お水です」
ルティアが差し出した水筒を、フラッフルは受け取る。
「……ん、ありがと、ルティアさん」
喉を鳴らして水を煽り、息を吐く。
物理的な冷却を得て、少しは頭の熱も引いただろうか。
「人間の集中力なんてものは、そう長くは続かない。特に今回のような精密な制御を求めている時は尚更だ」
俺は近くの岩場を指差した。
「これからは時間を区切る。25分集中して練習し、5分休む。これを1セットにするんだ」
「……そんなに細かく休むの?」
「ああ。脳が疲労を自覚する前に強制的に休ませることで、高い集中力の質を維持し続けるんだ」
いわゆるポモドーロ・テクニック。
時間管理術だが、本質は注意力の運用ルールだ。魔力制御の訓練にも、そのまま転用できるだろう。
根性で時間を引き延ばすのは、効率の悪い燃焼だ。短時間で燃やして、冷まして、また点火する。
質の低い残業は百害あって一利なし。社畜の経験が保証する。
「そのような練習技術があるのですね」
エリンの声に、俺は肩をすくめるだけで返した。大げさな話じゃない。
「俺も、勉強や作業に追われていた時に実践していたことがあってな。人間の集中力が持続しやすい、『ちょうどいい長さ』で区切るんだ」
出しっぱなしにすれば息切れする。だから、短い全力と短い回復を繰り返す。
「時間を気にしなくていいよう、25分経ったら俺たちが声掛けして、5分休憩。これの繰り返しだ。まあ、その25分は絶対じゃない。集中が乗るなら長く、息が上がるなら短く。要は自分に合う長さを見つければいい」
「なるほどですね……私もつい根を詰めてしまうので、参考になります」
おそらくエリンは、放っておけば何時間でもぶっ通しでやるタイプだな。
真面目さは美徳だが、集中は燃料じゃなくて出力だ。出しっぱなしにすれば、いずれ制御が乱れる。
「ふーん。……せっかくだしオジサンの言う通りにしてあげる」
フラッフルは杖先を地面に伏せ、倒れない角度に収めてから腰を下ろした。呼吸は静かで、視線を一点に固定している。
減らず口のわりに、切り替えは優等生だ。試すと言えば試す。そういう実行力のほうが、愛想よりよほど信用できる。
5分の休憩が終わると、俺は魔力干渉を行い、出力を絞った感覚を彼女の身体にもう一度なぞらせた。
「……うん、この感じ」
フラッフルは深く息を吐き、杖を構える。
その瞳は澄んでいた。先ほどのような濁った焦りはなく、静かな集中力が戻っている。
「火よ、穂先に宿れ……」
詠唱と共に、魔力が練り上げられる。
彼女は慎重に、自身の内側にある見えないバルブを操作しているようだった。
俺は邪魔にならないよう、ルティアたちと共に再び後方へと下がった。
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フラッフルを見守りながら、俺たちは雑談に戻っていた。
「じゃあアトナは、ナイフを武器にしてるのか」
「ナイフに魔力を纏わせて強化しつつ……だねー」
自分の身体能力を底上げしたり、武器そのものを強化したり。魔力ってのは、つくづく便利なエネルギーらしい。
俺にもそれがあれば選択肢はいくらでも増えたんだろうが、現実は違う。配られたのは、よく分からない特殊能力だ。地味だし説明もしにくい。ただ、便利ではある。
「武器……か」
そういえば、以前から気になっていたことがあった。
「ルティアは素手だよな? 以前一緒にダンジョンに行った時も素手だった気がするが。武器は持っていないのかな?」
彼女も後衛担当だったが、神官職なら杖なり鈍器なりを携えているイメージがある。だが、武器を持っていた記憶はない。
「えっと、私は攻撃には参加していませんでしたが……」
ルティアは立ち上がると周囲を見回し、少し離れた空きスペースへ移動した。
両手を胸の前で合わせ、深く息を吸う。
次の瞬間、指の隙間から淡い光が漏れた。光はふわりと散らず、糸のように細く、正確に彼女の右拳へ巻き付いていく。包帯――いや、手甲のような形を作りながらだ。
拳が白金に染まり、輪郭が一段だけ強くなる。熱はなく、清潔な光だった。
「……これで」
彼女は何もない方向に拳を向け、短く打ち込む。殴るというより、力の入れ替えを見せる程度だ。
光が一瞬だけ弾け、足元の小石が2、3個転がった。床の表面が、薄く削れたみたいに筋を引く。焦げはない。ただ、刃で撫でたように整っている。
これは武器を持っていないんじゃない。武器を持つ必要がないだけだ。下手なメイスよりよほど厄介だろう、これは。
「……攻撃に参加しない、っていうのは」
「私は回復役でしたので……」
口調は相変わらず遠慮がちなのに、拳の光だけは容赦がない。
俺は小さく息を吐いた。こういうのを素手と呼ぶのは、現実逃避に近い。
「……見事な『魔法武術』ですね」
横で見ていたエリンが、感心したように呟いた。
回復魔法の使い手でありながら、敵が近づけば光る拳で迎撃する。
見た目と中身は清楚な聖女だが、存外に武闘派らしい。
回復が苦手っていうのは、要するに火力に偏ってるだけでは……と思ったが、口にはしないでおこう。
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数セットのサイクルを繰り返していると、フラッフルは90パーセントぐらいの制御を落とさなくなってきていた。
暴走こそしないが、依然として出力は過剰なままだ。だが、確実に進歩はしている。
「……よし、今日はここまでにしよう」
懐中時計の針は、すでに正午を回っていた。
人間の集中力には上限がある。これ以上続けても効率が落ちるだけだし、何より腹が減った。
「……待って」
フラッフルが、強い視線で俺を制す。
「あと一回。最後にあと一回だけ。……今、掴めそうなの」
その目は、駄々をこねる子供のものではない。成果を目前にした技術者の、渇いた光を宿していた。
この状態で止めるのは、逆に悪手か。
「……わかった。ラスト一回だな」
俺が頷くと、フラッフルは深く息を吸い、杖を構え直した。
「火よ、穂先に宿れ。そして、形となれ」
放たれた火球は、バレーボール大――とまではいかなかった。
だが、暴走した質量ではない。
収束した1メートル級の火の玉が、一直線に床へと向かう。
重い炸裂音が響き、火柱が上がった。
ホール全体を揺るがすような余波はない。
「……50パーセント、ってところか?」
俺が呟くと、フラッフルは振り返り、額の汗を拭いながら口元を緩めた。
「うん。でも、制御できてる感覚はあったの」
「そうだな。意図した出力まで下げきれていないだけだ」
0か100かではない、50が出せた。
これは大きな進歩だ。少なくとも、周囲を巻き込む『災害』から、強力な『兵器』レベルには落とし込めている。
「よし、撤収だな」
これなら胸を張って帰れるだろう。
「また余裕がある時に練習するといい」
「うん。ありがと、オジサン」
彼女は満足げに頷くと、軽い足取りで出口へ向かった。
ルティアもその横に並び、二人はさっそく楽しげに何かを話し始めている。
その背中を見送りながら、俺もゆっくりと後に続いた。
改めて実感する。この世界の冒険者というのは、俺の常識では計り知れない規格外の存在だ。
理屈やセオリーといった常識を、圧倒的な力技でねじ伏せてしまう。
だが、そんな超人じみた彼女たちでも、相応の悩みや不具合を抱えていることが分かった。今回はたまたま、俺の地味な能力がその解決のピースとして噛み合ったに過ぎない。
それでも手応えはある。管理、段取り、効率化、そして安全の考え方は、相手が超人でも通用する。
要するに、やりようはある。
全員を同じ型に押し込む必要はない。個々の能力に合わせた安全基準を作り、運用していけばいい。
そんなことを考えていると、横に並ぶ気配がした。
視線を向ければ、歩調を緩めたアトナが俺の隣を歩いている。
「今日も温泉楽しみだねい。カッチーも一緒に入る?」
「いや、入らない。というか入れないだろ」
混浴ではないし、コンプライアンス的にもアウトだ。
……というか、カッチーとは何だ。
いつの間にかあだ名を付けられている。
すると反対側に、音もなくエリンが並んだ。
「お背中、お流ししますよ」
彼女はいつもの鉄仮面のまま、事も無げに言った。
冗談なのか本気なのか、その表情からは一切読み取れない。
おそらく彼女なりの感謝の表現なのだろうが、冗談であることを祈りたい。生真面目な顔で言われると、ツッコミの着地点に困る。
「いや、それはお気持ちだけで……ん?」
前方を見ると、フラッフルが足元をふらつかせているのが見えた。
さすがに疲労が来ているのだろう。ルティアに半ば支えられている。
俺は左右の二人から距離を取る口実も兼ねて、声を飛ばした。
「フラッフル、ふらっふらじゃないか、気をつけろよ」
……言ってから気づいた。
狙ってはいない。断じてダジャレのつもりではない。
だが、アトナは「さすがにそれは」と、冷めた視線を向けてくるし、フラッフルは信じられないようなものを見る顔をしている。ルティアに至っては、気まずそうに両手で口元を覆っていた。
違う。たまたま、『今の状況』と『名前』が不幸にも噛み合っただけなんだ。俺は被害者だ。
そして、エリンの反応は──。
「ふふっ……ふ、ふふ……ふはっ、ふははははっ」
まさかの大爆笑。
いつも無表情な彼女が、肩を震わせている。
「エ、エリン……どうした?」
「ふは、ふはは……カ、カツラギさんは、ユーモアのセンスも、おありなのですね……ふふっ」
違うんだって。俺は今、事故を起こしただけなんだ。
だが訂正する前に、エリンはさらに息を吸って、また笑う。どういうツボの入り方をしているんだ。
彼女の笑いの沸点は、俺の理解を超えた場所にあるらしい。
笑い続けるエリン。冷めた目のアトナ。不服そうな顔のフラッフル。気まずく口元を押さえるルティア。
騒がしい一行の中心で、俺は小さく溜息をついた。
……まあ、成果は上々だ。
午後からは、心置きなく休暇を満喫させてもらおう。




