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第36話:安全装置の実装、感覚派への指導は骨が折れる(前編)

 翌朝。


 朝食を済ませた俺たちは、昨日も訪れたダンジョンの入り口――あの石段を降り切った先にある、広いホールへと来ていた。


 ここはモンスターが発生しない安全地帯だ。ドーム状の天井は高く、空気がよく回る。

 何より、周囲は燃えるもののない石壁と石畳だけだ。フラッフルという名の『歩く火薬庫』を試運転させるには、これ以上ないほど贅沢な燃焼実験場といえる。昨日のような爆炎による被害も起こらないだろう。


 エリンはクエストのノルマを消化するため、早々に一人で奥へ向かった。

 ホールに残ったのは俺とフラッフル、ルティア。そして、万が一の際の消防班としてアトナが控えている。

 リスク管理としては、ほぼ完璧な布陣だ。


「付き合ってもらって悪いな」

「いえいえ。お仕事だし、フラッフルのためでもあるしー」


 アトナは胸を張って言った。


「昔はよくあの子の魔法に巻き込まれちゃってー、そのおかげでウチも防御魔法が得意になっちゃったなあ」


 軽い調子で笑っているが、どうやら彼女の鉄壁の防御力は、身内からの誤射によって叩き上げられた賜物でもあるらしい。

 しかし、昨日より距離が近くなっている気がするな。


 ホールの中心付近。

 大きな帽子を目深に被り、愛用の杖を構えるフラッフルの背中が見える。


 昨晩、迷子だった少女はどこにもいない。呼吸を整え、精神を研ぎ澄ませているその佇まいは、Aランクパーティの火力担当としての矜持をこれでもかと主張していた。

 オンとオフの切り替えが極端だが、仕事モードに入った時の集中力は本物だ。そこだけは頼もしい。


「準備はいいか?」

「うん、こっちはいつでもいけるよ」


 フラッフルが短く応える。

 俺たちはそこから10メートルほどの距離を取っていた。


 やることは、昨日アトナ相手に試した出力調整と同じだ。

 相手が安定した優等生から、制御不能な暴走システムに変わるだけ。元は同じ魔力なのだから、理屈は同じはずだ。


「火よ、穂先に宿れ。息を得て、形となれ」


 昨日の「やっちゃえー」みたいな適当なものとは違う、しっかりとした魔法詠唱だった。

 正規の手順を踏んでいる。ならば、まともな結果が出ても良さそうなものだが――杖の先に灯った赤い光は、膨張を始めた。


 昨日見た、あの『軽自動車サイズ』の巨大火球が脳裏をよぎる。

 一直線に加速していく暴走機関のような魔力の奔流。

 放っておけば、すぐに直径2メートルの熱源が顕現するだろう。


 俺は左手の甲に右手を添え、『魔力干渉』を発動させた。

 魔力の流れが視覚化される。


 アトナの時は整然とした電子回路のようだった。素直で、筋が通っている。

 だがフラッフルのそれは、荒れ狂う泥流。勢いだけで押し切ろうとする、扱う側の感情まで巻き込んでくるタイプの流れだ。


 俺は脳内の『可変電源ユニット』のつまみを、強引にゼロの方向へ回すイメージを重ねる。

 100の出力を、10へ。


 ブンッ、と、鼓膜の奥を揺らすような低い音が響いた。


 フラッフルの杖先で膨れ上がろうとしていた赤光が、嘘のように動きを止める。

 そこにあるのは、バレーボールほどの大きさの火の玉だ。

 爆発も拡散もしない。一定の形状を保ったまま、ゆらゆらと、しかし力強く赤く燃えている。


「……あ」


 フラッフルが呆然とその火を見上げていた。

 熱波で帽子が吹き飛ぶこともない、制御された燃焼。派手さが消えた代わりに、安全が見える火だ。


「……これ、6歳の時と同じ……」

「なに?」

「ワタシが6歳ぐらいの時に使った魔法が、これぐらいの大きさだったの」


 懐かしむような声。

 成長とともに魔力量だけが増え、器である本人の制御能力が置き去りになったわけだ。ハードウェアの性能だけが上がりすぎて、OSの制御範囲を超えた悲劇。

 才能(スペック)の高さに、自分自身が殺されていたのだろう。


「感覚はどうだ?」

「うーん……上手く言えないけど……なんだか、詰まってる感じ」


 俺は魔力がない。魔法も使えない。

 だから、その感覚を本当の意味で理解してやることはできないし、共感もできない。魔導師として具体的な指導なんて当然できない。

 俺にできるのは、外側から無理やりフタをして、正常な結果を提示してやることだけ。いわばデバッグ用の正解ログを見せる係だ。


「俺には分からん世界だな。……だが、結果として火は小さくなっている」


 そう言って、燃える火の玉を指差した。


「なら、その詰まっている感覚を頼りにすれば、上手くいくってことだな」

「……うん」


 フラッフルが杖を振るう。

 放たれた火の玉は膨張することなく一直線に飛び、床に当たって小さく弾けた。乾いた音。控えめな火柱に、小さな焦げ跡が一つ。


「……できた」


 フラッフルが、自分の杖と壁の焦げ跡を何度も見比べている。

 それは単なる魔法の成功じゃない。数年間失っていた『自分自身のコントロール』を取り戻した――ということなのだろう、おそらくは。


「次は俺の補助なしだ。今の感覚、再現できそうか?」


 俺が問うと、彼女は杖を握り直し、ゆっくり頷いた。

 そこにあるのは期待というより、未知の不具合に挑む時の、静かな執念のようなものだろう。まるで技術者の目。嫌な予感がするくらい真剣な目だ。


「……やってみる」


 フラッフルは再び杖を構えた。

 俺は手を出さない。ここから先は、俺の能力の問題ではない。

 提示された正解のサンプルを、彼女がどう自分の中に落とし込むかの勝負だ。


「火よ、穂先に宿れ……」


 先ほどと同じ詠唱。

 だが、その体内を巡る魔力に対して、彼女は今、必死に『蛇口を調整するような感覚』を探っているのだろう。


「……形となれ」


 火の玉が膨らむ。

 バレーボール大を維持することはできず、先ほどよりも一回り、二回りと膨張していく。やはり、そう簡単にはいかないか。

 だが、昨日の『軽自動車サイズ』ほどではない。膨張と収縮を繰り返す歪な火球が、杖先から放たれた瞬間に加速していく。


 石畳へ激突すると、火柱と共に重い爆発音がホールに響いた。

 床には、1メートルほどの巨大な焦げ跡が刻まれている。


「……まだ、大きい……でも」


 フラッフルは杖を構えたまま、納得のいかない様子で壁の焦げ跡を凝視している。


「昨日が全力の100だとしても、今の出力はそこまでじゃなかったな?」

「……うん。ちょっとだけ、引っかかる感じがしたの」


 俺の言葉に、彼女は視線を壁に固定したまま答えた。

 完全に抑えられなくても、制御の手掛かりになる『抵抗感』は掴めたらしい。

 成功体験は劇的でなくていい。『自分でも変えられる』という微かな手応え。その1ミリの進歩が、絶望を『業務上の課題』に変える。課題になった瞬間、人はなぜか前を向ける。皮肉だが、便利な心理だ。


 フラッフルはブツブツと何事かを呟きながら、再び壁に向かって魔法を撃ち込み始めた。

 俺たちはその邪魔にならないよう、少し離れた岩場に腰を下ろして様子を見る。


 すると、通路の奥から一定のリズムを刻む足音が聞こえてきた。


「戻りました。完了です」


 エリンだった。

 トレントの魔石回収は残り2個だけだったとはいえ、早い。簡単なクエストだと言っていただけある。


「フラッフルは、どうでしょうか?」

「希望はありそうだよ。確証があるとはいえないが、あとは本人の努力で何とかなるんじゃないか」


 俺の言葉に、エリンはいつもの表情のまま、フラッフルの背中を見つめた。

 相変わらず読み取れないが、その視線は厳しい評価者のようでもあり、純粋に仲間を案じているようにも見える。


 俺たちはしばらくそのまま、フラッフルの練習を見続けた。


---


 見守りながら雑談をしていると、話題はエリンの剣技へと移っていた。

 あの無駄のない所作は、一体どのような環境で育まれたのか。


「家族が剣の道を進んでいたので、私も必然とその道を歩むようになりました」


 エリンは燃え盛る炎を眺めながら、淡々と答えた。

 親の背中を見て育ったわけか。職人の世界ではよくある話だ。


「家族というと、ご両親とかかな?」

「はい。私の場合、父と母と叔父と伯母、父方と母方両方の祖父母が剣聖です」


 ……多いな。

 王都でも有数の存在であるはずの『剣聖』が、バーゲンセールのように揃っている。

 まるで剣聖の総合商社じゃないか。


「王都の剣聖の半分はエリンの家族で占められてるよねえ」

「それは……そう、みたいだね」


 アトナが茶化すように補足しても、エリンは表情を変えずに答えた。

 事実をただ事実として肯定する。そこに驕りも謙遜もない。

 剣聖の寡占市場。血統そのものがブランドで、しかも品質保証付き。サラブレッドという言葉すら生温い、徹底した品種改良の成果を見るようだ。


「確か剣神、というのが最高ランクなんだったか」

「はい。ですが、設定されているだけで現在は誰も認定されていません。伝説の勇者の仲間にそう呼ばれていた剣士がいた、とのことですが」


 会社組織でいうところの名誉会長や創業者のようなものか。

 ポストとしては存在するが、実質的には空席となっている伝説の席。

 人は空席に勝手な理想を詰め込みがちだ。詰め込むだけなら無料だからな。


「もちろん、同じ剣聖の中でも実力は幅広くありますので、私は末端となります」


 エリンは淡々と言った。

 だが、その末端の基準がおかしい。

 偏差値90の集団の中で最下位だとしても、世間一般から見れば天才であることに変わりはないのだ。

 彼女の自己評価が妙に低いのは、周囲の環境があまりに高レベルすぎるせいだろう。一種の環境要因による認識の歪みだ。


 そんな化け物じみた家系図の話を聞きながら、俺は前方で杖を振るい続けるフラッフルに視線を戻した。

 練習を開始してから、それなりの時間が経過している。


「あれだけフルパワーで使い続けて、魔力は切れないものなのか?」

「数時間程度なら問題ありませんね。さすがに半日などの長時間ならわかりませんが」


 燃費は最悪だが、タンクの容量が桁外れということか。

 エリンは平然と答えた後、ふと独り言のように続けた。


「……正直なところ、フラッフルの魔力制御については現状、諦めていました。身体の成長を待つしかない……そう思っていたのですが」


 エリンが視線をフラッフルから俺へと移す。


「カツラギさんには感服させられますね」

「大したことはしていないさ。たまたま俺の能力が噛み合っただけだよ」


 謙遜でも何でもない、事実その通りだからな。

 俺がやったのはただのきっかけ作りだ。だが、そのきっかけすら掴めずにいた彼女たちにとって、それは大きな一歩だったのだろう。


 そう思った、矢先のことだ。

 前方から響く爆発音が、明らかに質を変えた。


「……制御ができなくなってきたな」


 最初はそれなりに……90や95ぐらいで制御できていた火球が、ここ数回は明らかに巨大化している。

 床に叩きつけられた爆炎が、制御を失った高い火柱となって巻き上がっていた。衝撃音も、不快なノイズ混じりだ。


 燃料があっても、エンジンの方が焼き付いてしまっては意味がない。典型的な悪循環。

 疲労で精度が落ち、失敗し、焦ってさらに雑になる。

 今のフラッフルは、正しいフォームを固める練習をしているのではなく、失敗する感覚を体に刷り込んでいるだけだ。


「集中力が切れてきたか。根を詰めすぎだな」


 人間の集中力の持続時間は、長くても90分が限界と言われている。

 気合いで超えられるのは、せいぜい限界の1回までだ。2回目はただの事故になる。


「フラッフル! 一旦ストップだ、休憩を入れよう」


 俺は声を張り上げた。

 暴走しかけた現場は、誰かが明確に「()める」と言う必要がある。やる気ではなく、安全の話だ。


 規格外の強さを持つ彼女たちだが、自己管理の面ではまだ未熟な部分があるらしい。

 根性論で押し切ろうとするその姿勢を見るに、どうやら現代人のやり方で口を挟める余地は、まだ大いにありそうだ。


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