第34話:福利厚生の適正運用、美味しい食事は投資になる
通されたのは、食堂の奥にある窓際のテーブル席だった。
俺とルティアは、テーブルを挟んで向かい合わせに腰を下ろしている。
天井の高い広々としたホールには、暖炉の暖かな光と、天井から吊るされた魔導ランプの柔らかな明かりが満ちていた。
明るすぎず、暗すぎず。人の気配が落ち着く濃度で漂っている。
露天風呂は運良く貸切状態だったが、この時間帯の食堂にはそれなりに人が集まっているようだった。
冒険者グループや、観光客と思しき家族連れが、思い思いにグラスを傾けている。
騒がしすぎず、かといって寂しくもない。おかげで、周囲の喧騒が心地よいBGМとなっていた。
給仕の女性が手際よく準備を整えていく。
卓上コンロのような魔導具の上には、ずしりと重そうな土鍋がセットされた。
その横の大皿には、芸術的なまでに美しく盛り付けられた肉の山。
鮮烈な赤身と、雪のように白い脂身のコントラスト。薄くスライスされた大猪の肉が、まるで大輪の牡丹の花のように皿一面に咲き誇っている。
「綺麗ですね……」
向かいから、感嘆の声が漏れた。
ルティアの目が、皿の『牡丹』に吸い寄せられている。美術品でも眺めるみたいに、素直に見惚れているようだ。
「……よし。煮えるのを待つのも酷だ。始めようか」
「はい。……えっと、カツラギさん」
「うん?」
「スタンピード、お疲れ様でした。皆さんと……カツラギさんのおかげで、無事に乗り越えられましたね」
改めて言われると、喉元を過ぎた熱さが、心地よい達成感として胸に落ちてくる。
仕組みを構築し、現場の判断を平準化する。俺がやったのは、そんな退屈な事務仕事の延長だ。
チートエルフという例外の活躍もあって、結果として組織の安定稼働は維持された。
「まあ、俺は寝てただけだけどな」
「ふふっ、そうですね」
俺たちは軽くグラスを合わせ、ささやかな宴を始めた。
ぐつぐつ、と土鍋から音が立ち始める。
味噌の焦げるような芳醇な香りが立ち上り、鼻腔をくすぐった。
煮立った出汁の中に、大猪の肉をくぐらせてやる。
赤身がさっと桜色に変わり、白い脂身が透明感を帯びていく。
食べごろだ。
俺は小皿に取り分け、ふうふうと冷ましてから口に運んだ。
……美味い。
心の中で、思わず唸った。
まずは味噌の香ばしさと、出汁の旨味が先制攻撃。
次の瞬間、大猪特有の力強い弾力が歯を押し返し、そこから溢れ出した肉汁が、問答無用で口の中を蹂躙していく。
完全に、味の暴力だ。
「んんっ、美味しいですっ……」
驚くべきは脂身だな。
野生動物特有の臭みなど微塵もない。とろりと舌の上で溶け、濃厚な甘みだけを残して消えていく。
その脂の甘みを、コクのある味噌が見事に受け止める。
強い。文句なしに強い。
「とろけて、美味しい……」
これは酒が進むぞ。
冷えたエールを一口あおり、口の中の脂を洗い流してやる。
相性が良すぎる。危険な組み合わせだ。
最高のマリアージュだな。
「お魚も美味しいですねっ……」
焼き立ての岩魚にフォークを伸ばした。
パリッとした皮目と、ふわふわの白身。
清流の香りを含んだ上品な味が、濃厚な味噌鍋の合間に、ちょうどいい緩衝材として割り込んでくる。
「はふっ……サクサクで美味しいです……」
付け合わせの山菜の天ぷらも抜かりない。
冬を越えた山菜特有のほろ苦さが、岩塩によって引き立てられている。
大人向けの味だが、この苦味が、脂と旨味で殴られ続けた舌を、強制的にリセットしてくれた。
「んふぅ……美味しい……」
……それにしても、ルティアは本当に美味しそうに食べるな。
ぽつりと漏れる「美味しい」に、全部が詰まっている。難しい食レポはいらない。心からそう思っている顔を見れば、こっちの満足度まで底上げされる。人間の感情は、こういうところが合理的じゃない。だが、合理的じゃないから価値がある。
結局のところ、俺は二つのものを同時に味わっているらしい。
山の幸と、向かいで食事を進めている彼女の姿だ。
どちらも主張が強い。どちらも遠慮がない。
だが、どちらも不思議と胃にも気分にも重く残らない。
味の暴力を受け止めながら、こちらはただ酒をあおり、皿を空にしていくだけだ。
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しばらく、充実した食事の時間が流れた。
鍋の具材が半分ほど減り、お互いに一息ついた頃合いを見計らって、俺は口を開いた。
「露天風呂、よかったな」
「はい、そうですね。星空がとても綺麗でしたし……皆さんとも、色々お話ができました」
ルティアは目を細めて微笑んだ。
「皆さん、とても楽しい方たちですね。私、もっと仲良くなりたいなって思いました」
「よかった、それは何よりだ」
俺は安堵と共にグラスを傾けた。
『星の天頂』のメンバーは優秀だが、個性が強すぎる。
生真面目なルティアが気圧されてしまわないか心配だったが、どうやら杞憂だったらしい。
裸の付き合いというのは、案外馬鹿にできないものだ。
「そういえば、俺の方も中々に強烈な先客がいてな」
「先客、ですか?」
「ああ。品の良い老紳士だと思っていたんだが……凄かった。今まで見たことのない筋肉をしてたよ」
苦笑交じりにそう伝えると、ルティアは「あっ」と小さく声を上げた。
「白髪で、お髭を生やした方ですか?」
「その通りだが……心当たりがあるのか?」
「はい。アトナさんにお聞きしたのですが、ユメリさんのお祖父様かもしれません」
「ユメリさん? ああ、今回来られなかった『星の天頂』の4人目か」
「そのユメリさんのお祖父様が、第8支部の新しいギルド長に就任されるそうで……その前の景気づけに来られたそうです」
俺は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
慌ててエールで流し込み、咳払いをする。
「……なんだって? あの老紳士が、隣の支部のトップ?」
「はい。元Sランクパーティの冒険者だったそうです」
只者ではなさそうだとは思ったが、まさか元Sランクだとは。
オルガもそうだが、ギルド長ともなるとそういう経歴が必要になってくるのだろうか。
書類仕事の達人である以前に、『いざとなれば腕で黙らせられる』ことが求められるのかもしれない。
組織のトップが強い、というのは分かりやすい統治コスト削減策だ。理不尽だが効く。
「……世間は狭いな」
「ふふっ、そうですね」
顔を見合わせ、同じ感想を共有する。
「それにしても、飯は美味いし、温泉もいい。レナンセムが選んだのもわからなくはないな」
苦笑交じりに言うと、ルティアも楽しげに笑った。
「そうですね。レナンさん、半年間も滞在されていたなんて、凄いです」
「半年、か。……普通なら飽きそうなものだがな」
いくら快適とはいえ、娯楽の少ない山奥だ。俺のような現代人なら、一週間もすれば退屈で死にそうになるだろう。
山奥の景色など、俺の世界の田舎とそう変わらない。
むしろ、整然と区画整理された街並みの方が、俺にとってはよほど新鮮で落ち着く光景だ。
「エルフの時間感覚だと、半年なんて『ちょっとした連休』ぐらいの感覚なのかもしれないな」
「私たちにとっての数日が、レナンさんたちにとっての数ヶ月……みたいな感覚なのでしょうか?」
「ありえなくはない話だ。だとしたら人生の余暇がたっぷりとあるわけか」
あのお局エルフが、優雅に紅茶を飲みながら時間を浪費している姿が目に浮かぶ。
人間が履歴書に半年間の空白を作れば、社会復帰のハードルが上がる致命傷になりかねないが、長命なエルフにとっては有給消化ですらない、ほんの離席感覚なのだろう。
時間という資産の保有量が、桁違いにインフレしている。これこそが、埋めようのない種族間格差というやつか。
「レナンセムといえば、いずれ約束を果たさないとな」
「約束、ですか?」
「ああ。ほら、例の『魔導複写画板』の開発費の件で……」
スタンピードの打ち上げの場で突きつけられた、法外な請求書。
その肩代わりとして約束させられた案件だ。
「あっ……レストランで、フルコース……でしたね」
「そうだ。高級レストランでの食事会だな。……高くつくが、約束だからな」
俺はエールを一口飲んで、溜息を噛み殺した。
自腹は痛いが、あれだけの高性能魔導具を開発させた対価だと思えば、安いものだ。
いわば、高性能だが燃費の悪いエルフを稼働させるための『定期メンテナンス費』、あるいは『必要経費』と割り切るべきだろう。
「問題があるとすれば、ドレスコードだな。当然、礼服なんて持ち合わせてはいないんだ」
「でしたら、みんなでレンタルしに行かないとですね。私もドレスは持っていませんし……」
ドレス、か。
想像してみる。普段の制服姿も板についているが、着飾った彼女はさぞかし映える。
ルティアの白い肌に、どんな色が似合うだろう。
清楚な白か、落ち着いた紺碧か。意外に深い赤も――。
……待てよ。
先ほど、食事代を必要経費と割り切ろうとしたが、訂正が必要かもしれない。
この出費には、普段絶対に見られない彼女のドレス姿を見るための拝観料も含まれることになる。
だとすれば、話は別だ。
それは単なる損金ではなく、精神的な充足感のための有意義な投資へと昇華される。費用対効果の観点から再計算しても、極めて優良な案件と言えるのではないか。
「楽しみだな。きっと似合……いや、高いだけあって元が取れる程度には美味いだろうしな」
「……そうですね?」
俺が言い淀んで誤魔化すと、ルティアは不思議そうに小首をかしげた。
その仕草ひとつで、こちらの投資判断が揺らぐのだから、結局のところ俺も大したことはない。
美味しい料理に、楽しい会話。そして、少しの驚き。
……悪くない夜だな。




