第28話:魔女の仕様、酔いは仕様に含まれない
「――ワタシ、フラッフル。よろしく、です」
ひと通り騒ぎ終えたあと、ようやく落ち着いたその少女――フラッフルは、ペコリと頭を下げた。紫のゆるふわロングヘアが、肩のショートケープと一緒にふわりと揺れる。
その勢いで、ずり落ちそうになった大きな帽子を慌てて手で押さえ、その陰からくりっとした瞳をのぞかせた。
今日のフラッフルは山歩き仕様らしい。フリルブラウスを革のコルセットベストで締め、下はふわっとしたカボチャパンツに編み上げブーツ。背中のリュックには専用のホルダーで長い杖が固定されていて、それが彼女の動きに合わせてアンテナのように揺れていた。
小動物じみた愛らしさはある。あるが、同じ量だけ危なっかしさもある。世の中、可愛いは安全性を担保しない。
「俺の名前はカツラギだ。よろしくな」
「ルティアです。よろしくお願いしますね、フラッフルさん」
ルティアが微笑みかけると、フラッフルは目を輝かせて彼女を見上げた。
次いで、その視線が、ルティアの顔と胸元を往復し始める。
「おっきぃー……それに、なんかすっごく『おねえさん』って感じ……いいなぁ、いいなぁー」
「ふふっ、ありがとうございます」
初対面から完全に懐いている。ルティアの包容力は、種族や年齢を問わず有効らしい。
そんな微笑ましいやり取りを横目に、俺たちは予定通り7時10分発の乗り合い馬車に乗り込んだ。
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馬車に揺られること1時間。
車内の空気は、意外にも落ち着いている――と言いたいところだが、正確には『落ち着かざるを得ない』種類の静けさだった。
「……うぅ」
向かいの席で、フラッフルが口元を押さえてぐったりしている。
顔色が悪い。乗り物酔い……馬車酔いか。
「……この街道の整備状況は良くないな。轍が深すぎる」
俺は、外の景色を見ながら独り言のように呟いた。
9区は辺境のためか、主要道路の舗装が行き届いていない。
こういう時、単に「大丈夫か」と声をかけるのは逆効果だ。意識を体の不調に向けさせてしまう。
必要なのは、脳のリソースを別の処理に向けさせること――つまり、気が紛れるような話題を提供することだ。
「君たちの拠点である8区は、もっと整備されているんだろう?」
水を向けると、フラッフルは顔を上げた。
「……そう、ですね。8区の大通りは、土魔法で整備してるから……こんなに揺れない、です」
彼女は、さっきまでは子供のように騒いでいたのが嘘のような、落ち着いた口調だった。
馬車酔いで騒ぐ元気がなくなったのか、スイッチが切れたように静かになっている。子供というのは、テンションの振れ幅が極端なものだな。
「なるほど。魔法によるインフラ整備か。だとすると、コンクリートのように、型枠や鉄筋の配置から始める必要はないわけか」
もっとも、地面がコンクリートのように硬すぎると、今度は馬の脚への負担が大きくなるだろう。近代化された道路は、生き物には優しくない場合がある。
その点、魔法による施工なら、馬の足に合わせた最適な硬度や弾力に調整できるのかもしれないな。
「……『コンクリート』……?」
聞き慣れない単語に、フラッフルが不思議そうに首を傾げた。
つい口に出してしまったが、この世界にセメントを使った建築資材はあるのだろうか。どう説明したものか。
「ああ、えーっと、それはな……」
俺が言葉を選ぼうとした、その時だった。
ブンッ、と低い音。
窓の外から飛び込んできた黒い影が、不快な羽音を立てて、フラッフルの鼻先を横切った。
「あわっ」
彼女の視線が、その小さな羽虫に釘付けになる。
「どひゃあぁっ!? むしだぁーっ!! やだやだやだぁー!!」
フラッフルはバネ仕掛けのように跳ね起き、座席の隅へ縮み上がった。
さっきまでの『魔導師』の顔はどこにもない。そこには、虫に驚く少女がいた。
「やだっ、こないでぇ! とめてぇ! おりたいっ、おりるぅー!!」
「おい、危ないぞ!」
馬車の扉に突撃しかねない勢いの彼女を、ルティアが後ろから抱きとめて抑える。
その騒ぎをよそに、エリンが静かに動いた。
空中で不規則に飛び回る黒い影を見据え、迷いなく手を伸ばす。
パシッ、と。剣の達人らしい鋭い挙動で、彼女は羽虫を空中で掴み取っていた。
そのまま窓の隙間から、手の中のそれを外へと放り投げる。
「大丈夫。外に出たから、もういないよ」
エリンが言うと、フラッフルはようやく固まったまま呼吸を再開した。
「……っ、はぁ……はぁ……」
ルティアの腕の中で荒い息。やがて我に返ったのか、体を離し、乱れた帽子や服を慌てて直し始める。
「……し、失礼、しました。取り乱して、しまい、まして……あうぅ」
耳まで真っ赤になり、大きな帽子を深く被り直して顔を隠した。
「うぅ……恥ずかしいぃ……」
フラッフルは帽子で顔を隠したまま、足元でもじもじと身をよじっている。
まるで巣に潜り込もうとするハムスターのようだな。
ショック療法で馬車酔いは吹き飛んだが、今度は羞恥心でオーバーヒートしたらしい。
結局、目的地に着いて馬車を降りるまで、彼女がその『安全な巣』から顔を出すことはなかった。
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「ここからは徒歩か」
山道に入り、馬車では進めない地点に到達した。
ここから先は、宿泊施設となっている山奥の拠点まで、自分の足で登ることになる。
肺に満ちる空気はひんやりとしていて、湿った土と濃い緑の匂いが混じっている。
オフィスの埃っぽい乾燥した空気や、王都の生活臭とは違う、天然のフィルターを通したような清浄な空気だ。
耳を澄ませば、風が木々を揺らすざわめきと、砂利を踏みしめる俺たちの足音だけが響く。
時折、どこかで正体不明の鳥が鳴いているが、環境音としては悪くない。
空を見上げると、一羽の鳩が山の方角へと飛んでいくのが見えた。
ただの鳩ではない。足首には、魔導具の付いたリングが嵌められている。
この世界の通信手段は限られている。その一つが、魔力で強化され、特定の魔力波長を追尾する、『旅鳩』と呼ばれるこの伝書鳩だ。
俺の世界での伝書鳩は一方通行で、鳩を持ち歩く必要があるが、あの『魔導伝書鳩』は魔導具と行き先の魔法陣が噛み合えば、好きな場所に飛ばすことができる。
「よし、ここから山小屋までは約45分の行程だな。12時には昼食休憩を入れよう」
懐中時計を確認する。ここまでは、完璧な進行だ。
異世界にしては珍しく、思っていたよりも予定通りに進んでいることに、俺は内心で満足していた。
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結局、中継地点の山小屋に到着したのは、予定を30分オーバーした、12時半のことだった。
俺たちはそこで、馴染みの酒場で見繕ってもらったサンドイッチを平らげ、食後の水を飲んで一息ついていた。
視線の先では、機嫌を直したフラッフルが、ルティアと何やら楽しそうに談笑している。
この30分の遅延の原因は、言うまでもなく、あそこで笑っている小さな魔導師だ。
道中、フラッフルは、あらゆる刺激に反応した。
珍しい色の蝶を見つけては「わあ」と駆け出し、勢い余って派手にずっこける。かと思えば、岩陰に咲く地味な花を見つけ、地面に這いつくばるようにして動かなくなる。
進んでは戻り、止まっては走り。さっきまでの馬車酔いはどこへやら。彼女の好奇心センサーは常にフル稼働し、そのたびにエリンが回収に走っていた。
「……すみませんカツラギさん、到着が遅くなってしまって」
エリンが頭を下げる。真面目が服を着て歩いているみたいな子だな。
「気にしなくていい。小旅行だ、これくらいの遅れは誤差の範囲だよ」
彼女が気にするのは、これが『護衛依頼』という業務だからだろう。
受注者側の都合で発注者を振り回してしまったとなれば、サービス品質に関わると気に病むのも無理はない。
そういう感覚は分かる。分かるからこそ、肩の力を抜きたくなる。
そもそもこのスケジュール自体、俺が社畜時代の習性で勝手に組んだだけのものだ。
誰かに提出したわけでもないし、納期もない。俺が脳内で勝手に設定した目標値からズレたというだけで、実害は何もないのだ。
焦る旅でもない。
たまにはこうして、予測不能な変数に振り回されるのも悪くはないだろう。
「……カツラギさん」
そんなことを考えていると、エリンが呼んだ。
瞼は相変わらず半分綴じていて、表情は読めない。
「あなたの目に、フラッフルはどのように映っていますか?」
俺は言葉を選び、水筒の水を一口飲んでから答える。
「どのように、と言われてもな……。元気で、好奇心旺盛な年頃の子供、といったところか。見ていて飽きないよ」
「……はい。そう見えますよね」
エリンは淡々と続けた。
「カツラギさん。私たち『星の天頂』は、4人全員が同い年の――18歳なんです」
「……18歳?」
俺は思わず、フラッフルの方を見る。身長は130センチぐらい。あどけない顔立ちに、未成熟な体つき。
どう贔屓目に見ても、10歳前後の少女にしか見えない。
「あの子が、君と同い年だって?」
「はい、嘘ではありません。フラッフルは、祖母がエルフなんです」
エリンが静かに説明を始めた。
「父親はハーフエルフで、耳が長いなどの特徴があったそうですが、クォーターであるフラッフルには、そういった身体的特徴は見られません。……にも関わらず、身体の成長は、エルフのようにとても緩やかなままなのです」
長命種であるエルフは、人間とは成熟のサイクルが異なる。レナンセムが50代でありながら10代に見えるように、肉体の変化が極端に遅いのだ。
フラッフルの場合、尖った耳などの外見的特徴は遺伝しなかったが、その『時間軸の緩やかさ』だけは色濃く引き継いでしまったらしい。だから、暦の上では18歳でも、肉体は10歳前後の段階で留まっているのだろう。
「ですが、知性に関しては、実年齢通りに成長しているんです。魔導師としては高いレベルですし、難解な専門書も読みます」
「……なるほどな」
道理で、馬車の中では理路整然としていたわけだ。あれは背伸びではなく、彼女の本来の知性だったのだ。
だが、俺は今日の彼女の様子を思い返す。興奮、驚き、体調不良――ふとした瞬間に理性が吹き飛び、見た目通りの『子供』が出る。
「……大人の知性と、子供の情動が同居している状態、か」
知識や思考力はあっても、衝動を抑えるための『感情のブレーキ』が、身体の成長に引っ張られているのかもしれない。
「本人は、一人前のレディとして振る舞いたいようですが……ふとした拍子に抑えがきかなくなって、あとで恥ずかしがるんです。その繰り返しです」
「それを、君が……君たちがフォローしているわけか」
「はい。私たちは……親友ですから」
エリンは力強く頷いた。
管理責任というより、関係性の強さ。
凸凹で手がかかる友人でも、そのまま受け入れている。そういう信頼が見えた気がした。
「事情はわかった。教えてくれてありがとう」
俺の言葉に、エリンは小さく頭を下げた。
今回の護衛にフラッフルを同行させたのは、エリンからの提案だ。
親友の評価に関わるデリケートな事情を、今日会ったばかりの依頼人に明かすのは、少なからず勇気が必要だったはずだ。
それをあえて話してくれたのは、現状を包み隠さず伝え、少しでも誤解を防ごうとする彼女なりの誠意か。
律儀というか、真面目というか。どちらにせよ、信頼できる。
視線の先のフラッフル。彼女の年齢は18歳。魔法技術は大人顔負けだが、その外見は10歳児そのものだ。
『体は子供、中身は大人』なんていう、どこかで聞いたような仕様だが、さらに『ただし、メンタルは外見相応』という注釈がつく。
高性能エンジンに、玩具みたいなハンドルとブレーキ。制御が難しいわけだ。
それでも、彼女たちのパーティは成立している。成立しているからこそ、Aランクなのだろう。
俺は水筒の蓋を閉め、その光景を眺めた。
どうやら、この騒がしい道中は、俺が思っていたよりもずっと温かい絆の上に成り立っているらしい。




