第26話:決算報告、インセンティブは高くついた
次の日。
目が覚めると、窓の外は突き抜けるような青空だった。
俺が屋根裏部屋で泥のように眠っている間に、スタンピードのピークは過ぎ去っていた。
嵐は去り、世界は日常を取り戻している。
強制シャットダウンのおかげか、俺の体調も、驚くほど軽い。
昨日の午後。
受付から怒号が消え、代わりにどよめきが聞こえてきた時、俺とルティアは、さすがに様子を窺いに行ったのだが。
そこで見た光景は、俺の想定を遥かに超えていた。
3人のレナンセム。
その周囲を、生き物のように舞う書類と判子。
残像すら見える速度で処理される書類の山。
俺たちは、言葉を失い、ただ唖然としていた。
『開いた口が塞がらない』という慣用句を、物理的に体験したのは人生で初めてかもしれない。
時折文節がつっかえることはありつつも、彼女が『普通に』接客している姿は、魔法的な意味でも、精神的な意味でも奇跡だった。
事後処理を終え、ぐったりとデスクに突っ伏していた彼女は、こう言っていた。
「……あれだけの規模の多重並列起動を行使したのは、故郷の長老と魔法理論で衝突して以来だよ」
その時は山を半分吹き飛ばしてしまって猛省したらしい。
エルフの里には、あんな化け物がまだ他にもいるんだろうか。恐ろしい種族だ。
だが、あの神がかり的な対応は緊急時限定のオーバークロックだったらしく、彼女はまたいつもの優雅で怠惰なエルフに戻っていた。
---
身支度を整えてギルドロビーに降りると、静寂が戻った空間で、ルティアと親しげに話している銀髪の貴族がいた。
シヴィリオだ。
彼は俺の姿を認めると、堂々とした態度で近づいてきた。
「今回は、実に有意義な視察だった。貴君のおかげだ」
本部に戻る前の、最後の挨拶らしい。
彼は第9支部の独自システムにより、未曾有の災害が滞りなく処理されたことを高く評価していた。
「私は寝ていただけでしたよ」
「その状態で自律的に動く仕組みを、貴君が作り上げたのだろう?」
彼は全てお見通しのようだ。
シヴィリオは、整然と積み上げられた資材の山と、疲れを見せつつも充実した顔で働く職員たちを見渡し、関心していたらしい。
「従来、現場の判断は個人の経験則に依存していた。だが貴君は、それを『色』や『確認目録』という形ある基準に変換した。『判断の外部化』と言うべきか」
驚くことに、彼は俺の意図を完璧に理解していた。
「それにより、識字率の低い獣人や、経験の浅い新人でも、熟練者と同じ判断ができるようになった。『誰がやっても同じ結果が出る』。これこそが組織運営の要諦であり、最も難しいことだ」
……恐れ入った。
伊達に若くして監査官をやっているわけではないらしい。彼は、表面的な成果ではなく、その裏にあるロジックを正確に見抜いている。
「あの『色による管理』や『確認目録』での手法は、他の支部でも横展開が可能か、検討させてもらう心算だ。構わないか?」
「どうぞ。私だけが考えたものではないですので」
特許なんて取る気はない、願ってもない話だ。それに、あのアイデアの全てが俺のオリジナルではない。俺の世界での、先人たちの知恵を借用したに過ぎないのだからな。
「そうか。採用された暁には、考案者の貴君に、相応の報酬と名誉を与えたく思う」
シヴィリオは声を潜めた。
「だが、『素性の知れない者の策』であることまでは報告できない。形式上、私の提言として処理することになるだろう」
「ええ、構いません。むしろ、私の名前は出さないでいただけると助かります」
異世界人である俺が目立つのはリスクしかない。手柄は彼に譲ったほうが、今後の政治的な防波堤としても都合がいいだろう。
それに、彼のような実力者が評価してくれるなら、システムは間違った方向には行かないはずだ。
「……ふ。欲を持たないか」
シヴィリオは短く笑うと、居住まいを正した。
「貴君を試すような物言いをしてすまなかった。アスピオン家の名誉にかけて、非礼を詫びよう。貴君は……優秀な指揮官だ」
彼は優雅に一礼する形式的なポーズを取った。
そして「また会おう」と言い残し、しっかりとルティアにも別れを告げに行った後、颯爽と去っていった。
最後まで食えない男だった。
だが、あれだけ有能そうな人間が上にいるのなら、この国のギルド組織は、俺がいなくとも良い方向に向かっていたのだろう。
こうして、第9支部における『組織再建』は、ひとまずの成功を収めた。
だが、手放しで喜んでばかりもいられない。
今回の騒動における最大の反省点は、他ならぬ『俺自身』の管理不全だ。
組織のボトルネックを解消した気でいたが、自分自身の稼働限界を見誤るという大失態を犯した。特に、ルティアに多大な心配をかけたことは猛省しなくてはならない。
他人の管理はできたとしても、自己管理はまだまだ三流だった。
俺とて未熟なアラサー会社員に過ぎない。この世界で生きていくためには、俺自身の『意識』も成長させていく必要があるだろう。
---
数日後。
スタンピードの残務処理も完全に落ち着いた夜。
俺たちは酒場を貸し切り、打ち上げを行っていた。
「さあ、カツラギ! 乾杯の音頭を頼んだ!」
上機嫌なオルガに背中を叩かれ、俺はジョッキを持って立ち上がった。
急に言わないでほしい。気の利いたスピーチなど用意していない。
俺は集まった職員たちを見渡し、短く告げた。
「……スタンピード対応、お疲れ様でした。今回の成功は、ここにいる全員が、新しいやり方を受け入れ、実行してくれたおかげです」
改革というのは、本来、抵抗勢力との泥沼の戦いになりがちだ。
だが、今回は驚くほどスムーズだった。反抗する人間は一人もいなかった。
まあ、そんな変化を拒むような保守的な人間は、とっくの昔にこの過酷な職場から逃げ出していたのだろう。
ここに残っているのは、変化を恐れぬ精鋭、あるいは変わり者だけだ。
俺がグラスを掲げようとすると、オルガが不満げに口を挟んだ。
「おや、短いな。もっとこう、熱い労いの言葉はないのか?」
だから用意していないんだって。
無茶振りをする上司に内心で毒づきつつ、俺は咳払いをした。
熱い言葉など柄ではない。ならば、俺なりの言葉で伝えるしかない。
「あー……。では」
俺はジョッキを持ち直した。
「本来、システムとは単なる『箱』に過ぎません。どれほど優れたマニュアルや効率的なフローを構築しようとも、それを運用する『構成要素』――つまり、あなたたち一人一人のパフォーマンスが伴わなければ、それはただの机上の空論です。今回のスタンピードにおいて、あなたたちが示した適応能力と、業務遂行に対する責任は、私の想定を遥かに凌駕していました。特に、各部門間の自律的な連携は、組織論的観点から見ても極めて理想的な事例であり――」
「長いな! エールが温っちまうだろ!」
オルガが笑いながら野次を飛ばす。
注文が多い。俺はどうすればいいんだ。
「……つまり、俺が言いたいのは」
俺は言葉を切り、全員の顔を見渡して、短く告げた。
「みんな、ありがとう。……ということだ。では、乾杯!」
酒場に、ジョッキがぶつかり合う音が響き渡った。
---
俺はジョッキを片手に、宴の席を見て回ることにした。
「ダンナ! 上手くいったな! 気分がいいぜ!」
マウロはいつもの調子で骨付き肉を頬張っているが、その意識は確実に変わってきている。
今ではもう鼻だけに頼らず、色や数字を目視確認する動作が完全に染み付いている。
『視覚情報』と『嗅覚情報』。その両方を使いこなす彼は、もはや『完成された生体検索エンジン』と言えるだろう。
「カツラギ様、今回は本当にお疲れさまでした」
ヴェリサは控えめにグラスを傾けていた。
彼女はもう、色付きの魔導眼鏡をかけていない。
露わになったその知的な美貌に、最初は誰もが息を呑んだものだ。
彼女の『査定結果は全て明日に回す』という判断は、本当に英断だった。
まあ、相変わらずネガティブ・スイッチは入るようだが、そこもまた彼女の愛すべき個性なのだろう。
「おうカツラギ、ご苦労だったな。まァ飲め」
カウンターでは、ガンドが上機嫌でエールを煽っている。
以前構想していた『定期的な装備の検査会』の話を振ったら、やけに乗り気だった。
「俺しか適役はいねェだろうが」と笑うその顔は、頼もしい限りだ。
職人気質の彼にとって、『道具を長く使わせるための指導』は、本心からやりたかった仕事なのだろう。
ヴェリサとガンド。
二人は決して、厄介払いされた無能ではなかった。
第4支部が彼らの『取扱説明書』を持っていなかっただけだ。
拾い上げたオルガの運の良さ……いや、勘の鋭さには、改めて敬意を表したい。
そして――。
背後から、風で木の葉が触れ合うような、しかしどこか含みのある声がかけられた。
「カツラギ君、飲み足りているかな?」
レナンセムだ。
彼女は相変わらずの調子で、優雅にグラスを揺らしている。
あれだけのチート魔法を持っていても、通常の受付業務は行えないらしい。
魔王を倒すには伝説の剣が必要だと借りた本に書いてあったが、彼女には『ルティアのマニュアル』という伝説級の武器が必要不可欠なのだ。
「君に、大事な話があるんだ」
改まってなんだろうか。
『大事な話』という前置きが、妙に引っかかる。経験上、この切り出し方で良い話だった試しがない。
また何かやらかしたか?
「……どうした?」
レナンセムは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、俺に差し出した。
そこには、無機質な数字が羅列されている。
それは――。
「……請求書?」
開発を依頼していた『魔導複写画板』の請求書だった。
「うん。まさか無償だとは思っていないだろうね? あの短期間で高度な座標固定魔法術式を構築し、さらに筐体素材には貴重な『暗黒水晶』を使用しているんだ。君は暗黒水晶を知っているかな? あれは深層域のダンジョンでのみ産出される、極めて魔力伝導率の高い……」
レナンセムが素材の希少性を語り始めたが、俺の耳には入ってこない。
俺の意識は、紙面の右下に記された合計金額に釘付けになっていた。
金貨100枚。
俺の世界の感覚で言えば、1000万円クラスの金額だ。
まさか、高級車が買える値段だと?
「……おい、高すぎないか? 桁が一つ間違っていないか?」
「性能に見合った適正価格だよ。今回、技術開発費は特別に免除している。それに」
彼女は前髪に手を当てて続けた。
「君は『経費で落ちる』と言ったじゃないか。その言質は取ってある。忘れてしまったのかな?」
……言った。確かに言ったが、限度というものがある。
これを経理に通せば、俺の首が飛ぶ。物理的にではなく、社会的に。
俺が狼狽えていると、レナンセムは助け舟を出すように言った。
「とはいえ、私も事前に概算を示していなかった落ち度はある。このまま請求を強行し、ギルドの財政を破綻させるのは、私の労働環境を悪化させるだけで非合理的だと言えるだろうからね」
「俺も依頼退職するだろうな」
「そこでだけども。債権の回収形態を変更し、金銭以外の『等価価値』によって決済を行う……という処理も、やぶさかではないんだ」
「……妥協案、か?」
「その通り」
彼女は満足げに頷くと、手元にあった雑誌のような本をデスクに置いた。
『王都グルメガイドブック』と書かれている。
「そもそもだね、カツラギ君。我々長命種にとって、『食欲』という概念は、人間とは少々性質が異なるのだよ」
レナンセムは鼻先にかかった前髪を指先でクルクルと弄びながら語り出した。
「基礎代謝の低い我々にとって、生命維持に必要なカロリー摂取は、単なる『定期メンテナンス』に過ぎない。味気ない反復作業なのさ。ゆえに、私は空腹を満たすだけの食事には興味がないんだ」
……よく言う。その割に、俺が屋台で買った串焼きを『サンプルの提供を要求する』とか言って奪っていくのは、どこのどいつだ。あれはメンテナンスというより、単なる『つまみ食い』だった気がするのだが。
「だけども、『美食』は別さ」
俺は冷ややかな視線を送るが、彼女は気にせず熱弁を振るう。
「洗練された調理法、食材の組み合わせが生むハーモニー……それらは単なる栄養補給ではなく、脳髄を震わせる『知的刺激』になる。退屈な悠久の時を生きる私にとって、至高の料理とは、金貨の山よりも価値のある『体験』というわけさ」
レナンセムは邪魔そうに揺れる前髪を、ふぅ、と息で吹き上げた。
そして、ガイドブックのページを開き、ある一点を指差した。
「……この、トリュフを使ったフルコース料理。これで手を打とうじゃないか」
指差された店の値段を見る。
……高い。一人数万円はする高級店だ。
だが、直前に『1000万円』という破壊的な数字を見た直後だと、不思議と「まあ、これくらいなら自腹でも」と思えてしまう金額だ。
……待てよ。
まさか、最初に法外な開発費を見せたのは、この食事代を安く感じさせるための――『アンカリング効果』か?
「……分かった、いいだろう」
俺は白旗を上げた。
まあ、あの魔導具の性能と、彼女の尽力を考えれば、安いものか。
「うん、交渉成立だね」
パタン、と小気味よい音を立てて、レナンセムはグルメガイドブックを閉じた。
その音はまるで、裁判長が振り下ろす小槌のように、俺の敗北を決定づける響きを持っていた。
レナンセムは満足げに頷くと、ふと思い出したように身を乗り出す。
「――ああ、そうだ。重要な付帯条件を忘れていたよ」
彼女は白磁のような人差し指をスッと立て、俺の鼻先へと突きつける。
そして、悪戯っぽく笑って言った。
「もちろん、ルティアも一緒だからね」
その笑顔は、どんな高度な魔法よりも魅力的で――そして、どんな契約書よりも抜け目がなかった。
---
第2章 組織再建編 完
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これにて、第2章『組織再建編』は完結です。
第3章は年明けからの投稿を予定しています。
引き続きお付き合いいただけますと幸いです。
もし、「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ブックマーク登録や、ページ下部の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、励みになりますのでよろしくお願いいたします。




