第23話:緊急事態宣言、…………
「……カツラギさん。お話があります」
ルティアの声色は、拒絶を許さない強さを帯びていた。
普段の温厚な彼女からは想像もできない、張り詰めた空気。
これは、業務連絡ではない。もっと個人的で、深刻な――。
「失礼するよ」
その時、執務室の扉が開いた。
レナンセムだった。
彼女は小脇に何かを抱えて入ってきたが、俺とルティアの間に流れる神妙な空気を察知し、ピタリと足を止めた。
「おや、修羅場……かな?」
「いえ。レナンさん、お先にどうぞ」
ルティアの表情は、いつもの柔らかな微笑みに戻っていた。
……怖い。スイッチの切り替えが早すぎる。女性という生き物は、標準で高度な感情制御機能を実装しているらしい。
「そうかい? ……では、試作品の実演をさせてもらおう」
レナンセムは、抱えていた物体をデスクに置いた。
透明な水晶か何かでできた、二枚一組の画板。
以前発注していた『魔導複写画板』の試作品になる。
「君の要求通り、入力情報の指定座標同期および転写機能を実装済みだよ」
まず、机の上に、受付でルティアたちが作成した『清書版クエスト申請書』を置く。
その上に、透明なクリスタル板――『入力用ボード』を重ねる。
さらにその上に、転記先の『クエスト管理台帳』を置き、最後に『出力用ボード』を重ねる。
「転写先の『行』を指定するよ。今回は5行目だね」
レナンセムが側面のダイヤルを回し、『5』に合わせる。
そして、魔石に魔力を流し込んだ。
ブォン、と低い駆動音が鳴り、クリスタル板が一瞬だけ発光する。
「……完了だ。見てくれるかい」
彼女がボードと台帳をどけると――。
台帳の5行目に、申請書に書かれていた『管理番号』『冒険者名』『受領日』などの情報が、黒いインクとして複製されていた。
「……すごいな」
俺は思わず息を呑んだ。
印刷所の魔導師は「不可能だ」「巨大な施設が必要だ」と言っていた技術だ。それを、彼女はこの薄い板一枚に圧縮してのけた。
これが稼働すれば、申請書、台帳、報告書の『共通項目手書き内容』は、最初の一回だけ書けばよくなる。
「難儀させられたよ。空間座標の固定かつ同期と、インク生成プロセスにおける多重並列演算処理は、私の脳内リソースを大幅に消耗するものだったからね」
「これなら実用レベルだ。すぐに現場へ投入できる」
「だけども、問題は……」
レナンセムは前髪に手を当てた。
「起動には、魔力の直接供給が不可欠になってしまった。切替式への変換は、情報密度が高すぎて、この期間では構造的に実装が不可能だったんだ。魔力を持たない君には扱えない」
「構わない。俺はいなくなるから問題ないな」
即答だった。
いずれ寿命が来て死ぬ人間に合わせて、魔道具の性能を落とす必要はない。
「寂しいことを言うじゃないか」
「実際そうだろう? エルフの時間感覚からすれば、俺なんて瞬きする間に消える存在だからな」
「ああ、そちらか。ドライな死生観だね。まあ、いずれは、君でも扱える『自動運転型』を開発してみせるよ」
なんにせよ、これで事務作業の効率は飛躍的に向上するだろう。
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「……さて。報告は以上だけども」
レナンセムは俺とルティアを交互に見比べた。
「私は、いない方がいいかな?」
「いえ、大丈夫です。レナンさんにも聞いていてほしいことですから」
ルティアが制止する。
そして、俺を見据えた。真剣そのものの眼差しで。
「カツラギさん……明日はお休みしてください」
単刀直入な要求だった。
「……休み?」
「はい、お休みです。明日は一日、ギルドのお仕事はしないでください」
「待ってくれ、明日はスタンピードのピークだろう? 一年でも特に忙しい日なんだ。休めるわけがない」
俺は反論した。
「カツラギさん……ずっと無理していませんか? すごくお疲れのように見えます」
彼女の声には、深い懸念が滲んでいた。
確かに、疲労の兆候はあるかもしれない。だが、ここで『疲れた』と認めるわけにはいかない。明日は大事な日だ。管理者が弱音を吐けば、組織の士気に関わるからだ。
俺は努めて穏やかに、諭すように答えた。
「無理? まさか。睡眠時間は確保しているし、食事もしっかり摂っている。健康状態に問題はないはずだよ」
「いいえ、ご自身でお気づきでないだけです。限界が近づいているはずです」
「いるはず……根拠はないだろう?」
俺は苦笑して見せる。
「根拠はありますよ。さっきも立ち上がるとき、少しふらっとしてましたよね」
「ふらつき……それは気のせいだ、ただの立ち眩みだろう」
「気のせいではありません。立ち眩みも、疲労が積もっているから起こるんです」
ルティアが立ち上がった。その迫力に、俺はたじろいだ。
「そんな大げさな話ではないよ。俺はまだ大丈夫だ。明日は総力戦なんだし、俺が抜けるわけには――」
「大丈夫だと思っている間に、倒れてしまうこともあるんですよ!」
叫びが、執務室に響いた。
彼女は俺を見据えたまま、さらに言葉を重ねる。
「……いや、でも俺は……」
「本当に大丈夫なのでしたら、その理由を教えてください」
……そうきたか。
感情論ではなく、論理的な説明か。
俺は努めて穏やかに、諭すように答えた。
「理由か……さっきも言ったが、ちゃんと毎日充分な時間寝るようにしているし、シャワーも浴びてる。無理しすぎないよう気を配って、疲れは残らないようにしているんだ。自己管理には徹底して気をつかっている。それはルティアもわかるだろう?」
「では、どうして、査定所で眠っていたんですか?」
その瞳が、俺を射抜く。
「遅くまでお仕事して、疲れてそのまま寝てしまったんじゃないんですか?」
「……いや、あれは……少し仮眠をとろうとしただけで……そうだ、たまたまだ。俺は本当に大丈夫――」
「今日は大丈夫かもしれない、明日も大丈夫かもしれない――でも、そうやって考えるのが一番危ないんですよっ!」
ルティアが声を荒げた。
その剣幕に、俺は言葉を飲み込む。
「明日、本当に倒れてしまったら、どうするんですかっ!」
――ハッとした。
それは、『楽観性バイアス』。
自分だけは大丈夫だ。事故には遭わない。病気にはならない。
根拠のない自信でリスクを過小評価し、破滅に向かう心理状態。
今の俺は、まさにそれだ。
ルティアは、畳み掛けるように言った。
「もし、これが私だったら! 私やレナンさんだったら! カツラギさんは『明日も大丈夫だから頑張れ』っておっしゃるんですかっ!?」
「……あ……」
その問いは、鋭利な刃物のように俺の急所を貫いた。
言うわけがない。
もしルティアが、今の俺と同じ状況だったら。
俺は迷わず業務命令で強制帰宅させるだろう。「仕事なんてどうでもいいから休め」と怒鳴ってでも。
……そうか。
俺は『管理者』を気取っていながら……自分自身の管理に関しては、ド素人以下だったわけだ。
反論は、もうできなかった。
「それに、だって、ずっと、ずっと見てますから! うぅっ……あなたのことを、ずっと見てたから! わかるんですよぉっ! うっ、ううっ……」
俺が黙り込むと、張り詰めていた糸が切れたのか、ルティアの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
「うっ……ううっ……いなくなるだなんて……言わないでくださいよぉ……」
彼女はその場に崩れ落ちそうなほど泣きじゃくった。
初めて見る、ルティアの涙だった。
俺の何気ない言葉が、合理性を装った諦観が、彼女をそこまで追い詰めていたのか。
――俺が……。
――俺が……悪かったな。
「わかったよ、ルティア……明日は休む」
俺の敗けだ。
いや、勝ちも敗けもないか。
俺が間違っていた、ただそれだけの話だ。
それを認めなかったから、この人を心配させて、泣かせてしまった。
俺が、馬鹿だっただけだ。
レナンセムが、無言でルティアに歩み寄る。
懐からハンカチを取り出し、そっと手に握らせた。
そのまま、頭を引き寄せ、胸に抱き寄せる。
ルティアは胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。
まったく、『聖女の慈愛』は……俺にも効果覿面だな……。
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落ち着くと、ガチャリと扉が開く音がした。
「話は済んだか?」
入ってきたのは、オルガだった。タイミングが良すぎる。
どうやら、ルティアは事前に相談していたらしい。
「聞いただろ? カツラギ、明日は休みな」
「……まあ、そうさせてもらいますよ」
俺は憑き物が落ちたように答えた。
なんだろうな。
俺は異世界にやってきて、評価されて、いつの間にか『俺がやらないと駄目だ』という全能感に酔っていたのかもしれない。
自分を組織の救世主だと思い込む、『メサイアコンプレックス』というやつか。
オルガはニヤリと笑い、俺の肩を叩く。
「やり方変えたり、配置を変えたり、道具を揃えたり。それは『あんたがいなくても回る仕組み』を作るためだったんだろう?」
まるで俺の心を読んだかのようなことを言ってきた。
だが、その通りだ。俺が目指したのは『属人化の解消』だったはずだ。
誰がいても回る仕組みを作る。それが俺の仕事だ。ならば、俺がいようがいまいが現場は回るはずだし、回ってもらわなければ困る。
明日は、俺の作ったシステムが正しく機能するかどうかの、最終テストだ。
自分の仕事を信じて休むことにしよう。
冷めたコーヒーを一口飲む。
ルティアを席につかせたレナンセムが、俺を見て言った。
「たまにはコーヒーも悪くないのかもしれないね」
珍しいことに、今日はコーヒーの気分らしい。
「なんだ、今日はコーヒーがいいのか? ならカツラギさん特製コーヒーでも飲むか?」
「……ほう、淹れてくれるのかい? では、お願いするよ」
「はい、コーヒーですね、かしこまりましたー」
この世界のコーヒーは、インスタントコーヒーと同じ感覚で作れる。
魔導ケトルに水を入れてスイッチを入れる。
湯が沸くから、コーヒーの粉を入れたカップに注ぐだけだ。
出来上がったコーヒーを、レナンセムに渡した。
「ありがとう、頂くとするよ」
レナンセムが優雅にカップを口に運ぶ。
「……ぶふっ!!?」
そして、優雅さのかけらもなく噴き出した。
「なんっ、なんだいこれは!? どういう工程を踏めば、これほど冒涜的な味覚刺激を抽出できるんだい!?」
そうだった。俺が淹れると、コーヒーは産業廃棄物のような味になるんだった。
この世界での、カツラギ七不思議の一つだ。ルティアの淹れ方をそのまま真似しているはずなのに、味が天と地ほどに違うのだ。
彼女が淹れる完璧なコーヒーに慣れすぎて、自分の時の壊滅的な悪さを失念していた。
「ルティア。悪いが、コーヒーの淹れ方を教えてくれないか?」
「……嫌です」
ルティアは即答した。
「カツラギさんのコーヒーは、私がお淹れしますから。お断りします」
「……そうか。じゃあ、これからも頼むよ」
「はいっ! これからも、ずっとですよ」
彼女は花が咲くように笑った。
「残念だったな、レナンセム。その味で我慢してくれ」
「御免だね。もう二度と、君のコーヒーだけは飲まないことを宣誓するよ。それは、私の味覚中枢を物理的に破壊しかねない代物だからね」
執務室に、柔らかな笑い声が響く。
これで事務、倉庫、査定所の改善は一通りのフェーズを完了した。
「……しかし、受付の改善だけは、何もできなかったな」
俺がぽつりと漏らすと、オルガが首を横に振った。
「充分やってくれてるさ。受付なら、窓口を増やして対応すればどうにでもなる。明日は、安心して休みな」
「そうですよ。心配しないで、お休みしてください」
二人の言葉に、俺は小さく息を吐いた。
完璧ではないかもしれない。だが、運用でカバーできる範囲か。
ならば、今の俺がすべき最優先タスクは、これ以上『お荷物』にならないことだ。
俺はネクタイを緩め、宣言した。
「分かった。では、遠慮なく休ませてもらう。本当に明日は手を、いや、指一本貸さないからな。俺の『全力の休暇』というやつを見せてやる」
「ふふっ。はい、楽しみにしていますね」
ルティアが嬉しそうに微笑む。
……そうだ。彼女には、泣き顔よりもその笑顔が似合う。
そのためなら、大人しく寝ているのも悪くはない。
明日は決戦だ。
だが、俺の戦場はここではない。ギルドの屋根裏部屋だ。
俺が築いたシステムが、この嵐を乗り越えられると信じて。




