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第21話:情報の透明化、面倒事はまとめてやってくる

「……ま……。……ラギ様……」


 意識の深淵から、遠慮がちな声が聞こえてくる。

 俺は泥のようなまどろみから、無理やり思考を引き剥がした。

 体が重い。まるで全身に鉛の鎧を着込んでいるかのようだ。


「……カツラギ様? 生きていらっしゃいますか……?」


 恐る恐る、といった様子で肩を揺すられる。

 俺はガバッと顔を上げた。


「――はっ! おはようございます!」

「ひうっ!?」


 目の前で覗き込んでいたヴェリサが、驚いて飛び退く。

 勢い余って書類の束を落としそうになり、慌てて抱え直している。

 彼女は散らばりかけた書類の束をバサバサと整え直すと、背筋を伸ばし、眼鏡の位置を直しながら、コホンと咳払いをした。


「……おはようございます、カツラギ様。申し訳ありません。あまりに微動だにされないものですから、生死の確認をすべきか迷っていたところです」


 耳まで真っ赤に染まり、顔の向きが不自然に定まらないことを除けば、完璧なポーカーフェイスだ。

 眼鏡の奥の視線が泳ぎ回っているのが、手に取るように分かる。


「いや、すみません。少し仮眠のつもりが、熟睡してしまっていたようです」


 俺はあえて彼女の動揺には触れず、首をゆっくりと回した。

 窓の外は既に明るい。どうやら『数分』のつもりが、朝までフルコースだったらしい。

 意外と長椅子の寝心地が良かったのだろうか。


 俺は洗面台へ向かい、冷水で顔を洗った。

 鏡を見る。寝起き特有の酷い顔だ。だが、目は死んでいない。

 ネクタイを締め直し、スーツの(しわ)を伸ばす。

 よし、外装(スキン)の再設定完了。業務開始だ。


---


 査定所のロビーに、昨晩作成した『買取価格一覧表(プライスリスト)』を掲示した。

 本館のクエスト依頼票のように、誰でも見られる位置に貼り出す。

 アイテム数が膨大なのですべては網羅できないが、持ち込みの多い主要な魔石と素材に絞って記載した。


 効果はすぐに出始めた。

 冒険者たちは掲示板を見て、「へえ、最近は銀が高騰してるのか」「ゴブリンの魔石って全然価値ないんだな」と、事前に相場を把握してからカウンターに来るようになった。

 これで、いちいち受付で「あれいくらぐらいだ?」と確認する不毛なやり取りが減少するだろう。

 『情報の透明化(ディスクロージャー)』による、初期対応コストの削減だ。

 人は、相場が分かっているものに対しては、多少安くても『まあそんなものか』と納得する生き物なのだ。


 そして、バックヤード。

 ガンドの手元には、新しい『チェックリスト付き伝票』がある。


「……ふン。ま、悪くねェな」


 ガンドは文句を言わず、黙々とチェックリストに記入してくれていた。

 刃こぼれ、あり。錆、なし。

 そればかりか、リストにない『その他(特記事項)』の欄に、『柄の革が腐っている』といった理由を一言、追記してくれているではないか。


 嬉しい誤算だ。

 決して打算で食事をしたわけではないが、やはり『飲みニケーション』は有効だったらしい。印象が良くなると、こうも物事が進みやすくなる。人間関係の潤滑油とはよく言ったものだ。


 ガンドの方は順調だ。

 だが――問題は、手前のデスクだった。


「……はぅ」


 ヴェリサが、この世の終わりみたいな顔で溜息をついていた。

 チェックをつけるだけの簡単な作業になったはずだが、何故かネガティブ・スイッチが入っている。


「……ヴェリサさん。何か不備がありましたか?」

「いえ、良い仕組みだと思います。……ですが」


 彼女は顔を伏せ、自身のローブをギュッと握りしめた。

 捨てられた子犬のように、背中が丸まっている。


「ガンド様には、事前にあんなに熱心に聞き込みをされていたのに……私には、何も聞いてくださいませんでしたよね……?」

「……あっ」


 しまった。

 魔石の状態や鑑定にかかる時間については、元冒険者であるルティアに聞いて済ませてしまったため、現場担当であるヴェリサへのヒアリングを飛ばしていたのだ。

 彼女からすれば、『私は信用されていない』『蚊帳の外だ』などと感じたに違いない。


「いいんです……わかっています……私に価値が無いんですよね……所詮は、吹けば飛ぶような存在……いいんです……はい……進退(うかが)い……いたします……」


 完全に、俺のコミュニケーション・エラーだ。

 『報連相』を怠ったつもりはない。現場の声は聞いていたつもりだったが、結果として担当者であるヴェリサへのケアが漏れていた。

 効率を優先するあまり、彼女の心情まで手が回らなかったらしい。

 俺とて、ミスひとつしない完璧な超人ではないからな。

 内心で深く反省しつつ、即座にリカバリー案を構築した。


「落ち着いてください。決して、あなたの業務を軽んじていたわけではありません。……いや、むしろ、あなたなら……言わなくてもできると甘えてしまっていました。申し訳ありません」

「……甘えていた、ですか?」

「はい。言いましたよね? 優秀過ぎるぐらいだって。しかし、それでも……優秀なあなたでも、改善の余地はあります」


 俺は話題を『感情』から『業務」へとすり替える。


「ヴェリサさん、魔石1個の鑑定に、最大でどれくらい時間がかかりますか?」

「えっ? ええと……平均3分程度でしょうか、複雑なものでもその倍ほど、6分ほどでしょうか」

「では、『1個あたり10分』で案内しましょう」


 俺は提案した。

 魔石を10個持ち込んだ冒険者がいたら、完了予定は100分後だ。

 10倍の数字なら、ギルド側も冒険者側も理解しやすいだろう。


「いつ終わるか分からないから、冒険者はその場を動けずにイライラするんです。予め、おおよその終了時間が分かっていれば、彼らは一旦外出して食事を取ったりできるでしょう」

「で、でも……もし魔力が乱れて、10分で終わらなかったら……私は嘘吐きになってしまいます!」


 唇が戦慄(わなな)いている。真面目すぎる。というか、責任感のベクトルが自虐に向きすぎている。


「だからこその『10分』なのです。実作業時間の2倍近い、ゆとり(バッファ)を取っています。あなたの腕なら、絶対に間に合う数字でしょう?」

「……はい、なるほど……ですね……」

「さらに、これを使います」


 昨晩作ったもう一つの掲示板――『査定状況掲示板(ステータスボード)』を持ち出した。

 仕組みは単純だ。板にフックがついており、そこに番号札を掛けるだけ。

 上段は『鑑定待ち』、下段は『呼出済』。

 俺の世界の『薬局』や『病院』にある、呼出表示システムのアナログ版だな。


「マウロ、少しいいか?」


 俺は受付のマウロを呼んだ。

 現在、ギルドの受付業務は、倉庫係の人員がローテーションで担当している。本館には人間を、こちらの査定所には獣人を、それぞれ配置している形だ。


「この板の使い方を説明するぞ」

「おう、なんだいコリャ?」


 俺は実演してみせた。

 荷物を受け取ったら、番号札を渡す。同時に、掲示板の『鑑定待ち』に同じ番号の札を掛ける。

 待ち時間を聞かれたら、『渡された本数×10分』に加えて、『前に待っている人間がこれだけいる』ことを伝えればいい。


「そして、呼び出しても来なかった番号は、こっちの『呼出済』に移動させておく。これなら、外に出ていた冒険者が戻ってきた時、自分の番が過ぎているかどうかが一目(ひとめ)でわかる。何度も大声で呼び出す必要はないだろう?」

「おおっ! なるほど! こいつは楽だ!」


 マウロが目を輝かせた。いちいち「42番の方ー!」とか叫び続ける徒労から解放されるのだ。

 喉にも優しいシステムだ。


「他の獣人にも伝えておくぜ! これなら俺たちでも使えるな!」

「頼んだぞ。俺もしばらく様子を見に来る」


 さらに俺は、ヴェリサを安心させるように言った。


「この『可視化』で現場のストレスも軽減されるので、やりやすくなりますよ。そもそも、鑑定という専門的で繊細な業務は時間がかかるものですからね。個人的には、即日渡しに拘らず、受け取りは全て後日にしてもいいくらいだと……」


 しかし、ヴェリサは無言で俺を見つめ……いや、睨んでいる気がする。レンズの奥から、じっとりと重い視線を感じる。

 まだ何か不備があるのか?


「どうしました? まだ何か……」

「カツラギ様……マウロ様やガンド様にはフレンドリーなのですね……すっかり、仲がよろしく……私にだけ……丁寧語……はぅ……依怙(えこ)の……沙汰。ああ、私は……甲斐なし」


 ……そこなのか。『ぞんざいに扱われる=仲間として認められている』という面倒な認識だ。

 俺は「君は新しいシステムの一翼(いちよく)を担っている」「今度機会があればみんなで一緒に食事をしよう」「なんなら、君もカツラギ君呼びでもいいから」と、必死でヴェリサを宥める羽目になるのだった。


---


 昼過ぎ。


 査定所の運営が軌道に乗ったのを確認し、俺はギルド本館へと戻った。

 報告のため、ギルド長の執務室に入ると、オルガが難しい顔で窓の外を見ていた。

 その視線は、遠くの森――ダンジョンのある方角を睨んでいる。


「……お疲れさん、カツラギ」

「お疲れ様です……何かトラブルですか?」

「いや、トラブルってほどでもないんだが……『スタンピード』の兆候が出てるな」

「スタンピード? 魔物の暴走ですか?」


 俺が聞き返すと、彼女は首を横に振った。


「いや、違う。ダンジョンの魔物は放っておいたら増えていくことは知っているか?」

「はい、そのため定期的に数を減らすのでしょう?」

「ああ、そうだ。スタンピードはその増えるペースが急激に加速するんだ……ダンジョンから溢れそうになるぐらいにな」


 どれだけ魔物が増えても、決してダンジョンの外には出られない。それがダンジョンのルールだ。だから、物理的な侵攻の危機ではない。


「『レアモノ』って呼ばれてる魔物がいてな。ロック鳥っていう鳥型の魔物がいるんだが、最近こいつの亜種……『ハードロック鳥』が確認されてる」


 ……ハードロック鳥? 普段いない魔物が出現するということか?

 というかなんだ、そのネーミングは。頭を振ると歪んだギター音がしそうな名前だ。


「ハードロック鳥の羽で作るローブは価値が高いんだ。普段は第9支部を利用しない業者から、すでにクエスト依頼がきてる。他にも変種の『グラムロック鳥』が……」


 どうやらスタンピードというのは、魔物が溢れるというよりは、『在庫一掃セール』のような、冒険者にとって不定期に来る大型イベントらしい。

 冒険者たちにとっては『稼ぎ時』だが……窓口となるギルドにとっては、殺気立った客が押し寄せる『年末バーゲンセール』のような修羅場になるのか。


「クエスト依頼が最も集まる日がピークだ。そろそろ、そのピークが近い。影響範囲はウチだけじゃない。隣の第8支部も同様なんだ」


 第8支部。

 俺たちの第9支部が置かれている9区の隣、8区にある支部だ。

 あちらは旧態依然とした、いわゆる『古き良きギルド』の運営体制を維持していると聞く。

 つまり、根性と経験則(KKD)が支配する、かつての第9支部と同じ、前時代的な現場だ。


 同じ規模の災害が、同じタイミングで、異なるシステムに襲いかかる。

 好むと好まざるとにかかわらず、どうしても比較対象になってしまうだろう。

 あちらが旧来のやり方でパンクすればするほど、こちらの『改革』の優位性が、皮肉にも証明されることになるわけだ。


 こうした高負荷環境下では職員間でトラブルが発生し、それをきっかけに離職者が続出するという。前回の崩壊も、それが原因だったのかもしれない。第8支部は、おそらくその二の舞になるだろう。


「しかしそうやって忙しくなっても問題なく回せるよう、私は改善してきましたから」


 俺が言うと、オルガはニヤリと笑った。


「そうだな、今回はカツラギもいる。上手くいけば泥沼になるどころか、ウチにとっちゃ美味しいイベントになるかもしれないな」


 美味しい……確かに、その通りだ。

 ギルドの収益モデルは、クエスト達成報酬からの手数料徴収(コミッション)が主軸だ。

 モンスターが大量発生し、それを冒険者が狩り尽くす。その回転数(サイクル)が上がれば上がるほど、ギルドの金庫は潤う仕組みになっている。

 システムが過負荷に耐え、処理しきれるならば、災害はただの『特需』でしかない。


「ただな……そのタイミングに合わせて、本部から使者がくるんだ……『監査官』がな」

「監査官……?」

「ああ。第1支部……本部から派遣される、お目付け役だ」


 俺の世界でいう、監査役のようなものか。

 だが、本部から来るということは、間違いなくエリートだ。


 エリートにも二種類いる。

 現場の論理を理解し、数字と実態を見て合理的な判断を下せる『有能な実務家』か。

 あるいは、規則とマニュアルを絶対視し、現場の事情を無視して理想を押し付ける『石頭の官僚』か。

 前者なら話は早いが、後者なら……業務の最大の障害(ボトルネック)になり得るな。


「今回来るのは、シヴィリオ・アスピオンという貴族だ。カツラギなら問題ないだろうが、一応、対応には気をつけてくれ」


 オルガはそう言って、念を押した。

 俺は『アスピオン』という響きに引っかかりを覚えた。


 苗字。この国において、平民は名前しか持たない。家名を名乗ることが許されているのは、王族か、あるいは歴史ある貴族だけだ。

 つまり相手は、正真正銘の特権階級ということになる。


 貴族。それは『血統』と『伝統』を重んじる生き物だ。

 彼らにとって、俺のような『どこの馬の骨とも知れない異物』が、独自のルールで組織を動かしている状況は、果たしてどう映るのか。


 俺の世界の歴史を振り返れば、特権階級の機嫌を損ねた平民の末路は、大抵が『極刑』と相場が決まっている。現代社会における、本社役員への『接待』も似たようなものだ。一言の失言、一杯の酒の注ぎ方で機嫌を損ねれば、待っているのは左遷という名の『社会的な死』。

 違いは、こちらの世界では『物理的に』首が飛びかねないということだけだ。

 『改革』が『反逆』と受け取られ、文字通りの断頭台に送られないことを祈るしかない。

 志半ばでの『死亡退職』など、管理者として無責任極まりないからな。


 スタンピードという業務的負荷。

 監査官という政治的負荷。

 二つの嵐が同時に来ようとしている。

 俺が築き上げてきた管理体制(マネジメント)が、この『限界を超えた過負荷(オーバーロード)』を捌ききれるか。

 見方を変えれば、これは改革の真価を問う、大規模な『実地負荷試験(ストレステスト)』のようなものだ。


 俺はネクタイを締め直し、小さく息を吐いた。

 ここからが、本当の正念場だな。



読んでいただきありがとうございました。

明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。


次回『第22話:内部監査の実施、とんだ曲者なのかもしれない』

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