第20話:品質基準の標準化、順調なのは良いことだ
翌日。
俺は再び、別館の査定所を訪れていた。
目的はただ一つ。ガンドの頭の中に眠る『査定基準』の言語化だ。
さっそく、チェックリストの構想を伝える。
「……ンだそりゃァ? 面倒くせェもん足すのか?」
「いえ、理由をいちいち書く手間を省くためですよ。ガンドさんは、該当する項目に『レ点』を入れるだけです」
メモ帳に四角を描き、その中にチェックを入れて見せる。
最初は「職人の勘を安売りする気か」と渋っていた彼も、「喋らなくて済むならいいか」と妥協してくれたらしい。ポツリポツリと減点理由を語り始めたので、俺はすかさずヒアリングを開始した。
聞き取ってみると、彼の脳内にある基準は、その粗野な態度に反して驚くほど体系化されていた。
剣であれば『刃こぼれ』『歪み』『錆』。鎧であれば『傷』『凹み』『継ぎ目の劣化』。
発生しうる問題点は完全にパターン化されており、対象となる装備も、大きく『刃物類』と『鈍器類』にカテゴライズ可能だ。
ならば、それぞれに対応した専用伝票さえ用意すれば、事足りる計算になる。
「これならテンプレート化できますね」
試しにそこにあった剣を手に取り、『警告色視』を発動する。
剣に赤いシミが現れたので、その箇所と、ガンドの基準を照らし合わせてみた。
刃こぼれ、違う。錆、違う。柄との継ぎ目に微細なヒビがある。これは『接合部の状態』でマイナスか。
「ガンドさん。この剣、査定額は『銀貨6枚』になりますか?」
告げた瞬間、ガンドがピクリと眉を動かした。
彼は俺の手から剣をひったくると、一瞥して怪訝そうな顔をする。
「ンンっ? なンだ事務屋、お前さん、鑑定できンのか?」
「見て分かる範囲だけですが。ガンドさんのように品質の良し悪しまでは分かりませんよ」
俺に見えるのは『異常』だけであり、切れ味が鈍っているというような、アナログな劣化判定はできない。その場合は、チェックリストの『その他(特記事項)』を使うことになるだろう。
「見て分かるってお前……。まァいい、その剣については正解だ」
ガンドはぶっきらぼうに言いながら、作業に戻った。
その後も、色々な装備や素材の鑑定を見学しながら、ヒアリングを続けていく。
話の通じる相手だと認めてくれたのか、少しだけ態度が軟化したような気がする。
その日のうちに『査定チェックリストを追記した伝票』の原案は完成した。
大半の種類を網羅できさえすれば、あとはこれを組み込んだ新しい伝票を用意するだけだ。
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その夜。
俺はガンドに誘われ、ギルド併設の酒場でジョッキを傾けていた。
「おう事務屋! 飲みっぷりがいいじゃねェか!」
「ガンドさんもね。……しかし、意外でしたよ。誘っていただけるとは」
「ふン、堅苦しい話し方はよせ。酒が不味くなる」
ガンドは豪快にエールを飲み干し、髭についた泡を拭った。
昼間の不機嫌さが嘘のように、上機嫌だ。アルコールが入ると口が軽くなるのは、どこの世界の親父も変わらないらしい。
「今の連中は、金さえ出せばいい装備が買えると思ってる。だがな、使い手が三流なら、名剣もナマクラよ」
ガンドはジョッキをドンと置き、熱弁を振るった。
「武器はな、使い手の心を映す鏡みてェなもンだ。心が弱けりゃ、どんな名剣だろうが切っ先が鈍る。心が決まってりゃ、折れた短剣ですら道を切り開くンだ」
彼は、ただの頑固な職人ではなかった。自分の仕事に誇りを持ち、道具を愛しているだけの、熱い男だったのだ。
その愛が強すぎて、雑な扱いをする客に対して、つい攻撃的になってしまうだけなのだろう。
当たり前のことだが、他人は、ゲームのNPCではない。
彼らには彼らの生活があり、プライドがあり、意志を持って生きている。
システムを構築する上で、最も重要な構成要素は『人』だ。
こうした『飲みニケーション』も、仲が深まる要素の一つ。
毎日のよう誘われたら、さすがに胃袋と肝臓が悲鳴を上げるが、たまに油を差す程度なら悪くない。
俺はガンドの空いたジョッキにエールを注ぎながら、この世界の『人間臭さ』を心地よく感じていた。
気分が良いのか、その後も『良い鉄の匂い』や『理想的な焼き入れ温度」について、延々と語り続けた。
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魔物の素材、薬草、鉱石、そして装備品。この世界の物品は多岐にわたりすぎる。
現代人の俺には『ワイバーン』と『ドラゴン』の鱗の違いなど分からないし、それらを学んでカテゴライズするだけでも一仕事だ。
厄介だったのが、持ち込まれる機会自体が少ない『希少素材』の扱いである。
実物がない以上、ガンドの口頭説明だけを頼りに、未知のアイテムを脳内でシミュレートして分類していくしかない。
もちろん、実物との突き合わせ確認は必要だが、それは持ち込まれた時にやればいい。
いきなり完璧なものを作れるわけがないし、都度アップデートをかければいいのだ。
そんな濃密なヒアリングと修正を繰り返し――『査定チェックリスト』が完成したのは、着手から1ヶ月が過ぎた頃だった。
一通りのマスター原稿が出来上がったので、俺は印刷所へ向かう準備のため、倉庫に立ち寄った。
「ようダンナ! 見てくれよ、だいぶ終わったぜ!」
マウロが嬉しそうに尻尾を振って迎えてくれる。
倉庫の中は、以前のカオスが嘘のように整頓されていた。
棚や木箱には、赤、青、緑といったペンキが塗られ、エリアが明確に区分けされている。
「箱の一部分を塗るだけなら簡単だしよ、中身が変わるなら上から別の色で塗ればいいしな。こいつは便利でいいぜ」
「ああ。運用コストも安い」
「それに、あっちの人間たちも喜んでるぜ。いちいち俺たちに指示を聞きに行かなくても、色を見ればどこに運べばいいか分かるからな」
視線の先では、人間の職員たちが黙々と、しかし以前よりスムーズに荷物を運んでいた。
『自分で判断して動ける』という自律性が、彼らのモチベーションを回復させているようだ。
やはり、人間は『何をしていいか分からない』状態が一番ストレスになる生き物なのだ。明確な指針さえあれば、彼らは機能する。
「マウロ。街の印刷所からの荷物持ちが必要なんだが、誰か手空きの職員はいないか?」
「お? だったら俺が行くぜ! 力仕事なら任せときな!」
マウロは俺の肩をバシッと叩く。
悪気はないのだろう。だが、種族間の基礎スペックに対する配慮の必要性を、身を持って痛感させられる一撃だ。
衝撃が骨格をきしませる。このままだと、業務中の過剰なスキンシップによる負傷として、労災認定を申請する日が来るかもしれない。
……まあ、実際のところ、そこまで大げさに受け止めてはいないのだが。
俺は彼を連れて、倉庫街の外れにある『魔導印刷所』へと向かった。
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道中、俺はマウロにこの世界の『魔導具』の仕組みについて説明した。
俺自身への知識の整理を兼ねてでもある。
この世界の魔導具は、基本的に『器』と『回路』、そして『電源』の三要素で構成されている。
機能の中枢となるのが、特殊なインクで描かれた魔法陣だ。
これが『電気回路』のような役割を果たす。魔導師が言う『魔法術式を組み込む』というのは、この回路を描く作業のことだ。
単純な機能なら、魔法陣の形を見ただけで『火が出る』とか『風が吹く』といった効果が判別できるらしい。
例えば、ダンジョンで使える『リターンゲート』も、未解明な法則はあるものの、基本的にはホールと同じ魔法陣を描けば発動する仕組みになっている。
そして、スイッチ代わりの魔石に魔力を注入すると、回路に電気が――いや、魔力が流れて機能が発動する。
PCで例えるなら、魔法陣がプログラムコード、本体がCPU、魔石が電源兼メモリといったところか。要するに、『魔法陣という回路』を組み込んだ『本体という機械』を、『魔石という電源』で動かしているわけだ。
「へぇ〜。俺たち獣人は魔力が少ねえからよ、そういう難しい理屈はよくわかんねえんだ」
マウロは首の後ろに手を伸ばした。
獣人やドワーフは身体能力や技術に優れる反面、魔力総量が少なく、魔導技術にはあまり関心がないらしい。だからこそ、魔導具の管理がおろそかになっていた側面もあるのだろう。
そして起動シーケンスには、大きく分けて二つの規格が存在する。
一つは、物理的な接触によって回路を閉じる『切替式』だ。
ボタンを押したりダイヤルを回すことで、魔石と回路が物理的に接触し、魔力が流れる。訓練所にあった環境制御盤がこのタイプで、魔力を持たない俺でも扱える『ユニバーサルデザイン』だ。
対してもう一つは、使用者が自身の魔力を魔石に注ぎ込むことで起動する『注入式』。
先日修理した換気扇はこっちだ。これは魔力という『生体信号』を要求されるため、魔力を持たない俺にはアクセス権がない。
「なんか難しそうだけど、要は『魔力』がありゃ動くってことだな!」
マウロの大雑把な理解に苦笑しつつ、俺たちは印刷所に到着した。
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レンガ造りの建物の煙突からは、薄い色の煙がたなびいていた。
近づくと、リズムよく重たい何かが動く音と、インク特有の油の匂いが漂ってくる。
建物の中には、巨大なプレス機のような魔導具が鎮座していた。
これが『魔導印刷機』だ。
巨大な石版の左側には、ガイド枠のついた『入力用魔法陣』があり、そこにマスター原稿をセットする。対になる右側の『出力用魔法陣』には、白紙の束がセットされている。
そして魔導師が起動用の魔石に魔力を注ぐと、入力陣が原稿を読み取り、出力陣から複製された用紙が次々と吐き出されてくる仕組みだ。
「……では、印刷を開始します」
印刷所の魔導師が魔力を込めると、ガシャン、ガシャンと重厚かつリズミカルな音が響き、次々と『査定チェックリストが入った新しい伝票』が吐き出されていく。
速い。やっていることは、コンビニのコピー機と同じだ。
アナログな機構と魔法が融合した、スチームパンクならぬマジックパンクな光景だ。
作業を眺めながら、俺はふと気になっていたことを魔導師に尋ねてみた。
レナンセムが開発している『入力内容を複数種類に出力する魔導具』の機能についてだ。
「……すみません、少々お伺いしたいのですが」
「はい、なんでしょう?」
「この印刷機の技術を応用して、『書いた文字を、別の場所にある紙の、指定した場所に転写する』といったことは可能でしょうか?」
専門家の意見を聞いてみたかった。
だが、魔導師は目を丸くして首を振った。
「不可能ですね。この印刷機は、マスター原稿と全く同じ位置にインクを転写させるものですが、原本と用紙にズレがないようにセットするだけでも一苦労なんですよ。固定じゃない場所に、しかも複数の出力先を選んで転送……そんな魔法陣、聞いたことはないですね。もし描けるとしても、とてつもなく巨大な施設になると思いますよ」
つまり、この世界の技術水準では、機能としては『コピー』が限界。
座標を指定してデータを飛ばすなど、常識では「あり得ない技術」なのだ。
改めて、レナンセムというエルフの異常性が浮き彫りになった。
彼女は「やればできそうだよ」と涼しい顔で言っていたが、それは彼女が常識を超えた規格外の天才だからだ。
俺はとんでもない技術者を抱え込んでいるらしい。
「……ありがとうございます。参考になりました」
こうして、必要分だけの書類の印刷を終え、俺たちはギルドへの帰路についた。
手ごたえがあったら、これを基準としてやっていこう。
俺は束になった伝票の重みを感じながら、確かな前進を噛み締めていた。
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深夜、別館の査定所。
街の明かりも消え、ギルド本館の方も静まり返っている。
この時間なら、誰に見咎められることもなく作業ができる。
手元には、大量に印刷された『チェックリスト付き伝票』。
だが、これだけでは片手落ちだ。
システムを機能させるには、ユーザーへの情報開示が必要不可欠だ。
俺は部屋の隅にカバーをかけて隠しておいた、木材と塗料を取り出した。
ここ最近、通常業務を終えた後にこっそりと進めていた、『秘密裏のDIYプロジェクト』だ。
作成しているのは二つの掲示板で、『買取価格一覧表』と『査定状況掲示板』である。
トントンと、ハンマーの音が夜の査定所に響く。
肉体労働は専門外だが、こうして仕組みを物理的に構築している時間は、不思議と心が落ち着く。
毎日少しずつ、ペンキを塗り、枠を作り、文字を書き込んできた。
それが今夜、ついに完成する。
「……ふぅ。悪くない出来だ」
最後の釘を打ち込み、俺は額の汗を拭った。
時刻は、日付が変わったあたりだろうか。
連日の深夜作業だというのに、不思議と疲れは感じない。むしろ脳は冴え渡り、体の動きも軽快だ。
ブラック企業の社畜が陥りがちな『ランナーズ・ハイ』に似ているが、質が違う。
日本にいた頃とは決定的に違うのだ。これは俺自身の意志でやっている仕事であり、上司に強要されたサービス残業ではない。
『仕事が遊びで、遊びが仕事』なんて言葉があるが、今の俺はまさにその状態だ。
ワーク・ライフ・バランスならぬ、『ワーク・ワーク・バランス』とでも言うべきか。仕事そのものが充実している以上、精神的なストレスは皆無であり、肉体的な疲労も心地よい達成感に上書きされている。
このまま徹夜でもいけそうだが……管理者としては、それは悪手だ。
パフォーマンスを維持するためにも、休息というタスクをこなさなければならない。
俺は完成した掲示板を壁に立てかけると、近くにあった長椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
さて、汗を流すとしよう。
このギルドには福利厚生の一環として『魔導シャワー』が完備されている。熱い湯を浴びて、自室のベッドで泥のように眠る。それが最高のご褒美だ。
そう思った瞬間。
張り詰めていた緊張の糸が解け、心地よいまどろみが脳を包み込む。
シャワーを浴びてから……と考えたが、まあいい。少しだけ目を閉じて、リフレッシュしてからでも遅くはないだろう。
俺は抵抗することなく、深淵なる睡眠の引力に身を委ねた。
読んでいただきありがとうございました。
明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。
次回『第21話:情報の透明化、面倒事はまとめてやってくる』




