第18話:直感の言語化、叡智なことは考えないように
倉庫の視察を終えた俺は、その足でギルド長の執務室へと向かった。
部屋の中は質素だが、整理整頓が行き届いている。
しかし、部屋の隅に鎮座する、竜を思わせる角と鉤爪を模した意匠をまとった白銀の鎧が、ここの主が只者ではないことを無言で主張していた。
現役時代の装備だろうか。放たれる威圧感だけで、並の魔物なら心停止しそうなプレッシャーだ。
「……なるほどな。換気不全による環境悪化か」
報告を聞いたオルガは、眉間に深い皺を刻んだ。
「マウロの奴、何も言ってこないから問題ないと思ってたんだが……」
「彼らにとって、あの悪臭は『空気』ですからね。脳がノイズとして処理してしまう以上、彼らが自発的に報告を上げてくることはあり得ません」
「じゃあ、人間の職員はどうなんだ? あいつらは鼻が利かない分、臭いには敏感だろう?」
オルガの問いに、俺は肩をすくめた。
「彼らにも尋ねてみましたが、『そのうち直してくれるだろうと思っていた』という反応でした」
彼らも、そこまで重大な問題だとは考えていなかったのだろう。
普段、臭いに慣れていたこともあってか、『最近臭いがきついな』程度の感覚で、換気扇の停止と体調不良の因果関係までは結びついていなかったようだ。専門知識がなければ無理もないことだ、仕方ない。
「……はぁ、巡回に行かず、報告待ちにしていたアタシが悪いな」
オルガは重く溜息をついた。
「原因は、倉庫の屋根に設置された『魔導換気ユニット』の稼働停止です。おそらくエネルギー切れでしょう」
「ああ、だいぶ前にレナンに頼んで補充したんだが、切れちまってたか。気づかなかった、アタシの責任だ」
彼女はこめかみに指を当てた。
忙しい時ほど、トップが現場の細部まで把握するのは不可能だ。だからこそ、ボトムアップで報告が上がるシステムが必要なのだが、今回はそのルートが、獣人の特性と人間の認識不足で機能不全を起こしていた。
「明日、またレナンに頼もうか。あんたも同行してくれるか?」
「承知しました。現場で立ち会いましょう」
魔導具の構造と、レナンセムの魔法運用をこの目で確認する必要がある。
それに、現場監督として作業の安全を確保するのも俺の仕事だ。
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翌日。
俺はレナンセムを連れて、再び倉庫の前に立っていた。
「……酷い有様だね。私の繊細な『感覚器』が許容する閾値を、完全に超越しているよ」
レナンセムはハンカチで鼻と口を覆い、露骨に顔をしかめた。
「エルフも鼻が利くのか?」
「人間よりはね。とはいえ、獣人ほどの解像度はないよ。……早く終わらせようか。長居は呼吸器へのリスクを高めるだけだからね」
彼女は倉庫の壁面を見上げた。
屋根の近くに通気口がある。三階建ての建物の屋上くらいの高さだ。
「さすがに高いな。前は梯子を使ったのか?」
「いいや。高所作業における転落リスクを考慮し、より安全かつ効率的なアプローチを選択したのさ」
ふわり、と。
物理法則を無視して、彼女の身体が宙に浮いた。
そのまま音もなく、エレベーターのように上昇していく。
反射的に、その姿を目で追った。
真上に上昇していく彼女。
俺は、その真下に立っている。
当然、視線の先にあるのは――物理的に隠しようのない、広がるスカートの中だ。
――あ。
視界に飛び込んできたのは、純白の布地。
華奢な腰つきを包む、飾り気のない、しかし清楚な白。
桜色のインナーカラーを入れるような遊び心とは裏腹に、見えない領域は清純派らしい。
見てはいけないものを見た。
だが、男の悲しい性か、視線を逸らすのにコンマ数秒の遅れが生じた。
俺は慌てて視線を水平に戻し、咳払いをする。
……事故だな。不可抗力というやつだ。重力と位置関係が生んだ、不幸な物理現象に過ぎない。
「カツラギ君、魔力供給を開始するよ」
頭上から声が降ってくる。
彼女は空中で移動し、下からは見えない位置――換気ユニットのある場所へと着地したようだ。
「確か前回、充填した魔石は8個……。四隅とその中間の8カ所全てに必要だね。少し待っていてくれるかい」
俺は、彼女の作業を待った。
しばらくすると、ブゥン……と低い駆動音が響き、巨大なファンが回転を始めた。
澱んでいた空気が吸い出され、新鮮な外気が流れ込んでくる。
劇的な環境改善だ。
トン、と軽い音がして、俺の背後にレナンセムが着地した。
「終わったよ」
「ああ、助かった。……思ったより早かったな」
「前回より魔力量を、臨界点寸前まで装填しておいたよ。エネルギーの自然減衰を最大値で試算しても、向こう1年は稼働マージンが確保されているはずさ」
彼女はパンパンと手を払った。
どうやらこの世界の魔導具は、魔石という『バッテリー』に魔力を注ぐことで稼働する仕組みらしい。
魔導師が魔力を注げば充電され、魔導具にセットすれば放電して動く。要するに、充電池だ。
管理者が不在になれば、当然電池は切れる。
ここ一ヶ月、倉庫は密室状態で放置されていたわけで、地獄になるのも頷ける。
俺たちは倉庫を後にし、ギルドへの帰路についた。
隣を歩くレナンセムが、「そういえば」と思い出したかのように話しかけてきた。
「……カツラギ君、君も健全な男子だ」
「……ん?」
「先ほどの視覚的インプットは、日々の業務遂行に対する『報酬』ということにしておこう」
「…………」
彼女はニヤリと小悪魔のような笑みを浮かべた。
気づいていたのか。
彼女には、俺の視線のベクトルなど筒抜けだったらしい。
俺は何も言えず、ただ視線を逸らした。
どうやら、このエルフには当分頭が上がりそうにない。
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執務室に戻った俺たちは、それぞれのデスクに着いた。
俺はデスクの上に一枚の羊皮紙を広げ、インク壺を引き寄せた。
まずは、先ほどの倉庫改革についての整理だ。口頭での説明は、どうしても認識の齟齬を生むからな。
「……というわけで、倉庫の課題は『検索性の欠如』と『属人化』だ。これを解決するために、『カラーシステム』を導入する」
俺は、赤青緑の三色のインクを使い、紙の上にシンプルな図形を描き込んでいく。
それはただの色ではない。情報を圧縮したアイコンだ。
「ダンジョンには『赤・05』のような色を使った管理コードがあるのだから、それをそのまま利用してやればいい。倉庫の棚と木箱に、それらの色を部分的に塗って識別できるようにするんだ。ギルドに提出される魔石や素材を鑑定したら、対応する色が塗られた木箱に放り込む。マウロたちは、その木札の色を見て、同じ色の棚に運ぶだけだ」
文字という高コストな情報伝達手段を廃し、色という直感的なインターフェースに置き換える。
色で示してやれば、読み書きが苦手な連中でも迷いようがない。
「ほう、視覚情報による直感的な誘引か。原始的だが、単純明快だね」
レナンセムが感心したように頷く。
「さらに、マウロたちには棚の『番号』を管理表に書かせる。彼らは数字は書けるからな。『A』とか『B』程度の文字が書けなかったら、それぐらいは教育するだろうが。大雑把に色で分けるだけでも判別しやすくなるし、そこに番号が加われば、さらに分かりやすくなるからな」
倉庫の在庫管理は『色』と『数字』だけで完結する。欲を言えばアルファベットも欲しいが、贅沢は言うまい。最初は人間の方の負担が大きくなるかもしれないが、まずは基盤づくりからだ。
高価な魔導具も、複雑な魔法もいらない。必要なのは、ペンキと刷毛、そしてルールの徹底だけだ。ローテク上等。枯れた技術の水平思考こそが、現場を救うのだ。
「……ふむ。カツラギ君。君の思考プロセスは、非常に興味深いね」
レナンセムが、探るような視線を俺に向けてきた。
「潜在魔力を持たないがゆえの処世術かと思っていたけども、それにしては構造が洗練されすぎている。君は、一体どこでその『構築論』を学んだんだい?」
「それは……前の職場になるな」
「……前の職場?」
「ああ。俺はここではない、魔法のない世界から来たんだ。異世界と言えば伝わるかな?」
俺は隠すことなく告げた。
ルティアやオルガは既に知っているし、これからレナンセムと仕事をする上で、隠しておいてメリットはない。
情報の非対称性は、チームワークにおける最大の阻害要因だ。
「……異世界人、ということかい?」
レナンセムの目が、驚きで見開かれた。
彼女は俺の全身を、まるで珍しい実験動物を見るような目で見回す。
「ああ、そうだ。これ、わかるか?」
俺は左手の甲を見せた。
そこには、鎖と紋章が絡み合ったような、黒い幾何学模様が焼き付いている。
「それは『使い魔の刻印』だね。魔導師によって造形は様々だけども、共通していることは『支配を意味する鎖』のような模様があることだ」
彼女は興味深そうに刻印を覗き込んだ。
「確かに『使い魔召喚』における顕現対象は、異界に棲まう存在であると仮説されている。だけども、人間が召喚されたという記録は、どの文献にも存在していないね」
「俺を呼んだ魔女にとっても、失敗だったらしいからな」
「ふふ、面白い。君という存在自体が、魔導学的な特異点というわけか」
彼女は楽しそうに笑った。
どうやら、俺の出自は彼女の知的好奇心を大いに刺激したらしい。
「カツラギ君。君の世界には魔法がないと言ったね。それなら、どうやって文明を維持していたんだい?」
「魔法の代わりに、科学技術があった。『機械』という、魔導具をより複雑にしたようなものが文明を支えているんだ」
俺はデスクの上の書類の山を指差した。
「例えば、この事務作業だ。俺の世界では、情報は全て『データ』として……目に見えない『知識の欠片』として箱にしまって一元管理してある。一度入力さえしておけば、あとは好きなタイミングで台帳や報告書に共通項目を転写できる。手間がないだろう?」
「……ふむ。一度の入力で、複数の出力形式に対応するということかい?」
「そうだ。最初の情報が正しければ、転記ミスも起こらない」
機械についての説明は難しかったが、それでもレナンセムの理解は早かった。
「でもこの世界には、そういった機械はない。だからあの手間を省くのは、さすがに無理だと諦めているけどな」
アナログな紙とペンである以上、物理的な制約からは逃れられない。書き写す手間は消せない。
そう思っていた。
だが、レナンセムは違った。
彼女は顎に手を当て、ぶつぶつと独り言を漏らし始めた。
「……物理的な記述をトリガーとして、情報を複製、転送する……。君の世界の『機械』と同じ構造を再現することは不可能だが、結果として同等、もしくは類似の現象を引き起こすことは……理論上、可能かもしれないね」
「……本当か?」
俺は身を乗り出した。
「うん。私の識る古代魔法を応用して、魔法陣に組み込めば……。カツラギ君。君が求めているのは、要するに『記載された文字が、指定した異なる場所に転写されること』だろう?」
「その通りだ。それができれば、業務効率は劇的に改善する」
「ふむ……。空間座標指定によるインクの転写か。難易度は高いけども、挑む価値のある課題だね」
その瞳に、技術屋としての火が灯ったように見えた。
レナンセムにとって、それは『未知の技術への挑戦』であり、同時に『将来的に自分が楽をするための投資』でもあるのだろうか。
「面白そうだね。いいだろう、やってみようじゃないか」
彼女は前髪に指を添えると、不敵に宣言した。
つい先日、「契約以上の奉仕は労働力のダンピングだ」と豪語していた口で、これだ。
その姿は現代社会における、ある種の人々を連想させる。
削減され続ける公的研究費をものともせず、ただ『知的好奇心』という自家発電の燃料だけで研究室に泊まり込む、狂おしいほどに情熱的な探求者たち。
金銭的な対価ではなく、『真理の追究』や『使命感』そのものを報酬として走り続けるその姿は、冷徹な雇い主からすれば、コストのかからない『最も都合のいい手駒』に他ならない。
だが、その熱意を冷笑するつもりはない。
俺は、そういう採算度外視で何かに打ち込める馬鹿正直な連中が、嫌いじゃないからだ。
せめて彼女が、その情熱を不完全燃焼させないよう、管理者として最大限のバックアップをさせてもらおう。
「明日からは、通常業務の処理速度を極限まで高めて、午後の時間を全て開発に充てることにするよ。君の世界の叡智を、私の魔法技術で超えてみせよう」
「頼もしいな。必要な資材は経費で回しておく。期待しているよ」
こうして、俺の世界の知識と、この世界の魔法が融合する、前代未聞のプロジェクトが始動することになったのだ。
読んでいただきありがとうございました。
明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。
次回『第19話:査定のブラックボックス、もしかして厄介払い?』




