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第17話:業務の属人化、倉庫の方がダンジョンなんじゃないか

 昼食を終えた俺は、一人でギルドを出た。


 向かう先は、ギルド本館から徒歩10分ほどの場所。

 王都の外壁に隣接する、物流専用に区画整理されたエリアだ。


 石畳の道は徐々に荒くなり、荷馬車の(わだち)が深く刻まれている。

 周囲の建物も、冒険者を誘う煌びやかな商店から、無骨な赤レンガ造りの倉庫群へと様相を変えていった。

 華やかなファンタジーの舞台裏。都市機能の消化器官とでも呼ぶべき場所だ。


 その一角に、第9支部の物流の心臓部――『資材管理倉庫』が鎮座していた。

 巨大な鉄の扉の前には、搬入用の荷馬車が数台、主の帰りを待つように停まっている。


 ふと見上げれば、倉庫の高い位置にある通気口には、無骨な鉄製のファン――『魔導換気ユニット(ベンチレーター)』が設置されていた。

 本来なら、これが内部の汚染された空気を強制的に排気し、労働環境を維持しているはずの代物だ。


 だが、その羽根はピクリとも動いていない。

 駆動を示す魔力光も消え失せ、ただの巨大な鉄の塊として、そこにへばりついているだけだ。


 ……嫌な予感しかしない。

 故障か? それとも単なるエネルギー切れか?

 いずれにせよ、設備メンテナンスという概念が、この現場では放棄されていることだけは確かだ。

 俺は深く溜息をつき、鉄扉を押し開けた。


 瞬間。

 出口を求めて圧縮されていた空気が、爆発的に噴き出してきた。


「うっ……」


 俺は反射的に、スーツの袖で鼻元を覆った。

 鉄錆、カビ、乾いた血、薬草の青臭さ、そして獣の濃厚な体臭。

 換気不全という環境下で煮詰まり、熟成された高密度の異臭が、熱気と共に俺の顔面を殴りつける。

 嗅覚への暴力だ。労基署が機能していれば、即時閉鎖命令が出るレベルの有毒空間と言える。


 中は薄暗い。

 天井は体育館ほどに高いが、そこまで無秩序に積み上げられた木箱や麻袋が複雑怪奇な迷路を作り、視界を遮っている。

 整理整頓という概念が、ここでは息をしていない。

 どこに何があるのか、神ですら把握していないのではないか。

 ここは倉庫というより、ただの巨大なゴミ箱だ。


「おっ! 誰かと思えば、新しい事務屋のダンナじゃねえか!」


 積み上げられた木箱の頂上から、野太い声が降ってきた。

 ドスッ、という重量感のある着地音と共に、一人の巨漢が目の前に現れる。


 身長は180センチを優に超えているだろう。丸太のような腕と、分厚い胸板。袖を豪快に切り落とした荒いシャツからは、鋼のような筋肉が浮き出ている。

 だが、その頭部には、威圧的な肉体とは不釣り合いな愛嬌があった。

 茶色の毛並みに覆われた、ダックスフントのような垂れ耳。

 そして、尻の方では太い尻尾がブンブンと振られている。

 獣人だ。


 この世界の獣人は、ベースとなる動物の特性によって明確にカテゴライズされている。

 見た目が犬の彼は『ドッグ族』。猫なら『キャット族』。虎なら『タイガー族』といった具合だ。

 実に安直で分かりやすい分類だが、ここで一つ、個人的に痛恨の事実がある。

 残念ながら、当ギルドに『キャット族』は在籍していない。俺の精神衛生を保つための猫耳成分は、この職場には欠落しているのだ。


 現在、この倉庫の物流を担っているのは、目の前のドッグ族と人間の混成チームだ。

 彼らは倉庫の業務だけではなく、交代で窓口受付の応援にも回っている。


 彼については、何度か遠目に見かけた程度だ。

 こうしてまともに言語的コミュニケーションを取るのは、これが初めての機会となる。


「ようこそ、ダンナ! ここが俺たちの縄張り(シマ)だ!」


 男は人懐っこい笑顔で牙を見せ、ビシッと敬礼した。


「倉庫班リーダーのマウロだ! 噂は聞いてるぜ、鼻につく冒険者を、とっちめてるんだってな!」


 どうやら俺の仕事は、彼らの間では『インテリによる正義の制裁』として好意的に解釈されているらしい。訂正するのも野暮か。


「……まあ、教育的指導ですよ」


 俺は曖昧に頷きつつ、周囲を見渡した。

 奥の方では、他の獣人たちが荷物を放り投げたり、担いだりして走り回っている。

 活気はある。だが、秩序がない。

 エントロピーが増大しきったこの空間で、彼らはどうやって業務を遂行しているのか。


「さあ、案内するぜダンナ! 足元に気をつけてな!」


 マウロが先導し、俺たちは倉庫の奥へと進んだ。


 そこは、文字通りの迷宮(ラビリンス)だった。

 木箱、麻袋、樽、そして剥き出しの魔物の素材。それらが脈絡なく積み上げられ、不安定な塔を形成している。通路は人一人がやっと通れる幅しかない。

 防火管理者がここを見たら、泡を吹いて卒倒するだろう。避難経路の確保なんて次元の話ではない。ここは可燃物のジャングルだ。


「……マウロさん。在庫の配置に規則性はあるんですか?」


 俺が尋ねると、マウロはバシッと俺の背中を叩いた。

 骨がきしむ音がした気がする。


「水臭いなダンナ! マウロでいいって! 気軽にしてくれよ!」

「……分かった。では、マウロ」


 俺は痛みで痺れる背中をさすりながら、崩れかけたポーションの箱を指差した。

 その隣には、なぜか古びた鉄の鎧が置かれている。『薬品』と『金属』。カテゴリーが違いすぎる。


「これに規則性はあるのか?」

「規則? ああ、あるぜ。『似た匂い』のやつをまとめてるんだ。ポーションは薬草と魔力の甘い匂いがするだろ? だから、同じく鉄の匂いが強い鎧とか剣は、別の場所に……あれ? なんでここにあるんだ?」


 マウロは首を傾げ、鎧をひょいと持ち上げた。


「ああ、こりゃ『錆止めの油』が塗ってあるな。こいつはオイルスライムから取れる油でな、保存用に薬草を混ぜてあるから、ポーションの匂いと似てたんだ。誰かが間違えて置いちまったんだな。ワハハ!」


 ……笑い事ではない。

 分類基準が『匂い』という、極めて主観的かつ不安定な要素に依存している。

 この管理方法では、油の種類が変わっただけで配置場所が変わってしまうだろう。検索インデックスが機能していない。これでは『管理』ではなく、ただの『宝探し』だ。


「まあ見てな。俺にかかれば、どんなモノでも一発だ」


 俺の呆れ顔を察したのか、マウロは自信満々に胸を叩いた。


「ならテストだ、マウロ。昨日搬入した『上級魔力回復薬』はどこだ?」

「ほいきた!」


 マウロはその場で目を閉じ、鼻をひくつかせた。

 スンスン、と空気を嗅ぐ音がする。

 この充満する悪臭の中で、特定の匂いを嗅ぎ分けるなど不可能なはずだ。


「……あった。あっちだ」


 だが、彼は迷いなく指差した。

 右奥、三番目の棚の最上段。


「あそこの木箱の裏だ。上薬草のツンとした匂いの中に、何重もの魔力の甘い香りがする。……うん、来たばっかりだから減ってないな」

「……本当か?」


 半信半疑で近くの梯子(はしご)を登り、確認する。

 そこには確かに、真新しい木箱があり、中には『上級魔力回復薬』が隙間なく詰まっていた。


「……正解だ」

「だろっ?」


 マウロが得意げに牙を見せる。

 俺は驚愕した。

 この距離で、しかも未開封の瓶の中身を嗅ぎ分けたというのか? 犬並み……いや、魔力まで感知できる分、それ以上だ。


 俺はハンカチで鼻を覆い直しながら、率直な疑問をぶつけた。


「マウロ。これだけの悪臭だぞ? 鉄錆にカビ、腐った何かの臭い。この強烈な『ノイズ』の中で、よく特定の微細な香りだけを拾えるな。鼻が麻痺しないのか?」


 俺の問いに、マウロはキョトンとして、自分の鼻を擦った。


「ああ、この臭いか? こんなもん、俺たちにとっちゃあ『空気』みたいなもんさ。意識しなきゃ感じねえよ」

「意識しなければ、感じない?」

「おうよ。俺たちが探すのは『獲物の匂い』だけだ。それ以外のどうでもいい臭いは、鼻が勝手に無視してくれらぁ。いちいち全部嗅いでたら、頭がおかしくなっちまうからな」


 マウロはあっけらかんと笑う。


 ……なるほど。彼らの嗅覚は、単に感度が高いだけではない。脳が、この環境に充満する悪臭を『環境ノイズ』として認識し、無意識のうちに遮断(フィルタリング)しているのだ。

 現代で言うところの『ノイズキャンセリング機能』の匂いバージョン……いや、鼻だけに『ノーズキャンセリング機能』か。


 そして、彼らが必要とする『資源の鮮度』や『魔力の残滓』といった『識別信号(シグナル)』だけを、驚異的な解像度で抽出している。

 嗅覚という名の、超高性能な生体検索エンジン。

 彼らにとって、この倉庫はカオスではない。匂いというタグで分類された、整然としたデータベースなのだ。


 ――だが、それはあくまで『獣人』に限った話だ。

 俺は視線を巡らせ、倉庫の隅で作業をしている数名の『人間』たちを見た。


「おーい。上級鉄鉱石の場所、どこだったっけ?」

「ああ、それは……」


 人間の職員が、いちいち獣人たちの所へ確認に行っている。

 何がどこにあるのか分からず、常に獣人に正解を聞きに行かなければ仕事にならないのだ。


「……あそこの人間たちは、どうしているんだ?」

「ああ、あいつらか? 見ての通りさ」


 マウロは困ったように肩をすくめた。


「鼻が利かねえから、探し物は俺たちがやるしかねえ。あいつらは俺たちが指示した箱を運ぶだけの……言い方は悪いが、『手足』だな」


 彼はチラリと人間の作業員たちを見る。


 ……やはり、駄目だ。

 完全に機能不全だ。

 検索能力を持たない人間は、ここではただの劣化した労働力でしかない。

 毎日、獣人に指示され、単純作業をするだけ。これではモチベーションも維持できないだろう。

 典型的な属人化。それも、種族特性に依存した、最も不公平で脆弱なシステムだ。

 一年前、人間の責任者が逃げ出した理由が分かった気がする。

 この『匂いの迷宮』に適応できず、獣人たちに主導権を握られ、自分の無力さに絶望したのだろう。

 

 ……そうだ、匂いだ。


「マウロ。一つ指摘しておくことがある」


 俺は天井のファンを指差した。


「あそこの『魔導換気ユニット(ベンチレーター)』が止まっている。おそらくエネルギー切れだ。君たちの鼻は優秀すぎて『環境ノイズ』としてカットしてしまったようだが、ここ最近、換気がされずに悪臭の濃度が上がっていたはずだぞ」

「あ? ……言われてみりゃあ、確かに回ってねえな」


 マウロは耳をパタパタと動かし、ハッとした顔をした。


「そうか! だからか!」

「心当たりがあるのか?」

「ああ。確かに一時期、人間の連中がやたらと体調を崩してたんだよ。てっきり人間で流行ってる風邪かと思ってたんだが……。」


 彼はバツが悪そうに、頭に手をやった。


「俺たちにゃいつも通りだったから、そうか、アレが止まって臭いがキツくなってやがったのか。悪いことしちまったな」


 マウロは心底悔しそうだ。

 彼は仲間思いなのだ。ただ、感覚器の性能差がありすぎて、仲間の苦痛を正確にモニタリングできなかっただけだ。

 これが『種族差による管理の死角』か。


「換気扇については、俺の方からギルド長に確認しておく。すぐに空気もマシになるだろう」

「おおっ! 頼むぜダンナ! あいつらが倒れちまったら目覚めがわりぃからな!」


 俺は彼を見上げた。


「だが、空気が綺麗になっても、今のままじゃ組織は回らない。俺には匂いは分からないし、あそこで働いている人間たちもそうだ。彼らだって、ここにいる時より、ギルド受付で愛想を振りまいている方がよっぽど活き活きとしているのかもしれない」

「はっ、結構なこった」

「君たちがいなくても、誰でも一瞬でモノが探せる。そういう倉庫に変えたいんだが、協力してくれるか?」


 俺の言葉に、マウロの垂れ耳がピクリと反応した。

 彼は少し考え込み、やがて自嘲気味に笑った。


「……へっ。やっぱりダンナも、俺たち獣人のやり方は気に入らねえか? 前の責任者もそうだったよ。『野蛮だ』『臭い』ってな」

「違う。俺が言っているのは『再現性』の話だ」


 俺はマウロの言葉を遮った。


「君たちの能力は素晴らしいが、君たちにしか出来ないことが問題なんだ。それに、君たちだって、いちいち『あれはどこだ』と呼び出されるのは面倒だろう? 文字を読むのが苦手なら、文字を使わずに管理すればいい」

「文字を使わずに……?」

「そうだ。君たちの武器は、鼻だけじゃないはずだ」


 彼らは高い足場にいる仲間へ、重そうな木箱を次々と放り投げている。

 俺の世界の物流現場なら、即座に「荷物を投げるな」と怒号が飛ぶ光景だ。乱雑に扱われた荷物は破損し、クレームの元になるのが常識だからだ。


 だが、ここでは違う。

 空中でキャッチされた木箱は、まるで吸い込まれるように腕に収まり、音もなく積み上げられていく。

 衝撃を完全に殺しているのだ。

 荒っぽく見えるが、その実、中身は無事という、魔法や獣人が実在するこの世界ならではの、曲芸的な荷役の技術だ。


「俺が仕組みを作る。君たちはその身体能力で、それを実行する。そうすれば、人間から『野蛮』なんて言葉は出なくなる。『有能な物流のプロ』として認めさせてやろうじゃないか」


 そう提案して手を差し出すと、マウロの目が大きく見開かれた。

 やがて彼はニカっと笑い、迷いのない手つきで俺の手を取った。


「……ダンナがそう言うなら、乗るぜ! 俺たちもよ、ただの力仕事だけじゃねえってところを、見せてやりたかったんだ!」


 ギュッ、と俺の手が、分厚い剛腕に握り潰されそうになる。

 交渉成立だ。


 文字の素養が十分とは言えない彼らに、どうやって在庫管理をさせるのか。

 鍵は、彼らの目と身体能力、そして『色』にある。


 俺の頭の中で、新しい物流システムの設計図が組み上がり始めていた。



読んでいただきありがとうございました。

明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。


次回『第18話:直感の言語化、叡智なことは考えないように』

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