第16話:対人機能の不全、それは塩対応がすぎる(後編)
昼休み。
俺たちは酒場で昼食を調達し、例のカフェテラスでテーブルを囲んでいた。
俺のメニューは、ゴロっとした肉が入った『ビーフシチュー』と『黒パン』。
レナンセムは、小食なのか『野菜サンドイッチ』のみ。
そしてルティアは、『ビーフシチュー』と『黒パン』、さらに『チキンサンドイッチ』。意外と健啖家なのだ。
「……カツラギ君。そのシチューは、味覚刺激として適切なのかな?」
レナンセムがサンドイッチを齧りながら、興味深そうに俺の手元を覗き込んできた。
どうやら、味の感想を求めているらしい。
俺はスプーンを止め、感想を述べた。
「そうだな、じっくりと煮込まれた牛肉は、舌の上で繊維がほどけるほど柔らかい。そこに根菜の甘みが溶け出した、深みのあるデミグラスソースが絡みついている。それを際立たせるのは、隠し味の赤ワインだな。この微かな酸味が、濃厚なコクを引き締めつつ、後味を爽やかにしている。文句なしに美味い」
……分析癖が高じてか、つい食レポみたいなことを口走ってしまったな。
それを聞いたレナンセムは、嬉しそうに口元を緩めた。
「……ほう。君は美食に対する解像度も高いようだね。その分析は、私の知的好奇心と食欲中枢を同時に刺激したよ」
次の瞬間、彼女は身を乗り出していた。
「実証実験が必要だ。サンプルの提供を要求しよう」
「……好きにしろ」
俺は皿を少し前に出した。
だが、彼女は動かない。
代わりに、口を小さく開けて「あーん」と待機している。
「……何をしている?」
「見ての通り、私の利き手はサンドイッチの保持で占有されている。スプーンという『物理的インターフェース』を運用するための『余剰リソース』が存在しないのだよ」
彼女は右手のサンドイッチをひらひらと見せた。
利き手が塞がっているから、スプーンを手に取れない。わざわざサンドイッチを皿に置くのも、彼女にとっては億劫なのだろう。
つまり、『そのまま私の口に運べ』ということか。
「……はぁ。仕方ないやつだな」
俺は呆れつつ、自分のスプーンで肉と野菜を掬った。介護職員の気分だ。
そのまま彼女の口元へ運んでやろうとした、その時。
「レナンさんっ」
ヒュンと風を切る音と共に、俺の視界に銀色のスプーンが割り込んだ。
ルティアだ。
「私のでよければ、どうぞっ」
彼女は、自分のシチューを掬ったスプーンを、電光石火の早さでレナンセムの口に差し出していた。その動きは、遅刻寸前にセキュリティゲートへ社員証を叩きつけるかのような、必死さと鋭さを兼ね備えていた。
「むぐっ……!?」
不意打ちで口に放り込まれ、レナンセムが目を白黒させる。
「……ん、んぐ。……ふぅ。ありがとう、ルティア。だけども、少し熱かったよ」
「いえ、すみません。つい、スプーンが余っていましたので……」
ルティアは謝りながらも、ニコニコと笑っている。
なんだろう、彼女の笑顔から、形容しがたい『圧』を感じるのは気のせいだろうか。
まあいい。俺が食べさせる手間が省けた。二人の仲が良いのは喜ばしいことだ。
俺は何事もなかったかのように、自分の食事を再開した。
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俺とルティアはコーヒー、レナンセムは紅茶を口にしながら、話題は『出張』の件に移った。
「……私が長期出張を選択したのはね、当時の事務員たちに対する『教育的指導』の側面が強かったんだ」
カップの縁を指でなぞりながら、遠い目をしている。
「彼女らの業務処理能力は著しく低く、その皺寄せは常に私に来ていた。それなのに彼女らは、私への感謝を示すどころか、私の勤務態度に対して『陰口』という非生産的なフィードバックを繰り返していたんだよ」
彼女は不服そうに唇を尖らせ、指で前髪をくるくると弄び始めた。
「『いつも遊んでいる』だの『真面目にやれ』だの……心外だね。私は誰よりも早く、完璧に成果物をあげていたというのに」
だから、レナンセムが不在になることで発生するボトルネックを肌で感じさせ、彼女の重要性を再認識させようとしたのか。
要するに、『嫌がらせで職場放棄して、わからせてやろうと思った』ということだろう。
俺は呆れてため息をついた。
「……レナンセム。確認するが、あんたは当時も魔法を使って、仕事を簡単に終わらせていたんだな?」
「当然だよ。といっても最高出力を出すべくもなく、私なら30分で終わる量だ」
「で、残りの時間は?」
「読書と紅茶による、自己研鑽の時間だよ」
レナンセムは堂々と答えた。
「言っておくがね、カツラギ君。私は、提示された報酬額に見合うだけの労働力は、完璧に提供しているよ。私の給与は、勤続年数による多少の上乗せこそあれ、基本的には一般事務員の範疇だ。その対価以上の業務、すなわち他者の領域を肩代わりしたところで、査定が上がるわけでも、特別報酬が出るわけでもない」
彼女は前髪を指にくるりと巻き付けながら、鼻で笑った。
「契約以上の過剰な奉仕は、労働力の安売りだよ。私が生み出した可処分時間をどう使おうとも、組織に損害は与えていないはずさ」
……ぐうの音も出ない正論だった。
いや、むしろ俺はその意見に、痛いほど共感してしまった。
俺の世界でもそうだった。
早く仕事を終わらせれば、『じゃあこれも頼む』と他人の仕事を押し付けられる。
有能な人間が損をして、無能な人間が楽をする。給料が変わらないなら、適当に手を抜いて定時まで座っているのが『最適解』になってしまう。それが組織の腐敗だ。
「……ああ。あんたの言う通りだ。自分の仕事が終わっているなら、文句を言われる筋合いはない」
俺は頷いた。
だが、同時にこうも思うのだ。
「でもな、組織というのは感情で動くんだよ、レナンセム。汗をかいていない奴が、自分たちと同じ給料をもらっている。無能な人間からすれば、それは許しがたい『悪』に見えるんだ」
「……不合理だね。成果ではなく、疲労感を美徳とするだなんて」
レナンセムは顔をしかめた。
頭はいいのに、こういう人の機微には興味がないらしい。
「だけども、結果は予想外のものとなった。彼女らは反省して業務改善を試みるどころか、職務放棄という最悪の選択をした。その負荷は全て……受付のルティアに転嫁されてしまったんだ」
彼女はルティアを見て、少しだけバツが悪そうに視線を逸らした。
計算高いレナンセムにとって、ルティアが苦しむことは『想定外の損害』だったのだろう。
「これは私の計算ミスだ。罪滅ぼしに、彼女の負担を軽減しようと配置転換を試みたのだけども……どうやら、また変数を見誤ったようだね」
意外だった。
彼女なりに責任を感じていたらしい。
あの壊滅的な受付対応も、ルティアを休ませるための行動だったというわけか。
「……しかし、反省するのはいいが、それが受付をやる理由にはなってないんじゃないか? 事務を手伝えば済む話だろ」
俺が指摘すると、レナンセムは首を横に振った。
「そうかな? ……出張に行く前の半月ほどだが、受付にいるルティアの精神パラメータは、明らかに低下傾向にあった。私はてっきり、彼女が受付業務そのものに心理的ストレスを感じているのだと推測していたのだけども」
だから、自分が代わればルティアが楽になると思ったのか。なんとまあ、不器用で的外れな優しさだ。
しかし、当時ルティアが落ち込んでいたのは、パーティをクビになったからだろう。
ルティアが当時の経緯を説明すると、レナンセムは目を丸くした。どうやら、詳しい事情までは知らなかったらしい。
彼女は「やれやれ」といった風情で、目元を隠すように前髪を弄んだ。
「私が受付という『不確定要素の塊』を引き受けることで、問題の分節化を行おうとしたのだけども……完全に前提条件を間違っていたようだね」
「いえ、そんなことは……その、ありがとうございました」
ルティアは、困ったような、それでいて花が咲くような柔らかな笑みを浮かべた。
遠回りで、理屈っぽくて、ひどく不器用な気遣い。
だが、そこには確かに、レナンセムなりの善意があった。悪い話ではない。
「まあ、済んだことは仕方ない。……そういえば、出張先には温泉があったんだって?」
空気を変えようと、俺は話題を振った。
すると、レナンセムの表情が一変し、瞳が輝きだした。
「ああ、素晴らしかったよ! 地熱によって温められた源泉は、硫黄と大地の塩類を豊富に含んでいて、皮膚表面を軟化させると共に、精神の緊張を緩和させる効果が……」
スイッチが入ったのか、彼女は早口でまくし立てる。
「特に、露天風呂から眺める星空の波長を解析しながら浸かる湯は、知的好奇心と肉体的快楽が同時に満たされる、至高の体験だったよ」
レナンセムはうっとりと語り、小首をかしげた。
「カツラギ君も、機会があれば一緒に入るかい?」
「そうだな……って、一緒に入るわけあるか!」
「ふふ、冗談だよ」
雑談を交わしながら、俺は次の手を考えていた。
事務は『魔導具』で解決できる。受付については現状で回っている以上、手を入れる優先順位は低い。
レナンセムという高コスト人材も、扱い方は分かってきた。
次は、物流の要――『倉庫』の業務を確認しにいく予定だ。
そこには、また別の『手のかかる連中』が待っている。
俺は残りのコーヒーを飲み干すと、席を立った。
読んでいただきありがとうございました。
明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。
次回『第17話:業務の属人化、倉庫の方がダンジョンなんじゃないか』




