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第15話:対人機能の不全、それは塩対応がすぎる(前編)

 次の日。


 レナンセムが、受付窓口に座った。


「受付だとサボれないぞ。常に人目がある」


 俺が釘を刺すと、彼女は不服そうに眉をひそめた。


「心外な評価だね。私は業務を放棄したいわけではなく、自身の時間リソースを、より生産的な活動へと再配分したいだけだよ」


 レナンセムは、鼻先にかかる前髪を指先でくるくると(もてあそ)びながら、講釈を垂れた。

 指に絡まるプラチナブロンドの内側から、桜の花びらのような淡いピンク色がちらちらと覗いている。


「確かに、我々長命種の時間的猶予は潤沢かもしれない。だけども、それは思考停止したまま虚無に浸ることを許容する理由にはならないのだよ。私の脳は常に、解析すべき新たな変数を求めているのだからね」


 つまり、読書以外の暇つぶし――人間観察というエンタメを求めているのだろうか。

 もしかすると彼女にとって、ギルドの受付は『業務窓口』ではないのかもしれない。

 愚かな冒険者たちが繰り広げる、筋書きのないドタバタ劇を最前列で鑑賞できる『特等席』。

 もし安全圏から他人の混乱を娯楽として消費しようとしているのなら、実にいい性格をしている。


 俺が(いぶか)しんでいると、彼女はカウンターの横に貼られた『クエスト申請前の心得』の羊皮紙を眺め、満足げに頷いた。


「それにしても、カツラギ君。君の策定したこの『安全確認』は、実に有意義な試行だね」

「……ほう、お気に召したか?」

「うん。冒険者という『人的資源』に対し、強制力による支配ではなく、内発的動機付けを促している点が素晴らしいね」


 彼女はペラペラと、しかし確信を持って語る。


「監視コストをかけずに、個々人の生存本能を刺激して保守意識を刷り込む。組織の持続可能性を担保する上で、これほど費用対効果(コストパフォーマンス)の高い手法はないよ」


 意外だった。

 他の脳筋職員たちが『面倒くさい』と渋っていた安全管理を、彼女は瞬時に『正しい』と理解したのだ。

 やはり、性格に難があっても、彼女は優秀な魔導師だ。物事の本質は見えている。


「理解が早くて助かるよ。なら、その調子で頼む」

「任せてくれたまえ。認識の深化(しんか)が不足している者たちに、適切なリスク管理の重要性を啓蒙(けいもう)しようじゃないか」


 彼女は自信満々に胸を張った。

 この時は、俺も安心していたのだ。

 彼女の『正しい知識』が、そのまま『正しい接客』に繋がるものだと信じていたから。


 ……だが、俺は失念していた。

 『正しいこと』と『伝わること』は、全く別次元の問題だということを。


---


 早速、一人の冒険者がクエスト依頼にやってきた。

 装備の汚れ具合や、全身から漂う雰囲気からして、それなりに場数を踏んだベテランのようだ。


「よう。久しぶりにこっちに戻ってきたんだが……『赤錆(あかさび)の穴』はまだ残ってるか?」


 男はカウンターに身を乗り出し、気さくに尋ねた。

 『赤錆の穴』。それは正式名称ではない。この辺りの冒険者が使う通称だ。酸化鉄を含んだ赤い土壌が特徴的なそのダンジョンを、地元の人間は親しみを込めてそう呼んでいる。


 普段、ここを仕切っている脳筋職員たちなら、「おう! まだあるぞ! 行ってこい!」と二つ返事で通じる会話だろう。彼らは難しい専門用語などは覚えていないが、現場の呼び名(スラング)だけは頭に入っているからだ。


 だが、あいにく今日の受付は、理屈と定義の権化(アバター)こと、レナンセムだ。

 彼女は眉一つ動かさず、手元の台帳を指でなぞった。


「……『赤錆の穴』という登録名称は、本ギルドの正規登録簿には存在しないね」

「あ? 何言ってんだ、いつものあそこだよ! 東の森にある、土が赤い洞窟だ!」

「情報の定義が曖昧だ。土壌成分に酸化鉄を含むダンジョンは、このエリアだけでも複数存在する」


 彼女は冷淡に告げ、台帳のページをめくった。


「君が言及しているのは、『東部森林B・赤・05』のことなのか、それとも、『赤・08』のことなのかな?」

「あ? なんだその番号」

「掲示された依頼票にも明記されている、正式な管理コードだよ」


 彼女は呆れたように溜息をついた。


 管理コード。これは、この世界のギルドが古くから採用している、ダンジョンの分類システムだ。

 『東部森林B』はエリアを。末尾の数字は発生順を。そして中間の『色』は、そのダンジョンで産出される主資源を表している。

 『赤』なら鉄鉱石。『緑』なら銅や薬草。『青』ならダイヤモンドのような高硬度資源。


 初めてこの台帳を見た時、俺は思わず唸ったものだ。

 多くの冒険者たちは情緒的な通称で呼んでいるが、管理側は徹底して『資源』として分類している。

 意外だった。この世界はもっと適当で、感覚だけで動いているのかと思っていたが、この命名規則には明確な合理性がある。

 誰が作ったシステムかは知らないが、これなら資源の分布と採掘計画が一目でわかる。実に優秀なシステムだ。


 ……システムは、優秀なのだが。

 それを運用する受付窓口担当(インターフェース)に問題があった。


「君たちの言う『赤錆の穴』は、酸化鉄の含有率が高い『赤』のダンジョンだろう。恐らく『05』か『08』のどちらかと思われるのだけども」


 レナンセムは台帳の備考欄を確認し、無慈悲に告げた。


「残念ながら、データ上では『赤・08』は先月20日をもって消滅(クリア)しているね。ダンジョンマスターが討伐され、崩落した」

「はあ!? 無くなったのかよ! あそこは稼ぎやすかったのに!」


 冒険者が声を荒げる。

 だが、俺は横で聞いていて首を傾げた。『赤錆の穴』というのは、確か『赤・05』のことじゃなかったか。『赤・08』は、通称『赤壁の洞窟』だったはずだ。似ているが、別の場所だ。

 レナンセムは『赤い土』というキーワードだけで検索し、直近でデータ更新があった『08』のことだと勝手に推測してしまったのだ。


「……おい、レナンセム」


 俺は小声で助け舟を出そうとした。

 だが、彼女は冒険者に向かって、畳み掛けるように正論を吐いた。


「マスター討伐による崩落は、ダンジョンの宿命だ。君の主観的な『稼ぎやすさ』と、客観的な『稼働状況』はリンクしない。不満があるなら、不確定な通称ではなく、管理コードで記憶しておくことを推奨するよ。そうすれば、無駄足を踏むことへのリスクヘッジとなる」

「だーっ! なんだその言い草は! インテリぶってんじゃねえぞ!」


 冒険者が地団駄を踏んで怒り出す。

 ああ、こじれてしまった。彼女の言っていることは正しいのかもしれないが、顧客対応としては0点だ。


---


 だが、受難は続いた。

 次の冒険者に対しても、彼女の『塩対応』は火を噴いた。


「どうも。この『鉄鉱石の運搬依頼』を受けたいんですけど」


 やってきたのは、まだ若手の剣士だ。

 装備は鉄製の胸当てと、少し刃こぼれした剣。お世辞にも裕福とは言えないが、やる気だけはありそうだ。


 レナンセムは彼を一瞥(いちべつ)し、そして眉をひそめた。


「……君の現在の装備スペックで、当該エリアへ侵入することは推奨できないね」


 彼女の声は真剣だ。

 俺には分かる。レナンセムは、安全確認の推進に賛成している。だからこそ、知識ある魔導師として、若手冒険者に適切なアドバイスを送ろうとしているのだ。


 しかし、その出力言語(アウトプット)が致命的に間違っていた。


「現在の『赤・05』は、採掘作業の影響で大気中の粉塵濃度が上昇傾向にある。君の装備には防塵機能が欠落しているから、呼吸器系への不可逆的なダメージが見込まれるだろう。肺胞に蓄積された微細粒子は、長期的なパフォーマンス低下の主因となり得るからね」


 彼女が言いたいのは、『埃っぽいから対策をしていけ』という単純なアドバイスだ。

 だが、冒険者はきょとんとしている。


「えっ? つまり……行くなってことですか?」

「否定はしないが、正確ではないな。行くならば、リスクヘッジとして『密閉型の兜』を装着し、外気を物理的に遮断するか、あるいは『風属性の付与魔法』で周囲の粉塵を反発させるべきだね。安全管理上の提言だよ。君の生命維持の確率を僅かでも向上させるための、低コストな解決策(ソリューション)さ」


 レナンセムは淡々と語る。

 しかし、若手冒険者の顔色は、徐々に朱に染まっていった。専門用語でまくし立てられ、自分の装備を否定された。彼にはそうとしか聞こえていない。


「……なんですか。俺じゃ力不足だって言いたいんですか?」

「現状のパラメータと環境負荷を照合すれば、不釣り合い(ミスマッチ)であることは明白だと言っているのだけども」


 トドメの一撃。

 彼女は『装備が合っていない』と言っただけだが、相手は『お前には無理だ』と解釈した。


「……あー、そうですか! 悪かったですね、貧乏人で! 他のクエストを探しますよ!」


 冒険者はカウンターを蹴るようにして離れ、逃げるように帰っていった。

 残されたレナンセムは、不思議そうにしている。


「……なぜだい? 私は彼の健康リスクを疫学的(えきがくてき)に分析し、安価で実行可能な解決策(ソリューション)を提示しただけなのに」


 彼女の声には、純粋な困惑が混じっていた。

 悪意はない。馬鹿にしてもいない。ただ、彼女の使う『言語』が、一般人のそれと互換性を持っていなかっただけだ。


---


 その後も、レナンセムが受付にいると、クエスト申請をやめて帰っていく冒険者たちばかりになった。

 彼女のアドバイスは常に的確で、慈悲深い。だが、難解すぎて『怒られている』あるいは『馬鹿にされている』と勘違いされてしまうのだ。


「おかしいね。何故だかみんな帰っていく」


 首を傾げる彼女に、俺は頭痛をこらえながら声をかけた。


「……まず、普通に喋るところからじゃないか?」

「普通? それは君の定義だろう? 私にとってはこれが常態なのだよ」


 レナンセムは不満げに唇を尖らせる。


「いや、このままだと受付はやらせられない。顧客満足度が地の底だ」


 俺の指摘に、彼女は少し考え込んだ後、鼻先にかかる前髪を、息でふっと持ち上げた。


「そうか……では、潔く撤退しよう。どうやら私が発する『言語構造』と、大衆の『認知領域』との間には、致命的な認識の齟齬(コグニティブギャップ)が存在するようだ。この溝を埋めるための『最適化コスト』は……今の私には高すぎるよ」


 レナンセムはあっさりと引き下がった。適材適所という言葉が理解できる彼女らしい判断だ。


 だが、その横顔は少し寂しそうだった。

 役に立ちたいという善意が空回りしたことを、彼女自身も薄々感じているのかもしれない。



読んでいただきありがとうございました。

明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。


次回『第16話:対人機能の不全、それは塩対応がすぎる(後編)』

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