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第14話:戦略的無能、できることにも限度がある

 午前。


 別件の対応で少し席を外していた俺は、執務室へと戻ってきた。


 部屋の隅にあるデスクでは、レナンセムが背筋を伸ばして座っている。

 彼女が身に(まと)っているのは、ルティアと同じギルドの制服――襟の立ったシャツに、膝丈のタイトスカートだが、その着こなしは対照的だった。

 物理的な限界に挑むようにボタンが悲鳴を上げているルティアとは異なり、レナンセムの華奢な肢体は、制服をオーダーメイドのドレスのように優雅に着こなしている。

 無駄な肉が一切ない、研ぎ澄まされたシルエット。

 口を開いた途端に飛び出す、あの『衒学的(ペダンチック)長広舌(ちょうこうぜつ)』さえなければ、絵に描いたような『クールで有能な秘書』に見えたことだろう。

 ペンを走らせる音は一定のリズムで響き、脇目も振らずに書類と向き合っていた。


「レナンセム、進捗はどうだ?」


 俺が声をかけると、彼女は抑揚のない声で答える。


「……現在、私は数値の羅列が織りなす迷宮に、深く没入しているところだ。外部からの不規則な干渉は、繊細に構築された思考の王宮を一瞬で崩壊させる危険性を(はら)んでいる。故に、今は静寂を願いたいね」


 一見すると真面目な勤務態度だ。

 だが俺の、社畜として培われた『サボりの気配』を察知する嗅覚が告げている。この空気は、仕事をしている人間のそれではない。

 ペンの音が一定すぎる。まるで録音された音声をループ再生しているかのような、不自然な規則性。


 俺は『警告色視』を意識的にオンにした。

 慣れてきたのか、いつの間にかこの能力は、オンオフの切り替えが可能になっていた。常に見えていると目が疲れるからな。


 ――視えた。


 執務室の一角、レナンセムのデスク周辺が、毒々しい赤色で塗りつぶされていた。

 エラーかミスか、『改ざん』か『隠蔽』か。

 それを示す警告色だ。


 俺は彼女の背後に歩み寄り、左手の甲に右手を重ねた。

 『魔力干渉』を発動させる。


 意識の中で、赤色だった空間に、魔力の流れが可視化される。

 そこには尋常ではない数のラインが走っていて、まるでサーバー室の配線地獄のようだった。

 この魔力回路の『メイン電源』をイメージし、仮想のスイッチをオフにする。


 バチッ、と空気が弾けるような音がした。


 次の瞬間、デスクに向かっていたレナンセムの姿が、陽炎のように揺らめいて消滅した。

 彼女だけではない。積み上げられた書類も、走っていたペンも、すべてが幻覚だったのだ。

 後に残ったのは、何も置かれていない木製の机だけ。


「えっ!? き、消えました!?」


 近くで仕事をしていたルティアが、驚いて立ち上がる。


「……仕事をしているフリをする幻覚魔法か。無駄に精巧だな」


 俺は呆れて溜息をついた。

 本体はどこだ? 俺は思考を巡らせ、先日の納会での会話を思い出す。

 彼女が『有意義な空間だ』と絶賛していた場所。サボるのに向いた場所……。


 俺は執務室を出て、裏のカフェテラスへ向かった。


---


 誰もいない。

 肉眼では、木漏れ日が揺れる静かなテラス席があるだけだ。


 だが、『警告色視』越しの視界には、赤いノイズが浮かんでは消え、また浮かんでいる。

 まるで接触不良のモニターのようだ。

 俺はそのノイズの発生源に向かって、『魔力干渉』を発動させる。


 何もないはずの空間に、魔力が人の形に流れているのが見えた。

 光学迷彩か何かか。

 俺は迷わず、その『電源』を落としてやった。


 先ほどと同じく、バチッ、と空気が弾けるような音がする。

 すると、虚空から色が滲み出した。


「……おや」


 そこには、優雅に紅茶を飲み、足を組んで読書にふけるレナンセムの姿があった。

 彼女は本から顔を上げ、俺に視線を移した。


「……驚いたね。視覚、聴覚、魔力探知まで欺く多重結界魔法を、いともたやすく看破するだなんて。しかも、魔法術式の解読プロセスを飛ばしての強制解除……。君は『魔眼』の持ち主なのかな?」

「それより、仕事は終わったのか?」


 俺が問うと、彼女はパタンと本を閉じた。


「午後から着手する予定さ。業務遂行に必要なリソース計算は完了している。あんなものは、定時までの残存時間内で十分に処理可能だよ」


 レナンセムは悪びれもせずに言った。


「カツラギ君。組織力学(グループダイナミクス)において、過剰な有能性の提示は、往々にして業務の集中という名の『搾取』を招く……という概念を知っているかな?」


 彼女は鼻先にかかった前髪の束を指先で摘まみ、くるくると(もてあそ)び始めた。


「それゆえに、個体が生存戦略として選択すべきは、自身の処理能力を意図的に隠蔽し、周囲からの期待値をコントロールすることだと私は思うのだよ」

「……『戦略的無能』か」

「その通り」


 巻き付けた髪をパッと離すと、満足げにカップを揺らす。


「意図的に『性能(パフォーマンス)』を抑制し、常に『余力(マージン)』を確保することにしている。最大出力を秘匿し、周囲が抱く『基準値』を低くコントロールする……これは高度なリスクヘッジなのさ」


 カップを口にして一呼吸置く。

 いちいち話が長いと、すぐ喉が渇きそうだな。


「工数見積もりに関しても同様でね。充分な安全マージンを乗せた数値を提示し、その保守的なスケジュールの範囲内で『僅かに』早く納品する。それだけで、相手は勝手に『奇跡的な早さだ』と錯覚し、感謝まで捧げてくれるというわけさ」


 邪魔そうに揺れる前髪を、ふぅ、と息で吹き上げる。


「心理学的なバイアスを利用した、実に効率的な処世術だと思わないかい?」


 つまり、常に100点ではなく、70点の力で仕事をすると言いたいのだろう。

 そしてできないフリ、時間がかかるフリをして、面倒な仕事を回避する。『スコッティの法則』だったか。


「……なるほど。生存戦略としては合理的だ」


 俺は苦笑した。

 彼女は単なる怠け者ではない。組織の力学を熟知した上で、自分の時間を守るために全力を尽くしているのだ。


「だが、俺の方針は違う。俺はあんたの仕事を増やすつもりはない。むしろ、その『優れた能力』を標準化したいんだ」

「標準化?」

「ああ。あんたが本気を出せばどれぐらいで終わるんだ? 見積もりは誤魔化さなくていい。本当の実力が知りたい」


 俺の言葉に、彼女は口元を歪めた。

 不敵な笑みだ。


「本気……か。うん、いいだろう。面白い能力を見せてくれた礼に、午後から披露してみせようか。私の『最大出力(フルスペック)』というものをね」


 ---


 午後。執務室。


 そこで繰り広げられたのは、事務処理という名の、魔法のショーだった。


 レナンセムがデスクに座り、軽く両手を広げる。

 すると、彼女の十本の指先から青白い魔力の糸が伸び、それが実体化して『十本の手』を形成した。


 右手側の五本が羽ペンを握り、それぞれ別の書類に猛スピードで文字を書き込んでいく。

 左手側の五本が、書き終わった書類を検品し、印を押し、分類箱へとダイブさせる。


 カカカカカカカカッ……!


 複数のペンが同時に走る音が、異様なリズムで室内に響く。

 レナンセム本人は、指揮者のように指を振っているだけだ。

 その光景は、あたかも見えないオーケストラを指揮するマエストロのようであり、同時に、暴走した自動人形のようでもあった。


 数分後。

 今日一日分の書類の山が、跡形もなく消滅していた。


「終わったよ。どうだい?」


 彼女は涼しい顔で紅茶を啜る。

 俺とルティアは、言葉を失っていた。


「……ルティア。あれ、できるか?」

「……無理です。絶対に」


 ルティアが即答する。その顔は愕然としていた。


「あれは、なんなんだ?」

「えっと、わかりません……エルフは種族専用の魔法が使えますので……それなのかなと思います……」


 レナンセムに確認すると、彼女は事もなげに解説した。


「原理的には、古代魔法の応用だね。まず、指先からの指向性魔力照射による『幻影多手ファントムマニピュレーター』を形成させる。そして、それらによる複数系統のマルチタスクを可能にするために、認知領域を意図的に分断と独立させる『並列思考(パラレルプロセス)』を発動させたんだ。書類群の精査に関しては、『共鳴検索(レゾナンスサーチャー)』を用いて──」


 長い講釈をしてくれたが、つまりは、一部のエルフが使えるチート魔法ということだろう。


 なぜこんな化け物が、辺境のギルドで事務員をやっているのか。

 純粋な疑問だった。

 彼女ほどのスペックがあれば、高ランクのパーティはおろか、宮廷魔導師として招聘(しょうへい)されてもおかしくない。

 明らかな人材の配置ミスだ。

 俺は単刀直入に、その理由を問いただした。


 すると、彼女は首をかしげつつ、語り始めた。


危機管理(リスクマネジメント)の観点から言えば、冒険者という職業は『期待値』が低すぎるんだよ」


 レナンセムは鼻にかかった前髪を指で弾き、肩をすくめる。


「不確定な巨万の富を得るために、生物としての『生存』という最大資産をチップに賭ける……。そんなハイリスク・ローリターンの投機的行動に、私の知的好奇心は刺激されないね」


 彼女は愛おしそうに、手元の本を撫でた。


「私の幸福の閾値(しきいち)は、極めてミニマルに設定されているんだ。安定した『知的栄養素(読書)』の供給と、適度な『嗜好品(紅茶)』。この二つが維持される環境こそが、私にとっての『黄金比』なのさ」


 要は、彼女にとっては、ここで適度にサボりながら給料をもらうのが『最適解』なのだ。

 動機はどうあれ、仕事が片付いたのは事実だ。

 俺は確認のために、処理された書類の一枚を手に取った。

 ……そして、凍りついた。


「……レナンセム。これは何語だ?」


 羊皮紙に記されていたのは、俺たちが普段使っている共通語ではなかった。

 鋭角的な直線を組み合わせた、幾何学模様のような記号の羅列。

 一見すると、ただの前衛芸術的な落書きにしか見えない。


「古代エルフ語だよ。それも、私が筆記しやすい書体へと最適化してある」


 彼女は涼しい顔で答えた。


「共通語という情報伝達構造は、無駄な装飾が多すぎて、非効率極まりないと思うんだ。画数という物理的コストが無駄に多すぎて、私の思考速度に対する(かせ)でしかない。ゆえに、意味情報を極限まで圧縮し、記号化することで最適化したのさ。これなら、インク消費量と記述時間というコストを、10分の1未満にまで削減できるからね」

「……読めないぞ」

「しかし、君には読めているのだろう?」


 確かに。俺の『言語理解』スキルを通せば、この奇妙な記号が『オークロード討伐報酬・金貨30枚・受領済』と翻訳される。

 だが、問題はそこじゃない。


「俺には読める。だが、俺『だけ』だ。ルティアにも、他の職員にも読めない。これでは情報の共有ができない」


 俺は頭を抱えた。

 このチートを、普通の人間に落とし込むことは不可能だ。マニュアル化など夢のまた夢。

 彼女が休めば、業務は即座にパンクする。完全な属人化だ。俺が目指す『誰でも回せる仕組み』とは対極にある。


 落とし込む……か。

 ふと、魔導具の存在を思い出した。


「……その魔法の効果を『道具』にすることはできるか?」

「ふむ、魔導具としてかい? ……ものによっては、理論上は可能だね」


 光明が見えた。

 彼女自身をコピーすることはできないが、彼女の『機能』を切り出したツールなら作れるかもしれない。

 どんな魔導具を依頼するかは、これからじっくり精査する必要がある。


「よし。魔導具の開発計画については後日詰めよう。とりあえず今は……普通に働いてくれれば、それ以上は要求しない」

「やれやれ。人使いの荒い新入りだね」


 レナンセムは肩をすくめたが、その表情は満更でもなさそうだった。

 自分の能力を正しく理解し、評価してくれる相手がいることは、彼女にとっても悪い気分ではないのだろう。


 一旦は、成果さえあればいい。

 俺はそう結論づけ、彼女の作った完璧な、しかし誰も読めない書類の山を眺めた。



読んでいただきありがとうございました。

明日も『19:00』に更新しますのでよろしくお願いいたします。


次回『第15話:対人機能の不全、それは塩対応がすぎる(前編)』


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